職員室にて

 翌日の昼休み、蓮は担任のおくやま先生から職員室に呼び出された。


「足柄くん。昨日あなたが皆川さんの顔を殴ったと聞いたけど、本当?」


 奥山先生は胸の下で腕を組んで、困ったものを見るように眉間にシワを寄せた顔で蓮を見つめた。

 若くて美人な先生で、蓮は今年の担任が決まった時に他のクラスの奴らから羨ましがられたのだが、彼女のメガネ越しの鋭い目つきが何となく苦手だった。


「はい。でもあいつ、数人がかりでシフォンをいじめてたんです。理由もなく叩いたわけじゃありません」


「理由があっても、人を叩いちゃいけないでしょ。上原さんのことも聞いたけど、皆川さんも上原さん本人も、いじめじゃないって言ってたわよ?」


「皆川がシフォンを突き飛ばすところを僕は見たんです! それに、今までだって何度も嫌がらせをしてました!」


「足柄くん、先生の話をちゃんと聞いてる? どんな理由があっても、暴力はダメ。まずは皆川さんに謝りなさい」


 ……確かに、カッとなって手を出したのは怒られても仕方ない、と蓮は思った。

 ほんの少しも、1ミリだって後悔はないが、やったことには反省してもいい。


「……わかりました。後で謝りに行きます」


「待って。あなたたちだけじゃ、また喧嘩になるかもしれないでしょ。放課後になったら私が立ち会うから、その場で謝ってね」


「はい」


 何だかんだ言って、奥山先生は蓮のことを信用していないってことだろう。

 ふて腐れているのを態度には出さずに返事をしつつ、蓮は話を戻そうとした。


「それで先生。シフォンのことなんですけど……」


「上原さんはエルフだし、先月転入してきたばかりだから、みんな珍しくてつい勢いづいて構いたくなっちゃうんだと思うわ。他の子たちもそういうところはあるし、皆川さんたちにも悪気はないんでしょ」


 シフォンが転入してきてすぐの頃は、確かにそういう空気もあった。スポーツ万能と判明してからは尚更、クラスで一番の人気者になっていたくらいだ。

 しかし、シフォンが皆川たちからいじめのターゲットにされてからは、他のみんなは関わり合いになるのをむしろ避けている。

 下手に介入して巻き込まれるのが怖いのだ。


「でも皆川はシフォンのものを取ったり、シフォンに水をかけたりしたんですよ?」


「本当に? それを足柄くんは実際に見たの?」


「……いえ。見たわけじゃないです」


 前に皆川がシフォンのポシェットを持っていたのを見たが、皆川は「シフォンちゃんにもらったの」と言い張っていたし、シフォンもそれを否定しなかった。

 また別の日、皆川たちに連れられてトイレに行ったシフォンが水びたしになって帰ってきた時は、「蛇口を思いきりひねっちゃって」と泣きそうな顔で笑っていた。

 どちらも蓮が現場を見たわけじゃない。


「じゃあ、あなたの思い込みかもしれないじゃない」


 奥山先生は半ば決めつけるようにして言い放った。

 その冷たい声に、蓮はこの先生に何を言っても無駄なんだろうと悟った。


「……もういいです」


「もういいです? 違うでしょ。騒ぎを起こしたのは足柄くんなんだから。先生にも迷惑かけてごめんなさいは?」


「…………」


 謝りたくなくてそっぽを向くと、奥山先生は長い脚を組み替え、椅子の背もたれをギシリと鳴らして体重を預けた。


「足柄くん。お父さんが市長さんだからって、学校の先生の言うことなんか聞かなくてもいいと思ってない? そういう態度ってね、わかるのよ。私はそんなことでビクビクしないし、厳しくいきますからね」


「思ってないです」


 見当外れの指摘にもうんざりした。

 先生に背を向けて、職員室の出口に向かう。


「ちょっと足柄くん。待ちなさい!」


 呼び止める声も振り切って、蓮は職員室から廊下に出た。

 奥山先生が追いかけてくるんじゃないかという気がして、早歩きでその場を離れる。


 すると、同じような早歩きの足音が、本当にすぐ後ろまで迫ってきた。

 追いつかれるくらいなら走って逃げてやろうか――そう思った瞬間、突然何かに目隠しをされた。


「だーれだ?」


 まぶたの上に触れた何かは温かかった。どうやら手で目隠しをされているらしい。

 問いかけてきた声でその正体を察すると、蓮は肩の力を抜いた。


「シフォン、何やってんの」


「えへへー、正解! すごいじゃん、蓮くん」


 弾む声とともに、ぱっと手が離れる。

 振り向くと、無邪気な笑顔を浮かべたシフォンが蓮を見つめていた。


「奥山先生が追ってきたのかと思ったけど……僕が職員室を出てすぐ追いかけてきたの? もしかして、出てくるの待ってたとか?」


 思い当たった可能性をそのままぶつけてみると、シフォンは一瞬身をこわばらせ、強引に視線をそらした。


「……そんなことないよぉ~?」


「嘘つくな。さては、僕のこと心配だったんだろ」


「……だって。蓮くん、わたしのために皆川さんを叩いたのに……それで怒られるの放っておけないよ。ほんとなら、わたしも一緒に怒られに行こうかと思ったくらい」


 しゅん、と萎れた花のように落ち込んだ表情でシフォンはうつむいた。


「でも、それだと詳しいこと話さなきゃいけないから、皆川さんが悪者になっちゃうし、やっぱり言えないと思って……」


「悪者じゃなくて悪いんだよ、あいつは。……もう、そんな話どうでもいいからさ。グラウンドかどっかで遊んでスッキリしようよ」


 まだ昼休みが始まってから、それほど経っていないはずだ。

 鬱々とした気分を晴らそうと提案すると、シフォンはお日様みたいに表情を輝かせた。


「うん、遊ぼう! 何する? かけっこ?」


「ふたりでできることそんなないし、とりあえず走るかー……今日は負けないからな?」


「ふっふーん、わたしが今日も勝っちゃうもんね。あ、あと鉄棒やろうよ! 蓮くん、こうもり振り降りできないって言ってたでしょ? コツ教えてあげる」


「なーんか偉そう」


「えへへ。教えてる間はわたしが先生だから偉いもん」


 軽口を叩きながら、シフォンは蓮に向かって手を伸ばす。

 蓮は一瞬恥ずかしさでためらったが、おずおずとその手を握り返して、一緒に歩き出した。

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