好きになる理由
重い、重い沈黙が降りる。
結那の視線は蓮の顔と自分の手元を行ったり来たりするばかりで、まるで返事を待っているようだった。
遠く、おそらくグラウンドの方から聞こえる笑い声や叫び声が、いやにはっきりと耳に届く。
ひとつ深呼吸をしてから、蓮は結那の目をじっと見つめた。
「……僕のことが好きって……えっと。そういう意味の、好きってこと?」
「…………」
曖昧な聞き方になってしまったが、意味は伝わったらしく、結那はこくりと頷いた。
確かな答えが返ってくると、蓮の頭には逆に疑問符が浮かんでくる。
「でも……なんで僕のことを?」
「人を好きになるのに理由なんている? ……蓮とはいつも同じクラスで、かっこいいところ何度も見てたから、その積み重ねっていうか。でも、きっかけは去年のドッジボールかな」
「ドッジボール?」
「去年の12月、体育の授業でドッジボールやったでしょ? 覚えてない?」
……そんなことを言われても、ドッジボールなんて定番の遊びなので、授業でもそうじゃない時でも頻繁にやっている。いちいち覚えていない。
蓮が思い出せずにいることを察した様子で、結那は説明を続けた。
「あの時、同じチームで最後に残ったのが私とアンタで……相手チームは、手強いアンタより先に私を狙ってきた。私は避けきれなくて、もうダメって思ったけど──そこにアンタが飛び出してきて、ボールを受け止めて守ってくれた」
「……あー……」
そこまで説明されて、ようやく思い出した。
確かに去年の冬ごろ、ドッジボールでそんな展開があった気がする。
するのだが、しかし……。
「……ごめん。僕、その時自分がめちゃくちゃ活躍したことしか覚えてないや。最後の方で僕のチームは僕含めて2人、相手チームは5人だったけど、そこから一気に逆転勝ちしてものすごい気持ちよかったなーとしか……」
「そうだろうと思った。別に謝らなくていいよ。アンタにとっては何でもなくても、私にとっては大事な思い出だってだけ」
そんなことは想定済みだとばかりに、けろっとした様子で結那は答えた。
「……私、言いたいことはハッキリ言うし、殴られたら殴り返すタイプだから。男子に守ってもらいたいなんて思ったこともなかったけど……蓮に守ってもらえたあの時は、すごくドキドキしたんだ」
「……それは……単に、味方だったからで……」
「違うよ。どうせ覚えてないんでしょうけど、蓮はあの時相手チームに怒ってた。『弱い奴から先に狙うなんてサイテーだな!』って」
……そういえば、そうだったかもしれない。
その時の気持ちまではハッキリ覚えていないが、『弱い人の味方になれ』という父親からの教えは、いつだって蓮の考えの根っこにある。
「そんな蓮が、私にはすごく眩しく見えた。本当にカッコよくて……好きになったの」
「……話はわかったよ。でも……悪いけど、僕は最近の結那は好きじゃない。人をいじめるような奴のことは好きになれない」
告白を受けて、蓮は誠実に自身の気持ちを答えた。
結那が蓮の正義感を理解しているのなら尚更、あんな行為を許せない蓮の気持ちもわかってもらえるはずだ。
が、結那の返事は予想外のものだった。
「私はいじめてなんかいない」
「は? だって、物を取ったり突き飛ばしたりしてたのはこの前認めてたじゃないか」
「あいつは! ……シフォンちゃんは、私なんかよりずっと強いから。反則みたいに何でもできるから……弱い私が、強いシフォンちゃんの足を引っ張っても、そんなのいじめたことにはならないでしょ」
「はあ?」
何を言ってるんだこいつは、と思った。
そんな滅茶苦茶な理屈、聞いたこともない。
呆れ返る蓮の前で、結那は感情を露わに声を荒らげた。
「だって……だって、放っておいたらあいつに全部持っていかれちゃうんだよ!? みんなからの人気も、テストの順位も、好きな人だって! 全部あいつが横から奪っていく! 先に私にひどいことしたのはシフォンちゃんの方だよ! それを我慢して受け入れろっていうの!?」
行き場のない怒りをぶつけるように、結那は廊下の窓枠を殴りつけた。
衝撃で窓が揺れる音の大きさに、蓮は思わず身をすくませる。
赤くなった拳をだらんと下ろして、結那はうつむき、涙を流し始めた。
「シフォンちゃんはさ……ずるいよ。何でも持ってるくせに、弱いふりしてさ。ねえ、蓮……あんな奴の味方をしないでよ。あいつに騙されないでよ……」
「……騙されてなんかない。結那、お前おかしいよ……」
どう考えても、訳がわからないのは結那の方だ。
蓮は理解できずに、結那から一歩距離を置く。
「僕は返事したからな。……悪いけど、いじめをする奴は嫌いだし、自分のやったことを反省せずに言い訳する奴はもっと嫌いだ」
そのまま結那に背を向けると、蓮は教室に向かって歩き出した。
一度だけ振り返って様子をうかがうと、結那はうつむいたまま握り拳をわなわなと震わせて、怒りとも悲しみともしれない感情をこらえているように見えた。
そんな結那の姿を目にして、彼女を気の毒に思う気持ちと、自業自得だと思う気持ち、ふたつの感情が蓮の中でせめぎあう。
(……結那が素直に反省してくれたら、その時はもっと優しくしてあげようかな)
結那がやったこと自体は、軽蔑すべき行為だ。しかし当の被害者であるシフォンが許している以上、蓮がいつまでも根に持っているのも違う気がする。
誰だって間違うことはある。自分の間違いを認めて謝ったなら、それを許すことも必要だ――。
奥山先生が前に言っていたのと同じようなことを考えている自分に気づいて、蓮は苦い表情を浮かべた。
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