第48話

 濡れて冷えた体を温める為、乾いた枝を集めて焚き火を起こした。

 リュックサックから水筒を取り出し水分補給をしてから、濡れた服を乾かした。

 大樹の葉から滴る雨粒が鼻先を濡らした。私はそれを手の甲で拭うと、同じように雨に濡れている鹿が寂しそうにこちらを見てた。


「君も一人?」


 そう訊ねても、鹿は返事をせず。何処かへ言ってしまった。

 膝を抱え三角座りをしていると、雨音が心地よく、焚き火の揺らぐ炎を見ているとうとうとし始めてしまった。

 そして数分間そのまま眠っていると、少しだけ夢を見た。

 それはまるで、大樹の記憶のような、彼が生まれてからこれまでのこの森の様子が走馬灯のように駆け巡った。

 素敵な夢は儚くて短い。私は目を覚ますと、雨が止んでいるのを確認し、焚き火を片付けて再び歩き始めた。

 山を降り大河に辿り着くと渡し船に乗り、大河を渡った。


「ありがとう」


「いえいえ、お代はもらってるようなもんだから」


「そうはいかないわ」


 私はそう言って船頭の男性にまた金貨を渡した。男性はそれを受け取らなかったが、無理矢理色仕掛けで隙を作ってポケットに忍び込ませてやった。

 王都へ戻った頃には黄昏時も過ぎ、濃紺の星空が街を包んでいた。


「ただいまー」


 誰もいない屋敷に向かって私はそう言うと、寂しさを助長させるようにその声が屋敷内をこだました。

 荷物を置いて薬草を保管部屋に片付けると、夕飯の支度をしようとしたが、食材が何も無いことに気づいた。

 今日もパンとハムとチーズというわけにはいかず、バーに食べに向かった。


「久しぶりだね」


「引っ越してからは遠くなっちゃったからね。それに、シャノンが毎晩作りに来てくれたから」


「シャノンちゃんねぇ。うちで雇いたいくらいだよ」


「マスターの料理も十分美味しいけどなぁ」


 私はそう言っていつものパスタを注文した。


「そういえば、弟さん来てるよ。ここ最近、貧困者相手に食事の配給とか色々世話をしてるみたいだね」


「ふーん」


 私は奥のテーブルを見遣ると、ジェダと見覚えのある女性を目にした。

 私はマスターに向こうに移ることを告げて、ジェダの居る席へ向かった。


「おや……姉上ではありませんか」


「おやじゃないわよ。なんで普通に居るのよ」


「姉上も、いつも一緒のバハムートはいないんですか?」


「なんか出て行った……」


 私はそう言うと、ジェダと一緒にいた女性がバツか悪そうにこちらを見た。


「……姉さんも、なんでジェダと居るのよ」


「そりゃ手伝ってるし……」


「てか、こっち戻ってきてたんなら言ってよ」


「だって、家に行ったらもぬけの殻だったし……」


「あ、引っ越したこと言ってなかったや」


 私はエリゼにそう言うと、紙切れにに住所を書いて渡した。


「今、屋敷にひとりっきりだからねぇ。辛いよ? だだっ広い屋敷に一人って。なんかメイドとか雇おうかなぁ」


「それならうちで誰か斡旋しましょうか?」


 ジェダはそう言うと、得意気な笑みを浮かべて私を見た。

 私は弟の家業を訝しむように、渋い顔をした。


「怪しい商売でもしてるの? 人身売買とか」


「そんなわけないじゃないですか。ちゃんと職につけない人を紹介したりしてるだけです」


「本当に?」


 私は注文したパスタが来たのでチーズを掛けて頬張ると、エリゼは「話より腹拵えの方が大事なんだね」と言った。


「だってお腹空いてるし」


「そんなことより、本当にメイドとかハウスキーパーとか探しているなら仰って下さいね。紹介はできると思うので」


「うーん。そもそもルティスもメイドってわけじゃなかったしなぁ。同居人が居るだけで寂しはなくなるから」


「……ペットみたいに言うわね」


 私はエリゼの一言に納得して、少し考えてみた。確かに、ルティスは忠実な番犬のような存在だった。


「でも、ハウスキーパー的な人は欲しいかもね。あ、姉さんとかどう? 給金はずむよ?」


「私? それはちょっと無理かな……ジェダ様の身の回りのこともあるから……」


「え、なにそれ。もしかしてやっぱり?」


「違う!違うからね!」


 ジェダは気まずそうな表情を浮かべつつも口角を無理矢理上げて笑みを浮かべていた。

 私がその様子を見て「ふーん」とだけ言うと、二人は先に帰ってしまった。

 私もパスタを食べ終えてすぐ屋敷に戻ると、私はしんとした屋敷の空気に押しつぶされそうになった。


「一人だから、寂しいってわけじゃないかもね」


 思わず溢れた独り言が、ブーメランのように弧を描き私に突き刺さる。

 こんな日に限って空は曇っており、月は見えず私は孤独感を飼い慣らすしかなかった。

 ルティスはちゃんとシャノンと上手くやれているだろうか。様子を見に行ったほうがいいのだろうか。

 そもそも、シャノンは迷惑じゃなかったのだろうか。まあ、ああいう事があったから、一人でいるよりはいいとは思う。ルティスもそれがあっての申し出だったろうし。

 夜が長い。そう思っていると、恐らく私の様子を見ていたのかセシルがやって来た。


「姉上。よろしければ天界へ来ませんか?」


「天界へ? また、どうして」


「いえ……見てると心苦しいのです。どうしても姉上が辛そうに見えて……」


 私はセシルの憐れむ視線を受けて少しムキになり「別に辛くはないわよ」と言い放った。


「ですが……」


「そもそもルティスはセシルの所のでしょ? いつかは私の元からいなくなるんだから、それが早まっただけよ」


「そうですけど……これまで一緒にいて、僕より強い契りで二人は結ばれてるではありませんか」


「それは……そうだけど」


 俯く私の顔を下から覗き込むようにセシルは私の肩に手をやった。


「そんなので落とされるほど柔な女じゃないわよ」


「そういうつもりはありませんよ」


 セシルは笑いながらそう言うと、ダイニングチェアに腰掛けた。

 私はハーブティーを淹れてセシルに出すと、まだ熱いのにそれを口に含んで驚いているセシルが可愛かった。


「ちょっと、神様が舌を火傷だなんてみっともない」


「仕方ありませんよ。神とはいえ、体の構造は人間と同じなのですから」


「寿命が長過ぎるのよ。記憶もあやふやになっていくし……」


 私は自分の言葉がまたしてもブーメランだったことに気付くと、途端に涙が零れ落ちた。


「どうしました?」


「いや……私、いつかは皆んなの事忘れちゃうんだろうなって。数多の記憶の流れに淘汰されて、思い出せなくなるんじゃないかって」


「姉上は人間らしくなり過ぎたのかもしれませんね」


「そうね。力も記憶も封印して過ごした反動かもしれないわね」


 私はハーブティーを一口啜ると、意外と既に温くなってたことに気づいた。

 御茶菓子のクッキーを食べながらセシルと昔話に花を咲かせ、夜更け前にセシルは天界へ帰った。

 また一人になった私は、お風呂に入って髪を乾かすとすぐにベッドに入って目を閉じた。

 意外にもすぐに夢の世界へ向かうことができた。この時間だけ、私は神であることをやめられる。

 陳腐な夢から目覚めると、朝早くにジェダが屋敷を訪れ、昨日言っていたメイドの紹介について話をした。


「昨日もセシルが来てね。寂しいんじゃないかって」


「兄者はシスコンってやつですからね」


「よく知ってるね。そんな言葉」


「ええ、エリゼから色々教えてもらっています」


「あなた、姉さんと……だなんて考えていないでしょうね?」


「もちろんです。人と神、相容れぬ存在ですから」


 ジェダはそう言うと、私に何人かの紹介状を見せてくれた。


「女性の方が好ましいと思いまして、何人か選別して来ました」


「ふむふむ……」


 顔はわからないが、やはり生活困窮者ばかりだ。それに、孤児院出身者も多い。


「この子、まだ十三歳じゃない」


「ええ。ですが、魔法の扱いが上手で、家事に役立つかと」


「まあ悪くないけど……」


 私は少し考えた後、彼女にすることに決めてジェダにそれを伝えた。


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