大人の本音は

 午後の授業が終わり、放課後になると同時に結那は教室を出ていった。

 蓮と顔を合わせることを拒んでいるように見えて、なんだか複雑な気持ちになったが、さっきのやり取りを思い出せば結那がそうなるのも無理はないような気がした。


「蓮くん、おつかれー。今日もおうち行っていい?」


 結那の様子には特に気づかない様子で、にこにこ笑いながらシフォンが声をかけてくる。

 蓮は気持ちを切り替えて快諾すると、シフォンとともに自宅への帰路についた。




 結那を含めた3人で遊んで以来、学校帰りのシフォンが蓮の家に寄るのはほとんど日課になっている。

 まずは一緒にその日出された宿題をやって、時間が余ったらゲームをし、夕方になったら解散というのが主な過ごし方だ。

 蓮の母親は専業主婦で基本的に家にいることもあり、お菓子やジュースなんかを出してよく歓迎してくれる。

 この日もそうだろうと、蓮は思っていたのだが――。


「蓮、ちょっと」


 いつものように、自分の部屋でテーブルを挟んでシフォンと一緒に宿題をしていると、母が小さく扉を開けて手招きしてきた。

 なんだろう、と首をかしげながらも蓮は立ち上がる。


「ごめんシフォン、お母さんが呼んでるから行ってくる。悪いんだけど少し休憩しててくれる?」


「うん、わかった」


 シフォンに笑顔で頷かれ、蓮はありがたい気持ちになった。

 宿題は一緒に進めるのが効率がいいし、蓮個人としても、わからないところをシフォンに質問することがたびたびあった。

 シフォンは教え方がとても上手で、毎週来ている家庭教師の先生よりもずっとわかりやすく説明してくれるので、蓮は非常に助かっている。

 そんなシフォンが自分のために待ってくれることを嬉しく思いながら、蓮は後ろ手にドアを閉めて廊下に出た。


「お母さん、なに?」


 母が台所の方から顔を出しているのを見て、そちらに向かいながら蓮は尋ねた。

 シンクの前まで来ると、母は声をひそめて言った。


「……ねえ、蓮。ここのところ毎日シフォンちゃんを連れてきてるけど、さすがにちょっと控えてくれない?」


「えっ……どうして?」


「それは……ほら、お菓子とかジュースとか毎日用意しなきゃいけないでしょう? けっこう大変なのよ」


「ああ、そっか……今まで大変だって気づかなくてごめん。でも、無理に毎日用意してくれなくてもいいよ。シフォンだって、自分から欲しがるほどワガママじゃないし」


「そういうわけにもいかないのよ。お客さんが来た以上はおもてなしをしなきゃいけないものなの」


 厳しい口調で言われて、蓮はなんだか釈然としないものを感じたが、理由を訊こうとは思わなかった。

 大人の世界には、子供では理解できないような複雑な礼儀があり、それを守らないのは恥ずかしいらしいということは蓮も両親を見て理解していたからだ。


「……じゃあ、しばらくは僕がシフォンの家に行くよ。シフォンと一緒だと、宿題がはかどるし……」


「蓮。宿題はひとりでもできるでしょう? あまり毎日行ったり来たりしてたら、お互い気を遣って大変なものなの。もうちょっと距離を置きなさい」


「……なんで?」


 さすがに納得がいかず、蓮は聞き返した。

 以前にもクラスメイトの男子と毎日のように遊んでいた時期があったが、その時はこんなことを言われなかったはずだ。

 まして、今は宿題を真面目にやっているのだから、ダメだと言われる理由なんてないはずなのに……。


「いいから、お母さんの言うことを聞きなさい。……あと、蓮。正直に答えてほしいんだけど……あなた、シフォンちゃんと……その。いけない遊びはしてないわよね?」


「いけない遊びって、なに?」


 蓮は質問の意味がわからず、再び聞き返した。

 母はなぜか気まずそうに口ごもり、少し考えてから答える。


「……たとえば、一緒のベッドで寝るとか」


「寝る? 僕ら夕方にはお別れしてるし、別に昼寝したいと思ったこともないしなー……それがいけない遊びなの?」


「そうよ。男の子と女の子が一緒のベッドで寝ちゃいけないの。約束してくれるわね、蓮?」


「……お母さんがそう言うなら、わかったよ。その約束を守ってたら、シフォンと遊んでもいい?」


「ダメ。しばらく我慢しなさい」


「…………」


 一方的に命じられ、蓮は大いに不満だったが、だからといって面と向かって母親に反抗するほどの気骨もない。

 どうやら本当の理由を隠しているらしいということは感じるのだが、それが何なのかを理解できない以上、蓮がいくら説得しても無駄だろう。


 それよりは、父が帰ってきたら相談してみようと思った。

 母は蓮の言うことにはほとんど取り合ってくれないが、父の言うことならちゃんと考えてくれる。

 そこに望みを託すしかなかった。




 シフォンが帰宅した後、夕食前に入浴していた蓮が風呂から上がると、リビングの方から父の声が聞こえてきた。

 どうやら蓮の入浴中に帰ってきたのか、母と何かを話しているようだ。

 もしかしたらシフォンに関係のあることかもしれないと思い、蓮は廊下を忍び足で歩いて近づき、聞き耳を立てた。


「……お前は神経質に考えすぎだよ。蓮はまだ11だぞ? 男女の垣根なく、友達と遊んでいるだけじゃないか」


 のんびりとした父の声が聞こえた。

 それに言い返した母の声は、ひどくピリついているようだった。


「そんなこと言って、手遅れになったらどうするの? 大事な蓮が、もしあのエルフなんかと付き合うって言い出したら……今どきの子は何をするかわからないんだから」


「いいじゃないか、付き合うくらい。結婚するっていうなら話は別だが……」


「あなたはそうやって軽く考えてるけど、蓮の女性観が歪んでからじゃ遅いのよ? エルフの女の子しか目に入らないようになったら? 私たちの血を継がないうえに、ネズミみたいに大量に生まれてくる気持ち悪いあの生き物を孫だと思えっていうの?」


「待て待て。考えが飛躍しすぎだ。そりゃ、遺伝子の件は僕も当然知ってる。そんなことになったら先祖に顔向けできないとも思うが……」


「だいたい、『エルフに優しくしろ』だなんてあなたが蓮に教えたのがいけないのよ! あんな無責任なこと言うから……!」


「よせよ、それについてはもう話しただろう。今の時代、マイノリティに対しても優しく振る舞わなくちゃ、どこで恨みを買うかわかったものじゃない。もし『僕の息子がエルフに冷たくあたっていた』なんてことになったら、僕が困るんだよ」


「だからって……!」


 突然鳴り響いた電話のコールが、母の言葉を遮った。

 大きな溜息を漏らして、母は電話を取りに向かう。


(……そんな……)


 蓮は廊下に立ち尽くしたまま呆然としていた。

 両親が話していたことの全てを理解できたわけではない。

 それでも、父が弱者の味方をしろと言ったのは単なる打算であり、エルフに対して好感を持っているわけではないのはわかった。

 蓮にとっての手本とも言うべき、立派な正義感からの行動だと信じていたのに──。


「……はい。はい……えっ!? うちの蓮がですか?」


 母の驚く声が耳に届いて、蓮は我に返った。

 どうやら電話の相手から蓮の名前が出たらしいが、いったい何なのだろう?

 蓮は会話を聞けないかと神経を集中させたが、バタバタと大きな足音が迫ってくるのを感じて、慌ててドアのそばから離れた。

 リビングのドアが開き、こわばった顔の母と目が合う。


「……蓮。いつから廊下にいたの?」


「い、今……お風呂上がったところ……」


 蓮はとっさに嘘をついた。

 母は言葉の真偽を疑うように怪訝な目をして蓮を見ていたが、どうやらそれより大事な話があるらしく、かぶりを振って話を変えた。


「学校から呼び出しがあったわ。明日の朝、お母さんも一緒に学校へ行くから」


「な、なんで……?」


 学校から呼び出し? そんなことをされる理由はないはずだ。

 困惑する蓮を見下ろし、母は冷たい声で答えた。



「シフォンちゃんの魔法の件……って言ったら、わかるわね?」



 蓮は、頭の中が真っ白になった。

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