第13話

「・・・・・・嘘、だろ」


 シーナに案内されて到着したトウマはその場で絶句する。


 そこにはとぐろを巻いた巨大な蛇が鎮座していた。周囲の木でまともにたっている物など一つたりともなかった。根元から折られ、引っこ抜かれ、その一帯だけがまるで嵐の通った後の様になっていた。


 だが、トウマが絶句した理由はそこではない。トウマが絶句した理由は、ルーナの姿がどこにも見あらない事、大蛇の体の所々に血が付着している事、そして、その大蛇の口の端に引っかかっている血まみれの服から、僅かではあるが匂いが漂って来る事、である。


 その匂いにトウマは覚えがあった――――いや、覚えがあったなどと軽いものではなく、その匂いはトウマにとって常に隣にあったものだった。ついさっきまでトウマと一緒にいて、一緒に喜び、怒り、悲しみ、自分の日常にいるのが当たり前の存在、妻であるルーナの匂いがしてきた。


 彼女の匂いがついた服の切れ端が血まみれで、しかも大蛇の口の端に引っかかっているという事は彼女はもう――――


「嘘だ!! そんな、そんな事は・・・・・・!!」


 そこから先は考えることが出来なかった。さっきまで隣にいて、娘の将来について話していた彼女が、結婚してからずっと一緒にいた彼女が、もう娘の花嫁姿すら見ることが出来ないなんて――――


「お前、だけは・・・・・・!! お前だけは絶対に――――!!」


 トウマの理性は一瞬で吹き飛び、大蛇を殺す気で突撃する直前、トウマの背後から叫び事も泣き声ともつかない声が上がる。


「う・・・・・・あ・・・・・・うわああああああああああああああああああああああああ!!」


 トウマが振り返るとそこには当然、ここまで案内してくれたシーナがいるはずだった。だが、そこにいたのはとてもシーナには見えなかった。


 何故なら今のシーナは、爪は鋭く伸び、まるで獣の爪の様な光沢があり、歯は、最早牙と呼べる程尖っている。髪の毛も元はショートだったのが地面に着くほど長くなり、しかも一本一本が針並みに太く、鋼鉄の様に硬くなっているからだ。


 『獣人族』が本気を出す時だけに見る事の出来る身体的特徴をより獣に近付ける事で近接戦闘に特化させ、身体能力何倍にも押し上げる代わりに使用するとかなりの体力を消費するまさに『獣人族』にとっての奥の手、『獣化』である。


 本来『獣化』は長い修行の上で使う事の出来るようになる技である。シーナにはまだとても使う事は出来ない。現に、シーナの『獣化』は中途半端にしか出来ていなかった。通常の獣化では完璧に獣の様な見た目になるはずなのだが、シーナの見た目は完全に人間である。毛皮で覆われていない分防御力が下がるのだ。


 シーナの悲しみをも上回る怒りの感情が相手を殺す事を求めた。その感情の昂ぶりが『獣化』を無理矢理発動させ、防御を一切捨てた攻撃的なフォルムになったのだ。


 そこまで強い感情を持った彼女が、このまま何もしないわけがなかった。


「お母さんを返せえええええええええええええええええええええええええッッ!!」


 シーナは、足に力を溜めて全身全霊の力を使って大蛇を殺そうとしている。それが分かった瞬間、トウマはシーナを止める為に動き出した。


 相手の強さが分からない以上、冷静さを欠いたシーナが無暗に特攻を仕掛ければ返り討ちされる可能性が高いと判断したのだ。


 トウマはシーナの目の前に躍り出て無理矢理にでも止めるつもりだった。シーナは『獣化』している。何もしていなければいくらトウマと言えども死ぬ可能性もあった。だが、彼はもうこれ以上家族が死ぬのを見る事だけは耐えられなかったのだ。


 そして、目の前に躍り出る為に一歩踏み出した時にトウマは気づく。自分は、勘違いしていたのだ、と。何を勘違いしていたのか、それは――――


 トウマでは『獣化』したシーナの目の前に立ちふさがるどころか、触れる事すら敵わない程のスピードだという事だ。


「なっ、はや――――!?」


 トウマがシーナを見失った、と思った時にはシーナは既に大蛇を顎の下から蹴り上げ、天高く打ち上げていた。


 そして、自分も飛び上がり大蛇の尻尾を両腕で抱えるように掴んで地面へ叩きつける。


「どういう事だ・・・・・・? あの動き、俺が『獣化』時と同等、下手したらそれ以上だぞ!?」


 『獣化』による身体能力の上がり方はそれぞれ個人差がある。とはいえ、『獣化』した時は元の身体能力が数倍になる、という上がり方だ。つまり、元の身体能力が低ければ『獣化』の能力が高くても大して上がらないのだ。


 シーナはまだ子供である。元の身体能力が他の子供よりも高かろうが、才能があろうが、今はまだトウマには到底及ばない。それなのに、『獣化』しただけでトウマと同等の力を得れるなどありえない事だった。


 だが、それは逆に言えば元の身体能力を上げる事が出来れば、『獣化』の効果を上げる事が出来るという事である。


「まさか、身体能力が上がる固有スキルか・・・・・・?」


 トウマの予想は半分当たりで半分外れだった。


 シーナは、幸運な事に固有スキルが覚醒した――――いや、このタイミングで目覚めた事は決して幸運とは言えないのだが――――とにかく、固有スキルが覚醒したという予想は間違いではなかった。しかし、その能力はただ身体能力を上げるなどと言える程甘い能力ではなかった。


 シーナの能力名は『完全掌握』。その能力を使って自分の体の隅々まで完全に掌握した。例え獣であっても筋力を100%完全に使えるわけではないがそれを能力で100%使えるようにし、気の流れと魔力の流れも全て自分の身体能力を上げる事だけに集中させて、この絶大な力を得ていた。


 このレベルの力があれば魔獣を殺す事など造作もない――――はずだった。


「シーナっ!?」


 何度も地に叩きつけられ最早瀕死に近い大蛇をとどめと言わんばかりに天高く蹴り上げた直後、突如としてシーナは体が鉛の様に重くなったように感じ、その場で膝から崩れ落ちる。


 自らの体の限界を超えた身体能力を引き出すという行為は言わば軽自動車にスポーツカーのエンジンを載せて走る行為に等しい。すぐに体は限界を迎え、動けなくなるどころか後遺症が残ってもおかしくない程危険な行為なのだ。


 しかも、その上で体力を大幅に消耗する『獣化』まで使っている。本来ならば、使った瞬間に動けなくなってもおかしくない体力の使い方であり、むしろここまで動けた事が異常なのだ。


 そして、まともに動けなくなったシーナの上から、大蛇が降ってくる。


「シーナ――――!!」


 トウマは、動けなかった。目の前で娘が死にそうになっているのに動けなかった。自分が死ぬよりも怖い、目の前での家族の死。そのあまりの恐怖に一瞬、本当に一瞬だけ動けなかった。だが、その一瞬でシーナの体は大蛇に押し潰されてしまう。


 その寸前で――――


「全く使えない。魔獣は無能すぎる」


 ――――落ちてくる大蛇のさらに上。いきなり現れた男の持つ宝石の様な物に大蛇の魔獣が吸収されていく。


「全く、いくらコイツを失うのが惜しいからと言って私を回収に向かわせるとは。自分で来ればいいものを・・・・・・そもそも、こんな無能な物を使うぐらいなら最初から私に任せればいい。本当にコイツもあの人達も無能すぎる」


 全身黒ずくめのスーツを着たその男は、シーナの命を助けたが、明らかに味方ではなさそうだった。その理由はたった一つ。その男の頭に二本の大きな角が生えていたから、人間ではなく魔族だったからだ。


 その男は、ひとしきり『あの人達』への文句を言ったあと、下にいるトウマを一瞥し、興味無さそうに息をついてから真下にいるシーナに視線を固定する。


「あの男の方は無能なようですが、あなたは魔獣よりはまだ使えそうですね」


「・・・・・・お前が」


「はい? どうかされましたか?」


「お前が、お母さんを・・・・・・私から、奪ったのか」


「あなたのお母さんですか? さあ、何のことか・・・・・・ああ、なるほど。先程コイツが食べたのがあなたの母という事ですね。という事はそちらの無能な男はあなたのお父さんという事――――」


「答えろ!!」


 シーナは その男の言葉を遮る様に大声で叫ぶ。自分の言葉を途中で止められた男は怒る事は無く、一瞬だけ何かを考える仕草をし、笑顔でシーナの質問に答える。


「そうですね。あなたのお母さんを奪ったのは私達と言っても差し支えは無いでしょう。コイツは私達が送り込んだ物ですから。あなたからお母さんを奪ったのはコイツですが、あなたがお母さんに二度と会う事の出来ない理由を作ったのは私達です」


 かなり回りくどい言い方だが、つまり――――


「お前が、お母さんを殺したのか・・・・・・!! お前があああああああああああ!!」


 ほとんど動かないはずの体を怒りのエネルギーで強引に動かし、男の方へ跳びあがるシーナ。そのスピードは全力でも普段よりも遅く、パワーも半分程度しかない。


 だが、それでもシーナはその男を殴られずにはいれなかった。本当にルーナの敵かどうかは最早関係ない。


「やれやれ・・・・・・仕方ありませんね」


 男は右手を顔の位置まで上げ、指を鳴らす準備をする。指がなったら何が起こるのかは分からないが、その余裕な態度から指を鳴らすだけでシーナを撃退または殺せるだけの力がある事はわかった。


 それはシーナにもわかったが止まる事は無く、そのまま男へと突っ込んでいく。あまりにも無謀。そして、そんな無謀な事を父親が止めないわけがなかった。


 白銀の毛色の狼、『獣化』したトウマがシーナの服の裾を咥え、首を振って地面へ落とす。


 それを興味深そうに眺めた魔族の男は、


「ほう・・・・・・狼ですか。無能にしてはいいですね。まさか、このタイミングで――――」


 だが、セリフを最後まで言い切る前にトウマの後ろ足で顎を下から蹴り上げられる。


 先程はセリフを遮られても表情すら変えなかった男は、顔を蹴られても表情は変わらなかった。ただし、その瞳からは殺意しか感じられない。


「・・・・・・まさか、無能な者に顔を蹴られるとは・・・・・・やってくれましたね。いいでしょう。そこまで殺されたいのならば今すぐ殺して差し上げます」


 そう言い放って、下を見た男はそこで気づく。


 既に、二人共逃げていてその場にいないという事実に。


「・・・・・・まあいいです。コイツを回収すると言う役割は達成しましたし」


 言い訳じみた独り言を呟いて男は消えた。

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