第6章 バルドゥ・ロータリー Vol.2

「兎のせいですね。ちょっとお聞きしますが、あなた方、普通の人間にはない力がありませんか?」


 兎は彼女の怒りなんか全く気にせずに言った。みちるはびくっと身体を動かした。拓郎を見ると、彼も少なからず驚いた表情をしていた。


「やはり、そうですか」


 兎は納得したようにうなずいた。


「確かに変わった能力がある。俺のはこれ」


 拓郎は右手に載せたスプーンを差し出した。拓郎が見つめると、それは右の手の平から消え左手に移っていた。


「うさぎは?」


「やりたくない」


 みちるはぷいっと横を向いた。


「まあ、そう言わずに」


 拓郎はみちるの頭をぽんぽんと叩いた。


「わかったわよ」


 みちるは拓郎からスプーンを取り上げ、テーブルの真ん中に置いた。


「ちょっと離れてね」


 拓郎が兎をテーブルから抱き上げて椅子を引いた。


「ぽんっ」という小さな音と共に、スプーンはただの金属片になった。


「すごいな。おまえ、この力で悪いことしてない?」


 拓郎が兎をテーブルに戻しながら、眼を大きく見開いた。


「してないわよ」


 みちるは使いたくもない力を披露したのでふてくされた。


「拓郎は使わないの?」


 みちるは頬杖をついて、ちらりと拓郎を一瞥した。


「使うけれど、俺は人には迷惑をかけてない」


「なにをしてるの?」


「ゴミ捨て」


「は?」


 不機嫌さは吹き飛び、思わず顎を突き出してしまった。


(どうしてこのすっとぼけ野郎は、ゴミの話題しか出さないんだろう?)


 みちるは素朴な疑問しか思い浮かばなかった。


「ゴミを直接、収拾ステーションに捨ててるだけだ」


「便利と言えば、便利ね」


「こんな力欲しくてついたわけじゃないもん。それに、はっきり言って役には立たない」


「どうして?」


「考えてみろよ。遅刻しそうだから、大学まで空間移動したいって思うだろ? でもいざ行くとなったら、どこに現われればいいんだ? 人間が自分の眼の前に突然現われてみろ。大抵の奴は驚くぜ」


「トイレを狙うとか」


「透視はできないんだ。その場所をイメージして飛ぶことはできるが、万が一『思索しさくの小部屋』に誰か入ってたら、ケツの上に降りることになるぞ。下手すりゃ、便器の中に足がドボンだ。『んこ踏んじゃった』なんてこともありえる。それこそ大パニックだ」


 拓郎は大きなため息をついた。


「もっともだわ。でもあたしなんて、もっと悲惨よ。こんな力を持ってることまで知られたら、『人間じゃない』って言われるに決ってるわ」


 二人は同病相哀れむ方式でうなずきあった。


「その力は、いつごろついたんですか?」


「眼が赤くなった時よ」


「それは、いつですか?」


 みちるは諦め顔で溜息をつくと、兎から顔を逸らした。


「あれは3年前の皆既月食の日だったわ。それを望遠鏡で覗いてたらこうなったの」


「へえ、俺もそうだよ。俺も3年前、望遠鏡で皆既月食を見てたら、突然生の人参が噛りたくなったんだ」


 拓郎が不思議そうに言った。


「やはりそうですか。かぐや姫さまが消えたのも、3年前の皆既月食の時でした。すぐさま放たれた兎が、その時に入ったのでしょう。あなた方の力は、天人さまならばお持ちの方も多いですから」


「じゃあ、あたしたちは天人になったわけ?」


 みちるは、わくわくしながら言った。


「こんな下品な天人さまはおりません」


 兎はきっぱりと言った。


「悪かったわね。どうせあたしは下品よ!」


 怒鳴ったみちるを無視して、兎が続けた。


「天帝さまが、かぐや姫さまを捜す兎たちが困らないように、天人さまのお力を一つずつ授けたんでしょう」


「なるほどね。でもさ、なんでかぐや姫ちゃんは月から出てったんだい? ついでに聞けば、どうしてそんなにまでして搜すんだよ」


 拓郎が尋ねた。


「いなくなった理由はわかりません。でも、かぐや姫さまがいなくなって、天帝さま配下のものたちは大騒ぎです。なぜならかぐや姫さまは歓喜苑かんきおんの主だからです。早く見つけないと本当に困るんです」


「歓喜苑ってなんだよ」


「天帝さまのいらっしゃる善見城外の庭園の一つです」


「庭園の主がいなくなったくらいで、こんな大騒ぎしなくてもいいと思うんだけど」


「ただの庭園ではないんです。かぐや姫さまがお帰りにならないと、本当に天界は……、ああ、お願いです。かぐや姫さまを探してください」


 兎が赤い眼をうるませて、みちると拓郎を交互に見た。


「参ったね。兎にそんな眼で見つめられたのは初めてだぜ」


 拓郎がみちるを見た。


「しょうがないわね。それでどうやって捜すのよ」


 みちるは渋々承諾した。


「それぞれの世界を、しらみ潰しに捜してください」


 兎はうるうるを止め、嬉々として言った。


 みちるは「なんて変わり身が早いのだろう?」と思ったが、それよりも、話の内容のほうがもっと許せなかった。


「やっぱり、この件辞退する。途方もない話に聞こえる。どこにいるかわからないかぐや姫をしらみ潰しに探してたら、いつ家に帰れるかわかんないじゃん」


「ああ、それは大丈夫です。時間なんてものは、あとでどうにでも辻褄つじつまを合わせますから。それから、あなた方の中にいる兎はかぐや姫さまに反応しますので、近くに行けば、かぐや姫さまを見つけられます。全く手掛かりのない捜索ではありません」


 兎は一仕事済んだというような顔をして、珈琲をすすった。


「人のことだと思ってぇ。あたしはやっぱり辞めるわ」


「いいんですか? かぐや姫さまが見つかれば、あなたの中の兎も天界に戻りますよ。と言うことは、どういうことかわかるでしょう?」


 兎はみちるの顔を見て、にっこりと笑った。


「この眼の色が、元に戻る?」


 みちるは眼を見開いた。胸がどきどきした。


 もしかしたら、興奮状態が大量の酸素を要求して、小鼻が膨らんでいるかもしれない。眼だってきっときらきら光っている。


 つい今しがたまで殺してやりたいほど憎らしかった兎が、突然幸福の使者に変化した。


「はい」


 兎はゆっくりとうなずいた。


「……わかったわよ。やるわよ」


 みちるは承諾した。


「それじゃあ、俺も付き合う。時間の辻褄を合わせてくれるんなら、いろんなスケジュールを心配しなくてもいいもんな」


 拓郎は椅子に深く腰を掛け直して足を組んだ。


「で、かぐや姫ちゃんが見つかったら、俺たちはすぐに元の世界に帰れるんか?」


「はい。今の私たちは、バルドゥ・ロータリーを経由しなければ他の世界に行かれませんので、ロシアン・ルーレットをし続けなければいけません。しかし、かぐや姫さまはバルドゥを経由しなくても、他の世界に飛ぶ力を持ってますから、すぐさまあなた方を人間界にお連れできます」


「わかったわ」


 みちるはうなずいた。


「じゃあ、行きますか」


 拓郎はゆっくりと立ち上がった。それを見てみちるも立ち上がった。彼らはコンコースを横切り、六枚の扉が並ぶ場所に来た。


「お金は?」


 みちるは兎に聞いた。


「いりません。惹かれた扉についてるボタンを押せばいいだけです」


 今度は拓郎を見た。


「誰が選ぶ? ロシアン・ルーレットだそうだから、どこに当たるかわかんないわよ。大体、どんな所があるのかもわかんないんだから」


 みちるは拓郎を見た。


「おまえが選べよ。俺が選んで変な所に行ったら、おまえ一生恨みそうだ」


 拓郎はくすくすと笑った。


(それは確かだわ)


 みちるは同意の表情を浮かべ、自分で押すことにした。


「それじゃぁ、あたしが押すわ」


「うん。俺って結構順応性があるんだ。旅行に行くと思えばいいよ。ただで行かれるんぜ。ラッキーじゃん」


 拓郎はニコニコと笑って言った。


(ゴミ箱から落ちたあたしたちが、風光明媚ふうこうめいびな所に行けるとでも思ってんだろうか?)


 みちるは溜息をついた。


「そのかわり、変な所だったとしても、文句を言わないでね」


「俺はそんなに心が狭い男じゃないぜ」


 拓郎はみちるにウインクをして笑った。


「了解。じゃあ、押すわよ」


 みちるが六つの扉をじっと見つめると、勝手に足が動きだした。


 白・赤・青・緑・黄・灰色の扉。


 みちるは青の扉に向かいたかった。


 けれど足は青をれ、黄色い扉の前に立ちどまり、ボタンを「ポチッ」っと押していた。


 二枚の切符が出てきた。


 行き先を見ると「食べられれば膨らみ、食べられねば膨らむ駅」と書いてあった。


「何だ、これ?」


 拓郎が切符を取り上げて素っ頓狂な声を出した。


 みちるは自分が押したとはいえ、ガックリと膝をついた。


「あたしは青い扉に行きたかったのよ! なのに足が勝手に黄色い扉の前に行き、ポチッちゃったのよぉ―――! きっと変なところだわぁぁぁぁ―――――!」


 みちるはショックを受けて両手で顔を覆った。


「ポチしたもんは、しょうがないだろう。ほれ、うさぎ。次の人が待ってるんだから、そんな所に座り込むな。とりあえず行こうぜ。さっさと行ってかぐや姫ちゃんを見つけよう。そうすれば早く帰れる」


 拓郎がみちるの腕をつかんで立ち上がらせた。


(そうだ、かぐや姫を捜そう。さっさと済ませて、元のあたしを取り戻すんだ)


 みちるはすくっと立ち上がった。


「わかった。行こうじゃない。さっさと見つけて一発ひっぱたいてやる。他人に迷惑をかけるとどうなるか、よーく教えてやる」


「おっ! やる気になりましたね」


 拓郎は面白そうに笑った。

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