第9話

アイちゃんの捜索は一時打ち切られた

この街はルネの言った通り気が済むまでは誰もいなくなることはない

”卒業”していかない限りこの街のどこかにはいるのだ

そのことはみんなも承知だった


「今日はあたしがつむじを預かる」

袋風荘たいふうそうのみんなにそう言って、ルネは私を西陽のあたるあの部屋に連れ戻した

今日のルネはまだ青いいちごの香りがしていた

「ルネまで調子悪くならないでよ」

「別に…そういうわけじゃないよ」

いつもの紅茶と、驚いたことにチーズケーキが出てきた

「私このケーキ夢で見た」

「目覚めると忘れてしまうけど、本当はみんな同じ夢を見ているの」

「そうじゃない、ルネが一人でこのケーキ食べてた」

表情を変えずに一瞬こちらをみると、ケーキをつつく仕事に戻った

「つむじにはそういう想像力があるのかもね」


今日もルネはベッドを譲ってくれた

ルネはと言うと、硬そうな長椅子にクッションを敷いて寝転んで、ランプの明かりで文庫本を読んでいる

「何読んでんの」

「悪徳の栄え」

マルキ・ド・サドだ

この数日でルネには一生恩に着るような借りができた

どうやって返せばいいものか

「…こっちで一緒に寝る?」

「いいよ、ゆっくり寝な」

ルネの返答は早かった

私を案じてか、”誰でもいいわけじゃない”のかはわからなかったが、いずれにしろ私の借りの返し方は少し即物的過ぎた


今日はアイちゃんの夢を見た

ベッドの隅にうずくまって、膝を抱えてすすり泣いている

頭を撫でてあげたかったが、私は手を伸ばすこともそばに寄ることも出来ず、ただじっとアイちゃんが泣いている姿を見ているしかなかった

でもそれは、夢の中の私が身動きできなかったからではなかった


翌日は一度袋風荘に帰って、着替えてから登校した

一昨日まで私の姿を認めると駆け寄ってきた集団は、今日は離れてこちらを見ている

この街の噂の広まりは早い

この世界にITというものは必要なかった

「みんな心配してんだよ」

だといいけど

教室では流石に遠巻きに眺めるだけというわけにいかなかったのか、みんな口々に「つむじさん大丈夫?」と声をかけてくれた

正直言うと、みんなに心配される度に罪悪感が募った

あの時せめてアイちゃんの手を掴んでいられたら

私にはアイちゃんを受け入れることは出来ないけれど、私の前から姿を消すほど絶望しないで済んだのではないかと

「つむじ、つむじ!」

ルネの声に顔をあげると、教室の廊下の方がざわついていた

「ヴェーダ様…夜の女王が来てる」

黒く長い前髪が顔の左半分を覆っている

切れ長の右目が私の方を見つめていた

あの制服はチューリップ、郁金香うっこんこうのものだ

幼稚園児のスモックからマネキンのような足がスラリと伸びた姿は、まるでツイッギーだ

ツイッギーはつかつかと私の方に歩み寄ってくる

モーゼが海を割るように人垣が離れた

「ちょっと来て」

それだけ言うと踵を返し、廊下に出ていってしまった

「つむじ、早く!」

ルネが急かす


高校に入学したばかりの頃、怖そうな先輩が新入生の教室にやってきて全員をその場に立たせ、校歌を歌わせたことがあった

値踏みするように新入生一人一人の間を練り歩いたあと、数人の生徒を連行していった

でも実はこのおっかない先輩は、大きな声が出る新人のリクルートにやってきた学校の応援団だったのだ

思い出してみれば、廊下にはこの新入生の恒例行事を面白そうに眺めている上級生の姿があった

女子で唯一人連れて行かれた私の友人は、2年後応援団長になっていた


しかしツィッギー、もとい夜の女王の用件はもっと重要だった

「あなたが探している人を知ってる」

すごい歩幅で悠然と歩きながら、振り返りもせずそう言った

「アイちゃんの居所ご存知なんですか!?」

返事はなかった

せかせか歩きで頑張って食らいついていく

校門を出て、丘を下っていく間ずっと無言だった

「…フラウタ様のこと、どう思う」

ようやく口を開いたかと思ったら、女王までその話

「いつか直接お礼が言えたらと思ってるんですけど…」

まあそれは嘘ではない

私に会えて嬉しいとはどういうことなのか、もちろんその説明が一番欲しいのだが

また返事はなかった

直感だが、この人は私のことがあまり好きではないみたいだ

「勘違いしないで欲しいんだけど」

と前置きして夜の女王は立ち止まった

つんのめって背中にぶつかる前になんとか私も止まった

ここは私が倒れていた駅前の交差点だ

「私達アネモイは目の前で誰かが倒れていたら躊躇わず手を差し伸べる」

それがあなたでなくても、と私の方を見ずに付け加えた

私だって別に転校生だから特別扱いされたとは思っていない


駅を越え、色街の路地へ入っていく

「…だから彼女も助けた」

そう言って立ち止まったのはこの間飛び込んだ銘酒屋めいしやだった

「…ありがとうございました」

彼女は店に入る様子はなかったが、バーテンは仕事の手を止めて彼女にお辞儀をしていた

「あっ!こっち!」

狭い階段の上で手招きしているのは、一番奥の部屋にいてカプセルホテルみたいな下宿で再会したサーファーカットの彼女だ

今日はばっちりメイクで、瞬きすると音がしそうな睫毛をしている

「昨夜酒瓶の間でうずくまってたのをヴェーダ様が連れてきたんだ。それで、あんたのとこからいなくなったらしいって噂をお話したら、呼んでくるって」

「ここにいるの?」

「まだお客は取ってないよ、念のため」

階段上がってすぐの部屋には「清掃中」という札がかけてある

嬢の顔を窺うと、入れ、というジェスチャーを返した

「アイちゃん…?」

そーっと障子を開けると、夢で見たように客と愛を育むベッドの隅に膝を抱えている

「アイちゃん、みんな心配してるよ。帰ろう」

私はアイちゃんの隣りに座って肩を抱いた

しかし体をゆすって私の手をはねのけた

「…あのことなら気にしてないから」

この言葉は適切ではないかもしれなかったが、他に言いようが思いつかなかった

しかしそもそもが私の思い上がりだった

「駄目…帰れない…私はもうどこにも帰れない!」

そこにいたのはいつものアイちゃんではなかった

「でも…でもここにいても…」

「私が死なせちゃった…だから私もって思ったのに…どうして私だけこんな…」

まったく話が読めない

「アイちゃんしっかりして!」

「つむちゃんにわかる!?自分のせいで好きな人を死なせちゃったことある!?」

もちろんない

あの大型犬のような可愛さがかけらもない、鬼気迫るアイちゃんに私は動揺していた

そしてなにより、ここへ来て初めて死について口にした人がアイちゃんだったことにも驚きを隠せなかった

「アイちゃん…」

「私はアイちゃんじゃない!そんな名前じゃないの!」

アイちゃんは頭を抱えて震えている

戸口にいた嬢が私の肩をつつき、出てくるように促した

「今日のところは私が面倒見とくから、しばらくそっとしといてやんな」

「でも…」

「いつもはあんなじゃないんだろ?今連れて帰っても、きっと落ち着きはしないよ」

落ち着いたとしても、もう元のアイちゃんに戻ることはない気がした

「ヴェーダ様は一度首突っ込んだことを無責任に放り出したりしないから。心配しないで」

私に何も出来ないのが悔しい

みんなになんと報告すればいいのだろう


失意の中店をあとにすると、ルネが迎えに来てくれていた

「アイちゃんは好きな人を死なせちゃったって言ってた」

「ここでは誰も死なない」

ではアイちゃんの言葉はなんだというのか

「つむじは元の世界にもう一度会いたい人がいる?」

「そりゃぁ…」

家族、友人、人じゃないけど、実家の犬

でもどうしてか、心の底からもう一度会いたいという気持ちは湧いてこなかった

「ここに来るとみんな記憶を失っているのは、もう二度とその人に会うことができないから。悲しい思い出はここには持ってこれない」

それじゃまるで私にはそうまでして会いたい人がいないみたいだ

それか本当に会いたい人のことだけそっくり忘れているのか

そして

「ルネは?」

「…いつか、話す」

振り返らなくてもルネの硬い表情が見えるようだった

「それより、これは女王が直々に出向いてくるような用件じゃない」

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