第21話 嘘がバレますか?

 ピアノの曲には超絶技巧と呼ばれるものがある。

 あまりに難易度の高い指運び、ひたすら十本の指を鍵盤で動かしてやっと弾ける――そんなクラシックの名曲がいくつか知られているのだが、その一曲が今目の前で引かれている。


 譜々ふふさんが涙を流しながら、ひたすらにその白い指で鍵盤叩いている。

 壮絶だ。なにか映画のワンシーンみたいにも見える。


「……いつき君、愛されていたみたいだね」


 仮だなんていって、少し目の前でベタベタしただけであの譜々さんがこんな風に涙を見せるなんて。

 余程強い思いがなくてはこんなことにはならないだろう。


 だから、そんな愛されている斎君がどうにかしてほしい。

 大丈夫、私も彼女にバンドやめられてはこまるから、そのあとで謝るよ。フォローも出来る限りする。


「あーもうっ! フフ、もう言っていいよね? やっぱりこんなの間違っていたんだよ」


 ところが斎君は謝罪どころか、なにか破れかぶれにそう言った。

 間違っていたって?


「……もう、お終いよ。なにもかも……斎、あなたの好きにしていいわ。せいぜい幸せになって」

「違うって! ねえ、誤解……もあると思うよ。僕もよくわからないけど、フフが思っている以上にシズは、なにかを勘違いしているみたいなんだ」

「…………私? 私が間違えているってこと?」


 たしかに、違和感はあった。

 私に見えているものと、他の人間に見えているものが違っている。


「シズ……フフが好きなのは、君だよ。ずっとそう」

「え? いや、そんなことは……だって……」

「それなのにシズが、フフの前で僕に……さっきみたいなことするから」


 こんな状況なのに、また少しにやっと斎君が笑う。演技派ではないのか。ただ口元が緩いだけなのか。

 斎君のことはいい。それよりも、譜々さんが私を好き? そんなこと、考えてもみなかった。むしろずっと嫌われているとばかり。

 しかし、それが事実だとして、だったら今までのことはなんだったんだ。


 これが世に聞くツンデレ? いやいや、全然そういうのじゃなかった。なんかただ面倒くさい変な人だったはず。

 でもそれが、私の勘違いだったということなのか。


「…………わかった。じゃあ喫茶店に行こう」



   ◆◇◆◇◆◇◆◇



 放課後、困惑する譜々さんを半ば無理矢理喫茶店に連れてきた。

 よくバンド関係の打ち合せで使ういつもの店だ。


「好きなもの頼んでいいよ」

「…………じゃあ、これ」


 向かいに座った譜々さんは、指でクリームソーダを指した。


「……それ、本当に飲みたいの?」

「な、なに、悪いの?」

「悪くはないけど……言葉通りだよ。本当に飲みたいのかなって」

「…………やっぱり、こっち」


 譜々さんの指が次に向かったのは、普通のコーヒーだった。

 やっぱり、と私は頭を抱えた。


「譜々さんは……演技してたんだね?」

「…………」


 彼女は黙ったままなにも言わなかった。しかしなによりの肯定だった。


「どうして……いや、これは想像で、違ったら笑ってくれてもいいんだけど」


 今日まで譜々さんとの間にあった様々なことを踏まえて、先ほどの斎君の言葉を考慮して、私は一つの結論に至った。


「私の気を引こうとしていた?」


 譜々さんは、黙ってうなずいた。


「でもそれでなんで」

「だって静流……変な人好きでしょ?」

「えっ、好きじゃないよ」

「嘘。だって周りにいるの変な人ばっかりだし……静流も大概だし」


 前半はいいとして、後半は違う。

 反論したかったが、一旦注文を済ました。


「初心者、トラブルメーカー、コミュ障……あたし以外、個性的だったし、静流はみんなことばっかりかまってたわ」

「コミュ障って……ひろちゃんの担当は基本私じゃなくて沙也さやだったんだけど」

「でもあとの二人は?」

「まあ、リーダーだったし、私がなんとかしないとバンドも回らないってのはあったかも」


 そう言われて、本当にいろいろとやっと納得できた。いや、納得は違うか、理解というか、腑に落ちたというか。


「……それで、変な人のフリをずっとしていたの? 庭にピラミッドつくって? バッティングセンターも?」

「そう。バッティングセンターは、静流に場所を聞かれてから急いで行ったのよ」

「……なんで本当にそんなことするの」

「でも、静流は困ったでしょ?」


 困ったよ。頭を抱えて、最近はイラだってもいた。


「斎君と付き合っていたのは?」

「……静流の気を引く一環と、静流が斎の女癖で困っているみたいだったから」

「それは、うん。ありがとう。じゃあ彼氏の話は?」

「……それはこれね」


 譜々さんがスマホの画面を見せる。写真が表示されていて、スラリと背の高いイケメンと譜々さんが並んでいた。


「妹よ」

「妹!?」

「一つ下だけど、あたしより背が高くて……まあ、こういう外見で、たまに男にも見間違われるわね。それがたまたま学校の人に見つかったみたいで」

「……それで、あれを?」


 斎君が事情を知っていた、ということはあのお昼休みに斎君が慌てて緊急事態だと言っていたのは演技だったのか。なるほど、通りで慌てて伝えに来たくせに全然話さないわけだ。結局、問題じゃないってことは斎君も知っていた。


「一応、言って置くと……あれは斎が勝手にやったことよ。渋谷で写真撮られたのは本当だけど、妹だってのは斎も知っていたから。……まあ、あたしのためにやってくれたんだと思うけど、あたしも知らなかったからバッティングセンターの時は驚いたわ」

「なるほどね」

「……静流が急に沙也や尋と距離縮まったのと、それからプロデューサーの話であたしも落ち込んでいたからでしょうね。斎なりに、あたしのこと応援してくれてたの」

「本当にトラブルメーカーだ……」


 そうなると、元凶の大部分が斎君ではないか。

 本当になにを考えているんだ。


「斎も、変よね。あの子も静流のこと気になっているみたいなのに、それであたしの協力もして、そのくせ、あたしの前であんなことして嬉しそうに……」

「私もごめんね? ちょっとほら……私も譜々さんの気を引こうとしてやったら、失敗しちゃったみたいで」

「……嘘でしょ。あたしが泣いたとき、静流うれしそうだった」

「そんなわけないよ。譜々さんは大事なバンドメンバーなんだから」


 だいぶ無理があるのは感じているが、それでも軌道修正が必要だ。

 譜々さんが好きなのは私だと言うのなら、私が譜々さんをバンドに残さなくてはいけない。


 斎君と付き合っていたのは理由があっての仮のことで、噂の彼氏は妹だった。それなら譜々さんがバンドをやめるような理由はない。あとは私と彼女が仲直りできれば問題ない。

 なに、彼女が私を好きだと言うなら簡単である。私も彼女に好意を持って接する。


「やめて」

「え、なにを?」


 譜々さんの手の上に載せた私の手が払われた。


「あたしにバンドやめられたくないからって、そういうあからさまなこと」

「……そういうつもりじゃ」

「言って置くわ。……あたしはずっと静流のことが好きだった。静流のこと見ていたわ。だから、わかるわよ。あなたが適当なこと言ってるの」

「嘘なんて、そんな! 譜々さんは私のことを信じられないって言うの!? 私は、譜々さんに嘘なんてつけないよ……だって、私だって譜々さんのこと好きなのに。好きだって思ってくれている相手に嘘なんて……もちろん、譜々さんと私の好きは……少し違うかもしれないけど、ね?」


 寂しそうに笑ってみせる。


「ありがとう。そうね、多少は本当かも知れないわね。静流が好きなのはあたしの技術、あたしは静流が好き。全然違う好きで、あなたは嘘ばっかり」

「……嘘は、そうだね。あるよ。でも、私は譜々さんに好かれたくて言っている嘘だから、許してくれないかな?」

「嘘が嫌なんじゃないの! だって、その嘘で散々……沙也も尋も騙してきたんでしょ? 同じにされたくない」

「同じなんてことは……」

「作曲している分、あたしのことは好いてくれる? そうね、静流に必要とされたくて……ずっと努力してきた……本当に泣けてくるわ」


 なるほど、どうやら本当に嘘は通じないみたいだ。


「ねえ、最後に教えて」

「最後ってそんな」

「……なんで、この喫茶店に連れてきたの?」


 譜々さんはどうでもいいことを聞く。

 いや、長いこと演技していた彼女からすれば、大事なことなのかもしれない。本当のことを言うと、彼女はショックを受けるだろう。それはわかっていたけれど、嘘をついてももっと傷つけるだけのようだし。


「尋ちゃんは、迷わずオムライスを選んだから」

「…………お腹空いていたの?」

「こういう喫茶店初めて来たからだって。譜々さんは、メニューをざっと流し見してから、無難な中で変わったものを選ぼうとしたでしょ」

「……最悪ね。やっぱり本物には勝てないわけ」


 そんなところで勝つ必要なんてない。

 頼んだ珈琲が届く前に、譜々さんは席を立ってしまう。嘘なしの私は、彼女を追いかけるだけの気力が沸いてこなかった。


 ――なんてことはない。嘘が通じないなら、正直に、私の素で、彼女をバンドに引き戻すだけである。


 ということで、素の気持ちで見送った。

 頼んだ珈琲を飲まないなんて、もったいないことはできない。

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