第5章 天帝の兎 Vol.2

「おい、うさぎ。おまえこんな所に座って、何やってんだ」


 ぽんっと頭を叩かれたみちるは、持ち上げかけた身体を再び地面に降ろした。


「先生!」


 みちるは、背後に立っている男を見上げて叫んだ。


「だから、その『先生』って言うのは辞めろって、言っただろう」


 水野拓郎みずのたくろうという二十歳はたちになる大学生は、みちるの横にしゃがみこんだ。


 最近、みちるの家庭教師になったやつだ。


 高校へ行ってないみちるは、高校認定試験を受けるために、高校卒業者と同じ学力をつけるべく、家庭教師を雇ってもらっていた。

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 以前は女子大生だったが、赤い眼を見てしまい、気持ち悪がって辞めてしまった。


「拓郎って呼べって、最初に教えただろう?」


 拓郎はみちるの眼が赤いことを知っていた。


 面接の時にみちるが暴露ばくろしたのだ。どうせ気持ち悪がられるに決まっているんだから、さっさと断られた方がましだと思ったからだ。



         *


「お見せできませんが、あたしの眼は真っ赤なんです」


「はぁ……? で? それが、なにか?」


 この一言で、両親は拓郎を採用した。


「お前さぁ、勉強するときくらいサングラスをはずせよ」


 拓郎は長い足をもて余し気味に組み、組んだほうの右足のつま先で、みちるの背中をつんつんと小突こづいた。


「嫌です」


 みちるはぷいっと横を向いた。


「眼が赤いから、見られたくないとか?」


 拓郎は立ち上がると、覗き込むようにしてみちるの顔を見た。みちるは黙っていた。


「わかった。お前が支障ないならつけたままでいいぞ。うさぎ」


「うさぎですって?」


 みちるは拓郎を睨んだ。


「そう呼ばれるのが嫌で、学校に行かなかったんだろう?」


 拓郎は再び座ると、英語の参考書をめくりながら言った。


「あたしの名前は『うさぎ』じゃない!」


 みちるは激怒した。


「お前がサングラスをはずしたら、ちゃんと名前で呼んでやるよ」


 拓郎はにっと笑った。



          *



「で? もう一度聞くけれど、こんなところに座って、何やってんだ?」


 拓郎がみちるの隣にしゃがみこんで、彼女を見た。


「転んだ拍子に、兎のぬいぐるみを拾ったんです。これから捨てにいくんです」


 地面にちょんと座っている兎を指差した。


「ぬいぐるみ? 兎だろう?」


 拓郎は兎を見つめて言った。


「そう。兎のぬいぐるみ」


「ふーん。これ、食べるかな」


 拓郎は鞄の中をごそごそかきまわした。


「ぬいぐるみは物を食べません!」


「だって、兎だろう?」


 まだ鞄の中を覗いていた。


「の、ぬいぐるみ」


 お互いの主張を曲げないために、会話として成立していない話を、当の兎はきょとんとした顔で聞いていた。


 ぬいぐるみだと決め込んだみちるは、早く捨ててしまおうと立ち上がりかけた。


「あった、あった。ほら、食えよ」


 拓郎がみちると兎の眼の前に、一センチ角程のスティックにした人参にんじんを出した。


「うわおっ。私。大好きですぅ」


 兎が両手を伸ばして人参を掴んだ。


「ちょっと。なんで生の人参なんか持ってんのよ!」


 みちるは敬語を使うのも忘れて叫んだ。


「おやつに決まってるだろう。それよりその友だち喋りはいいなぁ。俺さぁ、たった三つしか違わない子に敬語使われると、どうも背中がかゆくてかゆくて、困ってたんだ。これからはその調子でやってくれ」


 拓郎はみちるの眼の前で、スティックにした人参を左右に振った。


「は? おやつ……なの?」


 拓郎と話していると、みちるはどんどんと調子が狂っていくと思った。


「そう。これをつけて食うと、もう最高」


 拓郎は嬉しそうな顔をしながら、小さなタッパーを出して蓋を開けた。


(うそ! このお兄さん、何、出してきたの?)


 頭の中は、自分の理解範囲を遥かに越えた情景に、パニックを起こし始めていた。


「拓郎。どうしてマヨネーズまで持ってんの?」


 みちるは茫然としながら、タッパーを指差した。


「君はつうじゃないね。これはね、『味噌マヨ』なのだ。味噌とマヨネーズの割合が難しいんだぜ。味噌が多いと塩辛くなってしまうし、少ないと味噌の風味がなくなる。今日のは特に上手く調合されてて絶品だぜ」


 拓郎はにっこりと笑った。


(この、すっとぼけ野郎! 眩暈めまいがしてきた)


 みちるは大きく深呼吸をした。


「味噌マヨをつけた、生の人参を食べるの?」


 平静を装って、なるべくゆっくりと口を動かした。


「うん。大好き。俺のニックネームは『人参坊や』って言うんだぞ。かわいいだろう?」


(人参坊やとうさぎかぁ。どっちも、どっちだわ)


 みちるは感心して拓郎を眺めていた。


 ほうけている彼女をよそに、拓郎と兎が仲良く味噌マヨをつけながら、人参を食べていた。


(兎って、味噌マヨ食べるんだ……)


 みちるは変な発見にも関わらず、妙に納得していた。


「はぁい、拓郎。相変らず変わったものを食べてるわね」


 突然、頭上で声がした。見上げると物凄く派手な格好をした女性が立っていた。


(うぉ! ぽんっ! きゅっ! ぽんっ! のおねーさんだぁ~)


 みちるはあんぐりと口を開けて見上げた。


「ああ、洋子さん。こんにちは。お久しぶりですね」


(なんだ? このやけにまともな挨拶をする物体は?)


 みちるは、拓郎の今までとは打って変わった態度と無表情、そして儀礼的な返事に驚いた。


 彼女に全く興味を示さない、無機質なイケメンフィギュアちゃんの拓郎に腹を立てたのか、彼女のまわりに、あからさまに嫌悪の雰囲気が漂った。


「あなた、拓郎の彼女かしら? おやつに生の人参をかじってる恋人なんて、いい笑いもんよ!」


 洋子はみちるを見下ろして、真っ赤なルージュを引いた唇に、高飛車なほほえみを浮かべた。


(げ――――――! おまえ! 人間何匹なんびき食ってきた! 拓郎に無視されたからって、こっちに話題を振らないでよ!)


 みちるは腹が立ってきた。そもそも人を見下みくだした態度が気に入らなかった。


「笑えば? 人参を噛ったくらいであんたに笑われても、別にどうってことないわ。人が何を食べようが自由じゃない。あんたが気に入らないんだったらさぁ、最初っからあたしたちに声かけないでよ! うざいよ、お・ば・さ・ん!」


 みちるの言葉に、洋子の顔が見る見る赤くなってきた。


 言い返す言葉もなく、彼女はくるりと背を向けると、ハイヒールの踵から苛立ちの音を立てて行ってしまった。


「怒ちゃった。ねぇ、あの人何者? 言い返しちゃってやばかった?」


「全然。時々同じ講義で会うだけだもん」


 彼女が行ってしまったら、拓郎はまた元に戻っていた。


「それだけで、あんなに突っかかるかなぁ」


 みちるは遠くなった、彼女の後ろ姿を見ながら呟いた。


「突っかかるわけないだろう。あれは、うさぎに嫉妬したんだ」


 拓郎は投げやりな言い方をした。


「何であたしに嫉妬すんよ!」


 みちるは、もう名前も忘れた「なんちゃらおばさん」にムカッと来た。


「俺といたから」


「ああ、彼女は拓郎を好きなのかぁ。だったら、ただの家庭教師だって言ってやったのに」


 みちるは頬杖をついた。


「それは勘弁してくれ。やっと、俺につきまとうのをやめたばかりなんだぜ」


 拓郎はガリガリと人参を噛った。


「わかった。人参をところ構わず噛って、沢山の人に笑ってもらったんでしょう。それが恥ずかしくて、あの人、拓郎から離れたんだ」


「大正解」


「でも、けっこう美人だったよ。もったいない」


「だめ。ああいう人は苦手なんだ。俺ってさぁ、けっこうでかいし目立つじゃん」


「確かにね。『街で見かけた、かっこいい男の子特集』なんて、引っかかりそうだわねぇ」


 拓郎は大きな溜息をついた。


「そうなんだよ。俺の意志とは関係なく、外見だけで近づいてくる人、多いっしょ」


 多くの人から「気持ちが悪い」と言われているみちるから見れば、好いてもらえるほうが、はるかにうらやましかった。


「羨ましい悩みだわ」


 みちるは思わず呟いてしまった。


「なに?」


 拓郎は人参を噛りながらみちるを見た。


「もてていいわね、って言ったの」


 みちるは膝をかかえた。


「アクセサリーのどこがいいんだよ」


 拓朗はプイっと横を向いて、さらにガジガジと人参を齧った。


「なんじゃ、それ? たかが面の皮一枚、体型だって、望んでそうなったわけじゃないじゃん。くだらない!」


 みちるはここまで演説をかましたところで、すっとぼけ野郎の拓郎とぶっ殺したい兎が何をしていたかを思い出した。



**********


お読みいただきありがとうございました。


お時間がありましたら、同時公開している「SF小説」の方にも訪ねてみてください。よろしくお願いします。


https://kakuyomu.jp/works/16818093074758265076

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