第1章 パラドックス Vol.2

 ふさいだ両耳に、吹きすさぶ乾いた風の声が響いてきた。


 その音にみちるはそっと眼を開け、顔から両手を外した。


 そこは荒廃した砂漠だった。あたりを見回したが、みちる以外の者はいなかった。ただ風が無数の悲鳴を上げ、頬に細かい砂が当たっていた。


(あれ? ここはどこ? 姫さんのあたしはどこ行った?)


 見回してみても、先ほどの光あふれる大樹の森とはかけ離れた風景だった。


 夕方だろうか? 薄暗い風景の中に、高さに3メートルはあるだろう奇怪な巨石が所々にあった。遠くを見ると、地平線の彼方が、オレンジ色に激しく燃えていた。耳を澄ますと風の悲鳴の中に、雷鳴と何かがぶつかり合う鈍い音が、途切れることなく轟いていた。おそらくそこでは、戦いが繰り広げられている。


 みちるは戦場を睨みつけていた


(あっれ~? 今のあたし、何気に勝気かも。さっきの姫さまとは、全く違うぞ? なぁ~んか、好戦的というか暴力的だぞぉ~?)


 裸足の足に砂の微弱な違和感があった。


 その砂の感触を意識した瞬間、みちるはオレンジに激しく燃える戦場にいた。


 腕を組み、無数の鬼と、同数の兵馬俑へいばよう傭兵ようへいに似た甲冑かっちゅうをつけた人間が戦っている様子を睨んでいた。


 みちるはどうやら鬼側の大将らしい。


 膝まである袖がついていない甚平じんべえのような着物をまとい、腰を無造作にひもで結んでいた。首に数本つけている、勾玉まがたまを連ねたネックレスや金属製のドッグネック・チェーンがしゃらっと音を立てていた。


 みちるは鋭い眼差しで、射るように戦場の四方を睨みつけ、鬼たちに的確な指示を叫んでいた。


 正面遠方には、象を模した戦車の上に立つ、頑丈そうな甲冑をつけた男が、やはり腕を組み戦況を凝視していた。


帝釈天たいしゃくてんめ。未だ我に屈する気はないか?」


 みちるは小高い岩の上に飛び乗り、好戦的な声で呟いた。


(帝釈天? どちらさまでしょうかぁ~? でもこのあたし、その人をかなり憎んでるよ?)


 吹きすさぶ風は火の粉をまき散らし、戦場は激しい炎に包まれていた。


 みちるは冷ややかな眼でその様子を見つめたのち「ふふん!」と鼻を鳴らして岩から飛んだ。着地したところは、小鳥のさえずりが聞こえる大樹に囲まれた草地だった。




(あぎゃ? さっきの大樹の森に戻った? なんでぇ~? よっく! わからんが~。か……身体が勝手に動いてくぅ~)


 みちるはそこが行くべきところであるかのように、一本の大樹に近づき、ゆっくりと腰を下ろすと幹に寄りかかった。


 大樹は大枝を幾重にも広げて日差しをさえぎり、みずみずしい若葉は、涼やかな酸素を放出していた。座っている若草色のこけは、どのくらいの時を重ねて、そこを覆い尽したのかもわからないほど厚かった。


 そのペルシャ絨毯のような苔が、大樹の根元から幹にかけて這い上がり、一番下の大枝に届くほどの高さまで軟らかく包み込んでいた。


(お! さっきの狂気はもうない。穏やかだなぁ~。この苔の柔らかさと適度な湿り気。感じいいじゃん)


 足元には小さな川が流れていた。変わった川だった。青・黄・赤・白の四色の水が、交じり合うことなく一つの川の中を流れていた。


(どこぞの歯磨き粉はチューブを押したら白と青の歯磨き粉が出たよね。それによく似てんなぁ)


 などとぼんやり考えていると、少し疲れた様子の美しい女性が歩いて来るのに気がついた。その姿を眺めながら、ゆっくりと立ち上がった。


(お! 姫さま所作しょさ全開じゃん!)


 みちるは勝手に動く自分を、見学することにした。


 身体を起こし始めると、腰のあたりで空気のように軽い腰ひもで結わえただけの、地面を這うほどに長い、薄紅色をしたそよ風のような衣が、さらさらと膝から流れた。両腕には重力とは無関係に揺らめく、長くて細い羽衣はごろもをかけていた。


 羽衣は、音もなくみちるの頭に飾られた桜色の花の邪魔にならないように、背後で静かに天空へ向かってたなびいていた。


 みちるは自分の立ち姿を見下ろした。


 羽衣をまとったその姿は、自分が非常に高貴な女になった気がした。


(お姫さまだぞぉ~。あたしにこんなしぐさができるなんてねぇ~)


 少し屈み、立ち上がるときに乱れてしまった長い髪を整え、凛と姿勢を正すと女性を見つめた。


 みちるの所へやってきた彼女は、みちると同じように、頭に薄いピンク色の花を飾り、風にゆらゆらとたなびく、薄くて重力に囚われていない衣を身に着けていた。腕にかけた羽衣も、空へ空へとたなびいていた。


 けれど衣には汚れやほつれたところがあった。羽衣もどこかしらくすんで、弱々しく揺れているように見受けられた。彼女は疲れた表情でみちるを見つめた。


「姫さま」


 女性はみちるの足元にひざまずき、深く頭を下げて弱々しい声で言った。頭に載った花はしおれ、所々茶色に変色して枯れ始めていた。


「お疲れのご様子。少々お待ちください」


(なんともおしとやかですこと~~)


 みちるは心の中で呟きながらも、とってもお上品な姫さま所作で、たもとに手を添え、大樹の枝に向かって手を差し出した。


 何をするつもりなのか、自分ではさっぱりわからなかったが、身体が勝手に動き、かかげた手の中に、「ぽきっ」という音とともに一枝落ちてきた。


 枝は一瞬のうちに、美しいふわふわと風になびく衣に変わり、ついていた葉は、きらびやかな装身具に変わった。


(なにこれ。魔法使いの姫さま?)

 

「どうぞ。お召し替えください」


 みちるは女性にそれらを渡した。


(この言葉と行動、あたしじゃない)


「ありがうございます」


 女性は着ていた衣を脱ぎ捨てた。見ると、彼女の裸体は艶と張りを失い、明らかに衰えを感じさせた。


(ど――――――して! この姫さん、女性の裸を、隅々まで検分してるのよ?)


 女性は姫みちるが見ていることに恥じらいもせず、受け取った衣にそでを通した。


(微妙にたるんでる、って言ったら失礼だよね)


「お身体も衰えてますね」


(言っちゃった――――――! お姫さま、『無礼』って言葉知らないの?)


 次に姫みちるは川岸に跪いた。


(つ……次は何するだ? 姫さま?)


 姫みちるは足元に置いてあったうつわを手にすると、小川に身を乗り出して水を汲んだ。


(おっ! 二色歯磨きを二つ連結したような川ね。あれ、交じり合わない。ばあちゃんが川にダイブした時には、めちゃんこ濁ったのに)


「さあ、お飲みください」


 立ち上がり、着替え終った女性にそれを差し出した。


「ありがとうございます」


 女性は器を受け取ると礼を述べ、一気に飲み干した。


「ああ、美味しい」


 微笑んだ彼女の身体がほのかな光を発し、先程とは比べ物にならないほど若返っていた。頭に飾られた花までもがみずみずしさを取り戻し、美しく咲き誇っていた。


(養命酒? いやいや、延命酒とか? 全くわからん)


 言いつつも、女性が立ち去ったあと、みちるは満ち足りた気分で、再び苔むした大樹の根元に座り、空を見上げて微笑んだ。



**********


お読みいただきありがとうございました。


お時間がありましたら、同時公開している「SF小説」の方にも訪ねてみてください。よろしくお願いします。


https://kakuyomu.jp/works/16818093074758265076


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