第41話

 シェーダーの闇。それは私が思っていたよりも根深く、地下茎のように張り巡らされている。

 竹藪の手入れが面倒なのと同じように、全てを掘り返して駆逐するのは難しい。


「闇は深いのう」


 ミヤが気楽な声でそう言うと、私は逆に難しい顔をした。

 眉間に寄った皺を解すと、男を解放しシャノンを送り届けると直ぐに家へと帰った。


「何を悩んでおるのじゃ?」


「シェーダーについて少し……」


「安心せえ。なるようになるじゃ。わしらは慣れとるじゃろ?」


「まあ……そうですね」


「セレナ、言葉遣い!」


 ミヤは私の頭に手刀を軽く落とすと、ムスッとしてそう言った。


「別にいいじゃない……」


「大事じゃ。そもそも、親子の縁は切れておるのじゃからの」


「えっ……そうなの?」


「そりゃわしは転身しておるからの。その時点でそれまでの縁は切れておる」


 私はそれを聞いてさらに居た堪れなくなった。

 それが表情に出ていたのか、ミヤは私の頭を撫でた。


「そういう顔をするなと言うとるじゃろう」


 ミヤはそう言って母親らしい顔をすると、私は急に甘えたくなった。


「おうおう……なんじゃ、甘えん坊じゃな」


 入浴を済ませ、ベッドに入ると私はミヤの腕を夜通し離さなかった。

 翌朝目覚めるとミヤは腕が痺れたと文句を言っていたが、私はどこか満たされた気分になった。

 そんな私を見てルティスが驚きながらも「主人、機嫌が良さそうだな」と笑っていた。

 その後、数週間は特にシェーダーの音沙汰もなく私達は平穏な生活を送っていた。

 が、ことは突然起こった。いや、私たちはすでにそれが起こることを知っていたのだ。


「恐らく、暴動は避けられない」


 私達はルシアからの手紙で呼び出され、エルフの里にいた。

 ルシアから告げられた王都の様子。私達だけでは把握しきれない事をルシアは調べ上げていた。


「抑圧されていたものが爆発するのか……」


「ええ。そして厄介なことにそれに手を貸してるのが……」


「ジェダね。あの子、やたらと下界へ降りてきてると思ったら……」


「そう。邪神教がまだ生き残っていたのよ。貧困者への炊き出しとかしてるから、支持者が増えてきていたんでしょうね……」


 それが厄介かどうかは別として、ジェダが導いているとなると、それが厄介になる。

 私が出しゃばるとなれば神同士のいざこざになってしまう。


「それは避けたいなぁ」


「そうじゃの……。だからと言って加勢するわけにはいかんからの」


 ミヤは足を組みながら煙管を蒸してそう言った。ただ、少しつまらなさそうな目をしているのを見て、私は少し背筋を伸ばした。


「止めるというか、沈静化させるのはできるだろうけど……ただ、国側がどう行動するかよね」


「むう、確かにそこじゃな。ここまで大事になると、わしらだけではどうにもできん。鎮めるのも案外手こずるかもしれんしな」


 ミヤはそう言うと煙管をひと吸い口にして、紫煙を吐き出した。

 その煙が消えていく様を私とルティスは見つめていた。


「民の暴動は結局は政府の責任になる。責められるは国王じゃなくその元凶と結婚したアイリスでしょうね」


「そうじゃ。あの娘がどこまで考えを巡らせているかは知らんが、どう出てくるか……わしらもそれを見てからじゃなければ動けぬ」


 私は苦虫を噛み潰した気分になった。それは、日和見をしろと強いられているような気分だった。


「そういえば長老さんのお体の具合は?」


「今の所……と言いたいが何時どうなってもおかしくはない」


「そうか……」


 私は一度考えをまとめるために散歩に出掛けた。ルティスが付いてこようとしたがそれを断って、一人気ままに歩いた。

 私はどうしたいか。それは、誰を救いたいのか。アイリス? それとも他の友人達?

 自問自答で答えを見出すことは出来なかった。これは、迷いとはまた違う何か言葉では言い表しにくい広義的に言えば迷いである。


「あ、長老さんの家……」


 私は見舞いがてらドアをノックしてみた。


「はい……」


「あ、すみませんいきなりで」


「セレナさん? ずいぶんと雰囲気が変わりましたね」


「あー、色々ありまして……」


 私は困ったようにそう言うと、長老夫人は屋敷に引き入れてくれた。

 長老がいる部屋に通されると、ベッドに横たわる彼は絞り出すように私の名を呼んだ。

 そしてどこか、わかりきっていたと語りかけられている気がした。


「私が人間ではないと分かっていたのですね」


「ああ……セレーナであった頃から薄々気付いておった……。隠しきれないオーラというやつだな」


「そうですか……」


「女神様は古より死を司る神。これもなにかの運命だ……」


「ひとを死神みたいに言わないでください。それで、次期長老については?」


「私は、ルシアに任せたいと思っているが……本人が乗り気じゃない」


 長老は喋り疲れたように溜息を吐いた。

 私はそばの椅子に腰掛けると、彼は体を重そうにして起き上がった。


「私もそう長くない……まあそれは見ての通りだろうが、心配事が多すぎておちおち死んでおれん。女神様の力でどうにかならないか?」


「新手の冗談ですか? 私とて、人の命を弄ぶことはしませんよ。それに、私は生も尊ぶ神ですから、魂が浄化をするのも私の役目です」


「魂の浄化、か」


「ええ。でないと本来、人は生まれ変わりませんから。エルフも同じです」


「そうか……」


 落胆した様子の長老を励ますように手を握ってあげると、彼は少し元気が出たのかハッとしてから私を見遣って微笑んだ。

 長老の家を後にして、私はしばらく散策を続けた。


「セレーナ……じゃなかった、セレナ!」


「ルシア、どうしたの?」


「いや、さっきお祖父様の家から出てきたから……」


「ルシア頑張んなよ」


「……私には無理だよ。エルフをまとめるだなんて、そんな柄じゃない」


 ルシアはそう言うと唇を噛んで俯いた。

 木漏れ日の中で舞い遊ぶ揚羽蝶が、ルシアの左肩に止まると彼女はその子に笑みを浮かべて指を差し出していた。


「セレナはお祖父様がどうして私を選んだのだと思う?」


「孫だからと言うのはないと思う。代々エルフの長はその人格、そして人望で選ばれる。そういう意味では外交もできるルシアが適任だということじゃない?」


「そうかな……私なんてまだまだ未熟で、信用なんてないと思うけど……」


「じゃあなんで長老はルシアを指名したの? それで周りは反対したの?」


 ルシアは黙って首を横に振った。

 長老からの次期長老の発表があった時、一族の意思決定機関である年長者で構成されている長老会もその場に居たらしいが、だれも反対はなかったらしい。

 里の皆へ報せが飛んだ時も皆が口を揃えて適任だと言っていたらしい。ただ単純に、ルシアに勇気がないだけだ。


「背中を押すつもりはない。でも、エルフの寿命を考えればそのうち慣れると思う。それに長老が人がコロコロ変わるくらいなら、若い人が長くやったほうがまとまるんじゃないかな」


「わかった……」


 決心したのかルシアは一つ息を空に向かって吐き、私を真っ直ぐ見た。


「ありがとう。セレナ」


「いいえ、どういたしまして」


 私達は宿に戻ると、ミヤはルシアの様子に気付いたのか少し柔らかい視線で彼女を見遣った。


「うむ。そういえばわしも長老に挨拶しに行かねばな」


「わかった、付いて来て」


 私達はルシアに付いて行き長老の家に向かった。

 先程振りに長老夫人と会ったが、ルシアの姿を見て嬉しそうに抱きしめていた。

 どうやら長老の話があった後、ルシアはここへ近寄らなくなったらしく、本当に久しぶりの来訪だったらしい。


「お祖父様……」


「ルシアか」


「はい。大事なお話がありまして」


「なんだい?」


 私達は席を外そうかと提案したが、ルシアにそれを断られた。

 そして彼女は真っ直ぐそして誠実に話を始めた。


「私、長老やる。お祖父様の意志を継いで、ちゃんとエルフを導いていく」


「そうか……そうか……」


 長老は噛みしめるようにそう言うと、手を伸ばしてルシアを側に寄せた。


「これで私も思い残すことなく死ねるよ」


「お、お祖父様……そんな事言わないでください。まだまだ教わりたいことがあるのですから……」


 頭を撫でられているルシアは涙目になりながらそう言うと、嬉しそうにそれを長老は見ていた。

 また宿に戻り、私は暴動に対しての立ち回りを決めた。そして私達が王都へ戻った後、長老は息を引き取ったと、あとでルシアから報せが届いたのだった。


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