第37話 藤色の指輪

 予想外のエレンとの遭遇と俺の眼で魔法の情報が視えなかったことへの衝撃、それによって珍しくヒートアップした頭を冷やすために相当時間がかかっていたようだ。

 俺がシャワールームから出ると、先に雪乃は出てきていたようでこちらに背を向けたまま髪を触ったり少し浮足立っているようだった。


「雪乃。ごめん待たせたか?」

 俺が後ろから突然声をかけたせいで、雪乃は肩を撥ねさせた。驚かせてしまったみたいだ。

「たっ龍仁さん!……いえ、大丈夫です!」

 雪乃は先ほどまでの動きやすい格好から見違えるほどお洒落な格好になっていた。

 女性にしては高い背をこれでもかと生かすパンツスタイルで、スラっとしたい彼女のスタイルが際立ちとても似合っていた。


「雪乃、すごく似合ってる。綺麗だよ」

 思ったことを迷わず口にする。

「そ、そっそんな――いえ、……ありがとうございます」

 雪乃は最初こそ謙遜しようとしていたが、彼女も本気で変わろうとしているのだろう。

 俺の言葉をまっすぐに受け止める。

 

「それで、どこで食べましょうか?」

「そうだな……。あの木陰のベンチとかどうだ?それともテーブルがあった方がいいか?」

 せっかく雪乃が手作りしてきてくれたお弁当だ。

 食べやすい場所でいただきたい。

「どこでも食べやすいようにサンドウィッチにしてきたので、ベンチの方でどうでしょう?」

 雪乃はそこまでしっかり配慮してくれていたようだ。

「よし、じゃあそうしよう!」


 目的地のベンチまで行くとランチボックスを間に雪乃と並んで座る。

 ランチボックスの中には目にも鮮やかな、たくさんの種類のサンドウィッチが入っていた。

「張り切って、作りすぎてしまいました」

「いやいや、そんなことない。すごくおいしそうだ。早速いただいていいかな?」

「嬉しいです!はい、是非!」


 他愛のない話で盛り上がりながら雪乃の作ってきてくれたサンドウィッチを食べる。

 見た目にも栄養価にも気の使われたサンドウィッチは味もさることながら雪乃の気持ちが強く感じられた。


「ご馳走様。すごくおいしかったよ。ありがとう。雪乃は料理もうまいんだな」

 同学年程の女の子が作ってくれる手料理を食べるのは、花凛を除けばはじめてのことだった。

「喜んでいただけて良かったです!今度は平日のお昼にもお弁当作ってきてもいいですか?」

「雪乃の負担にならないなら、ぜひお願いしようかな」

「負担なんてそんなことありません!また作ってきますね!」

 平日に雪乃にお弁当を渡されいるところを星や夏葉に見られたら、またひと悶着ありそうだが雪乃がこんなに楽しそうにしているんだ。

 ならそれでもいいだろうと思えた。

 

「雪乃、この後はどうする?」

 せっかく綺麗な格好に着替えてくれたのだから、このまま家へ向かうのは少しもったいない気がした。

「では、最近オープンしたデザインに定評がある魔導器の工房へ行ってみませんか?」

 魔導器の工房か。確かに、日向が魔導器を作れることが分かってから行った覚えがない。

 そしてデザインに定評があるという部分にも惹かれた。

 もちろん、日向の作る魔導器もシンプルで見た目が整っているものがほとんどだが、デザインはさすがの彼も専門外である。

 工房のものには日向の作る魔導器にはない精巧なデザインがされていることも多く、魔法の能力に関係なくアクセサリーという形で身に着ける人もいるのだ。

「それは面白そうだ。行ってみようか!」


 こうして、俺と雪乃は機関へ向かう通りにある、たくさんの工房が並んでいる道、通称工房通りへやって来た。

 目当ての工房は新しくオープンしたという雰囲気ではなく、どちらかと言えば老舗のような雰囲気が漂っており、どこか風格がある様だった。


「ここかな?最近オープンしたという割には結構趣があるような感じだね」

「どうやら、以前この工房を経営していた方のお孫さんが建物を引き継いで自分の工房を始めたみたいです」

 なるほど。そういうことだったのか。

「そうなんだね。じゃあ早速入ってみようか」

 

 工房内はさながらジュエリーショップのようだった。

 まるで宝石のようにショーケースに並べられた繊細な魔導器は、もはや魔導器とは思えない芸術品のようだった。

「……わぁぁ!すごくきれい!」

 魔導器となるといつも性能のことばかりを気にして、デザインに対して執着してこなかった俺でもここの魔導器は性能を抜きにしても欲しいと思えるものだった。


 その中で1つとても気になる物があった。

 ちらりと雪乃の方へ目をやるも、雪乃は綺麗な魔導器に目を奪われており、こちらまで気が回っている様子はなかった。

 俺は小声で近くにいた女性店員を呼ぶ。

「いかがなさいましたか?」

「あの淡い紫色の石がはめ込まれた指輪なのですが……」

 俺がそう言うと店員が色々な魔導器に夢中になっている雪乃の方を少し見る。

「そちらはペアタイプのピンキーリングでございます。プレゼントですか?きっと喜ばれますよ」

「はい、そうです。包んでいただいてよろしいですか?」

 俺の反応に店員はニコッと笑った。

「お買い上げありがとうございます」

 

 俺は丁寧に包んでもらった指輪の箱をもって雪乃の下へ向かった。

「雪乃、気に入ったものはあったか?」

「!龍仁さん、すみません。私、はしゃいでしまって」

「全然気にしなくていいさ。雪乃が楽しめてるなら良かった。それでどれかあった?」

「いえ、どれもこれも可愛くて目移りしてしまって。その袋……龍仁さんは何か買われたんですか?」

 雪乃は俺がこの工房の袋を持っていることに今気が付いたようだ。

「ああ、雪乃に似合うと思って買ってみたんだ。もらってくれるかな?」

 そう言って指輪の箱を取り出し手渡す。

「っ!?これ、私にですか?」

「そうだよ。藤色が雪乃にすごく似合うと思ったんだ」

「そんな……本当に!?あ、あぁ、ありがとうございます!」

 感極まった雪乃が泣き出しそうになっていたので、工房から出ることにした。


 少し歩いて、空いていたベンチに腰を落ち着ける。

 ここに来るまでずっと下を向いていた雪乃がようやく顔を上げる。

 今までは涙をこらえていたみたいだが、今は満面の笑みだった。

「あの……、これもしかして、ペアリング……ですか?」

 期待のこもった目でそう言う雪乃。

「そうだよ。どうかな?」

「一生大切にします!」

「そうか。喜んでもらえてよかったよ」

 

「あの、龍仁さん」

「どうかした?」

「……その、図々しいのは百も承知なのですが……つけてもらえないでしょうか?」

 また少し潤んだ目で上目遣いをしてそう言う雪乃に、俺は思わず生唾を飲み込んだ。

「もちろんいいよ」

 俺は雪乃の手を取り、彼女の細い指に指輪を通した。

「もう一生、外しません」

 そう言って右手を掲げる雪乃の小指には、淡い紫の指輪が煌めいていた。

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