3年後
「どうもお疲れ様です! 失礼します!」
テレビ局での収録を終えた真人は、控え室の片付けをしているADに笑顔で挨拶をしてから廊下に出た。
同時に気が抜けて、ふう、と溜息が漏れる。
ここ最近はテレビの仕事にももうすっかり慣れてきたが、こういうタイミングが一番危険だ。
天狗になってしまわないよう、皆に愛想良くしておかねば、どこで未来の自分に跳ね返ってくるかわかったものではない。
腕時計を見ると、もう夜9時を回っていた。
ラフィナはそろそろ子供たちを寝かしつけた頃だろうか……。
「あーっ! おだっちさん、お疲れ様ですぅ! 今お帰りですかぁ?」
自宅のことに思いを馳せていると、やたら高いテンションで女の子が声をかけてきたので、真人は一瞬で仕事モードに戻って笑顔を向けた。
そこにいたのは、最近売り出し中のアイドルグループのセンターの子だった。名前は
今日のバラエティー番組に共演するにあたって一応調べてあったプロフィールを思い出しながら、真人は頷いた。
「湯河原さん、お疲れ様。俺はもう帰るところだよ」
「美月でいいですよぉ。私、おだっちさんの大大大ファンなので、今日は共演できてとっても嬉しかったです!」
美月は真人を見上げ、媚びるようにしなを作りながら声を弾ませた。
さすがアイドルなだけあって、自分の見せ方をよく理解している。もし美少女を見慣れていなかったら、一発で落とされてしまいそうな愛くるしさだ。
「あのぉ、おだっちさん……よかったらこの後、一緒にお食事でもいかがですかぁ? 私、お仕事の話とか、頼りになる大人の人に色々勉強させてもらいたくってぇ……」
頬を赤らめて、美月は媚びるような目を真人に向けてくる。
真人はにっこりと笑い返して答えた。
「ごめん、家で妻が待ってるから早く帰らなきゃいけないんだ。それじゃ!」
深々と頭を下げると、真人は相手の返事も聞かずに踵を返し、早歩きで局のエントランスまで向かった。
真人は「初めてエルフを発見し、妻として迎えた男」として、大きな知名度を得るに至った。
すると様々な業界から声がかかるようになり、全くエルフと関係ない番組も含めて多数のメディアに出演するようになった。
愛妻家キャラで好感度を稼いでいるわけだが、そういう真人をやっかむ輩もやはり絶えず、さっきのようなハニー・トラップを仕掛けられることも珍しくない。
女性関係で失敗して全てを失った芸能人は枚挙に暇がない。食事の誘いくらいのことでも、真人は徹底して避けることにしていた。
タクシーで自宅まで帰り着き、家を見上げると、ようやく心から安堵することができた。
この家はラフィナが住み始めた頃からずっと変わっていない。
感慨深い気持ちに浸りながらドアを開け、玄関に入った。
「ただいま! 帰ったよ」
「おかえりなさい、マサトさん!」
パタパタとスリッパを鳴らして、すぐにラフィナが出てきた。
大きくなったお腹を大事に抱えるようにして。
「ただいま、ラフィナ。いつも出迎えに来てくれるのは嬉しいけど、無理しないようにな? あまり動くとお腹の子に障るから」
「ふふっ、大丈夫ですよ。もう妊娠するのも3度目ですから、すっかり慣れました」
そう言って、ラフィナは愛おしそうにお腹を撫でてみせた。
「子供たちはどうしてる?」
「さっきまでお義母様が見てくれてましたけど、みんなもう寝かしつけたみたいです。そっと覗いてみますか?」
「そうだな。あの子たちにもただいまを言わなくちゃ」
頷き返して、真人はラフィナとともに子供たちの部屋に向かった。
子供部屋として使っている6畳間を埋め尽くすようにして、9つのベビーベッドが置かれている。
そのひとつひとつで、子供たちは静かに寝息を立てていた。
「上の子たちはそろそろベビーベッド卒業させなきゃな。体も大きくなってきたし」
「そうですね……でも、そうなるとお部屋はどうしましょう?」
「そのことなんだけど、お隣さんと話がついたから大丈夫。隣の家の土地を買い上げたら、うちを増築する余裕もできるはずだよ」
「よかった……! やっぱりお義母様はこのご実家を離れたくないみたいですし、新しいお家を借りるよりその方がいいですよね」
キラキラと表情を輝かせて、ラフィナはまるで少女のようにはしゃいだ。
エルフは基本的に多産である。
ラフィナが初めて妊娠した後、そのお腹に3人の子がいると判明したときには、さすがに真人も焦りを覚えたものだった。
逆にラフィナは一度に何人もの子を産むのを当たり前だと思っていたようで、そのため事前には何も言ってこなかったらしい。
しかもこれでも少ない方で、竹下の妻であるアーミアに至っては、初産で8人の子を出産した。
ラフィナも二度目の出産では6人の子を産み、今はお腹の中に5人の子を宿している状態だ。
(……おめでた、とかいう次元じゃないよなぁ)
改めて他人事のように振り返ってから、真人は思わず遠くを見つめていた。
現時点で9人の父親。もうすぐ合計14人の父親だ。
最初に3人の子が生まれた時点でラフィナには避妊を提案したのだが、彼女は異物を受け入れるのを極端に嫌がり、泣くほど拒まれてしまったため無理強いはできなかった。
また、人間用の薬はエルフには効果がないものが多く、薬で避妊することもできない。
それでいて夜の方は相変わらず毎晩積極的に求めてくるため、こうなってしまうのも致し方ない。
ラフィナのおかげで稼ぎがあってよかったと、真人はその点については心から安堵した。
だが──もうひとつ、真人にはどうしても看過できない気がかりなことがあった。
「あら、ミューナ。起きちゃったの?」
末っ子のミューナがもぞもぞとベビーベッドの上で身をよじらせているのを見て、ラフィナはその小さな体を優しく抱き上げた。
ミューナの蒼い瞳が、ラフィナと真人の顔を交互に見つめる。
……やっぱり、どこからどう見ても真人には似ていない。
生まれてきた子供たちはいずれも金色の髪に蒼い瞳、長い耳を持っている。
顔立ちを見ても、到底アジア系の血が入っているようには見えない。
……浮気かもしれない、と思った。
ラフィナを疑いたくはなかったが、どうしても疑念を抑え込むことはできない。
それに、エルフは人間と比べて遥かに好色だ。もしもラフィナが真人だけでは満足できず、例えば白人の男とでも隠れて会っているのだとしたら……その子供を真人の子だと偽っているのだとしたら……。
そう考えれば、子供たちの容姿が真人と似ていないことには納得がいく。
一方で、それだけでは説明がつかないこともあった。
ラフィナと真人の仲はずっと良好で、今でもまだ周囲から新婚と勘違いされるほどラブラブだ。夜の方もほとんど毎晩、何時間もかけて愛し合っている。
仮に浮気をしているなら何かしらのサインを感じてよさそうなものだが、そんなものは微塵もない。
それにラフィナは毎日子育てにかかりきりで忙しいし、とても真人の目を盗んで他の男と会っている時間などない。
悩んだ末、真人は電話で竹下に相談した。
すると、ちょうど竹下もアーミアとその子供たちに対して全く同じ疑問を抱えていたらしい。
竹下の方は探偵まで雇ってアーミアの素行調査をさせたが、何も怪しいところはなかったのだという。
「だから、DNA鑑定を依頼しようと思ってな。遺伝子工学の教授で、最近はエルフの研究も始めてるっていう人を見つけて連絡したんだが、まず一度会いに来てくれって言われたんだ。小田原も一緒に行かねえか?」
竹下にそう誘われた真人は、少し迷ったが同行することに決めた。
ラフィナを疑いたいわけじゃない。信じたいから、この矛盾を解明しに行くんだ。
そう自分に言い聞かせながら──。
後に、真人は自分の考えがいかに浅はかで甘いものだったかを思い知ることになる。
浮気されていた方がまだマシだった、と思うような現実が待ち構えていようとは、この時点では考えもしなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます