第2話

「あー・・・・・・なんか疲れた」


 もう昼過ぎという時間帯に寝癖でぼさぼさになった頭を掻くという、おっさんの様な仕草をしながら寝室から出てきたのは勇者リオンである。リオンは大きな欠伸をしながらリビングのテーブルについた。


「やっぱり、寝すぎるのもよくないよな。うん。寝すぎると逆に体力使うわ」


 リオンには両親や兄弟はおらず、そして配偶者もいない。なので、彼は一人で暮らしている―――――わけではなかった。


「じゃあもっと早く起きればいいのにー。私なんかパパが起きてくるよりもだいぶ前から起きてるよー?」


 彼が席に着くのを待っていたのか、てててっ、という擬音が聞こえてきそうな程可愛らしい走り方でリオンにパンを運んできた見た目的には十歳程度の少女は、名前をリンという。


「何度も言わせるな。俺はお前のパパじゃない」


 本当は自分の娘なのに、認知しようとしない最低な父親・・・・・・というわけではなく、リンは本当にリオンの娘ではないのだった。


 リンは、魔王ディグロムの娘である。リオンがリンを預かり育てているのだった。


「えー、でも、私パパの顔知らないもんー・・・・・・」


 リンが生まれてすぐに魔王ディグロムはリオンが殺してしまった。なので、顔を知らないのは当然である。


「でもじゃない。お前の父さんは俺が殺した。それについては言い訳する気はないけど、お前の父親になるつもりは全くない」


 父親をリオンが殺したことはすでにリンが知っている事だった。なので、それを聞いても父親になるつもりはないの部分に怒り、むーと頬を膨らませて不機嫌になるだけである。

 一緒に住み始めて最初の頃はリオンが勇者である事や父親である魔王を殺した事でで揉めることもあったようだが。


「だってもう一緒に過ごして二年だよー? そろそろ慣れてくれてもいいのにー」


 二年。リオンが魔王を倒してから二年の時が流れていた。その二年間はまさに激動と言っても過言ではない程ハードで辛い事も多かったようだ。リオンは、リンの言った二年という言葉に、少しだけ昔の事を思い出し顔をしかめた。


 魔王を倒してから、リオンが苦戦した事の一つは住居だった。勇者だったころには宿を転々としていたが、魔王の子供を連れている状態でそんな事をするわけにもいかず、しかも勇者は魔王の子供を庇っている事から実は魔族側の協力者であったという事で王国側から指名手配されて懸賞金までかけられてしまった。

 そんな状態では町に住むわけにもいかず、賞金稼ぎから追われ、町の外に出れば魔獣に襲われる。毎日のように野宿で過ごす中、思いついた。家がないのなら作ればいいじゃないかと。


 それを思いついた時にちょうど近くに獣人族の村があった。そこはかつてリオンが魔獣被害に困っているところを助けた村で、かなり辺鄙な所なのでまだ指名手配の情報も回ってきていなかった。なので家を作る手伝いをして貰い、村から少し離れた野原に家を作った。それが、リオン達が現在住んでいる家である。


「・・・・・・何年経とうとダメなものはダメだ」


 家が出来る前には語りきれない程辛い事が多くあった。やっと平和になれたのにそんな事は思い出したくはないのだろう。リオンは、過去の事を断ち切るかのように席を立って外へと出て行ってしまった。


「あー! 待ってよパパー!」


 リンがリオンを追って家の扉を開けると、目の前に木刀が飛んできていた。


「えっ? わっ!」


 それをリンは何とかキャッチし、飛んできた方向を確認すると先程までの暗い表情ではなく、子供の様な笑顔を浮かべたリオンがもう一本の木刀を持って立っていた。リンを鍛える事はリオンにとって一番の楽しみなのだ。


「俺の事をパパって呼びたいのなら俺に一撃ぐらい入れられるようにならないとな」


「むー、馬鹿にしてるでしょー。私だっていつまでも子供じゃないんだからねー!」


 そう言うや否やリンは地面を蹴り、三メートルほど飛び上がってリオンへ切りかかる。子供とはいえ魔王の血筋、身体能力は人間とは比べ物にならない。それに比べリオンは勇者ではあるが聖剣を使わなければ身体能力的には普通の人よりも少し鍛えている程度のただの人である。たとえ一撃でも食らえば重傷は免れないだろう。


 だが、それでも勇者は勇者だ。戦闘経験はリンとは比べ物にならない。上空から飛び掛かってきたリンを軽々と躱し、眼前に木刀の先を突きつける。


「はい、これで俺の勝ちだな。お前はストレートすぎるんだよ。正面から突っ込むだけで勝つのは難しいぞ。なんか策を練らないとな」


「むー・・・・・・策とかそういうの苦手なんだけどなー」


「それじゃあ俺に一撃入れるのは無理だな」


「・・・・・・それは嫌だー。策を練らないでも勝てる方法とかないのー?」


「それなら純粋に努力を積み重ねていくしかないな。今日も素振り千回。見ててやるから頑張れ」


 えー、と嫌そうな声を出しながらも見ててくれるならいいか、としぶしぶ素振りを始めるリン。リオンは家の壁にもたれて座りながらそれをただ楽しそうに見ている。


 すると、森の中に仕掛けてある探知魔法に反応があった。こんな田舎の森の中に来る者などよっぽど暇な者か、それか、賞金稼ぎがついにこの場所をかぎつけたかである。


 リオンは静かに『聖剣』を呼び出し、右手で軽く握りしめる。『聖剣』を持ったリオンならどんな相手でも後れを取ることはないが―――――


「おーい! こんにちはー!」


 ――――という、元気な声で挨拶しながら近づいてくる人影が見えてリオンは安心してその来客を迎え入れる。


「ああ、こんにちは。いつも悪いな」


 その来客とは、獣人族の少女、シーナである。見た目はリオンの一つ下ぐらいの可愛らしい少女だが、獣人族は人間よりも寿命が長く、見た目も若く見えるので実際はリオンよりも年上のお姉さんである。

 しかし、彼女がお姉さんに見えないのはその見た目もさることながらその性格にあった。獣人族である事も関係あるのか、子犬の様な性格をしているのだ。あまり目立つ事の出来ないリオン達に変わって食料等の調達をしてくれているのだが、毎日会うたびに褒めて褒めてという上目遣いをリオンにし、頭を撫でて貰うと気持ち良さそうに顔が綻ぶ。そんな彼女をリオンも可愛らしいと思っていた。


「あ、稽古中でしたか・・・・・・すみませんお邪魔してしまって」


 悪い事をしたと思うと、しゅんと項垂れる。そういうところも子犬の様だった。


「いやいや、毎日悪いな。途中で魔獣とかに襲われなかったか?」


 そう言いながらリオンが頭をなでるとシーナは、ふにゃあ~、と気持ち良さそうにしている。


「あ、はい、大丈夫です。もし襲われても、その、私なら追い返せますし」


 こんな見た目のシーナだが実は戦闘能力はかなり高い。そもそも、獣人族ワービーストは獣化することで人間とは桁外れの戦闘力になるのだが、その中でもシーナは村最強の村長の娘であり、獣化すると他の獣人族を凌駕する力を得られるのだ。


「これ、今日の分の食事です」


「ありがとな。でも、毎日来るの面倒じゃないか? 数日分一気に持ってきてくれてもいいんだけど」


「そ、それは困りますっ! そ、その、リオンさんに会いに来るのが私の楽しみになって・・・・・・あっ、そ、その違うんです・・・・・・」


 自分がどれだけ恥ずかしい事を言ってるのか言い終わってからわかったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまったシーナをリオンが慰めるように頭を撫でる。すると、さらに顔は赤くなったが、凄く嬉しいのが伝わってくる程の笑顔に変わっていた。


「あー、なんかにやにやしてるー」


 いつの間にか素振りをやめて、リオンの足元にしゃがみこんでいたリンがシーナの顔を指さしながら不機嫌そうにそう言った。


「リ、リンちゃん? な、なにやってるの?」


「こんにちはシーナお姉ちゃん。シーナお姉ちゃんってー、パパに撫でられてる時凄く幸せそうだよねー」


「な、ななななな、なに言ってるのリンちゃん。そ、そんな事ないよ」


「あ・・・・・・悪い。嫌だったか? てっきり気持ちいいのかと思ってたんだけど」


 リオンは、シーナのセリフを言葉の通り受け取り、撫でるのをやめてしまう。


「あ、いえ、そういうわけじゃないんです。つい否定しまいましたけど、むしろ撫でて欲しいんです。お願いします」


 シーナはリオンに抱き着くんじゃないかというほど近づき、頭を差し出す。すると、シーナの香りがリオンの鼻腔をくすぐり、女子との触れ合いに慣れていないリオンは反射的に距離を取ってしまう。


「・・・・・・あ、い、嫌でした、か?」


 今にも泣きそうな声でそんなことを言うシーナ。それを見てしまっては嫌だと言うわけにもいかず、リオンは少し近づいて無言のまま頭を撫でる。本人は冷静な顔をしているつもりだが、実際の顔は真っ赤である。そしてもちろんシーナも。


「むー、邪魔に入ったつもりだったのにー、失敗だったかなー・・・・・・」


「ん? なんだ邪魔って?」


「別にー・・・・・・」


 邪魔をするつもりが逆に二人の距離が近づいてしまい、さらに不機嫌になるリン。だが、すぐに子供らしいいたずらっ子の笑みを浮かべ、


「ねえねえパパ。もう一度私と手合わせしてよー」


「パパって呼ぶな。別にいいけど、何か策はあるのか?」


「うん。シーナお姉ちゃんもそこで見ててね」


「え? う、うん。いいけど・・・・・・」


 リオンは持っていた『聖剣』を地面に置き、木刀と持ち変える。そして軽く素振りをして、シーナを安全な位置まで下がらせてから、


「よし、かかってこい」


「行くよー」


 リンはまた策もなく正面から突っ込んでいく・・・・・・のかと思ったら、途中で軌道変更した。リオンの方にではなく、観戦していたシーナの方へ。


「へ? あ、あの・・・・・・」


「? 何がしたいんだリン。言っとくけど、二人がかりは無しだぞ?」


 リンはその質問に答えなかった。いや、質問には言葉では答えなかったというのが正しいだろう。リンは、行動でリオンへの返事をしていた。その行動とは――――


 ――――バッ、とリンがシーナのスカートの前を思いっきり捲り上げたのだ。


 捲られたシーナの服装は運悪くワンピースであった。捲られたシーナは下着だけでなく、へそまで丸見えになり、そしてその上にある二つのそれなりに大きな胸も少しだけ見えてしまっていた。


 そしてそれを、リオンは見てしまった。『聖剣』さえ使えば世界最強と呼ばれるほどの強さを持ち、『聖剣』を持たずともその豊富な戦闘経験でそこらの騎士などは片手で追い払えるほどの強さを持った勇者と呼ばれるリオンが、一瞬その光景に釘付けになり、そして『聖剣』も使っていないのに音速すら超える速度でその場で回れ右をした。


 やられたシーナはスカートが捲れているのは視界に入っているにもかかわらず、まだ何が起きているのか理解できておらず、リオンが顔を真っ赤にしながら背を向けたのを見てやっと、自分の身に何が起きていてリオンに何を見られたのかを理解した。


「きゃああああああああああああ!!」


 物凄いスピードでスカートを抑えるシーナだが、リオンはすでにがっつり見てしまって後ろを向いているので、後の祭りである。

 シーナは恥ずかしそうにしゃがみこみ、膝を抱えてうずくまってしまった。


「あ、あの、その・・・・・・み、見ました?」


 羞恥心が声を聴くだけで伝わってきそうな程震えた声で聞かれたリオンは、見ていないと答えるのも無理があるが、見たと言うのも変な気がして、どちらにするか答えあぐねていた。そう、今がリンとの手合わせの最中である事などすっかり忘れて。


 コンッ、とリンの木刀が軽くリオンの頭を叩く。


「は?」


 いきなり頭を叩かれ、さすがにもうスカートを抑えているだろうと振り向いたリオンは、自分の頭に木刀の先を乗せたまま、心の底から楽しそうに笑っているリンの姿を見た。


「私の勝ちだね。パーパ?」


「お、お前・・・・・・それは、ずるいだろ」


「えー? パパの言う通り策を練ったんだよー? 何がずるいのー?」


 天真爛漫な笑顔で言うリンにリオンはたじろぐ。


「うっ、それはそうだが・・・・・・」


 策を練れ、と言ってしまった手前これを卑怯と言う事は教えている立場の者としては出来なかった。


「それじゃあいいよね? パパって呼んでも」


「ああ・・・・・・」


 仕方なさそうに頷いたリオンだったが。パパと呼べることがそんなに嬉しかったのか、腰のあたりに抱き着いて来たリンを見て、本当に一瞬だけこの子が魔王の娘である事も自分が人類全ての敵になっている事もすべて忘れ、



 リオンは確かに、幸せを感じていた。

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