アップルミント

 その場を離れたはいいものの、ラフィナはまだ泣き止む気配を見せなかった。

 エルフは他にも色々な魔法を使えると聞いていたが、バリアを張るだけで一切反撃しなかったのを見る限り、全く戦いを好まない種族なのだろう。

 ラフィナのように(比較的)若いエルフであれば、誰かと争った経験すらなかったのかもしれない。相当な恐怖を感じたはずだ。


(とはいえ、参ったな……こんなところ記者にでも撮られたら、俺が泣かせたことにされかねないぞ)


 マスコミ連中なら、そのくらいの印象操作はお手のものだ。

 真人がラフィナに高圧的にあたったとか暴言を吐いたとか、根も葉もないことを書き立てるに違いない。

 さっきの男たちもそうだが、突然の幸運で有名人になった真人を妬み、引きずり下ろしたがっている人間は少なくない。後で真人やラフィナ本人が否定しても疑惑は拭えないだろう。

 記者が見てやしないかと周囲を見回して、真人はあるものに目を留めた。


「あっ……ほら、ラフィナさん。あそこ、花屋があるよ。気晴らしに見ていかない?」


 閑静な住宅街の片隅で、まるでひっそりと咲くように、その小さな花屋はあった。

 家の近所だが、こんなところに花屋があるのは初めて知った。ちょうど営業中のようで、店先にもいくつか花の苗が並んでいる。

 自然を愛するエルフの彼女には、ちょうどいい気持ちの切り替えになるかもしれない――その狙いは正解だったようで、ラフィナは顔を上げて涙をぬぐった。


「花屋さん……? お花を売っているんですか……?」


「ああ。ラフィナさんの世界と同じかはわからないけど、いろんな花があるし、見ていこうよ」


 ラフィナは小さく頷くと、自分から真人の手を引いて店先に近づいた。

 色とりどりの小さな花たちの前にちょこんと座り、覗き込む。


「かわいいお花ですね……その前にあるのは値札でしょうか。マサトさん、何が書いてあるんですか?」


「ああ、翻訳の魔法じゃ文字は読めないんだっけ。花の苗の名前と値段が書いてあるんだ。目の前にあるのがパンジー。あっちがマリーゴールドだってさ」


「ふふっ、マサトさんがいてくれて助かりました。お花の名前、たくさん知っていきたいです……あっ、そちらの苗は?」


 すっかり笑顔を取り戻したラフィナが指さしたのは、緑色の葉だけしかない地味な苗だった。


「アップルミントって書いてある。よくは知らないけど、ミントってことはハーブの一種かな? 葉や茎からも香りがする植物だよ」


 乏しい知識を振り絞りつつ真人が説明すると、ラフィナは小さな苗のポットを手に取り、すんすんと匂いを嗅いだ。


「本当……甘くていい香りがしますね。私、この匂い好きです」


 リラックスした笑みを浮かべるラフィナに、つられて真人も頬が緩んだ。


「それなら買って帰ろうか。庭に植えたらいい感じに育ってくれるかも」


「えっ、いいんですか?」


「別に高いものじゃないからね。他にも欲しい花があったら言ってよ」


「……ありがとう、マサトさん。でも、今日はその苗ひとつだけをください。その方が、特別な贈り物なんだって気がしますから」


「大げさだなぁ」


 真人とラフィナは顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。




 それから――。

 真人とラフィナは年内に盛大な結婚式をあげ、正式に夫婦として結ばれた。

 ほどなく竹下とアーミアも結婚し、その後を追うようにして、政府の保護観察下にあった他のエルフたちも次々と結婚相手が見つかり引き取られていった。


 嫁ぎ先はおおむね、エルフたちの美貌と珍しさに惹かれた国内の資産家たちだった。

 海外からも熱烈なラブコールはあったのだが、せっかく自国で独占することができた新人類であるエルフたちを日本政府が手放すはずもなく、なんやかんや理由をつけて海外には出さないようにしたらしい。(そんなことをしていたと政府が認めるわけもないので、あくまでも噂に過ぎないが)


 そして、3年の月日が流れた。

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