逃避行の始まり
逃亡を開始するのは土曜日に決めた。
平日に子供が外をウロウロしていたら怪しまれるし、その流れで警察に捕まったら確実に親のところへ連絡がいくだろう。
その点、休日なら子供ふたりでいても怪しまれないはずだ。土日のうちに逃げられるところまで逃げてやるつもりでいた。
さらに、この土曜は父の仕事関係でお世話になった人の結婚式に出席するとかで、ふたりとも昼間から家にいない。
母はできれば蓮から目を離したくないようで、何とかして蓮を連れていけないかと考えていたらしいが、夫婦だけで出席することは前から決まっていたので今から変更は利かないとのことだった。
元々蓮ひとりで留守番することになっていたので、どこかへ預けられる心配もない。
土曜日の朝、車で家を出た両親を見送ると、蓮はさっそく家出の支度を始めた。
この家の中で母の目が届かない場所はないので、ギリギリまで行動に移せなかったが、そもそも大した荷物はないのですぐに終わる作業だ。
遠足で使うリュックサックに、必要な荷物をどんどん詰めていく。
冷たいお茶の入った水筒、着替えの服、キッチンの戸棚から日持ちのしそうな食糧やお菓子をいくつか。
自分の部屋に戻ると貯金箱を叩き割り、コツコツ貯めてきたお小遣いを全部財布に詰め込んだ。
蓮は毎年お年玉をもらう時、母に「全部使い切るのはダメよ」と言われて一部を貯金箱に入れる習慣がついていたので、全部合わせると結構な額だった。2万円くらいはあるかもしれない。
あとは、蓮の名義で銀行口座もあるはずだが、カードも通帳も母が管理しているのでそちらは諦めた。
電子機器の類は全て置いていくことにした。
蓮は具体的な仕組みまでは知らないのだが、特に電話機能を持つ機器の中には、遠隔で現在地を特定できるものがあるらしいと聞いている。
いざという時にシフォンと連絡が取れないのは怖いが、居場所がバレる危険性を考えると、やはり置いていくしかない。
せめてゲーム機のひとつくらい持っていきたかったが、どれに同じ機能が搭載されているかわかったものではないので、それも諦めるしかなかった。
全部の支度を済ませる頃には、待ち合わせの時間が迫っていた。
蓮は慣れ親しんだ家を出て戸締まりを済ませると、最後に一度だけ自分の生まれ育った家を見上げた。
もう二度とここへは帰らないかもしれない。
「……さよなら」
決別の気持ちを言葉にして、蓮は家に背を向けた。
蓮たちが住む地域は中部地方の某県にあたる。
市内の中心部は栄えているのだが、蓮の家がある辺りは広大な平野が広がる田舎としか言いようのない地域で、歩いて行ける距離には駅もない。
午前10時。約束の時間にバス停まで辿り着くと、シフォンはもう先に待っていた。
「おはよう、蓮くん」
そう言って微笑んだシフォンはパーカーのフードを深めにかぶり、サングラスをかけ、大きめのリュックを背負っていた。
「……怪しっ」
「しょうがないでしょー? 目立たないようにするには、こうするしかないと思ったんだもん」
思わず本音を漏らした蓮に対し、シフォンは不満げに唇を尖らせながら言う。
確かに金髪と蒼い眼、そして尖った耳を隠そうと思えば、そのくらいの変装は必要かもしれない。
とはいえ、『目立たないようにする』という目的を果たせるかはかなり微妙な気がした。
そんな話をしている間にバスがやってきた。
この辺りの家はほとんど自家用車を使うので、バスはガラガラに空いている。
蓮とシフォンが一番奥の座席に陣取ると、バスは大きく揺れながら出発した。
「いよいよだね」
どこか楽しそうな声でシフォンが言った。
蓮も胸の高鳴りを感じながら頷き返す。
「目的地のことだけど、本当に東京でいいの?」
そうシフォンが確認してきたので、蓮はもう一度しっかりと考えてから、再び頷いた。
「僕、前に何かの動画で見たんだけど、田舎は人が少ないから知らない人がいるとすぐ噂になるんだって。都会なら大勢の人に紛れることができるから、見つからないんだってさ」
「そういうものなんだ?」
「うん。それに、シフォンは東京から転校してきたから、他の場所に比べたら東京の方がある程度慣れてるだろ? あとは、どうしようもなくなったら、おだっちに助けてもらう手もあるんじゃないかと思って」
「おだっちさんに? どういうこと?」
「だってあの人がエルフを助けた時、その中にシフォンのお母さんもいたんだろ? じゃあきっと、シフォンのことだって助けてくれるよ」
蓮は楽観的な予想を口にしたが、シフォンは微妙な表情だった。
「確かに、もし会えたら力になってくれるかもしれないけど……どうやって会うの?」
「……それは、ほら。おだっちが出てる番組のテレビ局とかに行けば、会わせてくれるんじゃない?」
蓮もいい手段を思いつかなかったので、自分でも無茶苦茶だという気はしつつも、そんなことしか言えなかった。
シフォンも難しい顔をして、うーんと悩む。
「おだっちさんよりは、アーミアさんに会う方が簡単かもしれない。あの人はエルフのまとめ役をしてるし、なにかの団体の代表として連絡先も公表してたはず……でも、味方になってくれるかどうかはわかんないな……」
「えっ、どうして? エルフのまとめ役なら、シフォンの味方なんじゃないの?」
「たとえわたしたちの味方でも、わたしたちの家出に理解をしてくれるかどうかはまた別の話ってこと。わたしたちのためを思うからこそ、家に帰れって言われるかもしれないし」
「うわ出た……嫌な考え方」
普段からそういう恩着せがましいことを母や先生に言われまくっているので、蓮は反射的に顔をしかめてしまった。
「あなたのため」なんて言うなら、こっちの好きにさせてくれればいいのに。
まあ、アーミアの場合はあくまで想像だし、向こうに迷惑をかける状況だから、さすがにそこまでは思わないが……。
「ま、とにかく東京まで行こう。行ってみれば何とかなるよ!」
気持ちを切り替えるように元気な声で言いながら、蓮はシフォンの手を取った。
シフォンは一瞬驚いたような顔をしたものの、すぐに嬉しそうな安堵の笑みへと変わる。
そうして駅に着くまで手を繋いだまま、ふたりは他愛もない話に花を咲かせたのだった。
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