秋の夕暮れ

 どれくらい走り続けただろうか。

 蓮もシフォンも息が切れてヘトヘトになり、どちらからともなく足を止めた。

 ぜえぜえと肩で息をしながら周囲を見回す。


 いつの間にか、周囲にはのどかな田園風景が広がっていた。

 大通りからも離れているようで、遠くを車が走る音が聞こえる。

 とりあえず、人目のないところまで逃げることには成功したようだ。


「はあ、はあ……シフォン、大丈夫……?」


「う、うん……ふうっ……でも、電車……乗れなくなっちゃったね……」


 額の汗を手で拭いながら、シフォンは悲しげな声を漏らした。

 確かにリニアからは降ろされてしまったが……。


「……いや、まだお金は残ってる。時間を置いてほとぼりが冷めたら、さっきの駅に戻ってもう一度東京へ向かおう」


「でもエルフなんて珍しいから、きっとわたしたちだってすぐバレちゃうよ? 髪と耳を隠しても、フードを外せって言われたら逃げられないし……」


「それは……」


 確かに、シフォンの言う通りだ。

 まじまじと顔を見られるほどの時間はなかったし、もしもシフォンが人間の子供だったらごまかすこともできたかもしれないが、エルフの子供という時点で駅員は「さっきと同じ相手が戻ってきたのだ」と確信するだろう。

 さっきの駅に戻るのは、さすがに危険だ。


「じゃあ、車で東京に向かう? ……でもタクシーだと、東京まではお金が足りないと思うし……バスなら行けるのかな?」


「どうかな……わたし、そういう長距離のバスもあるって聞いたことあるけど、どこから出てるのかわからないよ」


「調べる方法がないからなあ……いや、でもそういう時は人に聞けばいいんだよ。だいたいのバスは駅の近くを通るものだし、さっきのとは別の大きな駅を目指せば、そこから東京行きのバスが出てるかもしれない」


 漠然とした希望的観測を述べているのは自分でもわかっていたが、それ以上他の手段が思い浮かばないのが現実だった。

 他には以前ヒッチハイクとかいうのをテレビで見たことがある。

 人の車に乗せてもらうやり方だったはずだが、運転手が悪い人だったら危険だし、いい人だとしてもこっちが子供だけだと知ったら警察に連れていこうとするかもしれない。

 やっぱり、自分たちだけで動かないとダメだ。


「あとは、空を飛べば速いだろうけど……さすがにダメだよね」


 一応議論できることはしておこうと思い、蓮がダメもとで意見を求めると、シフォンは予想通り頷いた。


「目立ちすぎるよ。空を飛ぶのは駅で逃げた時みたいに、緊急の時だけにしとこう?」


「まあ、そうだよね……それじゃ、さっきとは別の駅か、もしくはバス停が見つかるまで歩こうか……」


 地図を見ることもできないので、どちらに向かえばいいのかもよくわからなかったが、こんな田んぼの近くで立ち尽くしていても仕方がない。

 とにかく、どこかに向かってまっすぐ歩いてみようと思った。

 途中でコンビニがあったら、そこで道を聞いてもいいだろう。




 しかし知らない道を、どこにあるのかもわからない目的地に向かって歩き続けるのは、ひどく疲れる行為だった。

 選んだ道が悪かったのか、農地を抜けて住宅地らしきところに出たが、いっこうにコンビニやスーパーは見えてこない。もちろんバス停も駅もない。

 時間の感覚は薄いが、もう2時間くらい歩いているような気がした。


 もっと交通量の多いところへ行かないとダメかもしれない。

 蓮とシフォンは遠くから聞こえる車の音を頼りに道を選んで、片側二車線の広い道路に面した通りに出た。


 この辺りを歩いていれば、バス停のひとつくらい見つかるんじゃないだろうか。

 そう思って軽く道路を見回した時、こっちへ近づいてくるパトカーが目に入った。


「ひっ……!」


 まずい。警察に見られたら、捕まるかも――。

 蓮は反射的に逃げ出そうとしたが、シフォンが腕を強く引っ張って引き留めてきた。


「大丈夫。逃げないで、堂々としてた方がいいよ」


「で、でも……」


「思い出して。今日は土曜日でしょ?」


 そうだった。少し警察に見られたくらいなら何ともなくて済むように、わざわざ土曜日を選んだことを忘れていた。

 蓮は絡められた腕に寄り添うようにして密着し、気持ちを落ち着かせる。

 するとシフォンの言った通り、パトカーはスピードを落とすこともなくその場を通り過ぎていった。


「ね?」


 シフォンが得意げにウインクする。その表情に蓮はドキッとさせられると同時に、深い安堵感を覚えた。


 が――通り過ぎたパトカーは、なぜかすぐに路肩に停車した。

 制服の警官ふたりが降りてきて、蓮たちの方へ近づいてくる。


「……な、なんで?」


 警官たちの視線はまっすぐこちらに向けられている。蓮たちに用があるのは明らかだ。

 傍らのシフォンも驚きに呆然としていたようだが、すぐに蓮の手を引いて走り出した。


「逃げよう!」


 シフォンの声にも導かれ、蓮も並んで走り出す。

 後ろで警官たちも走り出したのが、足音でわかった。


「止まれ! 足柄蓮くん!! 上原シフォンちゃん!!」


 はっきりと名前を呼ばれ、蓮は心臓を鷲掴みにされたのではないかというくらい驚いた。

 なんで、僕らの名前を知ってるんだ……!?

 そう驚く間もなく、駆ける足音は蓮とシフォンのすぐ後ろまで迫ってくる。すごい速さだ。


「蓮くん、掴まって!」


 シフォンが叫び、蓮は彼女が飛ぼうとしていることに気づいて即座に抱きついた。

 蓮とシフォン、ふたりの体は遥か上空へ舞い上がる。

 思わず見下ろすと、すぐそこまで迫っていた警官ふたりが歯ぎしりしながらこちらを見上げていた。


「どこへ行ったらいいかわからないけど……とにかく、逃げるよ!」


 シフォンは叫んで、高度を維持しながら山の方へ向かって飛んでいく。

 その体にしっかりしがみついたまま、蓮はさっき名前を呼ばれた意味を考えていた。


 ここに来るまで、身元がわかるようなものを書いたり手放したりした覚えはない。

 だとすると、答えは限られてくる。


 ひとつは、蓮の両親が警察に通報した可能性。

 結婚式に出かけたふたりが、やっぱり心配になったか忘れ物を取りに来たか何かして、早くに家へ戻ってきて蓮の不在を知った。

 その後、シフォンの家にも連絡して、ふたり揃って行方をくらましていることから、家出をしたのだと判断。

 駅で警察から逃げたエルフの少女の情報に行き当たり、蓮とシフォンが長野に来ていることが現地にも手配された……。


 逆に、駅での騒動を経て、数少ないエルフであるシフォンの母親に目星がつけられ、連絡がいったのかもしれない。

 そこから蓮の両親にも確認の連絡がなされ、ふたりの名前が知られた……。


 どちらにしても、蓮の両親は既に失踪を知ってしまったと考えるべきだろう。

 駅で騒ぎを起こしてしまったこともあり、警察も蓮とシフォンを捜索している。


 もう、自由に街を歩くのは難しくなってしまった。

 傾き始めた陽射しで赤く染まる街並みを見下ろしながら、蓮は胸にこみ上げてくる不安を必死で押し殺していた。

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侵略的外来エルフ なごみ村正 @nagona

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