第3話 ケーキはいつ食べますか?

 リビングから、妹の睦望むつみが私を呼ぶ。


「お姉ちゃーん、ケーキどれ食べていいのー?」


 レコード会社との色よい話に気を良くした私は、お土産としてケーキをいくつか買って帰っていた。

 まだ正式に決まる前だから、妹にはメジャーデビューどうこうは話していない。守秘義務――というのもあるけれど、なにかでご破算になったとき妹を悲しませたくないからというのが一番だった。


 睦望には、もうできるだけ悲しい思いをさせたくない。

 なんとかできるとは思うけど、さっそくトラブルも発生している。早くなんとかしないといけないけれど、睦望優先。

 私はメッセージの返信を一旦後回しにして、リビングへ向かった。


「待って、睦望。まだ夕飯前でしょ。直ぐ作るから待ってて」

「えーだってここに、『お早めにお召し上がりください』ってあるよー」

「でも晩ご飯のあとね。先に食べたら、夕飯食べられなくなっちゃうでしょ」

「そんなことないよー! だってご飯のあとケーキ食べるんでしょ? だったら順番が変わるだけで、食べる量は一緒だよ~」


 屁理屈だけれど、一理くらいはある。ただ睦望には笑顔になってほしくても、甘やかすのは違う。もう中学生のくせに、ああ言えばこう言うところはどうにかしないといけない。

 つまり、姉として論破する必要があった。


「いい、睦望。甘味は摂食中枢を強く刺激するんだよ。摂食中枢ってのは、満腹中枢の逆で……お腹いっぱいでもう食べられないーの逆ね。だから甘い物はお腹いっぱいになった後でも、不思議とまだ食べられるってなる。甘い物は別腹っていうのはこれのこと」

「でも、それだったら、晩ご飯食べてお腹いっぱいになって、その後そのせっしょくちゅうすーで『本当はお腹いっぱいなのにまだ食べたー』ってケーキ食べるのはいいことなの?」

「……いいことではないね」

「だったら、お腹空いている今ケーキ食べた方がいいよぉ」


 マズい。駄々っ子ぶりは変わらずなのに、知恵をつけている。

 負けてはならない。姉の威厳があるし、なによりこのままでは睦望が夕飯前にケーキを食べる子になってしまう。


「ダメ、睦望。健康的な食生活のためには栄養を考えて、いろんなものをバランスよく食べる必要があるの」

「大丈夫っ! シュークリームもモンブランも食べるよっ」

「ケーキは糖質の塊。カロリーも高い割りに、脂質も多くてそれだけでバランスが取れる食事じゃない。あくまでデザート」

「えぇー、難しくてわかんないけど……それって毎日毎食絶対気にしなくちゃいけないの~? みんな、ラーメンだって牛丼だって食べるよね? あれだって野菜とか全然入ってないし、バランス良いとは思わないけどなぁ」


 ちゃっかりケーキ二つの所有権を主張している睦望は、にんまりと笑みを浮かべていた。あまりの可愛らしさに、うっと胸を押さえてしまう。あどけなさの残る顔、睦望はさながら私の天使だ。


 しかし、この可愛さに流されてしまえば小悪魔になってしまうだろう。


「……太るよ?」

「え、でも睦望、まだ中学生で育ち盛りだし」

「身体を成長させるのにはバランスの良い食事。糖質と脂質の塊が育てるのは脂肪だけ」

「…………」


 睦望が黙ってしまった。少々強いカードを使いすぎてしまったかもしれない。

 思春期に入ったばかりの妹相手に、私も大人げない発言だった。でも、勝った。


「私、睦望が健康的に育ってくれるように栄養を考えた美味しいご飯つくるから。だからね、それをちゃんと食べた後、まだ食べられるってなったら一緒にケーキ食べよう? ね?」

「いらない」

「え、なんで?」

「睦望、ケーキいらない。太るから食べない。お姉ちゃん全部食べて」

「え、え、待ってよ。睦望? 大丈夫だって、睦望はまだ子供だからちょっとケーキを一つ二つ食べたくらいで太らないよ」


 睦望の潤んだ瞳に、つい私はさっきの言葉を引っくり返してしまう。支離滅裂だ。落ち着け、私。冷静に説得すれば、睦望は賢い子だから聞いてくれるはずだ。


「うんうん、私もちょっと言い過ぎちゃったね。ごめんね? でもね、私は睦望が健康的に育って欲しいだけで」

「だったらケーキはいらない。それ食べても横に育つだけじゃん」

「そう……かもしれないけど、今日は特別。いいことがあって……睦望と一緒にお祝いしたかったの。だから毎日は食べられないけど、今日は睦望と一緒にケーキ食べたいなって」

「…………お祝い?」


 ここではぐらかすと、余計にへそを曲げられそうだ。

 失敗を恐れて、妹に隠し事をするのは覚悟が足りなかったとも思う。

 もう、後には引けない。なにがなんでも音楽で成功する。だったら、話してもいいだろうか。


「まだ、決定じゃないんだけど。私のバンド、メジャーデビューできるかもってレコード会社の人からお誘いの話もらって」

「えっ!! 本当!? それって、お姉ちゃんプロになるの!? 安室奈美恵!?」

「安室奈美恵さんではないけど……まあ、プロには、なれるかもって話で」

「ええ~安室奈美恵だよーっ!!」


 他になにかないのかと、妹が中学で浮いていないか心配になった。世代じゃないだろ。私も学校ではちゃんと『ずとまよ』とか『ヌー』とかの話題で盛り上がっているよ。

 そもそも私はバンドだから、比較対象もおかしいし。ギター持って歌ってるとこ見たことある?


「むへむへっ」

「睦望、お姉ちゃんと一緒にケーキ食べて祝ってくれる? ……夕飯の後で」

「うんっ! でもその前に、ギター弾いて~! お姉ちゃんの曲聴きたくなっちゃった」

「え? 今から? これから夕飯つくるし、遅くなっちゃうよ? ……まあ、一曲だけならいいか」


 二人で住むには広さこそ十分だけれど、木造アパートの2LDK。私はエレキギターにアンプもつなげず、ちゃかちゃかとしょぼい音に合わせて小さく歌った。


 それでも睦望は、喜んでくれる。



   ◆◇◆◇◆◇◆◇



 まだ発表もなにもないにしたって、メジャーデビュー目前の人気インディーズバンドのメンバー。

 学校に行けば、当然注目も浴びる。


 ――というほどのことはない。


来須くるすさん、おはよー」

「おはよ」


 数名のクラスメイトと挨拶を交わすものの、極めて平穏な早朝だった。

 クラスに有名人がいたら、もっとにぎわってチヤホヤされても良いんじゃないのか? と思わなくもない。


 ただ絶句女子が学校の部室を借りるために軽音部として所属はしているものの、学校内での活動はほとんどしていないし、クラスメイト相手にライブの勧誘もしたことがない。


 理由はいくつかあるけれど、一番は『女子高生が部活動の延長線でやっているお遊びバンド』というイメージを持たれたくなかったからだ。

 女子高生バンドだけど、女子高生がやっているバンドではない。


 だから学校での私は、至って平凡な一般生徒である。

 目立つのは嫌いじゃないけど、特段好きというほどでもないから、こうやって静かに過ごせるのも悪くはなかった。


「来須さんっ! 英語でさ、今日先生に当てられるんだけど、訳自信なくて……」

「私のノートでよかったら見る?」


 席につくなり、クラスメイトに話しかけられた。内容は、毎度おなじみで私は鞄からノートを出して渡した。


「ありがとーっ」と彼女が頭を下げると、その子が頭を上げるよりも先にまた別の子がやってきた。


「わたしもっ! えっと、予備校でやっている数学の問題なんだけど……全然わかんなくて……講師に聴いても説明できなくて……」

「んー、私に教えられるかな。有名大学の大学生なんでしょ、講師の人。その人よりわかりやすい説明できる自信はないな……」

「えーっ! 絶対そんなことないよ! 来須さん、この前の学力調査テストで全国一位だったんでしょ!? 全然そこらの大学生より頭良いよーっ。説明もいっつもすごくわかりやすいし」

「あはは、ありがとう。でもそんなおだてなくたって、勉強くらい教えるよ? ほら、問題見せて」


 私がそう言うと、「おだててないよー」と否定されるが、さすがに有名大学の学生で予備校講師のアルバイトをしているような人よりも自分が優れているとは思わない。

 ただクラスメイトの実力や理解のポイントを把握しているから、彼女に合わせてわかりやすい説明が出来るというだけである。


「ね、ね! 来須さん、来須生徒会長っ! 女バレの備品買い替えたいんだけど、どうしたらいい!? あたし、今年から部長になったんだけど、引き継ぎの時ちゃんと聞いてなくて……」

「それなら顧問の先生に……あ、女バレは菊池先生か」


 菊池先生は名前だけで、ほとんど部活動には関与していないぐうたら教師で有名だった。


「多分過去の発注資料の控えが生徒会室にあるんじゃないかな。部費の調整で使うから、それコピーしてあげる。参考にしてみて」

「ありがとーっ! 来須さんが生徒会長で、しかもクラスメイトで本当良かったーっ、助かりますっ」

「はいはい、私にできるのは雑務くらいだけどねー」


 と、所用があって話しかけられることはしばしばあるけれど、私は至って平凡な一般性である。


 一方で、私の方が用のある相手――末藤沙也すえふじ さやはいつものようにクラスメイトたちに囲まれて楽しそうにしていた。

 昨日、あんなメッセージを送ってきておいて、まるで悩みなんてないみたいにあっけらかんと笑っている。


「あ、昨日の放送!? 観た観た。リアタイで観たからすっごい眠いよ~」


 うちのクラスにはあまりいないけれど、アニメ好きの友人達とその手の話題で盛り上がっている。


 あまりいない――というよりも、元々はほとんどいなかったか、いても表だって教室で話題にする生徒はいなかった。

 だから沙也の地道な布教活動と、本人の明るさとぐいぐい人との距離をつめる性格でアニメ好き仲間を増やしていったというのが正確だった。


 自然と人が集まる。天性の人気者。

 それだけ友人がいるなら、漫画キャラとの失恋の話はそっちでしてくれればいいのに。


 いや、今はそれよりも彼女の脱退希望の話を聞かないといけない。


「沙也。あとで……お昼、一緒に食べられる?」


 楽しんでいるところ邪魔して悪いと思いつつ、メッセージアプリでの返信を止めたままだったこともあって、私は直接輪を割って話しかける。

 そのせいで、さっきまで沙也と話していたクラスメイトたちの視線が私に集まった。


「あ、邪魔してごめんね」

「い、いえいえ」


 彼女たちが、揃って首を横に振った。


「じゃ、沙也。よろしく」


 なるべくさっさと離れようと、返事も待たずにそう言った。向こうも要件はわかっているだろう。くるりときびすを返すと、


「えーっ、末藤どうしたのっ、来須さんとお昼って!?」

「えっ、あーしーちゃんとはほら、バンドやっているから」

「なにそれ!? バンドやっていると来須さんとお昼ご飯食べられるの!?」

「わたしもやるっ、ハーモニカできるよ!」


 良かった。水を差してしまったけれど、また楽しそうに盛り上がっている。

 これであとは、沙也をなんとか説得して――あと、ひろちゃんはどうしよう。


 沙也の幼馴染みの尋ちゃんは、別のクラスだ。でもお昼はいつも二人と、他の友人を含めて食べているはずである。

 バンド脱退の件も、尋ちゃんだって無関係じゃない。

 三人で話した方がいいのか。重大なことなら、バンドメンバー全員の方がいいのかもしれない。


 ただ少し損得勘定して、やはり二人きりがいいと判断した。

 尋ちゃんには悪いけど、今日は沙也を借りよう。

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