第14話
そして、十年近い時が経った。
子供だったシーナももうすっかり大人の女――――とはいえ、見た目はまだ人間の十四歳の少女程度だが――――になっていた。
あの日以来、シーナの家の雰囲気はまるで変わってしまった。ルーナがいないと言うだけではなく、トウマとシーナの関係もおかしくなってしまっていた。
トウマはあの日、これ以上家族を失う事が怖かった。だから、ルーナの敵が目の前にいながら逃げた。どれだけ殺しても足りない程の恨みを向けている対象が目の前にいて、逃げたのだ。
それを誰が責められるだろうか。あの場にトウマが一人だったら彼は迷わずあの男と対峙していただろう。娘を守る為に深い怒りを強引に鎮め、逃げるという選択肢を取った事を責められる者はいないはずだ。
だが、シーナはトウマを責めた。何故お母さんの敵を目の前にして逃げたのか、相手が強かったから怖くなったんじゃないか、と。
それは当然否定するトウマだが、シーナは聞く耳を持たない。その結果、二人の喧嘩は今に至るまで続いていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
今朝も、二人は一言も喋らずに無言のまま二人でそれぞれ自分達で作った別々の朝食を食べていた。
「・・・・・・ご馳走様」
一応、挨拶だけは交わしているし、外では村人に心配をかけない為に普通に話したりもしている。しかし、家の中での二人は最早二人の関係は親子には見えない。一緒に暮らす他人、そう表現するのが正しいと言える程だった。
トウマはルーナがいた頃の様な関係に戻る事を望んでいた。だが、それと同時にシーナが幸せになってくれさえすれば自分との関係はこのままでいいとも思っていた。
ルーナを失った悲しみは未だに消える事は無いし、忘れる事も出来ない。シーナがいなければ自分はとっくに死んでいただろうから。シーナには幸せになって欲しい、だが今のシーナはルーナの復讐に囚われてしまっている。
それでは幸せになれないだろう。だが、どう声をかければいいのか。妻の敵を目の前にして逃走した俺が・・・・・・ルーナならなんて言うだろうか。俺にはできなくてもあいつならきっとシーナを復讐から解き放ってくれるんだろうな。と、毎日の様にトウマは悩み続けていた。
今日もシーナに声をかける事すら出来ず、いつも通りの一日が――――
「た、大変だ村長!! 魔獣が村に向かって来てる!! それも北と南に二体も!」
トウマの家に駆け込んできた村人の一人の言葉を聞き、トウマとシーナは急いで家を出る準備を始める。
「どんな奴らだ?」
「き、北に現れたのは猪の様な見た目をしてたそうだ。南の方は・・・・・・」
「ッ!!」
そこで村人が黙った理由をすぐに理解したシーナは、着替えなど後回しだと寝間着のままで家から飛び出す。
「シーナッ!! クソッ、まさか南に出た魔獣って言うのは――――」
「あ、ああ。デカい蛇の魔獣だったそうだ・・・・・・」
「やっぱりか・・・・・・!!」
トウマは今すぐシーナを追っていきたかった。しかし、村の実力者の二人がどちらとも南に行ってしまったら、もし北に現れた魔獣があの大蛇並みの強さだった時に何人もの村人が殺される事態になりかねない。
怒りに支配されているシーナを放っておくことが正しいとは思えない。だが、村長として正しい行動は村人を守る事。どちらにするか、少しの間悩んだトウマは――――
「俺は北へ行く。南の魔獣はシーナがなんとかしてくれるはずだ」
村長として、そしてシーナの成長ぶりを知っている親として、今のシーナならばあの時の大蛇だろうと魔族の男だろうと殺される事は無いと確信し北へ行く決意を決めたトウマ。
その頃、シーナは驚異的なスピードで村の南まで到着していた。そこに大蛇の姿は見えないが、村の手前で引き返した様な大蛇が通った跡が残っていた。
「・・・・・・これは、どういう事?」
「うあっ・・・・・・おかしゃんが・・・・・・」
家の陰に隠れる様にうずくまっていた子供を発見し状況を確認しようとするシーナだったが、その子供は泣いていて何を言っているのかわからない。
「何があったの?」
「おかしゃんが・・・・・・おかしゃんが私に逃げろって・・・・・・」
「おかしゃん・・・・・もしかして、お母さん・・・・・・?」
シーナの言葉にコクリと頷いたその子供の様子を見て、シーナはここで何が起きたのか理解した。
恐らく、ここに親子二人でいた時に大蛇の魔獣に襲われ、母親は子供を逃がす為に囮になり村とは反対方向へ逃げた。だから、大蛇の通った跡が村とは反対方向に引き返しているのだ。
そう、まるでシーナの母ルーナがシーナと村を守る為に一人犠牲になった時の様に――――
「・・・・・・ここで大人しくしてて。私はお母さんを助けてくるから」
この子に自分と同じ思いはさせない為にその子供にそう言い残して急いで大蛇の通った跡を辿っていくシーナ。
子供を不安にさせないために平静を装っているが、内心は怒りで埋め尽くされていた。大蛇の魔獣を殺す、それだけしか考えられなくなる程には。
すると、割とまだ村から離れていなかったので簡単に追いつくことが出来た。必死に逃げるあの子供のお母さんと思われる女性と、大蛇の魔獣である。
「見えた」
一言そう呟いて楽しそうに笑ったシーナは、大蛇の尻尾の先を握り――――グシャリ、と握り潰した。
尻尾の痛みで、子供のお母さんを追いかけるのをやめて振り返る大蛇。そして、シーナの顔を確認するやいなや飛び掛かってきた。
その大蛇をあっさりと片手で止めたシーナは、少しだけ残念そうな顔をする。
「・・・・・・あの時の魔獣じゃない」
その大蛇の魔獣は十年前にルーナを食べた魔獣ではなかった。大きさは見劣りしないが模様が微妙に違うのだ。と言っても、意識しないで見れば同じに見えるという程度の些細な違いでしかないが。
あの時の魔獣ではないとわかって残念がるシーナだが、だからと言ってその大蛇を見逃すわけがなかった。止めている方とは反対の手で下から思いっきりアッパーカットを決める。
もう昔のシーナとは違った。その一撃だけで大蛇は天高く舞い上がり、そして地面に激突して絶命するのだ――――地面に激突さえ、すれば。
その大蛇は上空に吸い上げられたのだ。十年前と同じ様に。
「やれやれ、めんどうですねえ」
その声が聞こえた瞬間、シーナの心は大きく昂った。この十年間、決して忘れる事の無かった声。毎晩のよう夢に出て吐き気がする程の怒りを湧き上がらせる声。そして、この十年間会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくてしょうがなかった、男の声。
シーナは歓喜に打ち震え、そして同時に腹の底から湧き上がる怒りで一瞬で人型のまま『獣化』し、はるか上空にいた魔族の男を殴り飛ばしていた。魔族の男が何も感知できぬ内に、である。
ズドムッッッッ!! という轟音と共にシーナの拳が魔族の男の顔面にめり込み、男を地面へ叩きつける。
「な、なにが・・・・・・!?」
いきなり大ダメージをもらい、地面へ叩きつけられた魔族の男は何が起きているのかすら理解していなかった。分かるのは、殴られた事と――――上空から圧倒的な脅威が降ってくるという事だけだ。
「なにが・・・・・・なんだか、わかりませんがとにかくここは逃げ――――」
「そんな事、させるわけありません」
まだ遥か上空にいたはずのシーナがいつの間にか魔族の男のすぐ横まで迫っていた。
そして、シーナの声に魔族の男が反応する前にシーナの回し蹴りが男のわき腹に命中した。
しかし――――
「・・・・・・?」
確かに蹴った感触はあるのに、すでにそこに魔族の男の姿は無かった。シーナが首を傾げていると、背後から声がする。
「まっ――――」
最早、反射に近い反応速度で声が聞こえてきた方へ裏拳を放つシーナ。確かに顔を捕らえたはずだが、今度は殴った感触すらなく男は消えてしまった。
「・・・・・・やれやれ、セリフぐらい最後まで言わせてもらいたいですね。まったく、不意打ちとはやってくれましたね」
今度は、いつの間にかシーナの上に浮かんでいた。今のシーナならば一瞬でそこまで辿りつき首から上を吹き飛ばす事も可能だが、シーナの攻撃を避けた謎の能力が何度でも使えるならイタチごっこになる。『獣化』した状態では長期戦は不利なのでいったん『獣化』を解除する。
だが、もちろん殺す事を諦めたわけではない。隙を見せた瞬間殺せるように相手の一挙一動を見逃さず集中する。
「まずは、自己紹介といきましょうか。私の名前はカースと言います。以後お見知りおきを」
「カス? あなたにぴったりな名前ですね」
魔族の男改めカースはその一言で笑顔のままおでこに青筋を浮かべる。
「私の名前はカスではなくカースです。二度とカスなどとという呼び方はしないように」
「私の名前はシーナです。私の方はお見知りおかなくて結構ですカス」
「・・・・・・だから、私の名前はカスではないと――――」
あまりの苛立ちで頭痛がしてきたカースが人差し指で額を押さえた時、その隙を見逃さないでシーナが『獣化』してカースの首に爪を突き立てた――――様に見えた。
カースはまたしても、謎の能力でシーナの爪から逃れる。
今度はどこにいったのかと周囲を見渡すシーナ。だが、周囲には見当たらない。
「逃げられた・・・・・・?」
しかし、カースは逃げたわけではなかった。空中にいるシーナの死角となるシーナの真下の地面に立っていた。
だが、完全有利なその位置からでも『獣化』した『獣人族』を不意打ちをするのは難しい。視覚や嗅覚だけでなく聴覚も人間離れしている『獣人族』に不意打ちするためには全く音を立てないか、音を立てても気づかれる前に攻撃するかしかないのだ。
だからカースは自分が使える魔法で最速で発動出来る魔法を選んだ。
「『黒い雷』」
魔王ディグロムの使う『黒い雷』はリオンの半身を吹き飛ばす程の威力があったが、カースのにはそこまでの威力は無い。それでも、当たればシーナの動きを少しの間止めておけるくらいの威力はあった。
それも、当たればの話であるが。
「ガァッ!!」
カースの放った『黒い雷』はシーナに届く事なく咆哮だけでかき消されてしまった。
「これは、本気でマズいですね・・・・・・」
カースを見つけたシーナが獲物を見つけた鷲の様に、一直線にカースへ向かって降ってくる。落ちてくる、ではない。降ってくるのである。空中を蹴って、まっすぐに獲物に向けて。
その速度は重力も加わり、普段のシーナとは比べ物にならない。これを避けるのはリオンにも難しいだろうが、またしても当たったはずのカースに避けられた。
「・・・・・・またしても消えた。でも、今のには少し触れた感触があった。つまり、知覚すら出来ない速度なら当たるって事ですよね」
「そうですね。これ以上攻撃が出来るのなら、ですが」
シーナが声のする方を振り返ると、カースは意識を失っているあの子供の母親を左腕で抱えいつの間にか右手に握っていたナイフをその首筋に突きつけていた。
「さて、どうしますか? ああ、ちなみに気絶しているのは私がやったわけではないですよ。あなたの先程の音速を超える突撃の時に生じた衝撃波で気絶しているんです」
「・・・・・・」
「あなたがいくら速かろうが私がナイフを首筋に突き立てる方が速いです。これを助けたいのなら、しばらく私とお喋りしてて下さい」
「・・・・・・お喋り? 逃げないんですか?」
「まあ、理由はその内わかりますよ。どうしますか? この人を殺されるか、私とお喋りするか、どちらにしますか?」
シーナは母親を逃がしておかなかった事に後悔すると同時に、頭では母親を助ける方法を考えながらもこの状況でもカースを殺す事しか考えていない自分の心に恐怖を感じていた。
シーナのカースへの恨みは強い。だが――――いや、だからこそ、あの子供に自分と同じようになって欲しくない、母親を死なせたくないと思っている。思っているのに――――
――――カースさえ殺せれば他の全てはどうでもいいと、心が囁いてくる。
「・・・・・・あなたは」
「お喋りの方を選びましたか。それでいいんです」
「・・・・・・あなたは、私の事を覚えていますか?」
「あなたの事を、ですか? さあ? 初対面だと思いますが」
「十年前!!」
その叫び声にカースの両肩がビクッ! と震える。
「十年前・・・・・・?」
「あなたは、私の母を殺した!! ここまで言っても思い出せませんか!!」
「ああ・・・・・・あの時の子供ですか。そういえばそんな事もありましたね」
記憶を探り、やっとという感じで思い出したカースはシーナの殺意のこもった視線を軽く受け流し、
「で? それがどうかしました?」
本当に、何故今そんな事を聞いてくるのか分かっていないカースは首を傾げる。
その一言でシーナの怒りが爆発した。
地面を蹴り、カースにたどり着く前にナイフが母親の首筋に刺さっていくのがスローモーションで見えた。
シーナは、そこでやっと自分がやってしまった事に気が付いた。カースを殺せる代わりにあの母親は死ぬ。自分の復讐の為に母親を犠牲にしてしまった。
絶対に助けるなんて言っておいて、私が彼女を殺してしまった――――!!
その罪悪感と後悔で押し潰されそうなシーナの目の前で、
――――血飛沫と共に首が宙を舞った。
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