第47話
「お姉さん……」
「どうしたの?」
私は訊ね返すが、彼女はそのまま首を傾げていた。
「本当に女神様?」
「さあ、どうだろうね」
私はそうはぐらかすが、彼女は何かを確信したように私を「やっぱり女神様だ」と言った。
「だってなんか光ってるし」
「え?」
私は知らず知らずのうちに女神の姿になっており、彼女はそれを見て感動していた。
なぜこうなったかわからず、私は戸惑っていた。
「えっと……これはお母さんには内緒だからね?」
「うん!」
満面の笑みを浮かべた少女に、優しく微笑みかけると、なんとか人の姿に戻り母親にお粥に混ぜる薬草を渡して私は屋敷へと戻った。
丁度ルティスも帰ってきてさっきあった事話した。するとルティスも驚いていて、もしかしたら信仰心に触れたせいかもしれないという結論に至った。
「信仰心が深いと、神様は本能的に報いようとするということかな」
「そうだろう。慈悲を与えたくなるというか……」
夕焼け空の色が屋敷内にも差し込んでくると、私は窓際に移動して溜息を吐いた。
「たまに思うのよね。私、何してるんだろうって。結局、神様が人間の真似事をしてるだけだし、いつか飽きるんじゃ無いかって」
「飽きるなら、すでに飽きていないか? 普遍的な日々ほどつまらんものはないだろう」
「確かに。でも、幸いな事に楽しい毎日を過ごしてるからねぇ」
私は噛み締めるようにそういうと、ルティスは微笑みながら頷いた。
「私もそうだ。もっとさっぱりとした日常かと思っていたら、色々楽しい」
ルティスはそう言うと、以前では想像できないような柔らかい表情を浮かべていた。
そして、少し黙った後にルティスは口を開いた。
「主人、頼みがある」
「何?」
「シャノンと一緒に暮らしたいのだが……」
「シャノンと? いいよ」
私は二つ返事でそう言うと、ルティスは嬉しそうに礼を言って、部屋へと戻った。
シャノンの部屋の準備をしているのかと思いきや、ルティスは大きな鞄に服を入れて、私へ挨拶をすると屋敷を出て行った。
「あ、一緒に暮らすってそう言うことか!」
私はてっきり、屋敷に迎え入れると思っていたので、部屋も空いてるし構わないというニュアンスで許諾したのだが、まさかルティスがシャノンの方に行くとは……。
「静かになっちゃったな」
私はそう言うとテーブルに残っていたマグカップなどを片付けた。
「従者って言っておきながら主人をほっぽって……まあいいけど」
私は拗ねたようにベッドに身を投げた。
深呼吸をしてから、思いついたようにお風呂へ入った。
石鹸の香りを身に纏ってからまたテーブルに座って涼んでいると、お腹が空いたことを思い出した。
「何か作るか」
バケットを切ってハムを乗せてマヨネーズを塗って食べた。
いつもの騒がしい食卓ではなく、静まり返った広い屋敷に一人で居るのも新鮮だった。
食器を片付けてベッドに入ると、沈黙と静寂に包み込まれて私は押し潰されそうになった。
あまりにも暇で天界に帰ってみた。
「姉上? 珍しいですね」
「セシル……ルティスが裏切った」
「ルティスが? まさか本当にですか?」
セシルはそう言うと、私を勘繰るように見回すと何かを察したように微笑んだ。
「なるほど。それで寂しくて帰ってこられたんですね」
「帰ってきても、弟が可愛くない……」
「そんなことありませんよ、姉上。僕がどれだけ姉上を愛しているか、知らないでしょう?」
「やめてよ。気持ち悪い」
私がそういうと、セシルはあからさまに落ち込んだ。
私が冗談だと笑っていると、セシルは少し鋭い目で私を刺すように見ると「僕は姉上が手に入るならなんでもしますよ」と低い声で言った。
「それをもっと他の子に使いなさい。ほら……天気の爺さんのところの孫娘があなたに気があるって昔聞いたことがあるわよ?」
「ティアのことですか? 彼女なら今、天気職人の修行で忙しいですから。それに、僕と結婚したら僕の気分次第て下界の天気が変わってしまいますよ?」
セシルは不適な笑みを浮かべると、私の頬を摩った。
私はその手を払い除けると「家族なんだから……そういうことはしないで」と冷たく言い放ち、下界へ戻った。
セシルの事を考えながら苛立っていると、屋敷の窓を猛烈な雨が叩いていることに気が付いた。
「雨。もしかして、ティアが降らせたのかしらね」
私はそう呟いて、分厚いカーテンを閉じた。
翌朝になると、雨は上がり、地表には季節外れの陽気が太陽の光によってもたらされていた。
少し嬉しそうに蝶が飛んでいるのを眺めながら、薬草園の手入れをしていた。
今日は昨日リストアップした薬草を山へ取りに行こうと準備を進めていると、昨日の親子が姿を表した。
「お姉さん、昨日はありがとうございました」
「あら、元気になったの?」
「うん。女神様のおかげ!」
「すみません、この子ったら……」
「いいんです。気にしないでください」
私は謝る母親にそう言うと、少女は私に笑顔を見せてくれた。
「お姉さんとの約束、守ってくれたんだね」
「うん!」
挨拶もほどほどにして用件を訊ねると、夫のために滋養強壮に効く薬を求めにきたらしい。
私は幾つかの薬草を漬けた薬酒を進めた。酒の程よい酔いで寝つきも良くなる上、薬草の成分で疲れが取れやすくなる。
それを説明し、とりあえずお試しで少しだけでも購入できることを伝えると、今日のところはそれでいいとのことだった。
「お姉さん、またねー」
「うん。またねー」
私は手を振り二人を見送った後、出掛ける準備をした。
「これでよしっと」
リュックサックに緊急用の寝袋なども詰め込んで、私は屋敷に錠を掛けて出発した。
王都からやや南に行けば、大河が流れており、そこを越えれば目的の薬草が採れる山がある。森林自体はエルフの里の方からずっと伸びているが、森林限界を超えた標高あたりにその薬草は生息している。
大河のそばにある集落に到着すると、用水路に備わる水車の小さな小屋の屋根で三毛猫が日向ぼっこをしていた。
柵に囲われた牧場では山羊と栗毛の馬が仲良く歩いている。
「ん? セレナさんじゃないか。今日も薬草を?」
「うん。前に結構採ってきたんだけど、減るのが早くて……家庭菜園じゃ育てられないし」
「そりゃ、仕方ねぇな。そうだ、これを持っていきな」
酪農場を営むトーマスがチーズとパンをくれた。
「実はこっそり小麦も始めてたんだ。それでパンを作ってみたんだが、試しに食べてくれや」
「ありがとうございます」
私はお礼を言って再び歩き出した。
そんな私に挨拶をするように奥にいた芦毛の馬が律儀にお辞儀をした。
それは恐らく、たまたまだろうが、なんか嬉しかった。
大河を渡る船が出たばかりと聞いて仕方なく魔法で大河を渡ることにした。
「こういう時、箒に乗ってたら御伽話のようになるんだけどね」
そう言いながら、パッと飛んでシュッと移動してサッと着地した。
「流石だねぇ」
船頭のおじさんがそう言うと、私はポケットから金貨を一枚出しておじさんに渡した。
「おいおい、なんだいこれは?」
「船代として取っておいて。乗る予定ではあったから」
「じゃあ、帰りはタダでいいよ」
目的のサーマ山に到着し、山登りを始める。わざわざ足を使って登るのは体力維持のためだ。そもそも、体力がなければ魔法を使い続ける事も苦しくなる。
「お、ブラウンキノコだ」
香り高いキノコを見つけて興奮していると、遠くから枝を折るような破裂音が聞こえた。
音の方角を凝視していると、黒い物体が蠢いているのが見えた。
「なんだ、熊か」
彼はすごい勢いで私の側まで来ると、挨拶をするようにお辞儀をした。
私はいつから動物に好かれるようになったのだろうか……。
「よしよし。ちゃんと人は襲ってないでしょうね?」
彼は頷くように首を縦に振ると、私は彼の頭を撫でてやった。
この山で何度か人が襲われる事件があった。熊のテリトリーに踏み入ってしまったためで、子育て中の彼らは威嚇の為に襲っていた。
だが、この辺りには山菜採りに訪れる者もいて、事故が絶えなかった。
私も初めて訪れた時に彼に遭遇したが、あっさりと攻撃を防いでしまったので力の差を認識したらしい。
目的の薬草を採取できた私は、しばらく山頂付近でのんびりしていた。持ってきた麻織のシートを敷き、もらったパンとチーズを食べていた。
「さてそろそろ下山するか」
下山を始めてすぐくらいか、突然の雨に見舞われた。空模様はすこぶるよかっただけに、私は驚きつつも、大樹の足元で雨宿りをした。
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