第8話

アイちゃんは戻ってこなかった

袋風荘たいふうそうの住人総出で街中を探し回った

何があったのかと聞かれるたび、朝目を覚ますとアイちゃんが叫んで部屋を飛び出した、と答えた

キスされていたことは言わなかった

「アイのことだから無事だとは思うけど…」

心配そうに遠くを見る郁金香うっこんこうの生徒

幸い、というか、私に疑いの目が向けられることはなかった

それどころかみんな私のことを大変気にかけてくれた

「だってつむじ、顔が真っ青だ」

自分では気づかなかったが、私は呆然自失で青い顔をしていたのだそうだ

野球部の彼女が肩に手を添えてくれた時、初めて自分が震えていることに気づいた

「きっと大姫さまにさらわれたんだ」

一服寺の女子が神妙な面持ちでそう言った

「滅相もないこと言うな」

滅相

確か仏教用語だ


彼女が言っていた大姫さまというのは、アネモイ達の主であり、この世界を創り給うた神様のような存在だ

転校してきたばかりのつむじさんのために、と言って先生が昨日の授業でざっくり取り上げてくれた

愛していた女性と添い遂げられなかった大姫さまは世を儚んで谷に身を投げ、その血が七色の花となってこの丘を覆い、今も想い人を待ち続けている情念がこの世界の時を止め、空からこぼれ落ちてくる人を掬い取ってこの街に在らしめているのだという

なんだか結構物騒な神様だが、日本的な畏れと尊敬の対象として信仰されている感じだった

いずれにせよこの世界は女の子が好きな大姫さまの世界なのだ

アイちゃんの行動もあるいは自然なのかもしれなかった

「つむじは今日はうちにいな。私達はアイが行きそうなところ当たってみるから」

今日起きたことを受け止める時間が欲しい私には、みんなの優しさがありがたかった


外は小雨がパラついている

もう既にアイちゃんの温もりが残っていないベッドの下の段で膝を抱えてみんなの帰りを待った

玄関の呼び鈴が鳴った

時間はまだお昼ごろ

みんなが学校から帰る時間ではない

「話し相手が欲しいかと思って」

訪ねてきたのはルネだった

本当はお礼を言いたいところだが、どうやら私の体はまだショックから立ち直っていないようで、「うん」と答えるのが精一杯だった

「みんなに話してないことがあるんでしょ」

ルネにはお見通しだった

もしかしたらみんなも察しているのだろうか

「目が覚めたら、アイちゃんにキスされてた」

ルネは無表情でおもたせのジェラートをつついていた

「そんで私の顔見て声を上げて…飛び出していっちゃった」

「つむじは多分、特に女の子が好きってわけじゃないんだよね」

私は頷いた

そしてこれでルネについての疑問がはっきりした

「こないだも言ったような気がするけど、誰でもいいってわけじゃないんだよ、みんな」

つまりアイちゃんは私に対して好意を持っていた

今までの同居人にも同じベッドに裸で潜り込んでいたわけではなかったのだ

「ここの子達は気が済んだらいなくなるって話、したよね」

まさかアイちゃんはあれで本懐を遂げていなくなってしまったというのか

「ここからいなくなる子達には迎えの電車が来る」

「それで花畑の向こうに行っちゃう…?」

「”卒業”していく」

ルネは立ち上がって駅に向かおうとする私を止めた

「お迎えの電車は普通のと違う。今日は来てないよ」

「これから来るのかも知れないじゃない!」

「雨の日には来ない」

雨脚は強くなり始めていた

今はどうでもいいことだが、私は傘を持っていないことに気づいた

「卒業はめでたくて晴れがましいイベントなんだ。そういう日は絶対に晴れる」

「じゃあアイちゃんはどこにいるの!?」

「そんなのわかんないよ…でもきっと泣いてる」

私が悪かったんだろうか

私が何かしてあげればよかったのだろうか

「とにかくつむじのせいじゃない」


その時のルネは実際そう思っていただろうが、それは気休めにもならなかった

なぜなら本当に私のせいだったからだ

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