第23話 準備は良いですか?

 まるですべてが私の望むままのようだった。

 私は実際、彼女たちをとても好いていると思う。しかし、今は彼女たちから愛を向けられている。私以外が一方的に私を愛しているバンド。


 居心地が悪いわけない。

 ついこの前までは最悪だったのに、今はまるで殿様である。


 もちろん、まだまだ気を遣うことはある。本当にすべてが解決したわけではない。まだなにかが間違えれば、バンドが崩壊してしまうような問題も眠っている。


 それでも目前に迫ったメジャーデビューについては、このまま安心して迎えられるだろう。


 今日は先日祖母に頼まれて、正式に病院側からも許可をもらった事で実現することになった――病院でのライブだった。


 妹の睦望むつみも聴きに来てくれている。ライブ会場はあまり治安がいいところばかりでもないから、基本的には来ないように言ってあって、こういう場所でちゃんとしたライブを聴かせられるのは私も嬉しい。


 ただ、本当に許可がおりるとは、と改めて用意された会場を見て思う。

 病棟内にある食堂のテーブルと椅子をだいぶ動かして、なんとかそれらしく用意されたステージ。文化祭のステージだって、もう少しまともである。


 まあ、場所なんて私は構わない。いつもは売れるためだけにやっているけれど、今日くらいは特別だ。……他のメンバーに取っては、そういうわけでもないけど、でも私のためにがんばってほしい。


「よし、やるか」


 眺めていた年配の観客向けセットリストをたたんで、私は立ちあがる。

 準備は万端。いや、まだ残っていることもあるか。


 近くでギターを触っている沙也さやを見つけて、声をかけた。


「沙也、チューニングは大丈夫?」


 ギターは弦楽器で、たくさん引いていると弦が緩んで音が変わってしまう。だから引っ張りを調整して、元の音に揃える作業……チューニングが必要だ。

 昔は一音ずつ耳で確かめていたというけれど、今はデジタルのチューナーがあるからそんなに難しいことでもない。

 言葉通り心配しているわけではなく、ただ本番前に沙也の調子を確認していたのだ


「うん~、バッチリ。もう弦の張り替えだって一人でできるよ~」

「それはよかったよ」

「でも緊張するなぁ」

「今日はプロデューサーさんも来てないし、いつもと比べたらお客さんも少ないよ」


 失敗していいというわけじゃないけれど、前回に比べれば私にとってもかなり気が楽なステージだ。

 しかし沙也は少し頬を赤らめて、もごもごととした。


「だって~、静流しずるちゃんの妹ちゃんもおばあちゃんも来ているんでしょ~。だったらいつもより緊張するまであるよ~」

「え、なんで?」


 妹の睦望むつみは私のギターを長年聞いていて耳も肥えているだろうし、おばあちゃんもあの年代にしては今の音楽に詳しいと思う。

 だからといって普段の客と比べて、バンドに対してシビアな耳を持っているわけではない。


「だって、アタシの妹とおばあちゃんになるかもしれないじゃん!」

「……え? ならないよ?」


 緊張のせいか、沙也がおかしなことを言う。


「ええっ、しーちゃん冷たいーっ! なんでなんで、可能性としては十分あるよっ」

「……ないよ」

「も~、つれないな~。いいじゃん、アタシも妹ほしかったし、しーちゃんの妹ちゃん可愛いし」

ひろちゃんに頼んでみたら? 沙也のこと『お姉ちゃん』って呼んでくれるんじゃない?」

「それはなんか嫌だよ~」


 沙也と尋ちゃんは幼馴染みで外見も似てはいないけど、関係的には年の近い姉と妹みたいに見える時もある。案外悪くないと思うけど、どちらにしても私の妹は誰にも渡すつもりはない。


「う~」

「どうしたの? ……そこまで妹が欲しいなら、斎君でもいいんじゃない? 頼んだらなんでもやりそうだし」

「そうじゃなくて~。しーちゃんとアタシのこと、やっぱりみんなにちゃんと言いたいな~って」

「それはほら、ダメだって。……恋愛禁止だし」


 沙也が唇を尖らせて、「むー」とすねた声を出す。全く、そんなわがままを言って姉になれると思っているなら甘いと言わざる得ない。


「だってだって、もっとイチャイチャしたいし~。しーちゃんが他の人と仲良い時にダメーっ! って言いたいもん~」

「私、他の人とイチャイチャなんてしてないでしょ」

「してるよ~」

「うーん、沙也と尋ちゃんに比べたら全然ドライだと思うけどなあ」

「そういうんじゃないんだよ~。だってしーちゃん普段はサバサバ系だけど、最近バンドのみんなとはしっとりじゃん。アタシはほら、普段からウェットだし」


 よくわからないことを言うけれど、言いたいことはなんとなく伝わった。

 たしかに基準みたいなところは違うだろう。沙也が特に意識なく接する距離感は、私の通常のものよりかなり近い。だから私が普段の沙也みたいな行動をすれば、それは相当親密な相手と言うことになる。


「でも、付き合っているのは沙也だよ?」


 これは本当。


「う~。おかしいなぁ、前はもっと静流ちゃんが嫉妬してたのに、最近はアタシのが嫉妬している気がする」

「そんなことないって」


 もちろん否定したのは、私が嫉妬していたという部分。


「わかった。沙也がそんなに妹がほしいっていうなら考えがある」

「……睦望ちゃんアタシの妹にしてくれるの!?」

「私が沙也の妹になります」

「えええぇ~!?」


 こほん、とわざとらしく咳払いしてから、


「お姉ちゃん」


 と沙也を呼んだ。

 今までの嘘で一番胸が痛かった。


「ううう~っ!!」

「満足した?」

「可愛いしうれしいけど、やっぱり静流ちゃんは妹じゃなくて恋人がいいよーっ!」

「そ。じゃあ妹はあきらめてね」


 ポンポンと頭をなでると沙也も満足そうだったのでよしとする。

 私は仕事がまだあるから、と次へ向かった。


 尋ちゃんのところへ行くと、ヘッドホンを付けて、見たことないメーカーの炭酸飲料のペットボトルをストローで飲んでいる。炭酸をストローで飲むのか。

 集中しているみたいだし、大丈夫かな、とそのまま通り過ぎようとすると、


「静流さん」

「あ、尋ちゃん。……集中しているとこ邪魔しちゃったかな?」

「ううん。落語聞いてた」

「……好きだっけ、落語?」

「おじいちゃんおばあちゃんは落語好き」

「……そうだね?」


 だからってライブ前に聞く必要あるのか?

 でもライブ後に話しかけられた時なんかの話題として勉強しているのかもしれない。そう考えるとマメなんじゃないか。ライブ終わりに落語の話するの、私は嫌だけど。

 ヘッドホンを外して、首にかけた尋ちゃんは、私をじっと見ている。


「……睦望さん、可愛いね」

「ありがとう、自慢の妹だよ」

「……わたしに似ている」

「似てない」


 つい即否定してしまった。

 この幼馴染み二人は、なんで私の妹に興味津々なんだ。


「……でも、静流さんはわたしにとっても姉のような存在」

「それは沙也がいるんじゃないかな」

「沙也は、妹」


 そうか、尋ちゃんの中ではそうなのか。

 たしかに沙也も沙也で中々手間のかかる部分はある。尋ちゃんもこう見えて沙也のことをいろいろ面倒見ているのだろう。

 幼馴染み二人の関係性について私からなにか言うつもりもないので、「そうだね」と微笑んでおいた。


「静流お姉ちゃん」

「……えっと、やめてね? 変な誤解が広まっても困るし」


 さっき沙也のことをお姉ちゃんと呼んで、沙也が暴れていたけれど、私も暴れそうだった。私の妹は睦望だけで、尋ちゃんからお姉ちゃんと呼ばれるのは度し難いなにかがある。


「……静流さんは、わたしに妹には向けられない感情があるから?」

「まぁ、そうかもね」


 怒りと拒絶である。


「おでこ」

「……えっと、いつもの?」

「いつもより濃いめで」

「そういうオプションはないんだけど」


 前髪をあげた尋ちゃんのおでこに、軽くキスをした。こんなとこで、誰かに見られないだろうか。

 おでこにキスくらいなら、別にいいわけできる……と思うので尋ちゃんの機嫌を優先する。


 満足したみたいなので、じゃあ本番でね、と次へ行く。

 ドラムセットを準備し終えたいつき君が、看護師のお姉さんに囲まれてヘラヘラしていた。こいつは……。


「斎君、ちょっといいかな?」

「シズ? ……あー、みんなごめん。また後でね。演奏、ちゃんと聴いてね。みんなのためにいつもより激しくドラム叩くから」

「……斎君?」


 にらみつけて、もう一度名前を呼ぶとやっと斎君はこちらに来た。


「ここ、私のおばあちゃんの病院だって言ったよね? 変なことして、迷惑かけないでね」

「うん、わかっているって。だからお姉さんたちとちゃんと仲良くなっておいたんだよ」

「必要ないからやめて」

「ええぇー……だって、フフとは完全に別れることになっちゃったしさ……。シズもあれ以来僕に全然優しくしてくれないし……」


 斎君は伸びていた鼻の下を戻しながら、ブツブツ言った。


「斎君は看護師さんたちと私、どっちに優しくして欲しいの?」

「……シズかな?」

「してあげるから、お姉さんと連絡先交換しないでね?」

「で、でも! なにかあったらすぐ知らせてもらえるよ!? シズのおばあさんのデザートだけ山盛りにするよう頼んどくし!」

「いらないって。緊急連絡先もちゃんとあるし……あと縁起でもないこと言わないでね?」


 ぐりっと腕の皮をつまんでお仕置きしておく。斎君には、もう少し私が優しく出来る言動をがんばってほしい。


「わかったって。しません、シズ一筋を誓います。……でも、シズってあれからフフと……えっと……」

譜々ふふさんとは仲直りした。それだけ」

「じゃあ、僕とシズが付き合うこともあるね」

「恋愛禁止だから……バンド解散したあとなら可能性はあるかもね」


 面倒なので、気を持たせるようなことを言って流しておく。

 これで少しでも斎君の女遊びが減るなら儲けものだった。


「じゃあ、とりあえず今は……お友達としてできる一番優しいやつちょうだい」

「一番優しいって……わかった。斎君が風邪で寝込んだらお見舞いに行って、看病して上げる。レトルトのおかゆも温める」

「ええー今がいいんだって! あと手作りして!」

「レトルトも手作りだから」


 だいたいおかゆなんて米を水で煮込むだけなんだから、お湯で温めるだけと大差ないだろうに。


「とにかく優しくしてよ! 急患なんだって」

「わかった、じゃあ友情のハグね」


 そう言ってとりあえず斎君を抱きしめてみる。背の高い相手に抱きつきくと、なにか自分が甘えている感覚が強い。

 私にそういった相手は少ない。おばあちゃんくらいだ。


「ふふっ」

「満足した?」

「うんっ、シズって肉付き少ないけど、筋肉と脂肪のバランスがいいからいいよね」

「気持ち悪いから分析しないでね」

「ちょっとーひどいな。……で、シズは? 僕のこと意識した? ハグの感想は?」

「……おばあちゃんみたいだった」

「えええぇ!?」


 これ以上は相手にしていられないので、最後のメンバーを探す。

 もうピラミッドに入る必要もなくなった彼女は、最近は時間厳守で行動してくれていた。

 譜々さんがヘッドホンを頭に付けて、スマホ画面を見ている。


「譜々さん、落語聴いてる?」

「……なにかしら、落語って。今日やる曲を聴いてたんだけど」

「そっか。今日は大丈夫そう?」

「いつも通りやるわ」


 本当に何もかも普通で安心する。

 譜々さんは演技をやめて私の前でもおかしな言動をしなくなった。それに伴ってとげとげしかった態度もなくなり、とてもフラットに会話することが出来ている。友人と言っていいかもしれない。


「静流の方こそ、大丈夫なの?」

「え、私は大丈夫だよ。今日は新曲もないし、ソロでそんな難しいのもないから」


 テクニカル色が強すぎるものは病院には不向きと、なるべくポップな曲主体である。


「そうじゃなくて……沙也の頭なでて、尋のおでこにキスして、斎のこと抱きしめてなかった?」

「……よく見ているね」

「もう一度聴くけど、大丈夫なの?」


 譜々さんが冷めた目を向けてくる。


「大丈夫だって、ガールズバンドだし、女子高生だよ? あれくらい普通だって。そもそも前からあんな感じだったでしょ。沙也と尋ちゃんは幼馴染み同士でイチャイチャしてたし、斎君も女の子見つけたら鼻の下伸ばしてて……譜々さんは、まあそういうことなかったかもだけど?」

「じゃあ、静流が節操なくなって、今度こそあたしはひとりぼっちね」

「譜々さんもイチャイチャする?」


 にこっと笑って両腕を広げると、譜々さんは少し照れて、それから頬を膨らました。


「そうやってあからさまなの……」

「だってすねられるより定期的なボディータッチでご機嫌取った方がいろいろ円滑でしょ? ほら、いいの?」

「ハグは斎ともしていたわ」

「……他が良いと」


 そう言われると、経験の乏しい私のレパートリーでは困ってしまう。アドリブだと毎回似たようなフレーズしか弾けない状態だ。

 そういうときは、どこかで耳覚えのある音をそれっぽく真似るのがベターだけど。今回はギターと違って、相手のいる話だ。


「じゃあこうしよう。譜々さんが私に好きなことしていいよ」

「……いいの?」

「見られてもごまかせる範囲なら」

「……わかったわ」


 譜々さんは赤い顔でうなずく。

 どうせたしいたこともできないだろう、と思っていたが。


「……ちょっと、譜々さん?」


 胸をもまれた。

 けっこうしっかりめに。


「女子高生なら胸をもみ合うこともあるわよ」

「……病院でなんてことを」

「あなたも似たようなことを散々していたでしょ」

「今までのは全部スキンシップだけど、胸はちょっと違うでしょ」

「同じよ。胸だからって性的趣向だと思うのは静流が欲求不満なだけじゃないの?」

「……はいはい、わかった。まあ、胸で満足してくれたならいいや」


 触診といかあるからね。そういうものとして片付けておこう。


「満足は……全然だけど、しようと思ったら、ここじゃ無理ね」

「……じゃ、我慢して」


 最後の一人は満足させられなかったが、私はバンドのリーダーとして十分やるだけのことはやった。

 みんな準備に問題はないようだ。


 そう、私は油断していた。

 いつもなら、もっと警戒していたところを、慢心していたのだと思う。

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