第7話

「おはよ。ちゃんと寝れたみたいね」

校門で待っていたルネはいくらか機嫌が直ったようだった

「寝れはしたけどさ」

アイちゃんが隣りにいる手前、昨夜のことを話すのは躊躇われた

「今朝はね、みんなが勝手に時計を進めちゃって、たいへんだったの!」

アイちゃんはまだご立腹だ

曰く、寝が足りないと怒りっぽくなるから、だそうだ

アイちゃんが怒っている姿は可愛くてつい怒らせたくなってしまうが、本人はとても必死だ

「それで、ヤサも決まったことだし今度は部活?」

「そうだね。何かやってみたい」

「じゃあじゃあ!うちの部にはいってよ!」


背格好からしてバレーとかバスケだと思っていたが、アイちゃんは陸上部だった

「アイはうちのホープなの」

とあまり長くない髪を下の方で二股に縛ったメガネのマネージャー兼部長がみんなの走りを眺めながら言った

アイちゃんの100mのタイムはなんと十秒台だという

「スタミナもあるから今は400をやらせてるけど、短距離でアイに勝つのはまず無理ね」

「でも、あの人は?」

私は数少ないこの世界で知っている人物のことを思い出した

「昼下がりの女王」

部長はふぅむとため息をついた

「フレオは確かに速いわ。でも絶対陸上なんかやらないし、逃げ回るアイを捕まえられたこともない」

ルネが肘で私の脇腹を小突いた

「自分がやったことを思い出しなさいよ。ここでは誰もが超人」

確かに建物を屋根から屋根へ飛び移り、ジャッキーばりのアクションをこなして傷一つ負わないなんて、以前の私では考えられない

ルネの説明では、ここではその瞬間必要だと思えば岩を持ち上げるような力さえ湧いてくるのだという

「想像力がモノを言う」

だから走るという限界に縛られている限り速い人間に勝つことはできない


「どう?つむじさん。走ってみる?」

軽いダッシュをしていたアイちゃんが戻ってきた

想像力

世界記録を2秒も上回るアイちゃんに勝つには?

「負けないよ~」

腕を回してクラウチングスタートの体勢を取る

ユニフォーム姿のアイちゃんの体は、あの柔らかさからは想像もできないぐらい引き締まって見え、今は筋肉の形がはっきりとわかる

ここに来たときから履いてた厚底ローファーで100m十秒に挑むなんて

一人ぐらい何か指摘してくれてもいいのに、とコースの横を見ると、ルネがニヤニヤしている

くそ、見てろ


「用意!」

スタートの合図は古風だった

「どん!」

アイちゃんは体を前傾させたまま長い手足を小刻みに振るって、最初からそこにいたみたいに私の前に出た

そしてスピードに乗ったあとは歩幅が全然違っていた

後ろにまっすぐ伸びた足が私より半歩先に体を押し出す

前足のスパイクが地面を掴むと勢いよく体を引き寄せ、もう半歩引き離された

私が一歩進む間にアイちゃんは私の二歩先に進み、アイちゃんが二歩進むともう後ろ姿が手のひらに隠れるくらいになった

ギャラリーの声援が聞こえる

一応私を応援する声もあった

ルネのやつはどっちを応援しているだろう

アイちゃんの背中がどんどん小さくなっていく

力の差は歴然、テレポートでもしない限りアイちゃんの前に出るのはどうしたって不可能だった

ゴールまでアイちゃんならあと3歩、というところでアイちゃんはぴたりと足を止めた

「フレオちゃんだ!」

そう叫ぶとアイちゃんはゴールを無視して明後日の方向に走り出した

その隙にほうほうの体でゴールした私は、膝に手をつかないと立っていられなかった

アイちゃんはさっきよりもとんでもないスピードで校舎の方を歩く金髪縦ロールの人影に走り寄った

あれが昼下がりの女王

遠くでアイちゃんが楽しそうに影を踏んでいる様子が見えた

「走りは…十人並ね。でも鍛えれば速くなるかも」

メガネ部長は懐中時計でタイムを測っていた

「いやぁ、お速いですなぁ」

ニヤニヤしながらルネが歩み寄ってきたが、何か言い返す気力は残っていなかった

アイちゃんは途中で勝負を投げてしまったが、私の心には小さな棘が刺さったままだった


その後は初めて教室に顔を出し、ようやく転校生らしく自己紹介をした

「もうご存知でしょうけど」と先生は付け足した

そう、この学校には先生がいた

ここで初めて見る大人っぽい人だ

ただルックスは私よりもずっと幼く見えた

背も低いし、顔も丸くてぷにぷにしている

「先生はOG。ここにいいだけいてもまだ足りないって人がなる、成れの果て」

私の後ろの席だったルネが説明した

行かず後家、とも言った

なんだかそれは言い過ぎな気もする

授業の後は今まで話しかけられなかった子達の攻勢を受けた

どこに住んでるの?部活決まった?フラウタ様とのご関係は?

質問攻めは学食でも続いた

物珍しさの子達は、私が大した回答を用意していないのを知ると三々五々散っていった

しかし部活の勧誘は留まることがなかった

「そもそもここってどのくらいの生徒がいるの」

「さぁねえ…十万人?」

学生数最多と言われる日大だって7万人だ

日大ではサークルや同好会まで含めると、部活動の数は1000を超えるという話だ

それ以上の人口のこの街で一体どれほどの部活動があるというのか

「そういえばルネ、部活は?」

「帰宅部」

興味がない、というより、聞いてくれるなといった雰囲気だった

それだけ人がいても競技人口が一人なんてスポーツは想像するのも難しい

最初に声をかけてくれた一団のもとにも顔を出してみたくなった


零細部活動は一つの部室を複数の部で使っていて、あの時私を取り囲んだ子達はみんな同じこの部屋に籍を置いているようだった

「まあ!まあまあまあ!流石お目が高いですわ!」

長机の端で宿題をやっていたスポールブール研究会の会長は大変な歓迎ぶりだった

スポールブールはフランス語

英語で言うと”スポーツボール”だ

あらゆる球技の原型になったとも言われ、大変起源が古いらしい

ビュットと呼ばれる小さい木の玉を的に真鍮のボールを投げて、どれだけ寄せられるかを競うカーリングに似たルールだ

「よぉし、じゃあダブルスやろうぜ」

と言ったのはフィッシング同好会の会長だった

マイナースポーツは競技人口があまりに少ないゆえ、練習相手もいない

それで練習に付き合わされていたらルールを覚えてしまったらしい

しかし釣りなんてもうちょっと部員がいてもよさそうなものだが

「釣り場がないからな」

「それにゴカイやミミズを針につけるなんて、誰が好き好んでやるもんですか」

研究会の会長はボールを転がしてビュットの手前に付けた

こちらが転がして当てづらくするためだ

転がすのをポワンテ、投げるのをティールという

こちらのターンだ

一投目、ルネのティールが会長の置いたボールを見事にはじき飛ばした

ティールはノーバウンドで相手のボールに当たるか、対象の50センチ以内に届かなければいけない

「やりますわね」

ルネはガッツポーズで小躍りしている

「こっちの番…だ!」

助走をつけて投げられたフィッシング同好会のボールは、大きな弧を描いて真上からルネのボールをはじき出すと、取って代わるようにその場にとどまった

「カローだ」

ぶつけた相手のボールがあったのと同じ位置にとどまる投球をカローと言って、このゲームの高等テクニックだそうだ

「お見事」

という会長は少々不服そうだ

私の番

今のカローでビュットの前にとどまった相手のボールを出来るだけ遠ざけなければならない

一人三球しか投げられないので、無駄玉は許されない

私は思い切ってティールを試してみた

どすん、とフィッシング同好会のボールのそばでバウンドし、何にもぶつからずに奥の方へ転がっていってしまった

その後も一進一退というか、どっちが勝っているのかわからないゲームが続いた

メジャーでビュットとそれぞれのボールの距離を測り、僅差でスポールブール研究会の勝利となった

「素晴らしい試合でしたわ!是非入会を!」

ゲームに参加した4人の中で、一番筋がいいように見えたのは実はフィッシング同好会だ

次いでルネ、会長、私といったところだ

上手くなくてもこの競技にしがみついていられるのが羨ましく思った

私は、ここで輝くのは私でなくてもいいと思ってしまっていた

「ありがとう。でも私どうもこういうの苦手みたい…」

「なら今度はカッツェンを体験して欲しい!」

残念そうな会長をよそに、カッツェン審議委員会が小さいポリタンクのような物を抱えてやってきた

三度ルールの説明をしてもらったが全く理解することが出来ず、「やってみればわかる」と審議委員が地面にコートを描いている隙に私達は逃げた


部活は決まらなかったがそれなりに充実した一日だった

しかしさっきのスポールブール研究会にしても、ここの子達は適正があるから部活をやっているわけではなかった

それは実際そうあるべきだが、とりわけここではレギュラー落ちとかいった挫折を味わうことなく、みんながやりたいものをやっている印象だった

部活動なんて本来そんなものでいいはずだが、必死になって他所の学校と競い合うためにスポーツを楽しめなくなった子を何人も知っている

それはもちろん表舞台に立てなくなったという意味だけではない

あゆ様の言った、少し大きな声が出ればいい、諦めるのは失敗してからでいいという言葉に込められたものは、得意でないからといってやりたいことを諦めなくてもいいんだ、という頼もしい激励に思えた

人の言葉をそんなふうに考えられなくなってどれくらい経っただろう

「わかってきたじゃない」

思ったことをルネに話してみると、ちょっと偉そうに笑った

つまりルネも帰宅したいから帰宅部をやっているというわけだ

「じゃあ私こっちだから。部活動頑張って」

「おう」

ルネは勇ましく腕を振りながら帰宅していった


袋風荘では今日も私を歓迎…というか昨日の残り物だ

電子レンジがあればよかったのにと思ったが、みんなフライパンや蒸し器を使って器用におかずを温め直していた

知恵があれば何事も解決する

この世界で知識が役に立ったことはほとんどなかった

「じゃあさ、野球部入んない?」

昨日キッシュを切り分けてくれた子、野球部だという

「野球?ソフトボールじゃないの?」

「ソフトもあるけど、やっぱ金属バットで硬球をかっ飛ばす爽快感にはかなわないって」

そういえば陸上部を見ていた時に、カキン!という甲高い音が聞こえていた

「あと一人いれば紅白戦が出来るんだよ」

「やめときなって。どうせウチの野球部には勝てないんだから」

昨日の残りのじゃがいものガレットを箸でつまみながら郁金香の生徒が言った

「チューリップの飛ばし屋がいるからねえ」

そう言うのはここで唯一の一服寺の生徒だ

一服寺はお金持ちが多いらしく、あまりこういう下宿から通っている子はいないそうだ

どこで貧富の格差が生まれたものか、やはり前世で”徳”を積んだのだろうか

「飛ばし屋?」

「ゾンダ様っていって、女王のお一人」

「あの方は助っ人だろ。しかも指名打者だ。いつもの打線だったらうちの投手陣で楽々完封できる!」

「アイちゃんに盗塁してもらうとかは?」

「そう思って一度代走させたことがあるけど、アイは牽制がわからないんだ」

「いけるかーなって思ったんだよぅ」

アイちゃんはまたフグみたいにふくれている

野球部の彼女は勝負に執着しているように見えるが、それは負けが込んでいるからではない、野球が好きだからやっているんだというのが伝わってきた

ただやはり相手があってのスポーツなので、フラストレーションが溜まることも当然あるだろう

「いつかは勝つ」

野球部の彼女はそう言って闘志を燃やしていた

ここは永遠の今を繰り返す

つまり試すチャンスは何度でもあるのだ

いつかは勝つ、まさしくその通り

ここでは誰しも負けてばかりではないのだ


今日もお風呂を頂いて寝床に入る

「おやすみなさぁい」

今日もアイちゃんは裸で私のベッド…いや、二人のベッドに入ってきた

昨日と同じように下のベッドに寝たが、私が上の段に寝たらきっと上の段に入ってくるのだろう

アイちゃんは今日もお日様の匂いがした


今日もルネの夢を見た

ルネは部屋に戻ると自分の名前が書いてある出欠の札を裏返した

テーブルで日誌を広げると、今日の帰宅部の活動について記した

帰りにケーキ屋に寄り道をしました

チーズケーキを買いました

風船を飛ばされて泣いていた子に代わりの風船をあげました

日誌を閉じると紅茶を淹れてチーズケーキを食べ、そのまま寝てしまった

こんなことが本当にルネのやりたいことなのか

そんなわけないでしょ、とベッドで背中を向けたままのルネが言った

私はババロアを食べようとしていた

いや、食べさせられようとしていた

ぷるぷるとした強い弾力のババロアを私の口に押し込もうとしているのはフラウタ様だった

あなたに会えて嬉しい

だから何で

それでどうしてババロアを食わそうとするのか


目を覚ますと目の前には見開かれたアイちゃんの瞳があった

私の視界をアイちゃんが覆っている

私はまだ夢を見ているのだろうか

唇にあったババロアのねちっとした感触が離れていくとともに、アイちゃんの顔も離れた

既に制服を着込んでいるアイちゃんは口元に手を当てて震えている

「…アイちゃん?」

アイちゃんの様子がおかしい

こっちを見てかぶりを振っているが、瞳は私でないものを見ているようだった

「やだ…」

アイちゃんは怯えている

「いやぁぁぁ!」

叩きつけるように部屋の戸を開けたアイちゃんは階段を駆け下り、そのまま袋風荘から飛び出した

100m十秒台の俊足で、アイちゃんはすぐに見えなくなった

玄関には靴が残されていた

アイちゃんは裸足のままだ

「どうしたの?」

野球部の彼女が騒ぎを聞きつけて階下に降りてきた

「わからない」

と私は答えたが、それは半分嘘だ

ババロアの感触はアイちゃんの唇だ

アイちゃんは眠っている私にキスをしたのだ

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