第6章 バルドゥ・ロータリー Vol.1

 ……………………。


 はずなのに、兎はみちるの手から離れず、拓郎は彼女の髪を掴んだまま、一羽と二人はゴミ箱に吸い込まれてしまった。


「おまえは金のがちょうかぁ――――――!」


 みちるは奈落の底に落ちながら叫んだ。


「すごい。このゴミ箱は底がないんかぁ。便利だなあ。いくら捨てても一杯にならないから、ゴミの収拾日に出す手間がいらないな。今度、家へ持って帰ろう」


「そんなことを考える暇があったら、今の状況を打開する策を考えてよ」


 みちるはつんつんに引っ張られている髪を、左手で押さえながら叫んだ。


「うさぎだって『金のがちょう』とかタイムリーなこと言ってたじゃん。それに、落ちてる時はなすすべがないだろ? ま、落ちるだけ落ちましょうや。底まで落ちれば確実にもう落ちないし」


「底ってどこよ! どこまで落ちれば底に着くのよぉ――――!」


 みちるはやけくそで叫んだ。


「知らね――――。兎に聞いてみろよ」


 拓郎の言葉で、彼女ははたと気がついた。


「そうよ。兎、あたしたちはどこに落ちてくのよ」


「落ちませんよ」


 兎はしれっと言った。


「現に落ちてるじゃない」


「今はね。でも、ずっと落ちてごらんなさい。最初に地面に激突するのは私ですよ。その上にあなたと拓郎さんが落ちてきたら、私はぺちゃんこになるじゃないですか。私がそんなへまをすると思いますか?」


 兎はかんむりを押さえながら言った。


「じゃああんたは、あたしを先に落とすつもり? 拓郎の下敷きになったら、あたしだって潰れるわよ。そうだ、拓郎。一番下に来て、あたしたちを受け止めなさい。男でしょう!」


「あのなぁ、同じ速度で落下しているのに、どうやって一番下へ行くんだよ」


「泳ぎなさい。その手を離して平泳ぎしなさい!」


「あっ、それいい。俺さあ、一度でいいから『ルパン三世』がやるみたいに、それやってみたかったんだ。うまくいったらしっかり抱きしめてやるぜ。んー。楽しみ。では参りまぁす」


「いい、辞めて……」


「その必要はありません」


 みちると兎の言葉が重なった。下から風が吹き上がってきて、彼らを押し上げるかのように急に身体がふわりと浮いた。


「着きました。そのまま足をついてください」


 兎に言われるまま、そっと足を降ろした。地面に立つと急に力が抜けて、みちるはへたへたと座り込んだ。そして両手を地面につけるとその中に顔をうずめた。


「あたしの人生、これから一体どうなるの? この眼が赤くなって以来、良いことなんて一つもない。ああ、あの時皆既月食なんか見なければ良かった。あれ以来、あたしは不幸を拾って歩く女になったのよ。いいえ、歩けば不幸に当たるようになってんのよ。人生は苦だわ。生きることは苦しみなのよ。あたしの人生は戦いなのよぉぉぉ!」


 みちるは大声でなげいた。


「何、難しそうなこと言って、嘆いてんだよ」


「うるさいわね。自分の不幸を呪ってんのよ」


「そんなことしてる暇ないぜ。早く起きろよ」


「少しは感傷かんしょうにひたらせてよ」


 拓郎に肩を叩かれたみちるは、つっぷしたまま嫌々をするように首を振った。


「でもおまえ、かなり目立ってるぞ」


「え?」


 勢い良く身体を起こしたみちるは、顔を上げた瞬間耳まで赤くなった。


 いつの間にか周囲は明るく、何だか知らないが、大勢の人が二人を囲んでいた。


 みちると拓郎がにへらっと笑って起き上がると、人々はくるりと背を向けてそれぞれに散って行った。


 みちるは周囲を見回した。そこはどう見てもJRの駅だった。


 彼らはいつの間にか駅のコンコースに立っていた。


「ここは、どこだろう?」


 拓郎が周囲を見回した。


「駅でしょう」


 それ以外の何物にも見えなかったから、みちるは拓郎を見上げて答えた。


「そうだとは思うけど、ゴミ箱が通路の駅なんかあったっけ?」


「あるわけないじゃん」


 どうやっても、みちると拓郎の会話は成立しない運命にあるらしい。みちるは大きなため息を吐いた。そしておもむろに兎を見た。


「ここって、どこよ!」


「俺たちゃ、だぁれ?」


 拓朗が合いの手を入れた。


「っざけんな! このすっとぼけ野郎!」


 みちるが拓郎の腹に一発食らわせると、拓郎は腹を押さえた。それにかまわず、兎が口を開いた。


「ここですか? ここはロータリーです」


「ロータリー? あのぐるっと回って別な所へ行く?」


「そうです。それよりお茶でも飲みましょう。立ち話も何ですから」


 兎が喫茶店を指差した。


「なんであんたと、お茶を飲まなくちゃいけないのよ。それより早く帰りたいわ。ねえ、どうやって帰るの?」


「無理です」


 兎がいとも簡単に言った。


(ひどい。こんな変な所に連れてきて、その態度はなによ! やっぱりあの時情けをかけずに、コンクリートに投げつけて、殺しておけば良かった)


 みちるは歯ぎしりしながら、ガシッと兎を握りしめた。


「なんで無理なのよ!」


 眼の高さまで兎を持ちあげると怒鳴った。


「ここに来たら、もう自力では帰れないんですってば!」


 兎も負けじと叫んだ。


「まあまあ、こんな所で喧嘩してても始まらないから、とりあえず、こいつの言う通りお茶でも飲もう」


 拓郎が仲裁ちゅうさいに入った。


(なんてのんきなの? ゴミ箱に落ちたのよ。ぜ――――――ったいに変な所にきちゃったのよ。ゴミ箱が東京駅につながってるわけないんだから)


 みちるは拓郎を睨んだ。


 けれど彼はおかまいなしに、兎を握りしめている彼女の腕を掴んで喫茶店に入った。


 席に着いた彼らは、珈琲とケーキで一息着いた。


 ミニウサギである「天帝の兎」用に、やけに小さいカップが用意されているのが奇妙だった。


「ねぇ、どうしてここには、あなた用の小さいカップがあるわけ?」


 みちるの問いに、兎はテーブルの上にちょんと座って両手でカップを持ち、珈琲に息を吹きかけながら、上目遣いにみちるを見た。


「あなたは『ふしぎの国のアリス』を知らないんですか?」


 兎の馬鹿にしたような言い方に、みちるはむっときた。


「知ってるわよ。この間、拓郎に原語を暗記させられたからね! 冒頭部ならいつだってしゃべれるわよ。なんならここで言ってやる?」


 みちるは腹が立っていたので、なんにでもケチをつけたくなっていた。


「兎はお茶を飲むんです。もっとも、ワンダーランドの三月兎は、テニエルの挿し絵ではかなり大きく描かれてましたがね。いや、アリスが小さくなったのでしょうか。まぁ、どちらでもいいじゃないですか。とにかく兎はお茶を飲むんです。だからカップがあるのは当たり前じゃないですか」


 兎は音を立てて、おいしそうに珈琲をすすった。


「変な理屈。じゃあ、トランプの王様やチェシャ・キャット用のもあるわけね?」


 みちるはさらに兎に向かって因縁をつけた。


「トランプの王様は生きてないでしょ? 猫は生き物ですが……。ここには生き物用のカップはすべてありますよ」


 兎の話し方は、完全に「暖簾のれんに腕押し」状態だった。


「うさぎ、腹も立つだろうが、もう喋るな。おまえがこいつに因縁つけてる限り、話は進まないぞ。で、つまりここは『ワンダーランド』ってわけか?」


 拓郎が机の上で腕を組みして、身を乗り出した。


「ここですか? そんな変なところじゃありません。ここは『バルドゥ・ロータリー』という、ただの駅です。別名『ロシアン・ルーレット』とは申しますけど」


 兎はカップを皿の上に戻すと、赤い眼で二人を交互に見た。


「ロシアン・ルーレット? ワンダーランドよりずっと不気味そうじゃない」


 みちるはちょっと顎を引いて眉をしかめた。


「そうですか? とはいっても、別に珍しい者はいませんよ。我々が存在しえる世界はこの宇宙に六つあるのですが、どの世界もこの駅が発着点なだけです」


「だから、ロータリー?」


 みちるも身を乗りだした。


「そうです。あそこに6枚の扉がありますでしょう? あの扉の奥には、それぞれの世界へ向かう電車が停まってます。あそこの前に立つと自然と惹かれる扉があって、自分の意志に関係なく、その扉についてるボタンを押してしまうんです。出てきた切符を駅員に見せれば、扉を開けてくれるってわけです」


 兎はコンコースを挟んで、喫茶店の反対側にある6枚の扉を指差した。扉は、白・赤・青・緑・黄・灰色の六色にわかれていた。


「つまり惹かれた扉が、元の俺たちがいた世界に当たるかどうかは運ってわけだ」


「そうです」


「わかった。それについては何を言っても無駄なようだから腹をくくるわよ。でも、なんであたしたちをこんな所に連れてきたの?」


「それです。さっきから何度も申しましたように、かぐや姫さまを捜してほしいんです」


 兎がテーブルに両手をつき、四つん這いになって中央付近まで這ってきた。


「『竹取物語』のあの『かぐや姫』? 日本最古のSF話じゃない。本当にいるの?」


 みちるは胡散臭うさんくさそうに兎を見た。


「もちろんです。月に住んでおられることは知ってますね。それが、突然いなくなってしまったんです」


「いなくなったのは彼女の勝手でしょう。なんであたしたちが捜さなくちゃいけないのよ。月の住人が捜せばいいじゃない」


 みちるは冷たく言った。


「だから何度も言いましたでしょう? かぐや姫さまが天界からいなくなった時、天帝さまはかぐや姫さまを探し出せる兎を2羽、人間界に差し向けたのです。その兎があなたたちの中にいるんです」


 兎はさっきいたところまで後退りした。


「信じられないわね」


 みちるはぷいっと横を向いた。


「だって、あなたの眼は赤いんでしょう?」


 兎は珈琲をすすりながら、しれっと言った。


「だから、なんだっていうのよ!」


 足元を見られたみちるは、開き直って怒鳴った。

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