窮鼠の豹変
給食の時間が終わり、昼休みに入ると同時に、シフォンは教室を出ていった。
蓮は少し間を空けて、やがて奥山先生が出ていくのを見届けてから自分も教室を出た。
4年生から6年生までの教室は最上階の4階にあるので、階段をひとつ昇れば屋上だ。
(でも、屋上って入れたっけな?)
蓮の認識では、屋上には勝手に入れないように鍵がかかっていたはずだ。
疑問に思いながらも一番近くの階段を上っていくと、屋上に続く扉の前でシフォンが座り込んでいた。
「シフォン。……やっぱ、屋上って入れないよね?」
「うん。でも、ここには誰もこないでしょ? どの学校でも大体そうだよ」
確かに、屋上に入れないのを知っていてわざわざこんなところへ来る奴はいない。
ただ単に誰も来ない行き止まりの場所として考えれば、人目を避けるには最適かもしれない。
正面に座るのはなんとなく気まずくて、蓮はシフォンのすぐ隣に腰を下ろした。
「……僕の母さんがごめん。あんなひどいこと言う人だなんて、僕も昨日までは知らなかった」
「いいの。元はといえば、わたしが魔法を使ったのが悪いんだもん。やっちゃいけないことだってわかってたのに、蓮くんに『すごい』って言ってほしかったから……そんな理由で……」
「違う。そりゃ危険な真似はしたかもしれないけど、たった一度のことであんなに厳しく言うなんておかしいよ。母さんは元から、僕とシフォンの仲を引き裂こうとしてたんだ」
「……そっか。残念だなぁ……」
今にも泣き出しそうな顔で、シフォンは弱々しく微笑んだ。
蓮が唇を噛んで悔しさをこらえていると、やがてシフォンは潤んだ瞳で蓮の目を見つめてくる。
「ねえ、蓮くん」
「……なに?」
「蓮くんは、わたしのこと嫌い?」
「嫌いなもんか」
その問いには即答できた。蓮がシフォンを嫌うわけがない。
「じゃあ、好き?」
シフォンは少し嬉しそうに目を細めて、返す刀で次の問いを投げかけてきた。
蓮は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら、それでもはぐらかさず真剣に答えた。
「…………好き、だと思う。僕、初恋とかまだだからハッキリとは言えないけど……シフォンと離れたくない。ずっと一緒にいたい。心からそう思ってる」
「……よかった」
ようやく安堵の表情を浮かべると、シフォンは突然、蓮に抱きついてきた。
「っ……!?」
驚きのあまり、蓮は声も出なかった。
回された腕のぬくもり、密着した胸の柔らかさ、ふわりと揺れる髪の匂い。
突然シフォンの存在を全身で感じさせられてしまい、ガチガチに全身が硬直する。
「私も好きだよ。蓮くん」
「シ、シフォ――んんっ!?」
告白を受けて頭が真っ白になっているところへ、更に唇を塞がれた。
見開いた視界いっぱいに、目を閉じたシフォンの顔が飛び込んでくる。近すぎてほとんど見えないのに、きめ細やかな肌や長い睫毛のひとつひとつにすら魅了されるような美しさを感じられた。
甘く漂う髪の香りや、重ねられた唇の柔らかさにも夢中になり、蓮はたちまち全身の力が抜けていった。
永遠にも思えるような時間が流れた後、シフォンは静かに唇を離した。
思わず呼吸を止めていた蓮は、ぜえぜえと荒い息を吐いて新鮮な酸素を取り込む。
そんな情けない様をも包み込むように、シフォンは蓮の頬にそっと頬をすり寄せた。
「愛してる、蓮くん。……誰にどんなに反対されても、譲りたくない。わたし、蓮くんと結婚したいよ」
「シフォン……」
結婚。
まだ小学5年生の自分たちにとって、それができるのは遠い未来の話だ。他の誰かが聞いたとすれば、きっと幼稚な願いだと笑うだろう。
それでも、今の蓮とシフォンを結びつけておくためには、そのくらい重い約束が必要な気がした。
「うん。……結婚しよう、シフォン。そうしたら、ずっと一緒にいられるから」
だから、蓮もそう答えた。それが心からの望みだった。
頷き返した蓮を見たシフォンは目を丸くしてから、その蒼い瞳を涙で滲ませ、満面の笑みを浮かべた。
こちらを抱きしめたままのシフォンを、蓮もぎゅっと抱きしめ返す。
ひとつになったようなあたたかさがとても心地よく、幸せだった。
そのまま昼休みが終わるまで、ふたりはそうしていた。
午後の授業も終わり、放課後。
蓮はシフォンと離れるのがつらく、何とかして一緒にいられないものかと考えたが、家で母が待っていることを思い出して仕方なく直帰することにした。
大丈夫だ。学校でなら、他人の目を盗んでシフォンと会う方法はいくらでもある。
その支えがあれば、蓮はくじけずにやっていけると思えた。
「ただいま」
玄関で靴を脱ぎながら言うと、すぐにリビングから母が出てきた。
眉を逆立てた表情には、蓮への怒りがはっきりと浮かんでいる。
「おかえり、蓮。話があります」
「……学校でのことなら、僕は謝らないよ。僕は何も間違ったこと言ってない」
「よくそんなことが言えるわね? お母さん、あなたのおかげでひどい恥をかいたのよ。あの時職員室にいた先生たちには聞かれてしまったし、どこからか悪い噂が広がるかもしれない。そうなったらお父さんにも迷惑がかかるわね」
「お母さんがエルフの悪口を言ってたのは本当じゃないか」
あくまでも戦うつもりで言い返すと、母の右手にピクリと力がこもったのがわかった。
母は何かをこらえるように数度深呼吸をしてから、あざけるように唇の端を歪めて蓮を見下ろす。
「だからね、蓮? あなたがこれ以上悪い影響を受けないようにするにはどうしたらいいか、お母さん考えたの。確実な方法は……やっぱり、あのエルフからあなたを離すことしかないって」
「……え?」
話が飲み込めず、聞き返した蓮に向かって、母は低い声で宣告した。
「あなたは転校するのよ。これからは少し遠くの、エルフなんていない学校へ通いなさい」
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