第17話 刑事介入は必要ですか?

 次は、譜々ふふさんを呼び出して話を聞かないと。

 いや、譜々さんだから、呼び出して機嫌を損ねられる可能性もある。私から行くしかないか。


 正直、譜々さんと二人きりというのは、ひろちゃん相手よりも気が重い。最近では尋ちゃんとの関係はめまぐるしく前進していて、二人でも会話に困ることはないけれど。


 二人でいると「……静流しずるさんと一緒にいるだけで幸せ」と尋ちゃんが言う。


 うん、楽で良いね。

 そんなことを思っていたせいか、放課後に譜々さんの教室を訪ねようとしていたところで、尋ちゃんに呼び止められてしまった。


「静流さん」

「あ、尋ちゃん……ごめん、ちょっと今急いでて」

「大事なこと、話したい」


 早くしないと譜々さんが帰ってしまう。


 メッセージを送ってもいいんだけれど、譜々さんはたまにしか返事をくれない。だいたい既読だけ。「既読だから。あたし、文字通り読んではいるわよ。無視じゃないでしょ、ちゃんと読んだって出るんだから、それで十分」とのこと。いや、返事が必要なこと送っているんだから、読むだけじゃなくて返事をくれ。


 そういうわけで急いでいるんだけど、ただ大事な話か。

 さっきのいつき君みたいな緊急のものの可能性もある。

 まさか沙也さやも男と付き合っているとか……そんなことはあるまいか。


「えっと……あっちでいいかな?」


 少し行った角の、人当たりの少ない場所へ移動して話を聞くことにした。

 数分を焦って、なにか重要な失敗をしてしまうのは避けたい。


「それで、どうしたの尋ちゃん?」

「……昨日のこと」

「昨日の?」

「プロデューサーの話。恋愛禁止だって」


 尋ちゃんは、うつむきがちに言う。


「……わたしと静流さん」

「え、私と尋ちゃんが……どうかしたかな?」

「恋愛禁止」

「……う、うん」


 いつもの倍くらいたどたどしいが、つまり尋ちゃんは私との特別な関係について、プロデューサーの大辻おおつじさんが掲げた恋愛全面禁止がどうなるか、気にかかっているようだ。


 大丈夫、私たちは特別なバンドメンバーだよ。禁止されていないよ。

 今はもっと大事な用があるから、ごめんね。


 そう言って切り上げたい気持ちを抑えて、


「尋ちゃんは、どう思ったの? 昨日の話を聞いて」


 と優しく聞いてみる。こういうのは相手の気持ちをしっかり聴くことが大事だ。もちろん、聴いても真摯に私が対応できるかはわからないけれど。


「……嫌だと思った」

「それって、えっと……尋ちゃんは恋愛したかったの?」


 誰かは聞かないでおこう。知らなければ知らないで良いこともある。


「わからないけど、胸がチクチクする」

「そ、そっかぁ……。私もね、わかるよ。寒暖差あると背中とかかゆくなるし」

「……でも少しほっとした」

「うん、ほっとすることもあるよね」


 焦っているせいか、ちょっと相づちが適当になっている。大丈夫かな。


「静流さん、最近沙也と仲がいい」

「え、そうかな? ギター同士だから、まあ話すことはよくあるけど……前からだよ?」

「……前から心配だった。沙也が誰かとわたしより仲良くなること」

「えっと」

「今は、静流さんが誰かと特別になるのも……心配」


 安心して欲しい。みんな特別なバンドメンバーだよ。


「大丈夫、尋ちゃんは私に取って特別だから」

「……うん」

「もう心配事はなくなった?」

「……わたしは平気。でもおでこがまだ不安だって」


 おでこ?

 尋ちゃんが前髪をのけて、私をじっと見つけてくる。


「……」


 周囲の目線を気にしつつ、私は尋ちゃんのおでこに口づけした。


「これで、おでこも安心した?」

「うん、ありがとう」


 尋ちゃんが珍しく笑顔でうなずく。良かったよ、満足してくれたみたいで。

 同時にこのままだとマズいなとも思う。なにか早急な手立てをしないと、どこかで爆発しそうだ。


 しかし今は譜々さんのことが優先だ。

 こっちはメジャーデビューの話が立ち消えになるかもしれない危機なのである。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇



 尋ちゃんとの会話していたら、譜々さんに帰られてしまった。

 ダメ元でメッセージを送る。


「今どこにいる? 話したいことがある」


 すると奇跡的に、返信が来た。


「バッティングセンター」


 ……バッティングセンター?

 よくわからない。よくわからないし、別に行きたくない場所だ。でも譜々さんがすんなり返信してくれるというまたとない好機に、余計なことをしたくない。

 ここは黙って私がそちらに行くしかないか。


 ということで、バッティングセンターに来た。

 どういう場所かはわかるけれど、来るのは初めてだった。


 野球のバッティング練習をする場所……でいいんだよね? 譜々さんがなんでこんなところにいるのか。まさか、噂の彼氏が野球をしている? それの付き添いとか。

 でも「話したいことがある」と伝えて場所を教えてくれたということは、デート中とも考えにくい。にくいけど……譜々さんは私の予想に収まる行動パターンではない。なにが起きるかわからない。非常にやりにくい相手だ。

 バンド関係でなければ、なるべく関わりたくない相手とも言える。


 建物はバッティングセンターの土地に対して三分の一ほどしかなく、あとはネットで囲まれている半野外空間のようだ。後者が実際にバッティングをする場所で、建物は受付や待合所のようである。


 譜々さんの派手な髪はすぐに見つかった。

 待合所で腕組みして、ガラス越しにネット方を見ている。……彼氏がバッティングしているのを、見ているのか?

 声をかけずにそっと近づくと、ネットの中でバットを振り回しているのは小さい子供だった。それも女の子に見える。ヘルメットを被っているので、定かではないけど。


 斎君は噂のイケメン彼氏の写真も見たと言っていたけれど、まさかこの子のことではあるまいな。後ろ姿であっても、この子と譜々さんを見て、「イケメンと仲良さそうに並んでいる」と判断したなら斎君を精密検査する必要がある。

 した方がいいのかな。新種の女癖だらしない病とか見つかるかも。


「……あの、譜々さん?」


 遠慮がちに声をかけると、彼女は視線をそのままに。


「静流、どうかしたの?」

「どうかって……譜々さんと話したいことがあって来たんだけど」

「そう。こんなところまで物好きね」

「……譜々さんはなにしているのかな?」


 私には、譜々さんが真剣な表情でバットを振り回す女の子を眺めているように見える。


「バットを振っている女の子を見ているわ」

「……そうなんだ」


 見たままだった。

 あ、でももしかして妹? もしくは親戚の子かもしれない。それで放課後に面倒を見ているのかも。それなら全然わかる。


「もしかして、譜々さんの妹さん?」

「いいえ、知らない子よ」

「……え、知り合いでもないの? 初対面?」

「そうね」


 事案かな。前科者二名のバンドになってしまって、メジャーデビューどうこうなんて話じゃなくなってしまうかもしれない。

 手に持ったスマホで電話をするべきか悩んでいると、バッティングを終えた女の子がヘルメットを外してこちらにやってきた。


「どうだったお姉ちゃん!?」

「頭が動きすぎね。あとバッド振りながら体もぐらつきすぎ」

「ホームラン打てる!?」

「頑張れば打てるわ」


 譜々さんは腕を組んだまま、淡々と答える。

 女の子は「ありがとー!!」と元気よく言って、またバットを振り回しに行った。


「え、知り合い?」

「さっき見かけた子」

「……コーチしているの? 野球、詳しいの?」

「あたしも野球のことなんて知らないわ。ただ見て思ったことを教えているだけ」


 一旦事件性は薄いように見える。

 司法がどう判断するかわからないが、私の通報責任までは感じなくてもよさそうだろうか。

 ただ犯罪ではないにしても、


「……譜々さんって」


 怖い。

 そう思ったけれど、面と向かって言うことでもないか。


「なにかしら?」

「あ、あれだね、優しいんだね」

「…………それだけ?」

「う、うん? まあ、うん」


 ものすごく言葉を選んだはずなのに、なぜかいつの間にかこちらへ向けられた視線は、にらんでいるように見えた。


「それで話って?」


 バッティングセンターでさっき会ったばかりの女の子によく知りもしないのに野球指導するバンドメンバー相手に、私は真面目な話がちゃんとできるだろうか。

 いやいや、大事なことだ。

 でもよく知らない女の子にバッティングのアドバイスをするような人間だ。譜々さんが男と仲良くしている所なんて想像もつかなかったけれど、案外よく知らない男とただ仲良さそうに歩いていただけなのかもしれない。


 わからない。取り越し苦労だったならそれでもいい。変に詮索することで機嫌は損ねる可能性もあるが、最悪の事態を避けるためにも必要なことだ。


「譜々さんって付き合っている人とかいる?」

「…………なにその質問」

「恋バナ。女三人だから」

「静流って……はぁ、まあいいわ。で、その質問、答える必要あるの? あなたも知っているでしょ」


 なにか呆れた様子だったが、とりあえずは想定通りの返しだった。

 彼女以外が相手なら、こちらももう少し探りを入れてから聞くのだけど。……なにが逆鱗に触れるともわからないし、早く本題に入るか。


「実は、斎君に聞いた。付き合っているのは仮だって」

「……そう。斎、話したんだ」

「それで、譜々さんが男と仲良さそうに歩いたの見た人がいるって聞いて」

「……なにそれ?」


 ぴくぴくっと眉が動いて、譜々さんがしかめっ面になる。

 これは図星なのか?


「それが彼氏なんじゃないかって……えっと、昨日、レコード会社のプロデューサーさんと話したでしょ。そのことがあるから、一応ね。プライベートなこと聞いて、悪いとは思うけど。私もバンドのリーダーとして、確認しておきたくて」

「バンドのリーダーとして?」

「……うん」


 気づいたら、譜々さんは腕組みを解いて、完全に私の方を見ていた。


「バンドのリーダーだからってプライベートなことを報告する必要がある? なにがあっても自己責任、違う?」

「バンドメンバーのことをある程度マネジメントするのも私の仕事だよ。譜々さんが私になにか口出しされるのが嫌なのはわかる。……ただ言って置きたいのは、譜々さんのことなにか邪魔したいわけじゃない。先に知っておきたいだけ。わかっていたら、私も協力できるから」

「協力? あたしに彼氏がいて、静流がなにを協力するの?」

「……隠れて付き合うなら、バレないように手伝う」


 不機嫌そうな彼女に、私は一番逃げ腰な選択肢を選んでしまった。

 別れさせるべきだ。バンドの成功に男はいらない。薄っぺらな愛はいらない。


「別れろって言わないわけ?」

「……譜々さんのプライベートなことには口を出さない」

「いいの? メジャーデビュー、あなたの夢じゃないの?」

「譜々さんにも考えや夢があると思う。それをわかっていない内から反対はしないよ」


 自分でもずいぶん及び腰な交渉だと呆れたくなった。

 違う、向こうの考えがわかっていないからこそ、こちらが先に引く必要はない。

 わかっているのに、性格の相性なんだろうか、どうしても強気に出られなかった。


「……なら用はないわね」

「え? 待って、質問に答えてよ」

「答えがどうであっても、静流には関係ないでしょ。あなたはどうせたいしたことはしない」

「するって、協力する。邪魔はしないから、教えてよ!」


 最低でも現状把握が必要だ。そうでないと次の作戦が立てられない。

 しかし、


「どうだったお姉ちゃん!?」


 バッティングを終えた女の子が額の汗を拭いながら戻ってきた。


「ボールが来たらバットを思いっきり振る。ボールから逃げる人間は一生ホームランは打てない」

「……お姉ちゃん?」


 よくわからないことを言い残して、譜々さんはバッティングセンターを後にした。

 私と女の子が取り残される。


「……えっと、私で良かったらなにか言おうか?」


 睦望むつみもこれくらい小さかった頃があったな、と私は声をかけた。


「お姉ちゃん、野球できるの?」

「……できないけど、ホームランは打てるよ」


 私は譜々さんの代わりに、少しだけ女の子にアドバイスした。

 さて、誰か私に譜々さんを上手く扱うアドバイスをしてくれないだろうか。

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