ふたりの恋

「おいしい! 辛くて刺激的な味なんですけど、ぎゅっと旨味が詰まってて……これが『カレー』って食べ物なんですね!」


 食卓に上ったカレーライスを一口食べるなり、ラフィナはきらきらと表情を輝かせて感激の声をあげた。

 そんな無邪気な姿を真人はテーブルの対面から見守り、傍らではスマホを手にした竹下がふたりの姿を撮影している。

 何のことはない平凡な日常風景だが、被写体が異世界のエルフという一点だけで、今日の配信も全世界から10万人以上のリスナーが集まってくれている。


 あの記者会見から2週間が経過した。

 エルフに対する世間の注目度は依然として高く、ラフィナたちとほぼ毎日会っては動画を配信し続けている真人と竹下の活動にも熱が入った。

 エルフたちが何を好み、どんな考えを持っているのか。その様子を流すことで、エルフのことを多くの人に知ってもらう。そして、皆に受け入れてもらう。

 螢田に一度は止められた活動だが、記者会見が世間から好感触だったおかげで懸念は解消されたらしく、今は螢田もお目こぼしをしてくれている。


 真人の動画チャンネルから「怪奇潜入」の文字は消え、「おだっちチャンネル」に変更すると同時に、過去のアーカイブの大半を非公開にした。

 今となっては、エルフの情報を世間に届けることが自分の役割だと信じている。


「はむ、はむ……んっ。さんには、いつもおいしいご飯をごちそうしていただいて……もぐもぐ……とっても、感謝してます」


「食べてからでいいって、ラフィナさん」


「えへへ、すみません……この世界のお食事、どれもすっごくおいしくて大好きです」


 恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、ラフィナは屈託のない笑顔を見せた。

 エルフたちが元々住んでいた世界の文明レベルは中世ヨーロッパと同等くらいのものだったらしく、現代の料理や機械に対して毎回新鮮な反応を見せてくれる。

 おかげで、特に演技を頼まなくても撮れ高はバッチリだ。


 思わずつられて頬を緩ませつつ、ラフィナの笑顔を眺めていると、不意にドアが開いた。


「あーっ! いい匂いがすると思ったら、またラフィナだけ何か食べさせてもらってる!」


「おだっちさん、ラフィナばっかりひいきしてずるーい!」


 そう言って部屋になだれ込んできたのは、ラフィナの仲間であるエルフの女ふたりだった。

 名前は確か、ティーミルとピアルピ。

 どちらも100歳を超えているはずだが、エルフの中ではまだまだ若い方だからか、子供のように拗ねた様子でラフィナに群がってくる。


「ちょっ、配信中ですよ……!」


 真人は慌てて告げたが、ふたりはお構いなしで画面に映り込んできた。


「いいじゃないですかー。ラフィナひとりより、みんなでいる方が賑やかで楽しいでしょ」


「この板に向かって話せば、それが世界中に届くんですよね! 未来の旦那様、見てますかー? あたしたちが自由に暮らせるようになったら、迎えに来てくださいね!」


 やれやれ……と真人は溜息を漏らしたものの、たまには他のエルフたちも映してあげた方がお互いのためになるのは確かだろう。

 ピアルピが笑顔で竹下のスマホに呼びかけるのを黙って見守っていると、ふとティーミルの方が何かに気づいたように「あっ」と声をあげた。


「でも、ラフィナはもう素敵な王子様と巡り会ってるので、これを見てる人はラフィナを狙っちゃダメですよー? ねっ、おだっちさん!」


「えっ!?」


 思わぬ爆弾発言が飛んできて、真人は返しに困った。

 竹下が苦笑しながらこちらにカメラを向けてきたので、何か言わなければならないと思うのだが、あまり迂闊なことは言えない。


「い、いやぁ、ダメも何も……それはラフィナさんの自由意志ってものがあるし……ねえ、ラフィナさん?」


 結局、日和るような情けない形でラフィナに話を振らざるを得なかった。

 ラフィナは尖った耳の先まで真っ赤にして、消え入りそうな声でぽつりと呟く。


「……です」


「えっ?」


「私は……おだっちさんとなら、結婚したいです。子供も作って、幸せな家庭を築きたい……です」


 小さく、しかし今度はハッキリと通る声で、ラフィナは言い切った。

 ……真人は一気に顔が熱くなるのを感じた。


「あー! おだっちさん照れてる、かわいいー♪」


 ピアルピに茶化され、ますます恥ずかしくなってくる。

 いてもたってもいられない気持ちになり、真人は逃げるような声を発した。


「と、とにかく、次は他のエルフの方々にも順番で出演していただきます! それでは今日はこのくらいで……ご視聴ありがとうございました! ばいばーい!」


 この上ないくらい強引にシメに入った。そうでもしないと耐えられそうになかったのだ。

 竹下がスマホの画面から顔を上げる。


「おい小田原……」


「あのっ、マサトさん!」


 怪訝そうな顔で言いかけた竹下を遮って、ラフィナが身を乗り出した。

 その後ろでは、ティーミルとピアルピがいかにも興味津々という感じに目を輝かせている。


「私の気持ちは、今お伝えした通りです。……お、お返事をいただけますか……?」


 大きな瞳を潤ませ、不安げに揺らめかせながらラフィナがまっすぐに尋ねてきた。

 ……真人はただ、喘ぐように口をぱくぱくとさせた。言葉が出ない。いや、気持ちを声に乗せる勇気が出ない。

 数秒の沈黙を挟み、喉の奥からようやく絞り出した言葉は、ただただ衝動に駆られたものだった。


「……ちょ、ちょっと俺、トイレ……!」


 席を立ち、返事も聞かずに廊下へ飛び出した。

 情けないのはわかっているが、他にどうしようもなかった。

 すると、廊下に出たばかりの真人の肩を大きな手ががしりと掴んだ。


「おい小田原。いや、クソ童貞野郎。ヘタレるのはそこまでにしとけよ」


 竹下だった。どうやら追ってきたようだ。

 容赦のない暴言を吐かれたが、それが事実なのは真人自身が誰よりもわかっている。言い返すこともできず、廊下の壁に背を預けた。


「……で、でも俺……ラフィナさんみたいな素敵な人とつり合う男じゃないし……」


「ったく、昔から女絡みになるとこれだ。今の放送、コメントでもヘタレヘタレって言われまくってたぞ? お前が煮え切らないと、今後のチャンネル運営にも支障が出るだろうが」


「じゃあ竹下は、チャンネルのためにラフィナさんとくっつけって言うのかよ?」


「アホウ、そりゃ二の次だ。ラフィナさんの気持ちを考えろよ。女の方から勇気出して告ったのに、相手が逃げちまったんだぞ? 何を言おうと、お前はラフィナさんを傷つけたんだよ」


 ……今度こそ、完全に返す言葉がなかった。

 急なことで驚いたからとか、ラフィナにはもっといい相手を見つけたいとか、言い訳はいくらでも思いつく。

 しかし、ラフィナを傷つける対応をしてしまったことは、言い逃れようのない事実だった。


 小さな音を立てて、個室のドアが開いた。

 様子をうかがうように、ラフィナが部屋の中から顔だけ出してこちらを見ている。

 その瞳いっぱいに溜まった涙が今にもこぼれ落ちそうになっているのを見た瞬間、真人の頭は真っ白になり、足は勝手に駆け出していた。


「ラフィナさん!!」


 柔らかなラフィナの体を、強く抱きしめる。

 ラフィナは一瞬だけ肩をこわばらせたが、すぐに身を委ねるように力を抜き、細い腕で抱き返してきた。


「ごめん。ちゃんと言うよ。俺も……俺もラフィナさんが好きだ。初めて会ったときからずっと、ラフィナさんを想ってる」


「……マサトさん……」


「未熟な俺でよければ……結婚して欲しい。きっと、いや必ずラフィナさんを幸せにするから」


「……はい。どうか末永く、よろしくお願いします。マサトさん……」


 ラフィナの声は震えていたが、そこには確かな喜びの響きがあった。



「いやー、お熱いねえ! でも、これでヘタレの汚名返上は果たせたんじゃないでしょうか。以上、撮影アシスタントの竹下がお送りしました」



 冷やかすような声に、はっとして真人が振り向くと、スマホをこちらに向けたままニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる竹下の姿があった。


「た、竹下……お前、配信再開してたな!? いつからだ!?」


「再開したんじゃなくて、そもそも切らずに流しっぱなしにしてたんだよ。あんな情けないシーンで切れるかっつーの。これで全世界が見守る中、エルフと人間のカップル成立だねぇ、くんよ」


「珍しく真っ当に背中を押してきたかと思ったら、やっぱりチャンネルのためかよ……はめやがったな!?」


 わはははは、と底抜けに明るく笑いながら、竹下は早足で去っていった。

 追いかけてとっちめてやろうかとも思ったが、ラフィナの小さな手が真人の手に絡み、控えめに引き止めてきた。


 ラフィナの方を見る。真っ赤な顔でうつむいたまま、黙り込んでいた。

 真人も何も言わずに、ただ彼女の手を握り返す。

 ……しばらくの間、ふたりはそうしていた。

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