皆川の気持ち

 楽しい昼休みは瞬く間に過ぎて、午後の授業が始まる。

 奥山先生は蓮の顔を見るなり睨みつけてきたが、蓮は気づかないふりをしてかわしておいた。

 しかしさすがに放課後になると速攻で捕まり、クラスメイトたちがまだ騒いでいる中、教室の隅で皆川と対面させられた。


「……皆川さん、叩いてすみませんでした」


 蓮はせめてもの抵抗として、目いっぱいよそよそしい口調で謝ってやった。

 皆川はぷいっと横を向いて、腰まである長い黒髪を波打たせながら、駄々っ子のように頬を膨らませていた。


「ほら、皆川さん。足柄くんは謝ったでしょう? 何か言うことは?」


 奥山先生が言うと、皆川は意地でも蓮の方を見まいとするように、今度は反対側の頬をこちらに向けてきた。


「謝ったからって、私がこいつを許さなきゃいけないなんて決まりないですよね?」


「皆川さん。クラスのお友達を『こいつ』なんて言うんじゃありません」


「先生、私顔を叩かれたんですよ? すっごく痛かったし、今もまだちょっと赤いし。女の子の顔を叩くようなひどい男子のこと、先生なら許しますか?」


「ええ、許すわ。あなたたちはまだ子供だから、たくさん間違いをするものよ。自分の間違いに気づいて、素直に謝ることで大人になっていくの。相手を許してあげるのも、それと同じくらい大切なことよ」


 まるで道徳の教科書から引っ張ってきたような奥山先生の言葉に、蓮は付き合いきれないと思った。


「僕、言われたとおり謝ったから、もう帰っていいですか?」


 その蓮の言葉に、皆川は顔を真っ赤にしてキレた。


「アンタ、全然反省してないじゃん! ムカついた、絶対許してやらない!」


「お前に手を出したのは悪かったけど、間違ってたとは思ってないから。そもそもお前がいじめてたのが悪いし」


「は? いじめなんてしてないんだけど? 勘違いで女の子殴っておいて開き直るとか……」



「いい加減にしなさいっ!!」



 奥山先生が机を叩いて一喝すると、さすがに蓮も皆川も、その迫力に黙り込んだ。

 教室に残っていたクラスメイトたちもしんと静まり返り、見てはいけないものを見てしまったような顔をして、そそくさと去っていく。


「足柄くん、皆川さん。あなたたち、確か家は同じ町内だったわよね?」


「えっ? そうですけど……」


「じゃあ、今日はふたり一緒に下校しなさい。しっかり話し合って仲直りするのよ。明日になってもいがみ合っていたら、また明日の放課後も居残りしてもらいます」


「えーーっ!?」


 蓮と皆川は同時に声をあげた。

 抗議したかったが、奥山先生の中では話はもう終わりのようで、有無を言わさず教室を出ていってしまった。


 気づけば教室の中は、蓮と皆川を除いてすっかり無人になっている。

 シフォンは何かの習い事があるとかで、今日は先に帰ってしまっていた。

 蓮と皆川は一瞬だけ視線を合わせてから、まるで磁石の同じ極が反発し合うみたいに顔をそむけた。




「……ついてこないでよ、クソ足柄」


 帰り道。

 校門を出てしばらく住宅街を歩いたところで、皆川は苛立ちを露わに口を開いた。


「ついていってない。同じ町内なんだから仕方ないだろ。つーか話しかけんな、いじめっ子」


「先生の話聞いてなかったわけ? 仲直りしとけって言われたじゃん。まだ私がシフォンちゃんをいじめたかどうかって話する気?」


 立ち止まって振り返った皆川に睨まれながら、蓮は深い溜息をついた。

 皆川は今でこそこうだが、ずっと蓮と仲が悪いわけではない。

 むしろ1年生の頃から、一緒に遊んだことはないけどお互いよく知る間柄ではあったし、しっかり者で良い奴だと思っていた。


 おかしくなったのは、シフォンが転校してきてからだ。

 それまでは、いじめなんてする奴じゃなかったはずなのに……。


「皆川……なんでシフォンに突っかかるんだ? あいつ、いい奴なのにさ」


「は? ──?」


 蓮の質問には答えず、皆川はあんぐりと口を開けて聞き返してきた。


「足柄……アンタ、なんでシフォンちゃんのこと名前で呼んでるわけ? 昨日は上原って言ってたじゃん……なんで?」


「なんでって……皆川には関係ないだろ」


「……エロ。エロ足柄。スケベ。シフォンちゃんのこと好きなんだ? ふーん、あっそう」


「は? いきなり何言ってんだ。っていうかエロってなんだよ」


「シフォンちゃん可愛いもんねー? 綺麗な金髪で肌も真っ白で、胸だっておっきいもん。もうブラつけてるの、うちらの学年じゃあの子くらいだよ? エッチな目で見てるんでしょ。変態」


 一気に吐き捨てるようにまくしたてられ、蓮は戸惑いと苛立ちを同時に覚えた。


「意味わかんねーよ! 僕はそんなつもりじゃないし。シフォンはいい奴だって言ってるだけだろ!」


「……本当にそれだけ?」


 皆川は眉尻を下げ、急に声のトーンを落としながら訊いてきた。

 なんだか調子が狂うが、今の皆川は少し前の雰囲気に近づいている気がする。さっぱりとして面倒見のいい性格だった、夏休み前の皆川に……。


「じゃあ……足柄は、シフォンちゃんと付き合わないよね?」


「つ、付き合う? 何のこと言って……」


「いいから答えて! シフォンちゃんは足柄にとって、ただの友達なんだよね?」


 皆川は緊張したように声を震わせ、頬を赤らめながら何かを探るように蓮の目を見つめている。

 その場しのぎの答えは通じない予感がしたが、蓮自身、どう答えたら本当なのかもよくわかっていない。

 黙り込んでいると、先に根負けしたように皆川は肩を落とした。


「……言えないならそれでもいい。じゃあ、せめて私のことも名前で呼んでよ」


「名前で……?」


「そうしたら足柄と……じゃなくて……れ、蓮と……仲直りしてあげる。それで手を打たない?」


 先にこちらの名前を呼んで、皆川は返事を待つように唇を閉ざした。

 蓮は……怒られそうな予感をひしひしと感じつつも、言わないわけにはいかないので、正直に答えた。



「……そのくらい別にいいけど……ごめん。皆川の下の名前って、なんだっけ?」



 目の奥に火花が散って、蓮の頭は勢いよく半回転していた。

 皆川にビンタされたらしい、と気づいた頃には衝撃で尻餅をついていた。


「5年もずっと同じクラスなのになんで知らないの!? 死ね!! バカ!!」


 涙をいっぱいに溜めた目で蓮を睨みつけると、皆川は背を向け、走っていった。


ゆい!!」


 去り際に、皆川は1度だけ振り向いて叫んだ。

 その後は角を曲がって、もう見えなくなってしまった。


「……みながわゆいね。りょーかい……」


 叩かれた頬をさすりながら、蓮は皆川──もとい、結那の名前を忘れないよう心の片隅に刻みつけた。

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