第11話
せっかく入居した
私は紙袋一つの荷物を抱えて西日が差す温室に戻ってきた
「一人にしとくのも心配だから」というルネの配慮がうれしくもあり、また一つ借りができてしまったことへの気後れもある
でも今は甘えさせてもらおう
ここでは誰も死なないとルネは言った
でもそれは何も失わないということとは違うのだった
その日から、折に触れて
なにしろ銘酒屋はルネの部屋から目と鼻の先だ
何日もしないうちにアイちゃんは人恋しさから客を取るようになり、今は少し影のある女の子となって一部の客を虜にしていた
「一晩離してくれないって、人気があるよ」
とキャッツ・ポウがアイちゃんの様子を教えてくれた
キャッツ・ポウは追いかけっこの日に一番奥の部屋にいたサーファーカットのあの子だ
アイちゃんの様子を見に何日か通っていたら「たまにはお客で来てよね」と言って差し出した名刺に書いてあった源氏名がキャッツ・ポウだった
名刺に付けられた派手なキスマークは、唇の端っこが擦れて流れ星みたいになっている
残念ながらアイちゃん本人にはあれ以来顔を合わせていない
「つむじが来ていることは知らせてある」とキャッツ・ポウは言っていたが、アイちゃんは私に会いたがらなかった
この世界に来てしばらく経ち、幾人か知り合いができて、物も増えた
私がちょっと物珍しいぐらいで小物を買ってくると、たちまちルネのお小言が始まる
ルネの部屋に似合うと思って買い求めるのだが、ルネのライフスタイルにはそぐわないらしい
「第一、無駄遣いでしょ」
そうは言うが今の私は自撮り写真でちょっとした財産を築いているのだ
それだけではなく、私は新商品も編み出していた
写真部の力を借り、1枚の印画紙に同じ写真をマス目状に何枚も焼き付け、友達と分け合えるようにしたのだ
「そしてこれを手帳に貼る」
人類の夜明けを目にした写真部員たちは、拾った骨を打ち付けるヒトザルのように狂喜乱舞した
プリ帳は瞬く間にリリカポリス女子の必携アイテムとなり、写真部に開設したプリクラ撮影ブースは連日長蛇の列で、すぐあちこちに出張所ができた
プリクラの需要はとどまるところを知らず、現像の人手を募るために十分な学札を払ってもまだまだ余裕があるくらい儲かった
「いやあ、つむじさんのおかげで写真部は大変潤ってるよ」
「見てよこの大砲!単焦点1500ミリだよ!」
どこからともなくやってくるレンズの対価がどこへ行くのか私には知る由もないが、沼にはまっている部員の話では「家が建つ」くらいの値打ちだという
次に私が展開したのは、両面テープで貼り付けられるクリスタルガラスだ
カートンでできた折りたたみのインスタントカメラは、記念写真を撮るために持たされているわけではない
植物の生育を記録したり、石膏像を撮ったり、本来は授業で色々と使うためだ
そのため誰もデコるという発想はしなかった
私は一服寺の雑貨屋で様々な色形のスワロフスキーを仕入れ、溶かした蝋で貼り付けてカメラをデコった
キラキラに生まれ変わったカメラにみんな興味を示したが、いちいち蝋を溶かすのが億劫という声が多く、あまりフォロワーは現れなかった
それならばと両面テープを貼り付けたすぐにデコれるスワロフスキーを購買に置いてみた
するとこれもあっという間にリリカポリス中に広まった
翌週にはあちこちに類似商品を売るキオスクが出来、七宝のボタンや真鍮のブローチでカメラをデコる猛者も現れた
文化の伝道師となった私は得意げにろくろを回していた
次に私は、ITが存在しないこの世界になんとかしてSNSを根付かせようと画策した
マーケティングのためにはコントロールできるメディアが必要なのだ
衆人環視という大きな誤解があるはずのない信頼を生み、検証可能な嘘をみんなが信じてしまう
そこでまず、授業中に回している手紙をポストイットのような短冊に書いて廊下の掲示板に貼ってみることにした
「手紙回せばいいのに」と隣の席の子は当たり前の疑問を呈した
メールでいいのに、最初はみんなそう言ったのだ
「こうすればみんなに返事ができる」
最初の短冊の下に返事を貼り付けた
このメディアの意義に疑問を投げかけた子が、新しい可能性に目を輝かせる
壁SNSもまたリリカポリスを席巻した
「連絡帳でしょこれ」
ルネはにべもない
「みんながいっぺんに見れるってのがいいんだよ」
みんなが見ているんだからインチキはできないはず、という誤解がありもしないトレンドを生み出す
まあ手品みたいなものだ
すぐに壁が埋まると見越した私は、古い短冊を剥がして貼っておくノートを置いておいた
この過去ログノートもすぐに二冊目、三冊目と巻を増やしていった
私はまさに時代の寵児となっていた
黒いハイネックのセーターにジーンズという出で立ちでステージに上がり、スライドで大きい数字を示して自慢話がしたい
そうだ、もうひとつあった
この街は料理を趣味にしている子が多い
時間が経ってようやくわかったことだが、ルネは食事に対して必要最低限の手間しか払っていなかった
購買で売っている缶詰、丘の上の団地にあるパン屋、一服寺にあるデリ
どれも大変美味しいものだったが、ルネが自分で調理するということはほとんどなかった
冷蔵庫の野菜はまるで食品サンプルのようにいつまでも腐りもせずそこにあり、いつ買ったか覚えていないという
それでも最初の頃に出してくれたトマトのサラダは、ルネの精一杯のもてなしだった
それに対して、料理を趣味にしている子はものすごい手間をかけてパイを焼いたりしている
大作に取り掛かっているときは授業にも来ないぐらいだ
で、それを学校へ持ってきて友達と分けて食べる
それはいい
しかしせっかくそれで身を立てられそうな腕前を持っているなら、もっとみんなにリーチすべきだ
そこで私は、スクーターを持っている女子(坂の街だから結構いる)を動員してフードデリバリーサービスを提案した
「出前とどう違うの」
と訝しむルネに、配送のアウトソーシングだということを理解させるのにしばらくかかった
「わかるけど…出来てから配達員を確保するの?食べたい方は自分の都合で注文するけど、受ける方は備えてなきゃいけないわけでしょ」
「だから…それは注文が集中しやすい時間帯はある程度予測可能だし…」
「売るものがなくなっちゃったら配達員はただ暇してるだけだよね?手が空いてる配達員が受け持つって言っても連絡がつくとこにいなきゃいけないんでしょ?」
「それは…」
フードデリバリーはどうしたってスマホありきのサイドビジネスだった
私のIT革命は潰えた
しかしこれは後にお取り寄せサービスに形を変えて人気を博すことになった
私はようやく、人生において何かを成そうとしていた
ここは女子高生の楽園
女子高生が飛びつきそうなことを試せば、みんな諸手を挙げて受け入れた
「でもそれ、つむじが成したことじゃないんじゃない」
そう言ったルネはお取り寄せのいちご大福と格闘していた
これも私が流布したスイーツだ
「そりゃみんなに手伝ってもらってるけど…」
「そうじゃなくて、全部つむじが以前いたところのアイディアでしょ。ただの受け売りじゃない」
確かに全てが私の力ではない
でもコンサルティングってそういうものじゃない?
「つむじにはつむじにしか出来ないことがあるはずだよ」
気休めなのか応援なのか、いちご大福を頬張るルネはうわの空だ
「でもこのいちご大福を広めたのは良かったと思う」
と2つ目をペロリと平らげた
「共食い」
「何が?」
私の力で成したことではなかったかもしれないが、私は確実にただの転校生以上の存在になっていた
思い上がっていなかったかと言われれば、否定はできない
でもそういうときはえてして周りが見えなくなっているものだ
その頃の私は、ジャズやシャンソンがせいぜいのこの世界の音楽に耐えかねて、エレクトーンさえない中でも出来そうな、ポップな音楽を芽吹かせるべく腐心していた
まず放送部にわかる限りの知識で仕組みを伝え、エレキギターを作ってもらった
出来上がったものはバイオリンの弦一本ごとにマイクを合体させたような奇怪な楽器になってしまったが、私の稚拙な知識から生み出されたバリバリに歪んだ音を発するアンプに奏者は可能性を感じ取ったようだ
あとは昔かじったうろ覚えのパワーコードを伝授し、キンクスを歌って聞かせた
軽音楽部と私が生み出したオールオブザナイトが街のラジオから流れ出すと、音楽の流行は一気に半世紀ぐらい先に進んだ
しかし、まさかこんなちょっとした出来心が誰かの逆鱗に触れるだなんて、このときは考えてもみなかった
その日は雲ひとつない快晴だった
お昼の校内放送は今日もキンクスのコピーバンドを流している
「私隣町で買い物してくる」
サボり
なんという甘美な響き
このリリカポリスでは授業なんてあってないようなものだ
本人の気が済まなければ卒業できないのだから、あくせく単位を稼ぐような真似をしても何の意味もないのだ
学生時代の自分に猛省を促したい
皆勤賞なんか取って何か得したことがあったか?
授業をサボって街へ遊びに行く同級生を横目に見送り、自分の席にかじりついて誰かを出し抜くような才を得たのか?
「つむじは不良少女ってガラじゃないよ」
「別に不良ってことないでしょ。必要な単位取ってればよかったんだから、バカ正直にいらない授業出て、限りある青春の1ページを無駄遣いすることなかった」
「バカ正直好きだけどねぇ」
「じゃあ付き合ってくれなくてもいいんだよ」
「あたしは不良少女だからいいの」
実際ルネはかなりの素行不良で、しばしば風紀委員のお世話になっていた
それでもルネの付き合いがいいのにはよく助けられている
この日は増え始めた私の服を収納するためのワードローブを買いに行くつもりだった
とはいえここの時代性
現代のホームセンターで売っているような、ビニールと鉄パイプのシンプルなハンガーラックなどあるわけがない
私が目をつけたのは木の骨組みだけのオープンラックだが、それでも女子一人で一駅持ち帰るのは困難だった
もちろん組立家具なんていう気の利いたものもまだない
これまたビジネスチャンスの匂いがしたが、この街で工業製品がどういうふうに生産されているのか皆目見当がつかないし、どうせみんなが欲しいのは瀟洒な洋服箪笥だ
「うちのテーブル、あたしが作ったんだよ」
ルネは意外な才能を持っていた
「昔大工仕事を手伝ってた事があって…まあなんか、基礎ができてたんだな、きっと」
とルネは他人事のように話す
「じゃあワードローブも作ってよ」
「テーブルは必要に迫られたから作ったんであって、買って済むならそうしてたよ」
2人がけのテーブルが必要
私以前にもあの椅子を勧められた人物がいたのだろう
でも今は私がその席を独占している
ルネは気安いが、それでも友達をちょくちょく家に呼ぶタイプではない
前の住人が何者か、まったく想像がつかなかった
もうちょっと粘れば本当にワードローブも作ってくれたのかもしれないが、うら若き女子ともあろうものが洗った衣類を無造作にバスケットに突っ込んでいるなど、一刻も早く脱しなければいけない窮状だ
プァンという短い空笛を鳴らして下り電車が接近を知らせた
「やば、電車来ちゃった」
「次を待つくらいなら歩いた方が早いよ」
「急げば乗れる!」
「えー」
ルネに限ったことではないが、ここでは先を急ぐ子などまずいない
だから電車に駆け込むなんてのは滅多にあることではなく、改札までの最短距離を通るために人のそばを走り抜けるなんて”必要”もなかった
ちょうど人の波がテレビ撮影を避けて出来たような空隙がそこにはあった
その中心にいた、目が付いた変な杖を持って立っている人が何者かなんて、全然気にも止めていなかった
「つむじ!」
だがその人物はよく知られた人らしく、ルネは周囲も憚らずに大声で叫んだ
そう、ルネはその人が支配する空間に踏み込むずっと手前で立ち止まっていた
その声に振り向いた瞬間、私の足はその人の背中が作る短いとは言えない影を見事に踏み抜いていた
尾を踏まれた虎はキッと私に振り返り(振り返ったはず)、
「そ こ の 転校生─────!」
天も轟くような怒声が私をその場に釘付けにした
まだその名前で私を呼ぶ人がいるとは
ただまさしく、それは私以外にいないわけで、その声に立ち止まってしまった私は渋々振り返った
眼の前の変な(中略)人は、近代的なヘアスタイルで言うところのS字バングのような前髪に、お蝶夫人もかくやというゴージャスな名古屋巻きを真っ赤なリボンでハーフアップにしている
目尻はやや下がっているが、眉で怒っている鋭い目元だ
「何人もアネモイの影を侵してはならない」
ヒュッと音を立てて目の付いた杖がまっすぐ私を指した
そうだ、この人こそ”昼下がりの女王”、フレオ様だ
「ご存知?」
そんなルール知るわけない
大体フラウタ様もヴェーダ様もあゆ様も向こうから私のすぐそばに近づいてきた
いや、思い出してみればフラウタ様に介抱されていた私をみんなが遠巻きにしていたのはそういうことなのか
ヴェーダ様も人の海を割った
「あっ、あの、すみませんこの子、この街のことまだよくわかってなくて…」
ルネは巻き添えになりに来てくれた
まあ見捨てて帰られたらしばらく険悪になっていただろう
「駅前で倒れていたところをフラウタ様に介抱され、部活の勧誘から街中を逃げ回った転校生のつむじさん」
昼下がりの女王は名前とは裏腹に凍てつくような冷たい視線を私にめいっぱい浴びせてくる
「自撮りやプリ・クラなるものを広め、壁中を短冊で埋め尽くして人心を惑わしもする」
杖の頭を私に向けたまま、縦ロールをバネのように揺らしながら私とルネの周りをゆっくりと歩いて回りながら言った
「わたくしでもあなたのことをここまで存じ上げているのに、サボりの転校生様はこの世の理にはご興味がないようですわね」
教えてくれるんならもっと知りたいぐらいだ、と言いたかったが、昼下がりの女王は今私の真後ろにいる
「そしていささかも慎みがないあの音楽!」
ガンッ、と杖の尾が石畳を叩く
顔を見ることはできないがカンカンに怒っているのはわかる
あのルネが私の左腕にしがみついて相当ビビっているから
「午後の日差しを役に立たない残り物みたいに!」
私がちょっとづつ新曲を教えたおかげで、今日の昼はサニーアフタヌーンが流れていたのだった
この調子なら来週にはビートルズがデビューしているかもしれないところだが、残念ながら私はビートルズをろくに知らない
フラウタ様のときは遠巻きに見ていた物見高い学生たちは、今は関わり合いになりたくないとばかりに足を早めて退散していった
「大地を照らし頬を温めるこの光!闇を払い影を溶かす威光!あなたはこれの何が不満だとおっしゃるの!?このもやし!!」
なんでキンクスの歌への文句を今のこの私が承らなければならないんだ
ていうかこの世界にももやしあるんだ
「別に昼間が悪いって歌では…」
「口答えを!」
私は今りんご一個分ぐらいの距離に詰め寄られて睨まれている
眼の前の昼下がりの女王からは素敵な小箱に入ったチョコレートの香りがする
香水なら男ウケはしなさそうな香りだ
「いえあの…素敵ですよね、昼下がりの日差し」
その瞬間私の周りの時間が凍りついた
左腕にしがみついていたルネは微動だにしない
いや、よく見ると昼下がりの女王だけは小刻みに震えている
「わたくしは!!」
鼻先が触れそうだ
昼下がりの女王の瞳に映っている自分の目が見える
「”真昼の女王”よ!!」
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