第24話 緊急事態ですか?
楽屋というわけではないけれど、私たちの待合用に用意された食堂の一角に
「お姉ちゃんーっ!」
「来てもいいって言ったけど、ちょっと直前すぎない? ……私はいいけど、他のみんなには迷惑になるかもしれないから、あんまり騒ぎすぎないでね」
と妹相手でも一応たしなめておいたのだが、
「あ~妹ちゃんだー! 可愛いーっ!」
「……落語、聴く?」
「妹さんとの連絡交換は禁止に入っていないよね?」
「いらっしゃい」
みんながいいなら、いいけど。本当にあと少しで本番だよ?
睦望は天使のようには可愛いから、当然のようにみんなから可愛がられている。
平和な光景である。睦望も嬉しそうだし、なによりじゃないか。――斎君はちょっとあんまり近づきすぎないでほしいけど。
「お姉ちゃん、今日ララティエやる?」
「やらないよ」
「えー、なんで!」
「……睦望、あれ好きなの?」
ララティエはバンドを作った初期の頃、私が作詞をした曲だった。今は半分が沙也、あと半分が斎君が担当していて、私はもう作詞をしていないから、珍しい私の作詞曲でもある。
とはいえ、初期の曲は今見るとどうもパッとしないところがあるし、なによりあれは母への恨み辛みで書いた詞だ。復讐は忘れるつもりはないが、そうそう歌う気にもなれない。
「アタシも好きだよ、ララティエ。アンコールきたらやろうよ、しーちゃん」
「え、沙也も? ……ここの人たち、アンコール文化とかあるかな」
ちなみに、普段アンコールがかかりそうな場所でやる時はそれも含めてちゃんと曲を準備している。今回は客層的にもアンコールはないだろうと踏んで、特に決めていなかったが。
「……わたしも好き。静流さんの作詞は、ロックだから」
「ロックって、褒めてるそれ?」
尋ちゃんのなんとも言えない表現に、私は微妙な返事をする。
「いいんじゃない? 久しぶりだし、アンコールでやろうよ」
「えー。だからそもそもご年配の人たちがアンコールとかしないって」
斎君も乗り気みたいだったが、私は余計やりたくなくなる。
「……譜々さんは? やるにしても。他にもっと良い曲あるよね?」
「今日ピラミッドで瞑想しているときララティエのことを思い出したわ」
譜々さんまで。もうピラミッドに入るのやめたんじゃないの? 嫌がらせ?
「やったー、じゃあ決まりだね」
睦望が勇み足でよろこんでしまうので、もう決定事項になってしまった。しかしそこまで断固反対するほでもないか。別に病院で母への恨みをぶちまけることに抵抗があるわけじゃない。
「ねえ、静流ちゃん。ララティエって、けっこう物騒な歌詞だけど……一応ラブソングだよね?」
「え、いや……そんなことは……」
「シズのラブソングはララティエだけだし、久しぶりにバシッとやらなきゃね」
「だからラブソングでは……」
まあ復讐の歌とも言えないし、どう思われてもいいか。
「……ラブソングなら、誰に向けた作詞?」
「あ、そうだね。この内容なら妹さんってこともないだろうし。どうなのシズ?」
「ええーしーちゃん、誰なの!? ねえ!?」
あれ、少し気を抜いたところで面倒な流れになっている。
「えっと、別に誰ってことは……そもそもラブソングってわけでもないし……」
「もしかしてだけどさ、『散る前の花すら忘れるあなた、散ってしまえば他人のよう』ってこれ、アタシじゃない!? アタシ、忘れ物多いよ!?」
「それはそういう意味じゃ……」
「待って、時間によく遅れるのは僕だよ」
しかもすごいどうでも良いことを自慢げに主張してきているのもムカつく。忘れ物はするな。遅刻もするな。
「『姿消えるまで刻んで、やっと痛みも忘れる』は、わたし。……家でカレー作る時、いつもわたしがタマネギみじん切りにする係だけど、終わるまで目が痛い。痛めるころにやっと引く」
「尋の家って、カレーのタマネギ飴色派だよね~。アタシの家は普通にくし切りでどかっていれてるよ」
「僕の家もそっちだなぁ」
カレーの話はどうでもいいし、尋ちゃんのカレーの作り方とか知らないから歌詞にいれるわけないって。
いや、カレーの話題に移ってくれるなら、そっちのが助かるけど。
「この『何度怒った軽薄だった愛が、真夜中だけ遠くで光っていた』は僕でしょ! 何度も怒られているし、軽薄……軽薄ではないけど!」
「怒られるのだったらアタシもあるよ~。まあ、推しのキャラとかたくさんいるし、そういう意味では軽薄と言われても……」
「わたしも夜光るストラップ持っている」
そんなの良いから、カレーの話して。私の家は鶏だよ。みんなはなに肉? シーフードとか?
「お姉ちゃんモテモテだねー」
ぽかーんとバンドメンバーたちを見ていた睦望がつぶやいた。
「そういうわけじゃ……」
「あ、もしかしてお姉ちゃんが寝取ろうとしてたジュリエットって、みんなの誰かなの?」
「睦望!?」
多分、言葉の意味もよくわかっていない。そもそも私も無警戒に睦望の前で、祖母とあんな話をしてしまったのは完全に失態だった。
だけど、さっきまで勝手に騒いでいたバンドメンバーたちが一瞬で固まる。絶句女子のみなさんである。
「……静流ちゃんが寝取ろうとしていた?」
「ジュリエット」
「寝取るってことは、他に誰かそういう相手がいた人間で……つまり……」
彼女たちの視線が交差し合う。止めないと。しかし、方法が――。そうだ、さっきから黙っている譜々さんに話を振って、それで合わせてもらえば。
「それはちょっとおばあちゃんと話してた冗談みたいなものでね。えっと……それより、譜々さんはカレーになに入れる?」
どれだけ強引でも、この話はここで断ち切る。私は覚悟を持って譜々さんに救援のアイコンタクト振った。
「そういえば、あたし……斎とは別れたわ。一応、報告しておく」
「ちょっと譜々さん!?」
「カレーはこだわりがないから、静流の好みに合わせるわ」
「カレーじゃなくて!!」
なんでこのタイミングでそんな話を。
「お姉ちゃん……寝取ったの?」
「違うよ!? そもそも睦望、寝取るってどういう言葉かわかっている? それね、あんまりいい言葉じゃないんだ。お姉ちゃん、バンドとかやっているからたまに過激な言葉使っちゃうけど、睦望にはそういうの使わないでほしいなー」
「……やっぱり、バンドやっているとメンバーないでそういう寝取り寝取られとかあるんだね」
「睦望ぃーっ!?」
祖母なのか、ドラマとかの影響なのか、それかマセた友達でもいるのか。誰が睦望にこんなことを教えた。
バンドメンバーたちからの視線が痛い。
なにか、なにか言わないと。誤解だ。寝取ってなんて……いない、とも言い切れないけど。
「これは、非常に高度に絡み合った誤情報が原因で……みなさまに間違った認識が広まっているみたいですが……あのですね、まず」
なんとか言葉を絞り出す。沈黙はダメだ。少しでも黙ると、また彼女たちが勝手に妄想を膨らませてしまう。
妄想だけならいい。しかし一度でも事実にたどり着いてしまえば――。
「
割って入るように、看護師が私の名を呼んだ。
「あ、はい。私ですが」
「すみません、直ぐ来てください。ご家族の方が……その、倒れてしまって」
「お、おばあちゃんが!?」
私の思考が、一瞬でまっさらになる。
「どこですか!?」
看護師に案内してもらって、直ぐに向かう。睦望もバンドメンバーのみんなも付いてくる。
連れて行かれたのは、病棟の受付付近。そこで祖母が――。
「おばあちゃん!?」
電話している。立って、普通にスマホを片手に何か話している。
「……えっと、倒れて?」
どういうことだ。回復したのだろうか。それなら、いい。でもなんで電話をしているのか。
「静流! 睦望! 大変なんだよっ」
「え、おばあちゃん? 大変って……おばあちゃんは具合大丈夫なの?」
「私は大丈夫だけど……あの子が……あんたたちのお母さんが……倒れたって連絡が来て」
「お母さんが倒れた!?」
睦望が悲鳴のような声を上げる。
待って、なんでそんな連絡が。母が倒れた。なんで。母はどこにいるんだ。
「……どういうこと? 説明してよ」
私の音楽は、復讐はどうなるんだ。
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