第6話 愛する二人の邪魔をしていいですか?

 私の人生は、人から見てどう映るのだろうか。

 評価を得る必要があれば、それを狙うこと自体はあっても、基本的に他人からどう見られているかなんて興味がなかった。

 ただ妹には――、睦望むつみには幸せになって欲しい。

 他人から見て、可哀想だと思われても欲しくない。


 分不相応なことを望んだつもりはない。それでも、私たちに取っては困難な願いだった。


「どうしたの? お姉ちゃん、浮かない顔だけど……なにかあった?」

「あー……まあ、少し……」


 放課後、睦望の中学の近くで落ち合って、二人して病院へ向かう。週に一度、私たちはそろって祖母のお見舞いに行っているのだ。

 睦望は一人でもよく行っているみたいで、バンド関連で忙しいからと言っても後ろめたさはある。


「お姉ちゃん悩み? なになに? 初恋?」

「初恋ではないけど」

「なんだぁー、まだかー」

「まだとかじゃなくて」


 並んで歩く中学生は、高校生の恋愛事情みたいなものに憧れでもあるんだろうか。

 それに加えて、どことなく私を小馬鹿にしているような気もする。まさか。


「……睦望は、いたりするの? 好きな子とか……まさか誰かと付き合ってたりとかないよね?」

「え」

「えってなに!? いるの!? 睦望が好きなのはお姉ちゃんだよね!? 変な男子とか女子とかと付き合って人目もはばからずイチャイチャして、独り身の子に精神的嫌がらせとかしてないよね!?」

「待って待ってお姉ちゃん、なんかいっぱいあって答えられないよ~」


 連鎖爆発的な衝動に駆られて、ついつい熱くなってしまった。

 ごめん、と謝ってから、睦望の様子をうかがう。


「えっと、お姉ちゃんのことはもちろん好きだよ!」

「……他にもいるの?」

「え、おばあちゃんも好きだし」

「……私も好き」


 どうやらまだ睦望も初恋だなんだというには早かったらしく安心する。恋愛なんていいもんじゃない。あんなものにうつつを抜かして、多くのバカな連中が本来の優先順位を間違えて理性の欠片もないような判断をしてしまう。


 沙也さやひろちゃんがそうだ。

 幼馴染みだからって大事な話そっちのけでイチャイチャして……。


「睦望も将来……十年後くらいには好きな人ができると思うけど」

「十年……」

「でもそれで、人に迷惑かけるようなことはしないようにね。ちゃんと周囲への配慮を忘れずに」

「何の話?」


 つい説教臭いことを言ってしまう。昨日のケーキと違って、睦望がなにかわがまま言ったわけでもないのに。これも全部あの二人が悪いな。


 しかし、果たしてあの二人が本当に悪いのか。

 私をいらだてているの原因なのは間違いないけれど、もし本当に沙也がどうしてもバンドをやめたいということ自体は悪なのか。


 ――でもメジャーデビュー目前の時言うっ!? タイミングとかさぁーっ!!


 沙也もそうだし、尋ちゃんだって、そもそも沙也が始めたから楽器をやりだして、バンドにも入った。その沙也が抜けるなら尋ちゃんもってなるのは、おかしなことではない。実際、私も予想できた範囲だし。


 だから、私も手をこまねいている。

 手段を選ばなければ、あんな小娘二人、私の意のままに動かすことなど造作もない――とまでは言わないけれど、多少なりとも一年以上の付き合いがあるのだから、脅せる材料くらいならある。


 それをやったら、バンドメンバーとしてこれから上手くやっていけるかという心配もあるけど……。


「睦望、たとえばなんだけど……」


 正直、私も迷っていた。

 説得が無理だったとき、どうするべきか。迷う必要もない。出来うる限りを尽くして沙也を考え直させる。なにがなんでも尋ちゃんは残す。


 ――それでも他人の心を完全に操ることは、私にはできない。


「……そんな感じでね、今まで一緒に頑張ってきた仲間なんだけど……一人かちょっとした理由で抜けたいって、それにつられてもう一人も。そしたら仲間たちは今まで目指していた目標をあきらめなくちゃいけなくて」

「えっ、駆け落ち!? ロミジュリだっ!」

「ええぇ、ロミオとジュリエットはそういう話じゃなかったよね?」

「ええ~ロミジュリだよーっ!! 愛する二人なんでしょー?」


 おかしいな、愛する二人とは言っていなかったはずなんだけど。


「ダメだよ。二人の仲を邪魔しちゃ。残った人達は、残った人達でまた頑張るしかないってー」

「でもさ、今まで一緒に頑張ってきたのに、そんなの急な裏切りじゃない?」

「そうかもしれないけど……やめたいって人止めるのはできないよ。そういう最近パワハラって言うんじゃないの?」

「パワハラ!?」


 シェイクスピアだったはずが急に現代世界へ戻ってきた。


「うんうん、ダメダメ。愛する二人を邪魔したらハッピーエンドにならないって」

「でも……そしたら……」

「お姉ちゃんもちゃんと人の心とか、人を愛する気持ちとか理解しないと歌で感動させられないよ~」

「わ、私は……絶句女子はテクニカル系のバンドだし……」


 睦望の言っていることはめちゃくちゃで、私はいくらでも論破できた。

 だけどちょうど、病院に着いてしまう。院内ではお静かに、である。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇



 祖母の具合は、どうも芳しくないようだった。

 私や妹が来ると気張って笑顔で迎えてくれるけれど、医師の先生に聞くと渋い顔で病状を教えられる。


「あのねー、静流しずる。前も言ったけど、あんたは忙しいんだから見舞いなんてたまにでいいんだからね」

「週一は十分たまにだよ。本当はもっと来たいんだけど、ごめんね」

「なに言ってんだ。女子高生なんて、ただでさえやることがたくさんあるだろ! ほら、テックトックとか」

「えー、まあ、そういうのもやるけど」


 ちなみに、個人的には使っていない。バンドの宣伝とかそういうのだ。


「ばーちゃんもやってみようかな。『心肺停止ドッキリしたら、隣の患者が驚いて発作!?』とかテックトックしたらパズるんじゃない!?」

「やめてやめて、なんか半端に現代知識取り入れて昭和の倫理観でヤバいことしないで、大変なことになるから」


 洒落にならない。こっちは、本気で心配しているのに。

 私や睦望が暗くならないように、冗談で言ってくれているんだろうけど。


「ほら、お土産。日持ちするお菓子選んできたから、一度に食べ過ぎないでね」

「はいはい、あんがとね。じゃ、これは静流と睦望にお礼」

「え、なにこれ?」


 スマホで課金する用のカードだ。少額のものが何枚かある。


「いらないって……え、おばあちゃん、課金とかしているの? 入院で退屈なのはわかるけど……」

「違う違う。入院しているじーさんばーさんで集まって、このカードかけて遊んでんのさ」

「…………聞かなかったことにしておくね? このカードも、使わないから返す」

「えーっ! 睦望ほしいっ! ガチャしたいよ~」


 妹に課金を覚えて欲しくもないし、こんな後ろめたいお返しも受け取れない。


「まったく、静流はバンドやってるくせにお堅いわね~。ギター振り回して教師殴り飛ばすくらいやんないと人気でないんじゃないの?」

「偏見あり過ぎ」


 はぁ、とため息をつく私を見て、祖母は楽しそうに笑った。

 私をからかう元気はあるみたいだ。

 それでも、すぐ退院できるなんてことはない。体調が万全に戻って、また前みたいに……なんてことも、かなり望み薄だとわかっている。


 私に出来ることは本当にわずかだ。少しでもお見舞いに来て、怪しげな遊びよりもマシな娯楽を提供した方がいいんだろうか。

 何度か考えたけれど、お見舞いは週に一度と決めて、それ以外の時間をなるべくバンドに当てている。


 普通、バンド活動というのはお金がかかる。楽器は私物だ。ローンなんてないけれど、ギターの弦は消耗品で使っていればそれだけで毎月お金がかかった。練習は学校の音楽室を使えているから、まだマシだけど。


 それでも、今の絶句女子は黒字だ。必死に売ってきた。インディーズでこれだけ売れているバンドなんて、都内にどれだけあるだろう。

 配信サイト各種から得ているインセンティブは五等分にしてもかなりの額だ。同じ時間、汗水流してバイトするよりもずっと効率的。


 祖母の病状は、高い手術代を払えればどうこうみたいなこともないけれど、入院はそれだけでもお金がかかる。

 私や妹の生活費だって、祖母に頼らずどうにかできるなら、それにこしたこともない。


 今の私にできることは、バンド活動だった。メジャーデビューできれば、もっとまとまったお金も手に入る。睦望を幸せに出来る。祖母にだって、もっとなにかできるはずだ。


 ――いや、違う。


 祖母と姉との三人家族の妹に必要なものは、お金だけじゃないということはわかっている。祖母が入院しているんだ。姉である私はもっと一緒にいてあげるべきなのだろう。

 それこそ、お金でどうこうできることなんかよりずっと大事だ。


 それでも、私がバンドをする理由。


「あのね、おばあちゃん聞いてよ! お姉ちゃん、今度メジャーデビューするんだって!」

「メジャーデビュー?」

「そう、音楽のプロになるの! すごいでしょーっ!」

「あっ、睦望。まだ確定前のことだから言いふらすと……まあ、おばあちゃんにはいいけど」

「へぇ……、やー、静流が頑張ってたのは知っていたけど、すごいね、プロか。あれだろ、ヨフカシみたいな」


 ちょっと違うけど、中学生の妹より音楽情報がちゃんとアップデートされているみたいだった。

 まあ、私はバンドだから、やっぱり少し違うんだけど。


「すごいよねー。お姉ちゃんテレビとかに出るかな?」

「どうだろうね?」

「ね、ね! そしたらさ、お母さん! 見てくれるかな、お姉ちゃんのことテレビで見て、睦望たちのこと見つけてくれるかも!」

「……うん、そうなったらいいね」


 母、私と睦望を捨てて家を出て行ってしまった。

 正確に言うと、祖母に預けた、ということになるんだろうけれど。音信不通。母はどこにいるかもうわからないから、捨てられたというのが、印象的としては正しい。


 私がバンドをやる理由は、母だった。

 有名になって、母に見つけて欲しい。


「お母さんにまた会いたいな、ね、おばあちゃんもお母さんに会えたらうれしいよね!?」

「あ? まぁ……あんなバカ娘でも、うれしいにはうれしいわな」

「ふふっ、おばあちゃんにもお母さんのことちゃんと紹介してあげるから安心してねっ、すぐ仲良くなれるよ~」


 ダントツで母と一緒にいた時間が少ないはずの睦望がなにを言うのか。

 いいや。思い出がないからこそ、子供を捨てたとわかっていないからこそ、こんなにも無邪気にそんなことが言えるんだろう。


 母との再会。


 ――そんなのっこっちから願い下げですけどねっ!! 私がしたいのは復讐なんだよっ!!


 私を、睦望を捨てた母に復讐がしたい。

 私はその一心で音楽をやっている。バンドで成功しようとしている。


 売れて、有名になって、誰もが知る人気者になって、あの母親に後悔させてやるんだ。お前が捨てた子供はこんなにすごい人間だったんだぞって。もし今更母親面して戻ってきてみろ。


『誰? 今更親のつもり? 信じられない』


 ってため込んだ反抗期全快で追い返してやる。悔しがれ。どうせどっかの男と逃げたんだろうけど、ろくな人生も送っていないだろう。

 私の成功を、睦望の幸せを見て、自分の愚かさを生涯恥じ入ればいいのだ。


 だからそのためには、私は成功しなくてはいけない。


 そのためには、沙也と尋ちゃんをどうにかしないと。睦望が言うように、残ったメンバーでどうにかするべきなんだろうか。

 これがもし自分だったらどうだ。私に幼馴染みはいない。でも大事な妹がいる。睦望のためなら、他の人に迷惑がかかるとわかっていても、無理を通すことはあるだろう。どれだけ説得されても、私は曲げないかも知れない。

 同じか? だったら、二人を許すべきなのか。


「ねえねえ、おばあちゃん。ロミオとジュリエットがさー」

「睦望、その話は……」


 勝手に睦望が祖母にさっきの話を始める。本当に祖母相手だとなんでも話してしまう。

 でも、せっかくだから祖母にも意見をもらおうか。


「あのさ、おばあちゃん。もしロミオとジュリエットを引き留めようとしたら、どうすればいい?」

「簡単だよ、静流」


 睦望の説明を聞いた祖母はにやりと笑った。しわのある顔が妙な貫禄に見える。


「愛には愛だ」

「……愛には愛。え、どういうこと?」

「ジュリエットに別の恋人ができてみろってことだ」

「……ジュリエットに別の恋人?」


 沙也と尋ちゃんは付き合っているわけじゃなくて、ただの幼馴染みだ。別の幼馴染み――いや、この場合、恋人でも同じか。親密な二人に、新しい第三の親密な人間が現れる。

 沙也にでも、尋ちゃんにでもいい。

 そうしたら、二人の関係にはヒビが入る。今ほど強固なものじゃなくなって、一人がバンドをやめるからって、もう一人もとはならないかもしれない。そもそも沙也も、幼馴染みと自分を比べて思い悩まなくなる可能性もある。


 でも、そんな都合の良い人間いないし、これから出てくる可能性も――いないなら、用意するしかない。


「……私がジュリエット、寝取ればいいのか」

「静流。音楽ってやつがわかったみたいだね。愛は略奪、音楽はインモラル!」

「ええー、お姉ちゃんダメだよっ! そんなんじゃロミジュリがハッピーエンドにならないよ~」


 これは、幸せになるためじゃない。

 復讐のため。だから、申し訳ないけれど、ロミオとジュリエットには――二人のジュリエットには不幸になってもらおう。

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