魔法を見せて

 山に向かって歩く道中、蓮はシフォンと結那の様子をずっと気にしていた。


 シフォンは蓮と結那の両方に向かって、昨日どんな動画を見たとか、最近ハマってるゲームがあるとか、同じように気さくに話しかけている。

 蓮はそんなシフォンの言葉に相槌を打ち、話を広げていく。

 結那は蓮が広げた話題には積極的に乗っかるものの、シフォンから直接話しかけられた時には露骨な生返事を返すだけで、冷たい態度だった。


(……シフォンの奴、なんでこんなに結那に対して普通でいられるんだ……?)


 シフォンから結那に対する態度は、まるで普通の友達そのものだ。その逆は非常にそっけないだけに、なおさら違いが際立っている。

 普通、自分をいじめている奴と仲良くしたいなんて思わないはずなのに。

 蓮にはシフォンの考えていることがよくわからないと思った。


 やがて山に到着し、舗装されていない山道に入る。

 シフォンが何をするつもりで山に入っているのかは、まだピンと来ない。

 10分ほど歩いたところで、結那の歩みが遅くなってきた。


「……ちょっと! 待ってよ……!」


 肩で息をしながらふらふらと後を追ってくる結那を、蓮とシフォンが待つことが多くなった。

 体力の問題というわけじゃなく、結那の恰好が山登りに向いていないせいだ。

 靴ひとつとっても、蓮とシフォンはスニーカーなのに、結那は可愛いワンポイントのついたサンダルだった。明らかに山歩きには不向きだ。


「もう歩けない! どこまで行くつもり!?」


「歩けないなら無理についてこなくていいよ。僕とシフォンだけで行くから」


 蓮はどちらかというと結那を気遣うつもりで言ったが、結那は怒りを露わに睨みつけてきた。


「こんな山の中に私ひとり置いていくつもり? ヘビとか出たらどうすんの!? 噛まれたら死んじゃうんだからね! この鬼! 人でなし!」


「めんどくさいなあ……」


 蓮がつい本音を漏らす横で、シフォンが周囲をきょろきょろと見回した。


「まあ、ここでも大丈夫かな? さっきから誰ともすれ違わないし」


「大丈夫って、何がだよ?」


「今日はねー……ふふっ、誰にも言っちゃダメだよ? 魔法を見せてあげようと思って、ここに連れてきたの」


「魔法……って、エルフの魔法!?」


 蓮は思わず大きな声で聞き返していた。

 エルフが魔法を使えるというのは有名な話だが、前にシフォンから聞いた時には、「わたしはまだ子供だから使えない」と言っていた。

 身を乗り出した蓮を、シフォンは得意顔で見返した。


「蓮くん。わたし、一昨日習い事があるって言って帰ったでしょ? あれね、お母さんから魔法を教わってたんだよ」


「ちょっと待ってよ、シフォンちゃん。魔法って、勝手に使ったらいけないんじゃないの?」


 心配の色を含んだ声で、結那が口を挟んだ。

 直接自分には関係ないことなので蓮は詳しく知らないが、まだ蓮が赤ん坊だった頃に「魔法制限法」という法律ができたらしい。

 エルフが使う魔法の中には危険なものもあるから、銃などを規制するのと同じで、そういう魔法を使用するには許可が必要だという話だった。


「うん、皆川さんの言う通り。でもね、害のない魔法なら使ってもいいんだよ……例えば、えいっ!」


 シフォンがかけ声を発した瞬間、その体から蒼い光がほとばしった。

 と同時に、シフォンの周りを半透明の卵の殻のような何かが包み込むのが見えて、蓮は驚きの声を漏らす。


「うわ、なんか出た!? これ、もしかして……バリア?」


「そうそう。正しくは障壁球ルプ・シェルドっていうんだって、お母さんが言ってた。これさえ張ってれば、たとえトラックに轢かれても傷ひとつ負わないんだって!」


「へー……まあ、守るだけの魔法なら確かにいつ使ってもいいよな……」


 蓮が興味本位でバリアに触れてみると、硬くてあたたかい、不思議な感触があった。

 でも、バリアを張る魔法だけなら使っても問題ない……なのに山まで来たってことは……。


「……もしかして、他の魔法も見せてくれるってこと?」


「ふふっ、せいかーい! 見てて!」


 再びシフォンの体が蒼く輝く。

 すると、次の瞬間──まるで風に吹かれるように、ふわりとシフォンの体が宙へと舞い上がった。

 上空5メートルくらいのところでシフォンはピタリと静止し、無邪気に手を振ってくる。


「これが空飛ぶ魔法だよ! どう、どう?」


「…………」


 蓮は、魔法なんて実際に見るのは初めてだ。

 シフォンを見上げたまま数秒ほど驚きに目を見開いて黙り込んでいたが、やがて喉の奥から抑えきれない感情が声に乗ってほとばしり――。


「す――すっげええっ! すげーよシフォン! 空飛べるなんて、まるでヒーローみたいじゃん!」


「でしょー! これはもしも落ちちゃったら危険だから、勝手に使っちゃいけない魔法なんだけどね。ここだけのヒミツだよ?」


「うー、でも……僕も飛んでみたい! その魔法、僕にもかけられないの?」


 蓮が欲求を抑えきれずに言うと、地上に降りてきたシフォンはちょっと困ったような顔をした。


「ごめんね、人にかけるのは無理……でも、わたしにつかまっててくれれば、一緒に飛ぶことはできるよ?」


「ほんと!? 飛びたい、飛びたい!」


 衝動のままに目を輝かせて頷く蓮を見て、結那が焦りの表情を浮かべた。


「やめなよ、蓮! そんなの危ないって! なんで禁止されてるかはさっき聞いたでしょ? 落っこちたらどうすんの!?」


「うるさいなぁ。結那はそこで見てればいいだろ。シフォン、つかまるってどんな風にすればいい?」


 口うるさい結那を適当にあしらいつつ尋ねると、シフォンは少し考えてから、蓮に背中を向けて両腕を水平に広げた。


「後ろから抱きついてもらえたら、たぶんそれが一番いいと思うよ? おんぶされる時みたいに、わたしの首に腕を回すようにして……一応言っとくけど、締めちゃダメだからね?」


「わ、わかった」


 普段は女子とそんなに密着することなんてないので、蓮は緊張しながらも、言われた通りシフォンの首に腕を回して抱きついた。

 シフォンの方が蓮より15センチ以上も背が高いため、しがみつくのに苦労する。

 何とか安定させると、シフォンは満足げに頷いた。


「いい? 何があっても、絶対に離しちゃダメだからね。それじゃ……行くよっ!」


 シフォンのかけ声とともに、まばゆい蒼い光が蓮の視界いっぱいに広がる。

 その眩しさに目を細めたのとほぼ同時、体が持ち上げられる感覚がして、慌ててシフォンの体を強く抱きしめた。

 ほんの一瞬だけ風を感じ、蓮を強く引っ張ったシフォンの体がピタリと静止する。


「蓮くん、どう?」


 尋ねる声を聞きながら、地上を見下ろす。

 さっきよりも高く、地上10メートルくらいまで飛び上がっているみたいだ。

 眉を八の字にしてこちらを見上げている結那と目が合った。


「……お、思ったより……風強いな……」


 怖い、と言いそうになるのを飲み込んでそう答えた。女子の前でビビってると思われるのはイヤだ。


「えー、風なんて吹いてるかな? むしろ、風を感じるのはこれからだよ。それっ!」


 無邪気に言うと、シフォンはそこから水平飛行を始めた。

 当然、蓮の体もシフォンに引っ張られる形になり、シフォンの鎖骨あたりに回した腕にぎゅっと力を込める。


「うおわあぁぁっ!?」


「あははっ♪ 今度は上だー!」


 すっかりテンションが上がってきた様子で、シフォンは急上昇する。

 引っ張られながら下の方に振り返ると、もう結那の姿は豆粒ほどに小さくなっていた。

 見るんじゃなかったと後悔する間もなく、シフォンは軽快な急旋回で蓮を振り回してくる。


「シ、シフォン……ストップ……!」


 シフォンに掴まる腕が、だんだん痺れてきた。

 焦って蓮はシフォンを呼んだが、文字通り風を切って飛んでいる今のシフォンには、大声を出さなければ聞こえないようだ。

 深く息を吸い込んだ瞬間、感覚の鈍った腕が、耐えられずにほどけた。


「あ」


 とっさに出たのは、そんな間抜けな声だけだった。

 蓮の体は宙へと投げ出され、ぞっとするような浮遊感に包まれる。

 青空の下に浮かぶシフォンの姿がみるみる遠ざかっていく。

 落ちているんだ。


 ヤバい、死ぬ──。



「蓮くんっ!!」



 その瞬間、ものすごい速さで飛んできたシフォンが、蓮を抱っこするように受け止めた。

 いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。

 ぽかんと口を開けたままの蓮を見下ろして、シフォンはにっこり笑った。


「間に合ってよかったー! セーフ、だよね?」


「……ギリギリ、ね……」


 蓮は涙声でそう答えるのがやっとだった。

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