第28話 特別じゃなくてもいいですか?

 斎君いつきを待合室に預けて譜々ふふさんには、


「斎君が看護師さんとなにかしようとしてたら、小指を曲がらない方向に向かって思いっきり引っ張っておいて」


 と頼んでおいた。

 あとは見つからない沙也さやひろちゃんをどこかで見つけて、早く東京に帰りたい。

 二人でどこかに行っているんだろうか。


 スマホでメッセージを送っておいたが、たしか二人とも一応病院だからと電源を切っていた。最近は時代も変わって禁止エリア以外なら電源を入れておくこと自体は問題もないんだけれど、あまり病院に立ち寄らない人間からするとそういう認識のままなのだろう。


 適当にぶらぶら歩きつつ、探してみる。

 返事が来ないということは、病院の中ということなのだと思う。


「…………あれって」


 そこには見知らぬ老婦と会話している尋ちゃんがいた。


「えっと、尋ちゃん? ……あの、話しているところ邪魔して悪いんだけど」

静流しずるさん、今この人と落語のことを話していた」

「落語、すっかりはまっているんだね」


 だいぶ盛り上がっていたのか、おばあちゃんもニコニコしながら「楽しかったわー」と尋ちゃんに礼を言って去って行った。


 沙也以外とはろくに会話できなかった尋ちゃんが、まさか落語の力で見ず知らずの人と自分から仲良くするなんて。すごいな落語。さすが伝統芸能。


「お茶は買ってきたの?」

「ごめん、あれは適当なこと言っただけ」

「……そう」

「ね、もう帰ろう。私、早く帰ってまたバンドやりたくなっちゃった」


 そう言うと、尋ちゃんはしばらく無表情のまま私を見つめた。

 また表情がどうこう言われるんじゃないだろうな。


「わたしは、沙也が始めたから楽器を始めた」

「え? うん、知っているけど」

「……沙也がやめるなら、やめるつもりだった」

「うん、それも知っているけど」


 それから交換条件でバンドをやめないよう約束してもらった。

 まさか今度は落語をやりたいからってバンドをやめたいとか? ……もしそうなら、両方やったら良いと思う。


「今は、静流さんと特別な関係を条件にバンド続けている」

「うん? ……待って、そんな条件じゃなかったよね?」

「静流さんはわたしに優しくする。わたしはバンドと落語をする」

「えっと、優しくするのは良いけど、……落語を勝手にその輪に入れないで」


 私が尋ちゃんに落語をさせているみたいだ。

 そんなことない。だいたい、私の祖母だって別に落語好きじゃない。年配が全員落語好きは偏見だ。


「でも静流さんは……わたし以外の人にも優しい。全然わたしだけが特別じゃない。沙也と同じで、わたしのこと……特別だと思っていない」

「そんなことはないけど……バンドメンバーのことは、みんな特別だと思っているから」


 いい気にさせるよりも、少しだけ正直に言った。

 母が倒れなかったら、あのライブ前の騒動もどうなっていたかわからない。尋ちゃんと沙也、そこに図らずも――というよりは完全に図ったとおり加わってしまった私の関係性は、だいぶ歪んでいていつ崩れてもおかしくない。


 尋ちゃんは、そんな私の優しくはないだろう言葉に表情を変えなかった。


「……うん、そうだと思う。それは仕方ない、受け入れる」

「えっと、ありがとう……?」

「わたしはずっと、わたしにとって特別な人は、その人にとってもわたしが特別であるべきだと思っていた。……片思いは、つらいから」

「片思いはちょっと違うと思うけど」


 でも尋ちゃんの言いたいこと自体はわかる。

 一方的な関係というのは、いつか疲れてしまう。

 それは私が、母を思って泣かなくなったように。もう帰ってこないものだと、私はあきらめてしまった。捨てられた、だから私も母を忘れるべきだ。


「でも違う。わたしだけが特別だと思っていてもいい」

「……そうかな? あ、ごめん、否定したいわけじゃなくて……でも、やっぱりずっと一方的に思い続けるのは大変じゃないかなって」

「大変。だけど、だからってやめる必要はない。……わたしは、どれだけ大変でも辛くても、向こうがわたしをどう思っていても……わたしにとって大事な気持ちに、特別な人に逃げたくない。ずっと思い続けたい」

「…………」


 わかっていっているのかな。

 そんなはずはない、と思う。尋ちゃんは私の事情なんてほとんど知らない。さっき母と言い合いになったことも、私の復讐心も。

 それでも、彼女の気持ちは、私に痛いほど刺さった。


「だから、わたしは思い続ける」

「そっか、わかった。……じゃあ、こうしよっか。交換条件のことは、一回なしにしよう」

「……うん」


 彼女を無理矢理バンドに縛るつもりもない。

 そして、もとより私は彼女を特別に思うという約束は含まれていない。


「……それなら、落語はもうやめる」

「うん、それは本当に関係ないんだよ」

「…………正直、さっきの人との話、全くわからなかった……ずっと聞かされて……辛かった」

「そ、そうだったんだ」


 どうやら落語にはまっているというのも、さっきの会話が盛り上がっているというのも気のせいだったようだ。可哀想に、興味のないはなしを延々と聞かされても断れなかったんだな。


「私は、尋ちゃんとこれからもバンド続けたい。これだけは言って置くね」

「……わたしも、みんなでバンドしたい」


 なんとなくそう言ってから、お互い握手した。改めてするとなんだか照れる。

 もっといろいろ恥ずかしいことをしたはずなのだけれども。


「沙也はいつまでも、わたしにとって特別な幼馴染み」

「そうだね。うん、二人がこれからも仲良くしてくれると私もうれしいよ」


 そういうことなら、私もお役御免か。

 尋ちゃんとのたわむれは悪きもしなかったけれど、やはり彼女の相手は沙也がふさわしい。


「静流さんとは、今はバンド仲間として特別」

「ん? ……まあ、その内解散もあるし、尋ちゃんが脱退して別のことしたいって思うかも知れないけど」


 今は、と強調されて、少しだけ寂しいと思ってしまった。

 尋ちゃんにとっての沙也との関係と比べれば、絶句女子がまだそんな付き合いの長いものではないから仕方ないのか。


「恋愛禁止があるから。……それが終わったら、違う特別になる」

「……そ、それは、まあ先のことはわからないけどね」


 尋ちゃんが少し頬を赤らめながら笑う。普段無表情な彼女の笑みは、私でもどきりとしてしまう。


「しばらくは、おでこだけで我慢する」

「……しょうがないな」


 いつの間にか、謎の約束事になってしまった尋ちゃんのおでこへのキス。

 私は今までより少しだけ長く、気持ちを込めてキスとした。


 あとは、沙也か。


「……ねえ、沙也がどこにいるかわかる?」

「沙也なら、病室」

「それって、誰の? ……もしかして、私のお母さん?」

「うん。好きな漫画の話するって」

「…………え?」


 このままもう、母には会わないで帰るつもりだった。

 だけど、そうすると沙也を置いていかなくちゃいけない。子供じゃないし、一人でも帰ってくるだろうけれど。


 大事なバンドメンバーを置いていくわけにもいかないか。

 それに、一応沙也とは付き合っているし。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 重い足取りだったけれど、最初にこの病室を出た時、それから病院を出た時と比べると、想像以上に足が動いてくれた。

 絶対に二度と顔も見たくないと思っていたくらいだったのに。


 病室の前まで来て、柄にもなく深呼吸した。

 ライブの前だって、こんなことはしない。


 無意識に、スカートのポケットに手を突っ込んでいた。路上ライブしていた女の子にもらった――というか半分奪った穴の空いたピックが入っていた。

 ドリル奏法の伝授と称して返せばよかったかな。


 穴の空いたピックをしばらく見つめてから、手の中でにぎにぎと遊ぶ。

 少しだけ落ち着いた。大丈夫、沙也を連れて帰るだけだ。

 あとは、母にも軽く頭くらいさげてもいいか。笑顔は無理かも知れないけど、さようならとか、お元気でとか、そういう無難なことを言ってみよう。


 ドアに軽く耳を当ててみた。

 元気の良い沙也の声がする。母が微かに相づちを打っているような声もした。祖母と睦望は? どこかに行っているのか。そういえば急いで着ていて、食事もままなっていない。一度病院の外で休んでいるのかも。


 私はそっとドアを開けた。

 正直、母よりも病室にいる他の患者さんたちと目が合うのが気まずい。さっき母を怒鳴り散らして出て行ったやつがまた戻ってきたと思われるんだろうか。いや、覚えていない。私のことなんてもう忘れているだろ。ただ同じ病室にいる他の患者の見舞客なんて、興味ないはず。


「あっ」


 と、思ったがベッドに寝転んで漫画を読んでいるお姉さんと目が合った。


 確実に「さっきの子だ」という顔をしている。そうでなければ、ちょっと目が合っただけでこちらをガン見して固まらないだろう。


「ど、どうも、さっきはうるさくしてすみません」

「いや、全然。……今のがにぎやかなくらいだし」

「それもすいません。……私の友達で」

「……それも全然、あたし漫画好きだし」


 にこっと笑い合って、お互い軽く頭を下げる。


 やはり祖母と睦望はいなかった。

 ベッドで半身を起こしている母と、近くの椅子に座って楽しそうにしている沙也の二人だけだ。


「……」


 どうしよう、簡単だと思っていたけれど、あの盛り上がっているところに割って入るのは想像より気が重い。しばらく待つべきか。でもさっきのお姉さんが「いかないの?」という目で見ている気がする。


「……あの」


 いつもの偉そうな私からしたら、想像できないくらい弱気に小さな声を出した。


「あーっ!! しーちゃん!!」


 ここが病院だってまったく頭にないくらい大きな声で沙也が私に気づく。


「……静流」


 母が、聞こえるギリギリくらい小さく私の名前を呼ぶ。

 不詳ながら、戻って参りました。



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