第13話

怠惰な放課後は乗馬の練習に取って代わられ、最近鳴りを潜めていた私を見る視線がまた戻ってきていた

馬の背からギャラリーに手を振っていると偉くなったような気分だ

馬の扱いも板についてきて、速歩はやあしからキャンターに切り替えると歓声が上がった

なるほど乗馬は楽しい

座ってるだけでチヤホヤしてもらえる

とはいえ校庭の端を間借りして行ったり来たりしているだけだ

肝心の槍はまだ一度も持ったことがない

馬術部にもそういう備品はないという

観衆に笑顔で手を振りながら、何をどうしたものか未だに目星も付かずにいる自分に内心焦っていた

ヴァンルイエは辛抱強い馬だが、校庭の端を何往復もしているのに私よりも先に飽きた

立ち止まってぶるるっと嘶きながら首を振るっている

「わかったよ、今日はお開きにしよう」

厩舎へ向かう足取りは軽い

そりゃ馬だって楽して生きていたいよね


厩舎のそばには意外な人が待っていた

ビゼ様は制服の裾を直しながら私達に近寄ってきた

頬は上気し髪が少しほつれていて、後れ毛が襟足に汗で貼り付いている

練習の後だったらシャワーを浴びずとも汗ぐらい拭いてくるだろうし、人のなりを見てこういう想像をするのは下品だとは思うが、あくまでも直感的な想像だと前置きした上で表現すると、セックスのあとみたいな雰囲気だ

鞍を降りるとヴァンルイエはひとりでに水桶の方に駆け寄った

ここの水桶は足踏み式ポンプの水道がついていて、なんと馬が自分の意志で水を出せるようになっているのだ

ビゼ様に会釈をしながら表情を窺ってみたが、来訪の意図はわからなかった

「あなた…あゆに何をしたの?」

あゆ様には演劇を見学に行ったとき以来お会いしていない

それに何かしたのはあゆ様の方だ

「あなたが来てからあゆはおかしく…いや、もとからちょっとおかしかったけど、まるで人が変わったみたいで…とにかく毎日大変なのよ!」

ビゼ様はちょっと照れながらキレ気味でまくし立てた

「刑務所に行けるぞ!メリー・クリスマス!って叫びながら服着たままプールに飛び込んだり」

素晴らしき哉人生、1946年

「屋根の上から学札をばらまいて、それが運命さご同輩!って歌ったり」

自由を我等に、1931年

「明日の予定を聞いたらそんな先のことはわからないって言って、君の瞳に乾…」

そこまで言うとビゼ様は真っ赤になって言葉に詰まってしまった

さっきの下品な想像はあながち間違いではなさそうだ

「とにかく!今まで以上に陽気っていうか、享楽的で!今まではあれで結構慎みがあったんだって思い知らされているところよ!」

古い白黒映画ばかり見ているあゆ様も結構昔の人かもしれない

しかし私に原因があると言われても身に覚えはない

「…あゆが言っていたのよ。『つむじくんは最高だ』って」

背中がぞわっとしてきた

「あなたには人を変えてしまう力がある」

それは紛れもなく私の力なのだ

他に誰も関与していない

その瞬間、何かを変えてしまったのだ

「…何か思い当たることがあるのね?」

私の顔色を察したビゼ様が詰め寄った

「知りません…何も」

嘘はついていない

私だって何もわからない

「あなたのルームメイトが失踪したのもあなたのせいじゃないの!?」


本当に私のせいだった

アイちゃんをおかしくしたのは私だった

私にキスをすると人が変わってしまう

二人共それを境に様子がおかしくなった

それはわかっていた

でもその原因が私にあるなんて

実を言うとその可能性が頭に浮かばなかったわけではない

そうだったとして、それを裏付ける理由が見つからなかっただけだ

私ではなく、相手の、この世界の都合なのだと

そんな力が私に備わっているなどと思い至るはずがなかった

詰め寄ってくるビゼ様から離れようと足を引くと、膝が言うことを聞かない

がくがく震えている

息を大きく吸えばきっと落ち着く

「私じゃありません!」

吸ったばかりの息を嘘とともに全部吐き出してしまったことを後悔しながら、力の入らない足に鞭打って、私は走り出した

背中のビゼ様が何を言っていたかも聞き取れなかった

もちろんアイちゃんにもあゆ様にも、私からキスをしたわけではない

ということはつまり、むしろ二人の好意に対してひどい仕打ちをしてしまったということだ

私の意思ではないが、私が原因なのだ

自分が病原体を撒き散らす生物兵器になったかのような気分だ


私は坂の街を闇雲に走り抜けた

上ったり下ったり

今の私に逃げ込めるような場所はない

何よりもまず、ルネを被害に遭わせてはいけないと、それだけを考えていた

それなのに私の足はルネと出会ったあの公園に向かっていた

ルネに迷惑はかけたくない

だがこの世界で私を助けることができるのはルネしかいない

あの時と同じように、人気ひとけのない公園で滑り台の下に潜り込んだ

足を止めてようやく、自分が息も絶え絶えだったことに気づいた

私のせいでアイちゃんは変わってしまった

そして今は風俗嬢に身を窶している

もう一度キスをしたら元に戻るとか、そういうことはないだろうか

いや、あゆ様には2度キスされたがあの変わりようだ

二人には不可逆的な変化を及ぼしてしまったのだ


夜の帳が下り、街頭が灯る

一生ここにうずくまっていても死ぬことはない

誰にも見つからなければいいと思っていた

「そこがそんなに気に入った?」

7時を回った頃、後ろの方から聞こえた声で私はまた救われた

だが私はアイちゃんを救うことは出来ない

私には誰も助けられない

ここへ来て何かを成したと思っていた自分の無力さを改めて思い知った

「そんなに決闘が嫌なら、フレオ様に謝りに行こう」

「…そういうんじゃない」

ルネは軽く息を吐くと、黙って私の手を引いて滑り台の下から引っ張り出した

ルネには甘えてばかりだ

この街で私の居所を探すとしても、私がしけ込む場所は数えるほどしかない

そしてその一つがここだとわかるのはルネだけだ

ルネは家まで私の手を引いて帰った

その間一言も理由を聞かなかった

アイちゃんやあゆ様がおかしくなった原因が自分だとは話せなかった

ルネには知られたくなかった

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