第4章 病葉(わくらば)

(悔しい……。悔しい、悔しい)


 みちるは烈火のごとく、心の中で怒りながら、脇目もふらずに早足で歩いていた。


 公園はそろそろ秋の気配を漂わせていた。


 セピア色の陽光と風の中で、紅葉した木々と多くの人が、幸せそうに揺れ動いていた。


 ところがみちるだけがそれらを無視して、刀を振り回す剣幕で突き進んでいた。


 誰が見ても、彼女には近寄りたくないと思うだろう。触れた瞬間、鎌いたちに遭って皮膚を切り裂かれそうだった。


(せっかく両親を成田で見送って、これから1週間、好き勝手できると喜んでたのに! 気分、最悪!)


 みちるはならの木の下で立ち止ると、美しく色づき始めた葉が、陽光に透けている様子を見上げた。


(赤い眼をした病葉を、大樹は振り落とした。みずみずしく、溢れるほどの生命力を蓄えた緑葉になれず、当然美しい紅葉の色もまとえず、散る季節を迎える前に朽ち落ちた。でも……、どうしてあたしが、赤い眼をした病葉に選ばれたのよ!)


 みちるは涙が出そうだった。


 頭の中では思い出したくもないのに、先ほどみちるを呼び止めた、男の声が繰り返されていた。


「ねえ、君の眼って赤いんだって?」


 突然、肩を叩かれた。


 振り向くと、好奇の眼差しでみちるを見ている、同年代の少年が立っていた。みちるは『赤い』という言葉を聞いたとたん、身体が震えた。



               *


 みちるは3年前に、突然眼が赤くなった。当時中学2年生だった彼女は、学校で「化け物」と言われて苛められた。


「兎! 跳ねてみろよ。月が浮んでるぜ」


 男の子たちは全く遠慮がなかった。


 女の子たちは、彼女を「うさぎ」と呼んで笑い転げていた。


 みちるは唇をかみしめて、家へ逃げて帰る毎日だった。


 走りながら、止める術もなく涙が溢れてきた。


 涙を洗い流すために顔を洗い、鏡を見ると光彩だけではなく、白目まで赤く濁っていた。それは自分の姿であっても不気味だった。


 みちるは、不登校のまま中学を卒業した。


 それからは進学もせず、ただ何となく息をしているだけの生活をしていた。


 したいと思うことは何もなかった。


 外へ出ていく勇気もなかった。


 そんなみちるに、父親は目鏡ストアーでデザインがすべて違う、真っ黒い色をしたサングラスを買い込んできた。


「みちるに生きようという心意気があるなら、他人なんか関係ない」


 父親が笑った。


「あたしが、社会という大樹から降り落された病葉であることに、変わりないわよ!」


 みちるは両親を睨んだ。


 けれどそれは一瞬だった。みちるは寂しげにふっと笑って、言葉を続けた。


「でも、パパが言ってることはわかるわ。病葉は、病葉なりに生きてやろうじゃない!」


 みちるはサングラスをかけた。


「似合う?」


 みちるはポーズを取って笑った。翌日、母親は宝石店へ彼女を連れて行った。


「ピアスを買おうよ」


「ピアス?」


「そう。落ちないように、ちゃんとお医者さんで穴を空けてもらって。みちるは何色が好き? 他人の眼が、耳に行っちゃうくらい素敵な色の宝石を買おう!」


 母親は優しい眼で彼女を見た。


「グリーン……が、いい」


 みちるは小さな声で呟いた。


「わかった。明るい若葉色の大きなペリドットにしよう」


 けっして大金持ちの家ではない。でも、母親はみちるの希望を叶えてくれた。


        *




(それなのに……)


 みちるは悔しくて涙が出そうだった。


 眼が赤いという事実はどこからともなく漏れて、時々みちるを傷つけるのだった。ついさっきもそうだった。


「ねぇ、君の眼ってさぁ、すごくきれいな赤い色だって聞いたんだけど……」


 やけに整った顔をした少年は、やさしそうな笑顔を作っていた。


 でも、口にした言葉は、けっして真にやさしい人間が言う言葉ではなかった。


「あっ、そう」


 みちるはサングラス越しに彼を上目遣いで見上げた。


(あほんだらぁ~。だれがこんな眼を見せるか!)


 みちるは無視した。


「僕たちね、高校で異常現象研究会を作ってるんだ。ぜひ、噂に聞く、君の赤い眼が見たいと思って。ついでに仲間に入って欲しいなって、思ってるんだよね」


 声をかけた少年の後ろで、一組の男女がにやにやと笑って、みちるを見ていた。


(異常現象? あたしはエルニーニョでも深海魚の大量浮上でもないわよ)


 みちるは怒りで、顔が風船のごとく赤く膨らみ始めているんじゃないかを思った。


「うるさい! あたしにかまわないでよ」


 みちるは肩に置かれていた手を振り払い、歩き出した。


「そう言わずにさぁ。見せてよ」


 少年はもう一度、みちるの肩に手をかけた。彼女は立ち止ると彼を見上げた。


「い・や・よ!」


 みちるは彼の手を払いのけると早足で歩き、彼を振り切ってきたのだった。


          *




 その出来事を思い出すとはらわたがぐつぐつと煮え繰り返った。


 みちるはこぶしを強く握りしめ、唇を強く噛んだ。


 叫び声を上げて、眼に映る全てを破壊しつくしたい衝動が、身体中をのたうち回っていた。


 そうしてしまえば、もう自分を苦しめるものは誰もいなくなる。


(でも、やったら、あたしは本当の阿修羅になっちゃう……)


 みちるは足元の小石を睨んだ。


 小さな亀裂音がして、幾つかの小石が粉々になって弾け跳んだ。それを見つめてから、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。


「逃げたい。逃げたい。何もかもから、逃げてしまいたい……」


 みちるは呟いた。



「清四郎。何であの子を見張ってるのさ」


 玲司が公園の一角にあるベンチに座っていた。


「彼女は眼が赤いから『うさぎ』って、呼ばれてるそうだ」


「うさぎ? ぴったりだわ」


 恵利はポップコーンをほおばりながら、両足をばたつかせてはしゃいだ。


「天帝が放った兎が、あの子の中にいるのかもしれない」


 清四郎はベンチの背もたれに手をついて寄りかかった。


「天帝の兎と接触するかどうか、見張るんだね?」


 玲司が横から恵利のポップコーンを摘んだ。恵利は玲司の肩にもたれかかった。


「天帝の兎を見失っちゃったから……ごめんね」


「しかたがないさ。それより恵利。大丈夫か?」


 清四郎は青い顔をした彼女を覗き込んだ。


「ん、平気」


 恵利はきつい眼を細めた。


「力を使うのは結構しんどいからな。調子が悪かったらいつでも言うんだぞ」


 玲司も青ざめた顔で言った。


「私たちに調子がいいときあるわけないじゃん。玲司だってかなりしんどそうよ」


 恵利は弱々しく笑った。


「僕のは生まれつき。知ってるだろう?」


 玲司はおどけて呟いたが、顔も手も蝋人形のように真っ白だった。


「少し休め。楽になる」


 清四郎は恵利の額に手を当てた。恵利は舞い落ちる葉を眺めながら呟いた。


「もう、冬が近いわね。色づいた葉が乱舞してる。木は不要になった葉を落とすけど、春になればまた新しい葉を生むわ。けれど葉は、一度落とされたらそれで終わり。私、葉にはなりたくなかったな。大樹になって、いつまでも立っていたかった」


「僕たちは大樹になるんだ。そのために、かぐや姫を探してるんじゃないか」


 玲司が恵利を抱きしめた。


「そうね。私たちは大樹になるのよね……」


 恵利は弱々しく笑うと、ポシェットの中からいくつもの錠剤を出して口に含んだ。

「ふふ、これがあれば、まだ持ちこたえられる」


 恵利は小声で呟くと眼を閉じた。


「そうだな。こんな不安の中で生きてるのはもう嫌だ」


 玲司は吐息といきをついた。清四郎は何も言わなかったが、激しいほどの闘志を持った眼差しで二人を見つめていた。




**********


お読みいただきありがとうございました。


お時間がありましたら、同時公開している「SF小説」の方にも訪ねてみてください。よろしくお願いします。


https://kakuyomu.jp/works/16818093074758265076



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