第15話

『馬上の愛、激しい接吻』

校内新聞の一面はスポーツ紙みたいな見出しが踊っていた

添えられた写真は、写真部がプリクラの儲けで買い込んだバカ高い高感度フィルムを惜しげもなく使った連射のうちの一枚で、背景は何があるのかわからないほど横にぶれているのに、私が空中でフレオの唇を奪っているところは克明に写し出していた

困ったことに写真の腕前だけは一流の連中なのだ

その焼き増しや別な角度の写真には、今まで私やフレオの写真にはついたことのないとんでもない額の値がつけられていた


その日からまた私は質問攻めの毎日だった

しかし行動が行動なだけに知らないでは済ませられないし、まさか本当のことを言うわけにもいかないので、今まで以上に対応に苦慮していた

それに女王の仕事を引き継ぐために忙殺されてもいた

こうなってみて初めてわかったが、フレオは極めて有能な女王だった

数多ある職務を妃も取らず一人で完璧にこなしきっていた

なのになんで”昼下りの女王”なんて呼ばれて蔑まれていたのかといえば、ひとえにあの器の小さい振る舞いのせいでしかない


当のフレオは今どうしているのかというと、事情があってルネの部屋に閉じ込めている


質問攻めを振り切ってようやくルネの部屋に逃げ込むと、西日の差す窓辺でSP用のグラモフォンを抱えて黄昏れていた

「いい歌ですわね、これ」

物憂げに窓の外を見ながら、フラッターでへろへろのサニー・アフタヌーンを聞いている

本当にどういう仕組みで生産され流通しているのか分からないが、軽音部のパフォーマンスによるオール・オブ・ザ・ナイトとサニー・アフタヌーンは両A面でシングルカットされ、リリカポリスで人気を博していた

税務署が何もかも持っていって俺にはこの昼下がりの日差ししか残っていない、まさに今のフレオを歌ったような歌詞だ

「ぜんまい。切れてきてるよ」

はぁっ、とため息をつき、フレオはものぐさそうにグラモフォンのクランクを2~3回回すと、またはぁっとため息を付いて力尽きた


決闘のあとどうなったのか

あの直後に遡ってみよう

空中で相対速度100㎞/hの熱いキッスを交わした私達はそのまま線路に転げ落ち、私はレールに脇腹を打ち付けてしまい悶絶していた

やっと息ができるようになって起き上がると、私の隣で座り込んでいるフレオは茫然自失で自分の手のひらを眺めていた

「ねえ…」と肩を揺すると、私の方を見て急に泣き出した

反応としてはどちらかと言えばアイちゃんのそれだ

また銘酒屋めいしやにしけ込まれでもすると面倒だ

「ルネ!手貸して!」

陸橋の上で様子を覗き込んでいたルネを呼ぶと、すぐ駆け出して封鎖されている改札口を飛び越えてきた

「どういうこと!?何があったの!?」

「とにかく部屋に運ぼう!話はそれから!」

「あたしの部屋に!?」

その間もフレオはどうして、どうしてと喚きながら泣きじゃくった

そんな一部始終をみんなが見ていたのだ

痴情のもつれと取られても文句は言えなかった

だがそんなことはどうでもいい

私の力がどんな効果を及ぼすのか知るチャンスなのだ


どうにかこうにかルネの部屋にフレオを押し込むと、すぐ台所の床に突っ伏してしまった

「どういうことなのよ」

ルネの顔は不安混じりの険しさを漂わせていた

「アイちゃんがおかしくなっちゃったのは、やっぱり私のせいだったんだ」

「…は?」

まあ少し前のことになるからすぐにピンとこないのは仕方ない

「ビゼ様に言われたんだ、私があゆ様に何かしたんじゃないかって」

それでルネも少し飲み込めたようだ

ルネを巻き込みたくはなかったが、こうなったからにはルネにだけは知っておいてもらわなければならなかった

そして台所の床で嗚咽を漏らしているフレオを見る

「私のキスには何か特別な力があるみたい」

「だからって…それが何かもわからないでフレオ様に試したっていうの?」

「負けない方法はこれしか思いつかなかった」

ルネは難しい顔で瞬きしている

「ねえフレオ様!どうなった!?何が変わった!?」

私はなんとか正気に戻そうとフレオの肩を何度も揺すった

「…やめなって、そういうときに」

そう言うとルネは台所のケトルに水を張りはじめた


紅茶の香りが部屋を満たし、どうにかフレオを台所の椅子に座らせると、私達はフレオがカップに口をつけるのを待った

フレオがもうすっかり冷めきった紅茶を一口すする頃には、日が沈もうとしていた

「…わたくしは死ねたの?」

ようやく絞り出した質問は私と同じだった

いや、ちょっと違うけど

「死んだ人なら素直にお墓の中にいてほしいけど」

「ルネ!」

「父はきっと埋葬を嫌がったのよ」

娘の死を受け入れられないとはいえ、流石に死体を放置はすまい

「一族の墓に入れたくなかったんだわ」

ルネなら黙って聞き流してくれるところだが、私は私の力の作用機序を知らなければならなかった

「詳しく聞かせてほしいの。私のキスで何が変わった?」

フレオは哀しそうな顔で私を見た

こういう顔をしているとすごい美人だ

「何もかもよ」

と言って立ち上がると、台所の戸棚を開け締めし始めた

「ちょっと、どうしたのよ」

「お酒。なんかあるでしょ」

制するルネを無視して酒を物色している

料理をしないルネの台所にはみりんすらないのに

「へぇ…なかなか渋いもの持ってますわね」

流しの下から古そうなラベルのスコッチが出てきた

私は驚いてルネを見た

「もう随分飲んでない」

フレオはコルク栓を抜くと、紅茶の残るカップに注いで一気に半分ぐらい呷った

はぁ…と深い溜め息を吐くと、フレオは時間を遡るように話し始めた

「わたくしはホテルの11階から飛び降りたの。あの人と添い遂げられないとわかって、世の中も、あの人も、あの人を信じた自分も嫌になって」

まるで大姫さまの神話のようなくだりだ

「そりゃ、道ならぬ恋よ。相手はマネージャーで、女性で。でも何度も何度も夜を共にしたし、好きだって言ってくれたのに…それなのに!」

激昂した勢いで振り上げたカップをぶん投げた

慌ててカップに飛びついたルネは戸棚に頭をぶつけながらも見事にアウトに打ち取った

「物に当たらないでよ!」

「…ごめんなさい」

椅子に座り直したフレオはボトルでラッパ飲みを始めた

ルネがダイビングキャッチしたカップも既に空っぽだ

「わたくしは事務所の商品である前に一人の女よ。あの人もそれを理解してくれたものだとばかり…でも現実は違った。あの人にとってはわたくしは金の卵を産む鶏でしかなかったのよ」

なんだか思っていたよりしおらしい事情があるようだ


あまり詮索はしたくなかったが、場合が場合なので詳しく掘り下げてみると、フレオは80年代初期に活躍したアイドルであるらしい

ただし本人はアイドルと呼ばれるのを嫌った

歌に芝居にコマーシャルにと華々しいキャリアを重ね、いっときまばゆい輝きを放った

しかし彼女の不運はマネージャーに恋をしたことでも、そのマネージャーが女性だったことでもない

彼女はまだ多感な16歳だったということだ

大人は誰も真に受けてくれなかった

期待を持たせられたまま矢継ぎ早に仕事を詰め込まれ、ひたむきな彼女は一つ残らずそれに応じた

そして人気が絶頂を極める中、マネージャーは昇進を期に彼女との関係を清算しようとしたのだった

最初に死ねたのか、と聞いたように、そんな物語のような失恋の末に身を投げてここへ来たのは事実に違いない

私の生まれる前とはいえ、飛び降りて死んだアイドルなら噂話ぐらい耳にしていてもいいと思うが、生憎私は覚えがなかった

あれ?私はどうやってここへ来たんだっけ

ここへ来る直前の記憶ははっきりしない


「…と、忘れていたかった昔話を思い出してしまったのよ」

ここへ来るといい思い出も悪い思い出もみんな忘れてしまう

ルネははじめにそう言った

アイちゃんもあゆ様もそうだったのだろう

その記憶がおそらく私のキスで呼び覚まされた

そう思うと、アイちゃんは大分重い過去を抱えていることになる

助けてあげたいと思うが、大切な人を死なせてしまった記憶をどう受け止めればいいのか

フレオはボトルも飲み干してしまったのか、逆さに振って手のひらに落ちたしずくを舐めている

こんなマンガみたいな飲み方する人は初めて見た

「でも一番悔しかったのは、自分が日の当たる場所を惜しんでいるのに気付いてしまったことよ」

未練がましく空のボトルを持ったままフレオは黙ってしまった

「つむじのキスで忘れていた記憶が呼び覚まされる?」

とルネは私を見たが、私だって何も確信はない

「アイちゃんの悲しい過去にはなんとなく察しが付く。けどあゆ様が躁になってしまったのは…」

「そりゃ死ぬ前に嫌な思い出しかなかったら、ここは楽しいでしょうよ」

フレオが受けて言った

「フレオ様はこっちでいい思いしてないんだ?」

とルネ

「そうね。必死に頑張って、バカみたい」

それからずっと、フレオはここで自堕落を続けている


私の方は、図らずも譲り受けてしまった女王という重い職責を果たすべく奔走していた

まず女王の位の移譲に伴っての会議

と言っても女王本人はまず出て来ない

妃やそれ以外の補佐官が集まって決を採る

幸い満場一致で私は承認された

会議の終わりにビゼ様に声をかけられた

「あゆによく様子を見るようにって頼まれたわ」

「…ありがとうございます。大変そうだけどなんとか…」

「あなたじゃないわ」

「え?」

「フレオの様子を見るようにって」

あゆ様はご陽気なだけで、かつての同僚を忘れてしまったわけではなかった

「フレオは…気が抜けて、だらだらしてます」

「それはそうでしょう。彼女は誰よりも働き者だったんだから」

ここにはフレオを昼下がりの女王と蔑む人は一人もいなかった

各自に今後の日程表が配られた

ただ暮らしているだけでは目につかない、裏方の仕事がぎっしり書き込まれている

「あなたも妃を娶りなさい。仕事に穴を開けると困る人がたくさんいるんだから」

そう言うビゼ様の左手の薬指には慎ましい輝きがあった

あゆ様にしては地味な、しかし誠実そうなリングだ

「色々検討してみます」

まるで何もしませんと言っているような気分になるが、色々検討するつもりなのは本当だ


「えっ…いや…あたしそういうのは…」

妃は当然ルネしか思いつかなかった

でも考えてみれば私のお妃になってよって、完全にプロポーズだ

書類の山をめくりながら言うことではなかった

「気持ちは嬉しいけど…なんていうかその、責任重大だし、あたしには務まらないっていうか…」

こんなに当惑しているルネは初めて見るが、悪い気はしてないようだ

「ルネなら出来るよ。私よりしっかりしてる」

ルネは一瞬、ちょっと残念そうな顔色を見せた

「でもなんていうか…いいよ」

正直断られることはまったく計算に入れていなかった

事が事だし無理強いはできないというのもあるが、それはそれとして、フラれた事実には少し心が傷んだ

「別に妃と言わずとも、お手伝いしたらいいんじゃありませんの」

まだ窓際で黄昏れているフレオが言った

だが実際、妃以外の補佐官を複数抱えている女王もいる

「そうだよ!お願い!」

ルネは恨めしそうにフレオを見ている

「…そこまで言うなら、わかったよ」

「ほんと!」

「ただし!」

とさっきから弄んでいたハート型のプレッツェルを私に突きつけ、窓際のフレオをねめつけた

「フレオも手伝いなさいよ」

「なんでわたくしが」

「摂政だよ。つむじはまだこの街に来て日が浅いんだから」

「わたくしから権威を奪い去って、面倒事だけ押し付ける気なんでしょう」

「そんなことないって!私ができることはちゃんとやるから!」

私は最大限の角度で拝んでいた

今が一番フレオに敬意を払っている気がする

フレオはだるそうにため息をつくとのそりと立ち上がり、書類の山を一瞥した

「なら早くこの部屋から出てお行きなさい」

言いながら書類を積み分けている

いや、出て行けとは

私の代わりにフレオがここに住み込むとでもいうのか

言葉の意図を飲み込めずにフレオを見つめている私を見返して言った

「アネモイには官邸があります。執務はそこでなさい」

言われてみればオフィスぐらいあってしかるべきだ

学級委員じゃないんだから

フレオは簡単に書類の山を3つに分けると、私とルネにそれぞれ一山づつを渡した

「ま、つむじさんのことを知らない人はいらっしゃらないでしょうから。上手くやれるわ」

一番上に乗っかっているのは各部活動の予算承認会議の傍聴日程だ

既にあちこちの部活に便宜を働いてしまっている私は、非常に肩身が狭い立場に立たされるだろう

これはフレオの仕返しだ

顔を見ればわかる

でもそういう気力が戻ったようでよかった


執務にあたって、フレオは「女王を務めるなら必要だ」と目がついた変な杖を持たせようと強く勧めてきたが、固くお断りした

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