第63話
柔らかい唇が重なり、その隙間から舌をのぞかせると、ルティスの方から舌を絡めてきた。
私が離そうとすると、ルティスはそれを許さず、満たされるまでそれを続けた。
「はぁはぁ……」
息を切らせたルティスは紅潮した頬を手で覆い、私は垂れた涎を手の甲で拭き取った。
「主人のキスは麻薬だ……。やめ時がわからなり、もっと欲しくなる……」
「シャノンとは違うでしょ?」
「シャノンとはそういう仲ではない!」
「あら、まだしてなかったの?」
私はそう言うと踵を返し屋敷に戻ろうとした。
すると、背後から衝撃を加えられ、振り返ってみると、ルティスが私の腰に手を回し抱きついていた。
「……今日は離れたくない」
「でも帰らなきゃでしょ?」
「そうだが……」
「私も、ハナが待ってるし……見た目はもう大人だけど、あの子まだ中身は十三歳だから」
ルティスは嫉妬したように、何かを恨むような顔をすると、すぐに表情を戻した。
「わかった……」
そう言うとルティスは抱擁を解き、シャノンの元へ帰っていった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「ミヤ……いきなり来るのはやめてよ」
「いや、たまには様子を見に来んといけんと思うたからの」
ミヤはロッキングチェアに腰掛けながらお茶を啜っていた。
「お茶のお裾分けありがとうございます」
「うむ、構わんよ。どうじゃ、ヒノモトのお茶は美味いじゃろ?」
「はい、ミヤ様。とても美味しいです」
「それはよかった。
ミヤはハナにそう言うと、私を見てしてやったり顔をした。
「何よその顔」
「いや、ハナはわしの元に来た方が良いのではと思うてな」
「またそんな……私の側付きはどうして他人から人気なのかしらね」
「それはセレスティアの教育が良いからじゃろう。それに人選もよい。ルティスといいハナといい。フィリスとやらはまだよく知らんが……」
「娘のものを取らないでください、母上」
私がそう言うと、ミヤは高笑いを浮かべ「冗談じゃ」と言った。
私はミヤを睨みながら「冗談が過ぎます。ただでさえルティスがいなくなってるんですから」と言うと、それもミヤは笑いで吹き飛ばした。
「まあ、そういうもんじゃろう。移り行くものにいちいち気を遣っていると、神様はやってられぬぞ」
「わかっていますが……私は昔から今を大切にしてきましたから」
私はそう言うと俯き、色んなことを思い出していた。
初めてルカが屋敷に来た時、父を手にかけた時、ジェダに濡れ衣を着せた時……。
私は……罪を背負っている。それを見て見ぬ振りはできないだろう。だが、今は違う。それらを踏まえて、ひっくるめて、今の私がいる。
「どうしたのじゃ?」
「え?」
頬を伝う涙を見てミヤはそう言うと、私はハッとして涙を拭った。
「いや……色んなことが今まであったなって……」
「そうか……確かに、セレスティアは少し特殊じゃ。大きな出来事が多過ぎる。下界にこれほど降りておる神も珍しいからの」
「まあ、そうですよね……」
私はふうと息を吐き、ソファーに腰掛けた。
ハナを隣に座らせ腰へ腕を回すと、少し恥ずかしそうにしていた。
「ハナも大きくなったの」
「いきなりですけど……」
「まあ天使はそんなものじゃよ。それにセレスティアの力じゃ、小さいままでは器が保たんよ」
そのせいでハナの力の制御は不安定になっている。それはハナも自覚していたことだ。
氷の刃が胸を貫いた時、私は一瞬どこか嬉しかったのかもしれない。楽になれるんじゃないかと。
結局、その一瞬を上回るくらい、まだ生きなければという欲求の方が勝ったから、今こうしているわけだ。
その後、ミヤはお茶と世間話を一通り楽しむと、すぐに帰って行った。
静かになった屋敷で、私はハナを抱き締め「ハナはどこにも行かないでね」と泣きそうな声で言った。
別々のベッドで眠ると、寂しさに押しつぶされそうになった。被っていた布団をギュッと抱きしめながら私は眠りに就いた。
翌朝、カーテンの隙間から溢れる朝日に叩き起こされると、私は起き上がり伸びをした。
立ち上がってカーテンを開くと眩しい朝日が全身に突き刺さった。
庭に出て西の空を見ると、まだ月が顔を出していたが、もうほとんど見えなくなっていた。
朝の新鮮な空気を吸込むと、昨日の使い古された空気を吐き出した。
「ふう……」
眠気を吹き飛ばすようにもう一つ息を吐き出す。すると、それに驚いたのか、テラスの手摺に留まっていた鳥が飛び立った。
屋敷内に戻ると、作り置きのレモン水をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
ハナが起きてこないかと期待している自分がいた。昨日から続く寂しさに苛まれている。
気持ちを落ち着かせるハーブティーを淹れると、ソファーに座りその香りを嗅ぎながら冬支度をしている庭の木々を眺める。
落葉樹の葉が溜まってきている。また掃き掃除をしなきゃなと思っていると、ハナが眠気まなこを擦りながら降りてきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「眠れなかったの?」
「はい……」
私はおいで、と合図してハナを膝枕で寝かせた。
「どうしたの?」
「なんだか安心します」
「もう少し眠る?」
「いいですか?」
「勿論」
私がそう言うと、ハナは目を閉じて寝息を立て始めた。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに……。そう願う私はきっと神様失格だろう。
「……おかあさん」
ハナの寝言を聞き、私はハッとした。
私はハナを自分の物だとか言っていたが、元は違う。売られて来たとはいえ、誰かの子供だったわけだ。
ハナには母親が必要……なのだろうか? もうそんな歳ではないというのだろうか……?
「母親、か」
ハナの前髪を指で流すと、擽ったそうに微笑むハナの表情を見て堪らない愛おしさが押し寄せた。
潰れるくらいにギュッと抱き締めたい。そんな衝動を抑え込み、私は振り子時計を見遣った。
「あっ!ちょっとハナ起きなさい!」
「あと五分……」
「五分も余裕ないわよ!」
「えっ!?」
飛び起きたハナの額が私の顎にクリーンヒットすると、私は痛みに悶えた。
謝るハナが俯く私の顔を覗き込む。私はハナを見て、こんなに大人だっただろうかと不思議に思った。体が大きくなったことは理解していたが、よくよく見れば顔立ちはすっかり大人の女性だった。
「ハナ……」
「ど、どうかしましたか?」
「ううん。綺麗だなって思って」
「大変です!打ちどころが悪かったみたいです!」
「大丈夫よ?」
私はそう言うとハナの頬に手を当ててみる。その白い肌に確かな温もりを感じ取ると、どこか安心していた。
「さ、支度しなきゃ」
そう言って学院へ向かう支度を済ませ、朝食を手早く食べて屋敷を出た。
道中、ルティスとシャノンと合流すると、昨日までの蟠りは解消され、いつものシャノンに戻っていた。
「気にしないのは無理があるけど……」
「そうだよな……やっちまったことは取り消せねえ、だからちゃんと償うつもりだ」
シャノンがそう言ったので「じゃあ、今日からうちの料理番ということで」と私は勝手に決めた。
「ちゃんと毎日作りに来てね。お腹空かせて待ってるから」
「わ、わかったよ」
私はルティスからの視線が気になり、そちらを見るとハッとしたルティスはすぐに目を逸らした。
首を傾げていると私をハナが不思議そうに見ていると、何かを思いついたのか「もしかして、首が凝ってるとかですか?」と的外れなことを言ってきた。
「まあ、そんなところね」
「任せてください。マッサージは得意なんです」
「じゃあ今夜、お願いしようかな?」
ハナは張り切りながら歩いていると、フードを深く被った少女とぶつかった。
「ご、ごめんなさい」
「……気をつけろ」
そう言って立ち去って行った少女を訝しげに見るシャノンは「向こうがぶつかって来たんだろうが……」とぼやいていた。
「私も不注意でした……」
「気にしないの。ほら、行くよ」
学院に着いてからはそれぞれの行き先へ向かう。すると、教員室では今朝の街の事件で話題が持ちきりだった。
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