車中の雨
竹下に引きずられたまま裏口から外へ出されると、ようやく真人も冷静さを取り戻した。
というより、暴れたせいで疲れてしまったという方が正しい。
「ちったぁ頭冷やしたか?」
「……ああ」
竹下の問いに答えると、すぐに羽交い締めから解放された。
やれやれ、と小さく肩をすくめてから、竹下は顎で駐車場の方を示した。
「とりあえず帰ろうぜ。車、乗ってくだろ?」
「……うん。頼むよ」
「ああ。……なんか、小田原が暴れたせいで俺の方は逆に冷静になっちまったわ。ったく、慣れないことさせんなよな」
文句を言いながらも、竹下はゆっくり歩き出す。真人も肩を並べるようにして歩を進めた。
その直後、竹下のスマホに着信が入った。
竹下は電話口に向かって「さっきはすみません」と謝った後、何度か「はい、はい」と繰り返し、挨拶もそこそこに電話を切った。
「渡来教授からだ。さっき言い忘れたことがあったんだと」
「……言い忘れたこと?」
「これも聞き取りの回答らしいが、どうやらエルフにとっては、子供がエルフそっくりになるのは当たり前の常識に過ぎないらしい。元の世界の文明レベルじゃ、DNAなんてもちろん知られてないしな。……だから、俺らの嫁さんに悪気はないはずなんだとよ」
「……常識、か」
厄介な言葉だと思った。
その常識が人間とエルフの間で異なっていることに気づけなかったから、今こうして苦しむ羽目になっている……。
駐車場に着き、竹下が示したのは大型のバンだった。
3年前は磨き込まれたスポーツカーが愛車だったはずだ。
「ガキがたくさん生まれたから、買い替えたんだよ。これでも乗り切らねえけどな」
「そうか……俺はついこの間、家の増築を決めたよ」
「俺もマンションをフロア丸ごと買い切って、壁をぶち抜いて使うことにしたよ。アーミアと一緒にローン組んだばっかりでな……へへっ……」
それ以上は言葉が出てこないようで、竹下は黙って運転席に乗り込んだ。真人も何も言わずに助手席へ座る。
エンジンがかかり、車は駐車場を出て国道に入った。
ぽつ、ぽつと雨粒がフロントガラスを叩き、すぐに本降りになってくる。
何も考えたくなくて、雨を拭うワイパーの動きを目で追っていると、竹下の方が口を開いた。
「……小田原。これからどうする?」
「どう、って?」
「俺ら、このままだと一生自分の子供を残せねえんだぞ。ラフィナさんと夫婦でい続けるのか?」
車内でふたりきりだからか、竹下はずいぶん突っ込んだことを尋ねてきた。
真人は少し考えてから、率直な気持ちを答えた。
「……わからないよ。でも少なくとも今の気持ちを言うなら、離婚したくはない。俺はラフィナを愛してるし、彼女も俺を愛してくれてる。そっちの方が俺には大事だ」
「今はそれでもいいかもしれねえがよ。これからもっと山ほど子供が生まれるんだぞ。それとも避妊でもするか?」
「……できないよ。ラフィナが嫌がることはできない」
そして、よほどの理由でもない限り、ラフィナと今後一切子作りをしないという選択肢もない。
エルフがセックスレスに耐えかねて異世界からやってきたことは、全世界の人間が知っている。この世界でまで同じ思いをさせて、そのことが公になろうものなら、真人は身の破滅だ。
何よりも真人自身、愛するラフィナを求めずにいられる自信がなかった。
「だが小田原よぉ、向こう20年現役だったとして、100人以上はデキる計算だ。100人の子だぞ? 殿様や石油王じゃあるまいし、本当にやっていけんのか?」
「そういう竹下は、どうするつもりなんだよ?」
なんだか煽られているような気がして、苛立ち混じりに聞き返すと、竹下は小さくうめいて黙り込んだ。
どうやら、自分のことを考えたくないから真人にばかり質問をぶつけてきていたらしい。
「……俺さぁ、根っからの女好きなんだよ。30になるまで色んな女と付き合って、二股三股は当たり前だったし、風俗にだってちょくちょく行ってた」
「そんな話、聞いたことないぞ?」
「だって小田原はラフィナさんに会うまで童貞だったろうが。モテない奴にわざわざそんな話するほど、俺も残酷じゃねえよ」
「しばくぞ」
真人が睨むと、竹下はケケケと笑った。ほんの少しだけ元気を取り戻したらしい。
交差点の信号が赤に変わり、竹下はブレーキを踏んで車を停めると、雨に濡れたフロントガラス越しに赤いランプをぼうっと見上げた。
「でもなぁ、嫁さんと……アーミアと会ってからは、まるで他の女のことなんて考えられなくなった。一途になったつもりはないんだが、アーミアに比べると誰も彼も見劣りして全然ムラムラできねえ。アーミアが宝石だとしたら、他の女は全員石コロだ。今まで石コロをありがたがってた自分がバカバカしく思えてくるよ」
「ぜひともSNSでそういうことを言ってみろよ。骨も残らないほど燃えるぞ」
「バカ、お前以外にこんなこと言えるか。小田原ならわかるだろ? 俺はもう、アーミア以外じゃ満足できねえ。お前だって同じじゃねえのか?」
「…………」
そう言われると、否定できないのも確かだ。
純粋な意味でも不純な意味でも、真人はもうラフィナを離せない。離したくない。
「3年前……あの廃病院を調べた時点で、俺たちの運命は決まってたのかもな……」
信号が青に変わった。
竹下がアクセルを踏み込み、車は再び走り出す。
雨は、弱まりつつあった。
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