第6話

「その鎧から察するにお前はヴォ―リアの騎士だろ? 一人で来たのか?」


 イラムは目の前で起きた出来事に呆然としていたが、その一言で我に返る。


「い、いや、俺の部下は全滅した。『沼に住む怪物』でやられたんだ・・・・・・」


「『沼に住む化け物』で? ・・・・・・そうか。でも、それならまだ何とかなるかもしれない」


「は?」


「あの黒魔術は精神を食らうから肉体的なダメージは無い。そのまま放っておけば死ぬだろうけど、今助け出せば何とかなるかもしれない・・・・・・精神が壊れてる可能性は高いけどな」


 精神が壊れているというのはほとんど死んでいると言われているのと同じだった。精神に干渉する魔法は多くあるが壊れている精神を治す事はどんな魔法でも難しい。


「そう・・・・・・か」


 この時、イラムは気が付いていなかった。自分が、権力や地位に拘るイラムが、その為ならば誰が死んでも泣きすらしないようなイラムが、彼らの死を・・・・・・悲しんでいる事に。


「とにかく、早めに助けてやる必要があるな。時間が経てば経つ程、精神が死に近づいていく」


「それはそうだが・・・・・・この状況だ。あいつらを助け出して逃げる余裕があるとは思えないけどな」


「別に逃げ出す必要はないぞ。魔獣も魔族も全滅させればいいだけからな。簡単だ」


「全滅!? そんなの無理に決まってるだろ! 何体いると思ってる!」


 魔獣は五十以上はおり、その内大型魔獣が十体程いる。たとえ対魔獣戦闘に特化しているギルドメンバーであっても最低十人以上は必要となる数である。


 とはいえ魔王すら倒したリオンにとっては、


「簡単だよ。こいつらじゃ俺から一本も取れない・・・・・・女もいないしな」


「は? 女?」


 まだリンに一本取られたことを根に持っているらしいリオンはそう呟いて、『聖剣』ではなく予備の片手剣を取り出した。『聖剣』と比べると格段に性能は落ちるが、有名な『聖剣』を出せばイラムに気づかれる恐れがある為である。


「さて、やりま――――」


「お前ら!! 行け!!」


 リオンが魔獣達の中心へ突撃する前に、魔族の男が大型魔獣を三体だけ手元に残すのみで他の全ての魔獣達に命令しリオンを数で押し潰そうとする。しかしリオンは逆にラッキーと言わんばかりに剣を横薙ぎに一回だけ振った。すると――――


 ドバンッ!! とリオンの元へ殺到していた魔獣の半分が体を真っ二つにされて絶命する。


 魔獣達には知恵というものがない。目の前で一瞬で仲間の魔獣達がやられようが関係なくリオンへ突っ込んでいく。そして、リオンが笑顔でもう一度剣を振ると、さらに半分の魔獣がやられ、残ったのは十体程だけだった。しかも、その魔獣達も躊躇なくリオンへ突っ込んでいる。


「お前ら狙いを変更だ!! バラけてからその男じゃなくて女の方を狙え!!」


 その命令を受けた魔獣達はバラけて一撃でやられるのを防ぎつつ、リオンが防戦に回るしかないようにイラムを狙って飛び掛かる。


 それでも、リオンの余裕を崩す事すら出来ていないが。


「お、いい判断だ。さっきまでみたいにまとまってくれてた方が楽なんだけどな」


 イラムに飛び掛かろうとしている魔獣を一体ずつ、排除していく。それも、目にも留まらぬスピードで。


 黒い狼の様な魔獣は口を開いた瞬間上顎と下顎が切り離され、比較的人型に近い魔獣はアジの開きの様に縦に切り裂かれ、蛇の様な魔獣は一瞬で細切れにされて絶命した。


 どんなタイミングで、バラバラに襲おうが同時に襲おうがリオンとは根本的に速度が違う。何体来られても関係がなかった。


 結果として、たった二十秒ほどで魔獣をほぼ全滅させてしまったリオンに、敵である魔族の男も守られているイラムも唖然としていた。


「バ、バカな、あの数の魔獣が、こんな短時間で・・・・・・」


「強すぎる・・・・・・」


 残る魔獣は大型魔獣が三体だけだが魔族の男が自分の最後の砦に残しておいただけあってその三体は他の魔獣とはレベルが違った。顎の力は鉄をも砕く言われている双頭の犬オルトロス、いくつもの足を操り、打撃技は一切通用しな巨大蛸クラーケン、そして圧倒的な怪力を持ちあらゆるものを破壊する牛頭人ミノタウロス。どれも魔族の男が命令できる中では最高の戦力だった。


 しかし、その三体全てが色褪せて見えていた。目の前の男の圧倒的な力を前にしてこの程度で歯が立つはずがない、と。


「ク、クソッ!! 行け! 双頭の犬オルトロス!!」


 だが、それでも魔族の男は引くわけにはいかず、命令を出す。命令を受けた双頭の犬オルトロスは魔獣の死体を踏み荒らしながら、リオンの剣で斬られないようジグザグの動きでリオンの元へと迫る。


「面白い。来いよ」


 それに対し、リオンは全く動きを見せなかった。剣を振ることも、それどころか側面に回り込んだ双頭の犬オルトロスの方を見向きすらしない。


 何か策でもあるのか、と見守っているイラムの目の前で――――


――――ガブリ、とリオンが二つの顎に思いっきり噛みつかれた。


「は!? おいおい、マジか・・・・・・よ」


 イラムは目を見開いて、目の前の光景に驚き見入っていた。ただし、それはリオンが噛みつかれたからだけではない。


 鉄をも砕くと言われている双頭の犬オルトロスの顎の力をもってしても、リオンに傷一つつけることが叶わなかったからだ。


 リオンはそれに、ニッと笑うと片手で剣をバトンのようにくるんっと回した。たったそれだけで、双頭の犬オルトロスの二つの首が落ちる。


「さて・・・・・・次は蛸か牛、どっちかな?」


 顔は見えないが、心底楽しそうにそんな事を言うリオンに魔族の男は危機感ではなく、既視感を覚えていた。この男は、もしかしたら自分が探している男かもしれない。それを確かめるために、


「いけ、巨大蛸クラーケン!」


 巨大蛸クラーケンを送り出す。この魔獣の魔獣の本来の力は海上でこそ発揮される。陸では力が半減すると言ってもいい・・・・・・が、それでも手数が多く打撃攻撃が効かないので相当強いはずなのだが――――


「おっ、今度は蛸か」


 リオンは珍しく自ら前に出て、一直線に巨大蛸クラーケンへと向かっていく。そして、何故か剣をしまってしまった。

 打撃の効かない巨大蛸クラーケンにリオンがダメージを与えるには剣しかない、と考えている魔族の男をあざ笑うかのように、リオンは巨大蛸クラーケンを思いっきりただの拳で殴りつけた。


 巨大蛸クラーケンが打撃でダメージを追わない理由はその軟体性で衝撃を全て吸収してしまうからである。ならば、吸収できない程の力を加えられるとどうなるか? 答えは明白である。


 巨大蛸クラーケンの殴られた部分が衝撃を吸収しきれず、巨大な穴が開き、そのまま森の奥深くへと吹っ飛ばされていく。


 打撃の効かない魔獣にあえて素手でいく、そんな圧倒的な力を見て魔族の男は確信していた。


「間違いないな・・・・・・アンタ、勇者だろ。勇者リオン。戦い方、それにその圧倒的な力。それ以外考えられない」


 ピクッ、と表情の見えないリオンに僅かに動揺の色が浮かぶ。


「まさかここまでやってフードで顔隠しとけばわかんないとでも思ってたわけ? 調子乗りすぎだろ」


「・・・・・・あー、まあ別にそっちにバレるのはいいんだけどな。ただ――――」


 リオンはフードを外して、イラムの方を見る。イラムはあまりの急展開についていけず、口を開けてリオンの顔を見つめるだけだった。

 バレたからと言って殺すことはリオンにはできなかった。だが、居場所が報告されればその内リオンの家も特定される。


「ああ? 俺にバレてもいいってのはなん――――」


 それ以上魔族の男は喋ることが出来なかった。理由は、一瞬で背後に回ったリオンに再生すらできない程細切れにされたからだ。いつの間にか牛頭人ミノタウロスも四肢がすべて切断され、首も落とされている。


「お前にバレても『聖剣』ですぐに殺せるから別にいいんだよ。こんなつまんない殺し方嫌いなんだけどな・・・・・・まあ、問題は殺せない方だ」


 リオンは魔獣の死体を蹴散らしながらイラムの元へと悠然と歩いていく。そんな光景を見ながらもイラムは驚きと恐怖で全く動くことが出来なかった。だが、それ以上に、イラムはリオンの圧倒的な力に憧れを感じていた。


「お、お前は・・・・・・」


 彼女は、騎士団に入ったころはただの真面目な、ただ強さを求める女性騎士だった。しかし、女性では力を求めるにも限界があった。筋力も身長も体格も男には敵わない。その性別の壁を超えるにはそれなりの『才』が必要だった。その『才』に恵まれなかった彼女が望んだ力が権力や地位である。つまり、彼女の根底には強さへの渇望、憧れ、そして男への憎悪がある。


 そして、世界最強の『才』である、固有スキル『勇者』を持ったリオンに憧れると同時に、努力もなく手に入れた力に嫉妬していた。


「お前、なんで俺を助けた? 俺をここで見殺しにしておけばお前が勇者だとバレる事もなかった」


「なんでかって? そりゃあ目の前で死にそうだったから」


 リオンは純粋に、思ってる事をただ言っただけだ。だけどイラムはそれを信用しなかった。いや、出来なかったのだ。自分の内から湧き上がってくる激しい嫉妬の炎が彼が善人である事を認める事を拒否していた。力を持ち、なおかつ善人である。そんな、自分が目指してなれなかった人間がいる事を認めたくなかった。


「・・・・・・言っておくが、俺に恩を売って報告させないようにしても無駄だぞ。俺は絶対に報告する。残念ながらお前の目論見は――――ひうっ!?」


 いきなり、イラムが可愛らしい女の子の様な叫び声を上げたのには理由が当然ある。その理由はというと、リオンがいきなり鼻がぶつかるんじゃないかというところまで顔を近づけてきたからだった。


「なっ、なな、なんだよ」


「お前・・・・・・『沼に住む怪物』くらった?」


「は? あ、ああ、確かに少しくらったけど。そ、それがなんだよ」


「なるほど・・・・・・いや、お前の感情がブレブレでやけに偏ってるから何かあったのかと思って」


「は? か、感情?」


「ああ。『沼に住む怪物』は負の感情を食う怪物だ。お前の場合は・・・・・・復讐心、それと執着心を少し食べられてるな。なんか誰かに恨みとかあっただろ。それ、無くなってないか?」


 リオンは別に心が読めるわけではない。ただ、魔法の痕跡が見えているだけだ。イラムから微かに感じる魔法の痕跡から感情の乱れを読み取り、そして食われた感情を言い当てた。ただそれだけと言ってしまえばそれまでなのだが、そもそも魔法の痕跡が見えるのは上級者だけである。簡単ではないのは確かだった。


「誰かへの恨み? そんなもの無くなるわけが――――」


 そこでイラムは気が付いた、国王へのあれだけ高まっていた恨みの感情がなくなっている。国王の顔を思い浮かべただけで脳内で五十回ほど殺す程度には恨んでいたのに、それが綺麗さっぱりなくなっていた。


「お、その顔は無くなってたな? 執着心も少し無くなってる。多分、何か特定のものへの執着がないと思う。好きなものを思い浮かべてみて」


 イラムの好きなものは当然権力と地位・・・・・・のはずなのにその二つがそこまで大事とは思えない、と言える程まできてしまっていた。


「嘘・・・・・・だろ?」


「やっぱりそっちも合ってたか。でも、中途半端にくらったせいで感情が乱れて他の感情が偏ってそうだけど。まあその程度なら大丈夫だろ。俺はもう行くから。上への報告は好きにしてくれ」


 イラムの食われた感情を他の感情が埋めようとしているのだ。その時最も強く抱いていた感情が異常に膨らんでいる。つまりリオンの強さを見て芽生えた嫉妬、そして憧れ、そして、自分を助けてくれた男への・・・・・・好意が。


「ま、待てよ」


 イラムは立ち去ろうとするリオンの腕を掴んで引き留めていた。その顔はほんのりと赤く染まっている。イラムの精神はまだかなり乱れており、リオンに対し嫉妬しているのか憧れているのか、それとも好意を抱いているのかわからなくなっていた。


「ん? どうした?」


「いやその、礼は言っておこうと思ってな。お前に助けてもらったのは事実なわけだし・・・・・・」


「礼なんていいって。俺が助けたかっただけだしな。それじゃあな」


「ま、待てよ。いいのか? 俺は報告するぞ。お前は俺を助けてくれたけど、それとは関係なく俺は報告するぞ」


「そんなに言わなくてもわかってるって。報告はされたくないけど俺はお前みたいな綺麗な女を殺すことはできないし、口止めしても無駄そうだから諦めてる」


「なっ、き、綺麗って・・・・・・おまっ、バカだろ!」


「? なんでだ? なんか変な事言ったか?」


「だ、だって、その・・・・・・うるせえ! さっさと行け! それでさっさと捕まれ!」


「お前に呼び止められたんだが・・・・・・」


 まあいいや、とフードを被り直しリオンはその場を立ち去った。その背中を見つめ、一瞬だけ上に報告することを躊躇したイラム。このまま、彼について行ってしまおうか、そんな事も考えた上で彼女は通信魔法の詠唱を始めた。

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