第22話

 テーブルに座り、ルティスは買ってきたパンを齧っていた。

 私はお風呂に入りネグリジェに着替え濡れた髪を魔法で乾かしていた。


「思ったのだが、主人は何故そんなに薄着なのだ?」


「だって楽じゃない」


 そう答えると、呆れた顔でルティスは私を見た。この前までドラゴンだった癖して、結構厳しい貞操観念である。

 ルティスはあっという間にパンを食べ終えると、大きな伸びをしてお風呂に向かった。

 私は冷却魔法で冷やした紅茶を飲みながら、少し蒸し暑い夜の月をバルコニーで見上げていた。

 ロッキングチェアに腰掛け、暫く夜風に当たっているとお風呂から出てきたルティスも同じように風に当たりに来た。


「気持ちいいな」


「飲む?」


 私はポットのお茶をルティスに勧めた。


「いただこう」


 グラスにお茶を注ぎ、ルティスに手渡した。

 一口飲んだ後に漏らした吐息が、どこか艶っぽくて私は見惚れてしまっていた。


「どうした?」


「いや……なんでも」


 入浴後の少し火照った頬が、まるで照れているかのようだ。

 ルティスの横顔を見つめながら、私はグラスのお茶を飲み干した。


「こうしてのんびりしていられるのも、いつ迄なんだろうね」


「邪神の動きがわからん以上、こちらから仕掛けることもできんからな……。何処にいるかさえわからんのだから」


「手掛かり……探さないといけないのかな。だとすれば、こうやって居る場合じゃない気がするけどね」


 私は溜息を吐いてからロッキングチェアを揺らした。

 その様子を見てルティスはクスリと笑い、私の側に立った。


「主人が深く考える必要はない」


「そうなのかな」


 私はルティスを見上げてそう言うと、ルティスは私の頬を撫でながら「心配ない」と囁いた。

 部屋に戻り、ベッドに腰掛けて私は本を開いた。

 宗教の教典だが、特に邪神について載っているわけではない。


「そもそも、邪神の名前ってなんていうの?」


「邪神はジェダという名だ」


「ジェダか……そんな名前の宗教も聞いたことないしな。そこら辺にある教会はセシル教だもんね」


 ルティスの表情が少し険しいものになっていたので、私はそこまで踏み込んで話す事をやめた。

 横になったルティスに誘われるように、私も本を閉じて灯りを消し横になった。


「どうしたの?」


「いや……なんでもない」


 ルティスはそっぽ向いて寝てしまったので、私は仰向けになり天井を見つめていた。

 暫く寝付けない時間を過ごし、ベッドを抜け出してテーブルに座った。


「はぁ……」


 ハーブティーを入れて溜息を吐く。それだけで何か悩んでるように見える。

 仄かな光に照らされ、私は少し考え事を始めた。

 邪神についてもそう。私がこれからどうするかも考えた。

 もし、私の寿命のうちに邪神が目覚めなかったら?

 そう言ったことを考えながら、ハーブティーを啜っていると窓の外から雨音が聞こえた。

 ベッドに戻りルティスの隣に横たわると、目を開けたルティスに抱きつかれた。


「ん……」


 溢れた声と寄せられた胸に、私はドキッとするとルティスの温もりを感じながら眠りに落ちていった。

 翌朝、ルティスは私に制服を着て欲しいと言うから、私は久しぶりに制服に袖を通した。


「久しぶりだから恥ずかしいな」


「似合ってると思うが……」


 いつものようにシャノンと合流すると、物珍しいものを見たような顔をされた。


「……なんかコスプレ感があるな」


「これでも現役なはずなんだけどな」


 私はシャノンにそう言うと、考えてみればシャノンの方が年上だし、本来ならば学院を卒業してる年齢なことを思い出した。


「な、なんだよ……」


「なんでもない」


 私の視線に含まれた何かに勘付いたシャノンは、間を歩くルティスを壁の代わりにし、私から姿を隠そうとした。


「あら、今日は制服なんですね。やはりよくお似合いです」


 フィリスが門前に立ち、挨拶運動をしていた。

 私達の姿を見ると——いや、私の姿を見てすぐにその言葉は出た。


「フィリス会長の方が似合ってますよ?」


「いや、主人の方が似合っている」


 ルティスはそう言うと、何故かフィリスを睨みつけた。


「やめなさいルティス。フィリスも、そんな顔しないの」


 私は二人を諌めると、周りは唖然としていた。

 ルティスを連れて急いで校舎内に入ると、後ろから追いかけてきたアイリスに挨拶をした。


「今日は制服を着ているんですね」


「皆んなそれ言うね。そんなに珍しいかな?」


「珍しいというか……懐かしいというか」


「そんなにブランクないでしょ。明日も着てこようかな」


 私は冗談っぽく言うと、アイリスは笑いながら私の隣に並んだ。


「思えば、こうしてあなたの隣を歩いていたはずでしたのにね……」


 俯きがちでそう言うと、アイリスは先に教室へと向かった。

 私は教員室へ寄り、資料を持って教室へと向かうと元クラスメイトにすら制服姿を珍しがられた。

 午前中は座学、午後からは屋外で実習と今日はメリハリのある一日だが、私はルティスの姿がないことに気付き、昼休みに校内を探すことにした。


「どこ行ったんだろう……」


 私は屋上に行ってみたり、校庭の隅まで探しに行ったりしてみたが、ルティスの姿は無かった。


「セレナさん?」


「マージェリーさん……どうしてここに?」


「お姿が見えたので……何か探し物ですか?」


「ええ、物というか、ルティスを探しているんですけど」


「ルティスさんなら先程、昇降口で見かけましたよ」


「ありがとうございます!」


 私は彼女にお礼を言い、昇降口へと向かった。しかし、そこにはルティスの姿は無く、私はまた途方にくれた。

 階段を降りてくるシャノンに聞いても分からず、どうしたものかと模擬戦場へ向かってみた。


「ルティス……ここにいたの?」


「主人か……」


 ドラゴンの姿で休んでいたルティスを見つけ声を掛けると、彼女は人の姿に変身した。


「ごめん。ずっと人型だったもんね」


「ああ。ここなら目立たないだろうと思ってな」


 私はホッと一息吐くと、ルティスは私の抱き抱えた。


「え、ちょっと!」


「探し回ってくれたんだろう」


「歩けるからいいよ」


 そう言ってルティスに降ろさせ、私は自分の足で歩いた。


「やっぱり授業つまらなかった?」


「いや、そう言うわけではないんだがな……。人間は本能で魔法を使っていないのだなと思って」


「確かに、ドラゴンは本能で使うもんね。火を吹きたけりゃそうすればいいし。ただ、人間はそのプロセスが言語化されていると考えれば、別に不思議ではないかな」


 私はそう言うと、ルティスは納得した様子を見せ、相槌を打った。


「ルティスからすれば、飛行なんて本当に飛ぶだけじゃない? でも、人間は体を上昇させることとそれを移動させることの二つの意識を持たなければならない。そりゃ、熟練度が上がれば無意識の中で、それこそ本能でできるようにはなるけど」


「熟練度か……だから、何度も反復して訓練をするのだな」


「意外と真面目なこと考えていたのね」


「意外とは失礼だ」


「ごめんごめん」


 会話をしながら校舎へと戻り、教室へ入るとエリンがルティスに髪留めをプレゼントした。


「ルティスさん、前髪邪魔そうにしてたから……よかったら使ってください」


「あ、ありがとう……大切にするぞ」


「いいねルティスの髪色に合う色だ。付けてみなよ」


「こ、こうか?」


 髪留めを付けてみせたルティスに、エリンは大喜びだった。


「昨日の帰りに偶々見つけて買ってきたの」


「高かったのでは?」


「なんか安かったのよね。売れ残りだって言ってたけど、私には可愛く見えて」


「そうか」


 私は魔法で鏡を作り出して、ルティスに向けてやった。

 何度も首の角度を変えて自分の姿を確認する姿は、ただの年頃の女の子のようだった。


「伝説の龍が……ねぇ」


「うるさいぞ主人。身嗜みは人間であろうがドラゴンであろうが基本だ」


 ルティスは私に鏡を向けて言うと、直りきってない寝癖を指摘してきた。


「うわーこれなら一旦全部濡らせばよかったな」


「そう言うところを手抜きするからいけないんですわよ」


「アイリスは従者の人達がやってくれるからいいよね」


 私は意地悪くそう言うと「あなたも昔はそうではなくて?」と問われた。


「だとしたら、私の方が今自立してるってことになるでしょ」


 私はそう言って鏡をしまった。

 水場に向かい、髪を少し濡らしていると背後から気配を感じた。

 振り返るとそこにはマージェリーが立っていた。


「寝癖……ですか?」


「ええ、ちょっとしつこいのがあって」


「よろしければ、手伝いましょうか?」


 彼女はそう言うと何故か私の首元に手をやった。

 その冷たい手が肌に触れた瞬間、私は一つ息を飲み込んだ。

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