第5章 天帝の兎 Vol.3

「そうだった! この兎のぬいぐるみを早く捨てて、家へ帰ろうとしてたんだった。拓郎だって、あたしの家へ来る途中だったんでしょう?」


 みちるはあれだけの騒ぎの中で、人参を食べ終わり毛づくろいをしている兎を見た。


「お前なぁ、人参食って、毛づくろいするぬいぐるみなんかいるもんか」


 拓郎は兎を指差して言った。


「いいえ。これはぬいぐるみです」


 みちるは拓郎の顔を、真っ直ぐに見て言った。


「うさぎ、よく考えてみろよ? 服を着た犬はよくいるけど、束帯姿で日本語を喋ってんだぞ。ぬいぐるみだとか、なまの兎だとかって言い争う次元じゃないぞ?」


 拓郎は呆れた表情でみちるを見たが、彼女はぬいぐるみだという主張を、変える気はなかった。


「これがぬいぐるみじゃなくて、一風変わった『兎!』だと、どうしても言うんだったら掴んでみてよ」


 みちるは兎を指差した。


「おお。兎の抱き方はプロなんだ。よぉ~く見ておけよぉ」


 拓郎が兎を掴んだ瞬間、両手を上げて万歳をしたのち、拍手をしたのはみちるだけではなかった。


「ばんざぁい。ばんざぁい。ばんざぁい。ついに見つけました。あなたが、かぐや姫さまを見つける役目を、天帝さまより授かってました」


 みちると兎は同時に叫んだ。


「ありがとー。貰える物は何でも貰うぞぉ!」


 拓郎は空いた手を、大きく振り上げて叫んだ。


(ああ、すっとぼけの拓郎に掴ませてよかった)


 みちるは胸をなでおろした。


「この兎は拓郎にあげるわ。そのお礼と言ってはなんだけど、今日はお休みしてもいいわ。あたしも疲れたし、これで帰る」


 みちるは帰ろうとして、立ち上がりかけた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」


 拓郎に掴まれた兎が、両手を上下に振ってみちるを呼び止めた。


「なによ! あんたを掴める人間を探してやったでしょう? まだ何か文句あるの?」


 みちるは兎を睨んだ。


「文句じゃないですけど、あるんです。私の第一任務は、かぐや姫さまを見つけることができる人間を、二人捜すことだったのです。つまり、あなたとあなたです」


 兎はみちると拓郎を順番に指差した。


「いやぁ、一度に見つかるなんて、本当に幸運でした」


 兎が一仕事終えたという表情で「でこ」の汗をぬぐうかのようなしぐさをしながら、満足げに言った。


「なによ、それ?」


 みちるは再び座り込むはめになった。


「あたしは辞退するわよ。そう言ったでしょう」


「それはできません」


「どうして?」


「私を掴めるのが、何よりの証拠です。間違いなくあなたたちは、天帝さまが放たれた兎です」


「兎? じょ――――――ぉだんじゃないわよ。あたしは産まれた時から、ずっと人間です!」


「味噌マヨつき人参」 あ~~んど「なんちゃらおばさん騒動」で一時いっとき忘れていたみちるの怒りのマグマは、再び脳天に向かって上昇していった。


「その意見、賛成。俺も人間以外のものにはなったことないなぁ」


 拓郎はみちるとは正反対に、無感動な声で言った。


「天帝さまがおっしゃったんです。私が掴め、己自身に強く兎の特長を持つ者を探せ。彼らの中に放った兎がいると。その兎には、かぐや姫さまを探し出せる力があるんです」


「兎、兎って、人が気にしていることをずけずけと言ってくれるじゃない。あんたくらい、誰だって掴めるわよ」


「いいえ、掴めません。普通の人間には、私は見えません」


 兎がきっぱりと言い切った。


「うそばっかり。だって、さっき、中学の同級生が『兎』って言ったじゃない」


「の、ぬいぐるみって言いました。あの時、あなたは私を掴んでました。兎に掴まれれば、いくら『天帝の兎』である私といえども、人間に見えてしまいますよ。だから私は、慌ててぬいぐるみのふりをしたんです。その点拓郎さんは、地面に立っていた私が見えてました。だからあなたと拓郎さんが、天帝さまが放った兎なんです」


「そんな話、信じません! あたしは面倒なことには関わりたくないから、兎は拓郎に任せる。じゃあね」


 みちるは立ち上がった。


「まあまあ落ち着いて。お前が兎なことは確かだ。だって眼が赤い。だが俺も人のことはいえない。人参坊やだからな」


 拓郎がみちるのジーンズの裾を掴んだ。


「馬だって人参が好きよ。拓郎なんか背が高いんだから、馬なんじゃないの?」


 みちるは足を引いて、拓郎の手を振り払った。


「うん、そうかもしれないな。でも俺、兎の方が好き。だって、かわいいじゃん。だから俺、兎なんだもーん。馬じゃないもーん。兎同志、仲良くこの兎の話を聞こうじゃないか。で、かぐや姫ちゃんがどっかにいっちゃ……」


 プッツン!


 みちるの頭の中で理性の糸がぶち切れた。


「聞く耳持たない! もうやだ。眼が赤いからって、兎、兎って馬鹿にされて、おまけに、この変な兎にまで『兎』って言われるなんて」


「言いたい奴には言わせとけよ。それでかぐや……」


 皆まで言わせなかった。みちるは拓郎から兎をひったくった。


「どうしたんだよ」


 拓郎が慌てて立ち上がった。


「捨てる」


 みちるはずんずん歩き出した。


「なんだって?」


 拓郎はみちるのあとをついてきた。


「こんな厄介者、その辺のどぶに捨ててやる。もう、兎って言葉も聞きたくない」


「それは辞めたほうがいいと思うぞ?」


 拓郎がみちるの腕を掴んだ。


「止めるな。兎に『兎』と呼ばれる屈辱に、もう我慢できない!」


 みちるはその手を振り払い、さらに歩いていった。


「じゃあさ。捨てるならゴミ箱にしろ。『ゴミゴミおばけ』が出ると困るから」


「ゴミゴミおばけ?」


 みちるははたと立ち止まり、拓郎を見上げた。


「知らないのか? ゴミ箱以外のところにゴミを捨てたら、『ゴミゴミおばけ』が出るんだぞ」


「どこの話よ」


「おかあさんといっしょ」


「はい?」


 また彼女の理解範囲を越える話題が、当然のように出てきた。


「NHKで、朝、放送されてるだろう。あそこで、歌のお兄さんとお姉さんが唄ってた」


(落ち着けーぇ)


 みちるは念仏のように頭の中で言うと、唾液を飲み込んだ。


「大学生。あんた、幼児番組を見てんの?」


「うん。大好き」


 拓郎はほのぼのと笑った。


「で、そこで『ゴミゴミおばけの歌』を唄ってたと?」


「うん」


「はぁ……」


 みちるは大きな溜息をつくと、自分の足先を睨みつけた。


(どうして? ど―――してあたしが、たった30分の間に見せ物扱いされ、変な兎を掴んで、すっとぼけ野郎の、おちゃらけ話を聞かなきゃならない不幸に見舞われるの?)


 みちるは兎を持っていない左手で、握りこぶしを作った。


(ああ、人生もっと楽に生きたい)


 そう思いながら、今度は空を見上げた。


「なに一人で哲学してんだよ。うさぎ」


 拓郎がみちるの眼の前で、手をひらひらさせた。


(こいつと兎にいつまでも付き合ってたら、こっちがおかしくなる)


 みちるは拓郎を睨んだ。


「わかった。どぶに捨てるのはやめるわ」


 周囲を見渡しゴミ箱を見つけると、そちらへ歩いて行った。


「生き物を捨てると、動物愛護団体からクレームがくると思うんだけど……」


 その言葉に、ゴミ箱の前に立ったみちるは拓郎を振り返り、鷲掴みにした兎を突き出した。


「これはね、ぬいぐるみなの。生きてる真似のできるぬいぐるみなの!」


「いやいやいや。私はぬいぐるみの真似ができる、生きてる兎です」


 鷲掴みにされた兎は、両手を振って否定した。


「うるさい。ぬいぐるみが偉そうにしゃべるんじゃない。あんた、言葉をしゃべるおもちゃの一種でしょう? 最近、流行ってるじゃない」


「違います。私は『天帝さまの兎』です。本物の兎ですってば!」


「本物の兎が喋るか!」


 みちるはゴミ箱に向かって兎を振り上げた。


「うわぁ―――――!、そりゃまずいって」


 拓郎がみちるの長い髪を掴んで引き止めようとした。しかし、彼女は止めなかった。ゴミ箱の底に叩きつけるように兎を投げ込んだ。


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