第15話

 シーナの心には深い後悔があった。約束を守れず、あの子供の母親を殺してしまった事に対して。だが、同時に心の奥底、シーナから絶対に消える事のない復讐心がまたしても囁いてくる。


 ――――これで心置きなくコイツを殺せる、と。


 やる事は簡単だ。ただ腕を伸ばしてその鋭い爪を首筋に突き立ててやればいい。相手が魔族とはいえ、首を落とせば殺せる。


 カースが人質を取り、逃げるのではなく時間を稼ごうとしたという事は先程までシーナの攻撃を躱していた謎の能力の再使用までに時間がかかる可能性が高い。つまり、今ならカースを殺せるという事だ。逆に言えばこの機を逃し、逃げられてしまえば殺す機会はなくなるかもしれない。


 その考えまで辿り着いたシーナは、他の全てを忘れて復讐心に身を委ね――――笑みを浮かべた。


「死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 今までで一番の笑みと叫び声でカースの首元を抉ろうとするシーナ。


 殺せると確信してるからこそ気が付かなかった。カースも口元に小さく笑みを浮かべ、ナイフを持つ手とは反対の手で指を鳴らす準備をし、シーナを殺す準備を完了させていた事に。


 しかし、二人の笑みが驚きの顔へ変わる。その理由は、シーナの爪がカースの首筋へ届く事は無かったからだ。その前に、腕を掴まれて止められたのだ。


 カースに、ではない。カースとシーナの間にいる人物、首から上が切り飛ばされ、シーナの腕を止める力どころか体を動かす事も心臓を動かす事すら出来ないはずの――――あの子供の母親に、である。


「――――なっ!?」


「――――どういう事だ!?」


 二人が状況を把握する前に首無し人間がシーナの腕を掴んだまま跳躍し、カースとの距離を取る。


 そして、ボコボコッ!! と首から上が生えてきた。その顔はあの母親ではなく、シーナにとってはこの時が初対面となる――――


「あー、やれやれ。せっかくの俺の計画が台無しだ。まさかあそこで攻撃してくるとは思わなかった」


 ――――勇者リオンの顔だった。


「なっ、なっ・・・・・・」


 最初に大蛇の魔獣に襲われていたのは間違いなく本物である。その後、カースとシーナが戦闘している間にリオンが到着し、あの母親を逃がしてから変装魔法を使い入れ替わったのだ。


「お前、あれは俺じゃなかったら死んでるぞ? もうちょっと考えて動けよ」


 首から下も先程までの女性の体ではなく、リオンの勇者としての正装と言っても過言ではない、銀色の鎧を身に着けていた。


 その様子にさらに動揺するシーナだが、一番驚いているポイントはそこではない。


「なっ、なっ・・・・・・なんで、死んでないんですか!? 首を斬られたんですよ!? ま、まさか、あなた、魔族なんじゃ――――」


「違う。俺の名前は勇者リオン。ちょっとくらい聞いたことあるだろ?」


 勇者リオン。その名は当時から有名だった。この頃のリオンの実力はまだ全盛期ではなかったとはいえ、相手が何体いようが魔獣だろうが魔族だろうが単身突撃し、食いちぎられようが切り落とされようが吹き飛ばされようが死ぬ事のない不死身に近い存在だったのだ。不死身の勇者リオンとして有名になって当然である。


「あの不死身の勇者ですか・・・・・・なるほど。噂に違わぬ、いえ、噂以上に気持ち悪い不死身っぷりですね」


「気持ち悪いって・・・・・・あのなあ、俺だって心は傷つく――――って何すんだお前!」


 リオンのセリフが終わらない内に、シーナが手刀でもう一度リオンの首を落とす。いきなりそんな事をしたシーナもシーナだが、空中でくるくると回りながら文句を言うリオンも十分異常である。


「やはり殺せませんか・・・・・・魔族の味方をする勇者など殺しておきたかったのですが」


「魔族の味方って・・・・・・俺がか?」


「あなた以外誰がいるんですか。せっかくあそこのカスを殺せるチャンスだったのに、邪魔されたんですよ」


「邪魔って・・・・・・あれは、むしろお前を守ったんだけど」


「私を守る? あれが? 邪魔以外の何物でもないでしょう」


「お前・・・・・・もしかしてあいつの能力も知らずに戦ってたのか?」


「そういうあなたは知ってるんですか?」


「ああ。あいつとは何度か戦ってるからな。あいつの能力は攻撃を認識すると体を霧の様にして攻撃が当たらなくなる。それと、指を鳴らす時は要注意だ。触れてる相手を霧にするからな」


 カースの能力名は『有幻の霞』。自動で自分を霞にして相手の攻撃を躱す事ができる。さらに、手動になるが合図(指パッチン)をすることで触れている物や人を霞にすることが出来る。


 ちなみに、魔族は人間と違い固有スキルを持って生まれる事は無い。なので、ここでいうカースの能力とは正確には魔王ディグロムの『死の領域』のようなその魔族にしか使えない魔法という意味である。


「そういえば、指を鳴らす仕草をしていましたね・・・・・・」


「ああ。だからお前がヤバいと思って咄嗟に助けたんだ」


「・・・・・・それは、どうもありがとうございました」


 深々と頭を下げるシーナ。邪魔をされた事がまだ悔しいのか顔は物凄く嫌そうではあるが。


「気にすんな・・・・・・まあ、お前のせいであいつを逃がしたけどな」


「は?」


 シーナがつい先ほどまでカースがいた場所の方を見ると、既にそこには誰もいなかった。


「あいつの能力は霧になるまでの時間をかければかけるほど長い時間霧になっていられる。あれだけ時間があれば既に逃げ切ってるだろ」


「あなた・・・・・・それを黙って見逃したんですか?」


「いや、見逃したのはお前のせいだろ。あいつの能力は自動で発動するんだ。あいつを殺すには完全な不意打ちで一撃で決めるしかないから変装魔法まで使って隙を狙ってたのに――――」


 セリフの途中で、ドバンッッッッ!! という音と共にリオンの胴体が吹き飛んだ。当然の如くすぐに再生したが。


 だが、さっきまでと違う事がある。それは、リオンの怒りが徐々に膨れ上がってきているという事だ。


「いってえ・・・・・・お前、ふざけるなよ。いくら再生できるからって痛いもんは痛いんだぞ? 何度も殺すな」


「・・・・・・ふざけているのはどっちですか。限界を超えた速さならあのカスに攻撃が当たるのはわかったんです。さっきの速さなら完全に殺せるはずだったのに・・・・・・!!」


 カースの能力『有幻の霞』は相手の攻撃を認識すれば自動で発動するが、認識してから発動するまでには一瞬にも満たない刹那のタイムラグがあるのだ。通常の攻撃なら余裕で躱せる能力である。


 だが、限界を越えたシーナの速度はその刹那の間にカースに攻撃を届かせることが出来る。カースを殺す事も可能だっただろう。ただし――――


「何言ってんだ。そんな事したらお前も死ぬだろうが」


 『有幻の霞』の手動での発動は指を鳴らせば完了する。例え、シーナが限界を越えた速度で攻撃しようが、首を跳ねてからカースが絶命するまでは少し時間がある。指を鳴らし始めていたカースならその間に能力を発動させることが出来る。シーナを殺す事が出来たのだ。


 つまり、リオンが邪魔しなければカースも死ぬがシーナも死んでいたという事である。


 だけど、シーナはそれを分かった上で全く感謝などしていなかった。


「それでも私は良かったんです。私を一人逃がして、私を庇って死んだ母の敵であるあいつさえ殺せれば、私が死のうがどうなろうがどうでもいいです」


「・・・・・・お前、他に家族は?」


「父が一人です。あの日以来父だとは思ってませんけどね」


「父だと思ってない?」


「ええ。あの日、母の敵が目の前にいたのに父は逃げ出したんです。あんな臆病者、父だなんて思えません」


「へえ・・・・・・それは、お前の言う通りだ。お前の父親は臆病者だな」


「・・・・・・そうです。だから、私は死んでもいいから母の敵を取ると決めたんです。あんな臆病者の父親なんてどうでもいいです」


「そうかそうか。別に復讐をやめろとかそういう事を言うつもりはないけど――――一つだけ言わせて貰うぞ」


「・・・・・・は?」


 そこでリオンは右手でかかってこいと言わんばかりに手招きをする。


「俺がお前に教えてやるよ。お前の父親は臆病者かもしれないが、お前よりはよっぽど立派な人間だったって事をな」


 戦いを楽しむ性質だった当時のリオンにしては珍しく、全く楽しくなさそうにシーナを挑発した。

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