侵略的な遺伝子
真人も竹下もしばらく何も言えなかったが、やがて竹下の方が先に口を開いた。
「……と、とにかく……生まれてくる子が俺に似てないからって、アーミアが浮気してるってことにはならないんだよな? それはエルフの性質のせいなんだよな、先生?」
「はい。そうです」
「ははは! なーんだ、よかった。よかった……よかった、んだよな……? どうなんだ? なあ、小田原?」
竹下はまるで強がるように笑ってみせたが、その声はすぐに渇き、まるで自分に言い聞かせるような調子になった。
確かに、真人にとっても「ラフィナが浮気していたわけではなさそうだ」と言えること自体は喜ばしい。だが……。
「……渡来教授。エルフは何故そんなことをするんです?」
「そんなこと、というと?」
「遺伝子の専門家に向かって言うのも釈迦に説法ですが──生き物が雄と雌に分かれて生殖をするのは、多様性を保つためだと聞いたことがあります。アメーバのように自分のコピーを作るだけでは、同じ病気などで一気に全滅するリスクがある。だから多様性を持たせているのだと」
「ええ、現在主流の考え方ではそうなっていますね」
「だとしたら、エルフがわざわざ相手の遺伝情報を上書きする理由が理解できない。そのやり方だと、多様性を保てないんじゃないですか?」
真人の質問に、渡来は顎に指を置いて、何やら考えるような仕草をみせた。
「小田原さん。あくまでも我々は、現時点で観測可能な情報をもとに仮説を立てているだけです。まさか生命が誕生した時代に遡って『あなたたちはどうして単為生殖をやめたんですか?』と尋ねるわけにもいきませんのでね」
「はあ」
「ですから、先ほどあなたがおっしゃったことも含めて、あくまでも仮説ということは念頭に置いていただきたいのですが……これは、エルフなりの生存戦略なのだと思われます」
そう言って、渡来は湯気の立つお茶を一気にあおった。話の本題はここからだとでも言いたげに。
「小田原さん。そもそもあなたたち人間が、異世界から来たエルフとの間に子を残せることを疑問に思いませんでしたか? 見た目は近くとも、まったく違う種族だというのに」
「えっ? そ、そりゃまあ少しは……俺たちとエルフじゃ違うところはたくさんありますし。でも実際に子供はできたわけで。ありがたい偶然のおかげじゃないんですか?」
「……いいえ、偶然ではないんですよ。なぜ男性のエルフが数十年という極めて長い周期でしか発情しないのか、ということも含めてね」
渡来ははっきり言い切って、腕組みをした。
「いいですか? もしも男性のエルフが女性のエルフと同様、あるいは人間と同様に、常に発情していたと仮定しましょう。すると、どうなると思います?」
「どうって……」
「エルフは平均して1度に5人の子を産みます。それを10か月毎に繰り返した場合、ほんの20人の集落が、わずか10年で31倍の620人になる。人口だけで言うなら、小規模な町に匹敵します」
渡来は懐から取り出したメモにスラスラとペンを走らせながら、説明を続ける。
「さらに15年も経てば、大人になったエルフがまた子供を作り……そんなペースで増えようものなら、群れは深刻な食糧不足に陥る。しかもエルフはほぼ不老で、何百年、何千年経とうと子供を作り続けることができるのだから尚更です。それを踏まえて人口爆発を抑制するために、エルフの男性は極端に発情しづらい体質なのだとすれば辻褄が合います。ここまではいいですか?」
「……まあ、わかりましたけど、それで?」
まだ真人には渡来の言いたいことがよくわからない。
首をひねる真人の方をじっと見ながら、渡来は続ける。
「しかし、そうなるとひとつ困った問題が浮上します。外敵や災害など何らかの事情でエルフの人口が大きく減ったとき、それを回復させるのに時間がかかりすぎるのです」
「ああ……まあ、男のエルフは自由なタイミングで子を残せないわけですからね。下手すると数十年後まで全く人口を増やせないわけだ」
「そう。それではエルフという種そのものの存続すら危うくなる。だから女性のエルフはサブプランとして、『異種族の遺伝子を受容したうえで、その遺伝情報をエルフのものに書き換える』という戦略も可能としているのですよ」
「……異種族? つまり、人間のことですか?」
「それだけではありません。これは、研究に協力してくださっているエルフからの聞き取りで得た情報なのですが──彼女たちの世界には、もっとたくさんの亜人種が存在したといいます。ドワーフ、オーク、コボルト、ゴブリン……そしてもちろん人間も」
「そう……ですね。元の世界のことについては、多少は知ってます」
エルフたちが元の世界でどんな暮らしをしていたかについては、ラフィナや他のエルフにも配信上で尋ねたことがある。
その時は、こっちが思い描いたとおりのファンタジー世界なんだな、という軽い感想しか持たなかったが……。
「じゃあ、これもご存知でしたか? エルフはそれら全ての亜人種との間に子を宿すことができます。非常に広い範囲で、異種族の遺伝子を受け入れることができるのです」
「えっ? い、いえ、さすがにそんなことは尋ねませんでしたが……」
「つまり……仮に何らかの理由でエルフがほとんど絶滅するような事態に陥ったとしても、女エルフがたったひとりでも生き残っていれば、異種族と生殖することができる。その結果生まれてくるのは、ほぼ100パーセント純粋なエルフそのもの。エルフという種族の再生産が可能となるのです」
「…………」
あまりのことに、真人は言葉を失った。
次々と明かされる事実を前に、思考と感情がついていかない。
ずっと黙り込んでいた竹下が、耐えかねたように震える声を漏らした。
「じゃあ……じゃあよ、先生。俺らはエルフが繁殖するための養分みたいなもんだってことか? だって、俺の子供は俺の遺伝子を少しも継いでないんだろ?」
「それは極論でしょう。我々は後世に遺伝子を残すためだけに、誰かと愛し合うわけではないのですから」
「きれいごと言ってんじゃねえ!! 俺の遺伝子が混ざってないなら、他人の子も同然じゃねえか! そんなガキ作る意味ねえよ!!」
平手でテーブルを叩きながら、竹下は吼えた。
人として問題のある意見のような気がしたが、真人も当事者であるだけに竹下の気持ちはよくわかった。
「……きっと、元の世界で人間とエルフの夫婦が迫害されていたのも、今の竹下さんの言葉と同じ理由なのでしょう。人間とエルフが結ばれても、生まれてくるのは純粋なエルフだけです。そして増えたエルフがまた人間と結ばれれば、どんどんエルフが増えていく。それを防ぐための迫害であり、禁忌だったのだと思います」
渡来が静かに自分の意見を述べると、竹下は少しの間を置いてから、ソファへ身を投げ出した。
竹下の横顔に一種の諦めにも似た気配を感じ取りながら、真人は渡来の方を向いた。
「……つまり……エルフは亜人種の男から精子を受け取ることができれば妊娠が可能で、その結果生まれてくる子供は、全て純粋なエルフになる……そういうことでいいんですか?」
「ええ、まあ……ただ、亜人種というか……おそらくは……」
「なんです?」
歯切れの悪い様子に真人が聞き返すと、渡来は口をつぐんだ。
「……いいえ。これを告げるのは、さすがにショックが大きすぎると思います」
「言いかけたことは最後まで言ってくださいよ、教授」
「……本当に、いいんですね?」
今更何をためらうことがあるのだろう。
真人がすぐに頷き返したのを見てから、渡来は再び喋り出す。
「エルフが精子を受け入れる範囲は、亜人種というより、もっと更に広いのです。……人間とチンパンジーのDNAは約99%同じだということをご存知ですか?」
「え? いや……」
「ですから、仮に……仮にですよ。あなたではなくチンパンジーがラフィナさんと交尾を行ったとしても、おそらく妊娠は可能です。そして、その結果生まれてくる子供の容姿や能力も、まったく変わらないということ──」
渡来が全部言い終える前に、その頬に真人の拳がめり込んでいた。
吹き飛んでソファの背もたれにぶち当たった渡来をもう一発殴りつけてやろうと、立ち上がってテーブルを蹴り飛ばす。
「ふざけんな、貴様ああぁっ!!」
「お、落ち着け! やめろ、小田原!」
竹下が慌てて後ろから羽交い締めにしてきたが、とても気がおさまらず、真人はもがき続けた。
「言っていいことと悪いことの区別もつかねえのか!! 離せっ、離せぇぇ!!」
「……ですから、言いたくなかったんです……」
頬を押さえて漏らした渡来の言葉が、更に真人の怒りをあおった。
しかし、やつれてはいても竹下の方が真人より力が強く、振りほどくことができない。
「先生、すまん! 小田原は俺が落ち着かせるから許してくれ……おら、帰るぞ!」
竹下に押さえつけられたまま、真人は応接室から引きずり出された。
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