第6話

一人暮らしには厳しさがあって、何者にも縛られない自由などは浅はかな幻想だ

ゴミ出しは相互監視のディストピアだし、掃除機をかけるのにも宵っ張りの隣人の顔色を窺わねばならない

好きなものだけ食べられるが、用意も全部自分でしなければならない

そして家賃

私を縛るものは無数にあった

そう思うと、誰かと同居というのは悪くない選択肢といえた

暮らすにおいてのあらゆる負担を誰かとシェアできるというだけでも気が楽になる


「それで」

ルネはいまいち信用ならないという顔をしている

「この子と相部屋?」

「アイゼっていいます!」

「アイちゃんていうんだ」

アイがハモってしまった

私が見つけたのは学校近くの古いシェアハウスで、名前を『袋風荘たいふうそう』といった

2人で一部屋を分け合うドミトリー型の物件だ

焦げ茶の柱や床板に、元は白かったであろう壁紙のレトロな洋館風の内装

居室には二段ベッドと勉強机が備え付けられており、今まで見た中では一番学生寮といって想像する部屋の形に近い

ベッドが一つ空いているというので内見に行くと、アイちゃんは部屋で待っていた

「前いた子は引っ越しちゃったの」

もしや「いなくなった」のではないかと思って身構えたが、かねてより住みたかった部屋が空いたのでそちらに移ったのだという

「アイね、一人だとねむれないの」

アイちゃんはちょっとボサボサっとした天パで、手足が長くて制服が寸足らずになっている、成長期真っ只中みたいな少女だった

身長は私より少し(5センチくらい)高い程度だが、小顔なせいかものすごく背が高く見える

なのに器用に上目遣いで私を見るのだ

「つむちゃんは?一人でねれる?」

つむじ、と自己紹介したが、一度も”じ”まで呼んでくれたことはなかった

「寝るだけなら寝れるけど、誰かいてくれた方がいいよね」

ここへ来てからとみにそう思う

「だよね!一緒がいいよね!」

アイちゃんにしっぽが生えていたら風を送れるぐらい振れていただろう

アイちゃんには屈託のない可愛さがあって、ルネとは全然違うタイプだ

ここの女の子はみんな果物の匂いがするとばかり思いこんでいたが、アイちゃんからはポップコーンの香りがした

二段ベッドに机2つの六畳一間がなんだか映画館みたいに感じる

それからアイちゃんと部活動の話やおいしいパン屋さんの話などをした

これだ

学生生活とはこういうものではなかったか

私は急にこんなありきたりの学生生活を渇望していた気がしてきた

アイちゃんと意気投合した私はすぐさま学生課で入居手続きをした


「それはどうもごちそうさま」

私が一人で勝手に決めてきたからか、ルネは不機嫌そうだ

「悪かったよ、相談しなくて。でもいつ埋まるかわからないっていうから」

「はいはい、別に構いませんよ。今朝仕入れた煮込みハンバーグはあたし一人で食べますから」

「け、けんかしちゃだめ!」

アイちゃんが割って入った

「ご、ごめんね。喧嘩じゃないから…」

「そうそう。天下の転校生様はあたし如きとはいがみ合ったりしませんもんね」

ルネはこういうヘソの曲げ方をするのか

可愛いところもある

今までの借りを返すのも兼ねて、あとで何か振る舞って機嫌を直させよう

「ともかく、これでなんとか学校行けるから」

「…わかった。じゃあまた学校で」

そう言うとルネは引き上げていった

私は既にこの世界での持ち物全部を抱えてきていたので、これで引っ越し完了だ


部屋の窓を覗くと、九十九折の細道に隙間なく並ぶ家々が眼下いっぱいに広がる

この眺望こそきつい坂だらけの街の醍醐味だ

高いところから街を見ると優しい気持ちになる、と太陽を盗んだ男も言っている

線路の南側、ルネの部屋がある側の丘は大きな通りや集合住宅が目立つが、こちらの学校がある側の丘は人が通るので精一杯の道が無数にある

ここからもルネの住んでいる駅前のあたりが見える

目を凝らせばルネの背中も見えるだろう


この袋風荘の食事は当番制

今日は新入りの私のために先住者のみんなが腕をふるってくれた

「フラウタ様っていうのはさ、いつも貴賓席にいるっていうか、下々は畏れ多くて、物陰から見つめることも憚られるんだよ」

「遠慮…ってのと少し違うけど、なんかやっぱりお近づきになるの気が引けるんだよね」

話を聞いているとまるで皇族か何かのようだ

実際女王というのはやんごとない存在で、あゆ様のように人当たりのいい女王の方が珍しいそうだ

「あ、でも一人厄介なのがいてさ」

とキッシュを取り分けてくれた高天原の生徒がいたずらっぽい顔をした

「昼下がりの女王」

こちらは郁金香の生徒

「なんか気だるそうな女王だね」

「違うんだよ。むしろその逆で」

「張り切りすぎてて、いかにも委員長って感じ」

「自分の担当する時間はずっと街を見回ってて、生徒の行動に目を光らせてんの」

8人の女王は二十四時間を3時間交代の持ち回りで担当しており、”昼下がり”というのは要するに当直時間のことだった

「それがさ、面白いんだよ」

「アイはフレオちゃん好きだよ」

口の端にクリームチーズを付けながらカナッペを頬張るアイちゃんが言った

「アイはフレオのお得意様みたいなもんだからな」

お得意様、とは

「お昼ってさ、影が一番短くなるじゃない?でも陽が傾くとだんだん伸びてくるよね」

「その伸びた自分の影を踏まれると、怒るわけ」

「影を踏まれたくらいで?」

人間が小さすぎやしないか

「正午だったら踏めない影も、昼下がりには踏めちゃう」

「太陽が一番眩しい時間の受け持ちじゃないことを認めたくないんだよ」

「で、アイはフレオの影を踏んじゃ追いかけ回されているわけ」

「昨日はお花畑まで行っちゃった」

お花畑、というのは、この街をぐるりと取り囲んでいる、七色の花が咲き誇る文字通りのものだ

デニーズから富士山を見ようとした時虹色に霞んで見えたのはこの花畑だ

電車はこの花畑をかき分けてやってきて、花畑の中に消えていく

その向こうに何があるのかは誰も知らない

行ったものは帰ってこないから、とルネは寂しそうに言っていた

袋風荘の歓待は食後のデザートにお茶、その後またお菓子をつまんで、おふろに入らなきゃ!とアイちゃんが席を立つまで続いた


ここではちゃんとみんな風呂に入るし洗濯もする

共同生活におけるエチケットだ

「…なあ、あのこと言っておいた方がいいんじゃないか?」

他の子が風呂の順番を譲ってくれたので着替えを取って階下に戻ると、キッシュを取り分けてくれた女子が台所で声を潜めていた

「でもあの子が受け入れてくれないとアイはまた一人になっちゃう」

どうして人は聞かれて困る話を聞かれて困る相手の近くでするのだろう

アイちゃんに関わる話のようだし、知らんぷりというのは到底できないだろう

いずれにしろ彼女らはアイちゃんを案じているようだし、”あのこと”が何かはわからないが私もできうる限りアイちゃんを労りたいと思った

その場はどうにかやり過ごして風呂場に辿り着くことができた


先に入っていたアイちゃんの姿は既になく、床がところどころ足の形に濡れている

洗濯物は各自ネットに入れていっぺんに洗うようになっていた

汚れることがないんだし、全員分まとめて洗うことについては特に抵抗はなかった

湯船になみなみと張られたお湯は温泉のようで、わずかにとろんとしていて体の芯まで温まった

「お風呂お先にいただきました」

食堂で談笑している女生徒達に礼を言った

「どうだった?うちのお風呂。本物の温泉なんだよ」

そういえば何駅か先に天然温泉のスーパー銭湯があったっけ

まあ日本はどこを掘っても温泉が出るというし、ましてこの都合のいい世界なら望めば草津の湯だって吹き出すだろう

「あー…それとね」

さっき台所で話していたもう一人の方の女生徒だ

「アイのことなんだけど、あんまりびっくりしないであげてね」

そんな事言われて何に?と聞かずにおれるだろうか

私が少しの間その誘惑に耐えていると、女生徒が続けた

「あの子寂しがりなだけで…害はない子だから」

「わ…わかった」

私に根掘り葉掘りしたがっていた女の子達の気持ちが少しだけ理解できた

害はない子

害がある子って一体何だ

いびきがうるさい?私は割とうるさくても寝れる方だ

寝相が悪いとか

二段ベッドだからそれも杞憂だろう

寝ない…?

ああいう子が極度の夜行性、ということは十分ありえるが、部屋の中で出来ることには限度がある

夜通しギターでもかき鳴らされたら困るが、楽器は見かけなかった

しかしさっきのヒソヒソ話からすると、先の同居人は他の部屋が空いたから引っ越していったというわけではなさそうだった


部屋に戻るとダボッとしたワンピースのパジャマ姿のアイちゃんが髪をブラッシングしていた

梳いても梳いてもぴょこん、と元に戻ってしまう強情な毛で、アイちゃんはずっと難しい顔をしながら髪を梳かし続けている

「やってあげる」

アイちゃんのブラシを取って髪を梳くと、アイちゃんはお行儀よくまっすぐに座り直した

「アイ、くせっ毛だから、毎日2回頭をあらうの」

「洗い過ぎも良くないよ」

私からこんなルネを喜ばせるようなセリフが出るとは

「そうなの!?」

素直に驚いてくれるのが嬉しい

「大丈夫、くせっ毛もかわいいよ。ほら」

私はなんとか強情な毛を整列させて、雑然としない感じにまとめて見せた

「わあ!きれい!」

アイちゃんは目をまん丸にして喜んだ

私が風呂道具を自分の棚に戻す間、アイちゃんは手鏡をいろんな角度にして自分とにらめっこしていた

「どっちのベッドで寝ればいい?」

と尋ねると、アイちゃんはにらめっこの手を止めて「どっちでもいいよ」と難しい答えを返した

日替わりで寝床を交換していたんだろうか

それとも改めて新しい入居者の私に譲歩してくれているのだろうか


実は二段ベッドの上の段というのはあまり好きではなかった

というより下の段が気に入っていた

子供の頃はうちも二段ベッドがあり、私が何も検討しないうちに兄が上の段を取ってしまったことに腹を立てたこともある

しかし兄のいない間に上の段で寝転がってみると窓の外は地面しか見えず、プランクトンを散りばめたようなトラバーチン模様が好きではなかった私には近い天井も苦痛だった

そこへ行くと下の段は快適そのものだ

上の段の裏側にポスターを貼ることも出来るし、星のシールで好きな星座を描くこともできた

カーテンを引けば外とは切り離され、自分だけの空間に閉じこもることもできる


「下でいいかな?」

「いいよ」

アイちゃんはなんでも二つ返事だった

見かけによらずこういうことが得意なのか、他の部屋の子が気を回してくれたのかはわからないが、ベッドは上も下もきれいに整えられていた

寝転がってみると、ポケットコイルらしい弾力がバランスよく私の体を支えた

ビジネスホテルや病院のベッドはなんとも形容し難い掛け布団が備え付けられているものだが、ここの布団は羽毛らしい薄がけだった

枕も拳銃で撃ち抜いたら一面に羽が飛び散りそうなふかふかのやつだ

特別安いとも言えない家賃ではあったが、温泉が出る風呂やこうしたホスピタリティを考えると破格値といえよう

「じゃ電気消すね」

「はぁい。ありがと」

眠気を誘うオレンジ色の明かりが消えると、窓の外がうっすら青白く見えた


衣擦れの音が聞こえ、アイちゃんがパジャマを脱ぎ捨てるシルエットが見えた

「おやすみなさい」

と言うが早いか、アイちゃんは私が寝ている下の段に横になった

えっ

なんで

アイちゃんは裸だった

裸族だった

それは別にいい、上の段で寝るんだったら

裸でいようが小林幸子のような格好でいようが構いはしない

下でいいかな?を”アイちゃんは下でいいかな?”と受け取ったのだろうか

動転した私が声も出せずに混乱していると、アイちゃんはもう寝息を立てていた

”あのこと”とはこのことだったのだ

前の住人は裸で同じベッドに入ってくるアイちゃんに耐えかねて出ていったのだ

アイちゃんは一人では眠れないと言った

私も誰かいた方がいい、と言ってしまった

それ自体は嘘ではないが、およそ想像しうる状況とは全く違っていた

こっそり寝返りを打ってアイちゃんに背を向けると、私の体に手を回して背中にくっついてきた

昨日買ったばかりの薄いピンクのパーカー越しに、アイちゃんの体の柔らかさが伝わってきた

冷静になろうと深呼吸すると、アイちゃんの匂いがポップコーンのそれではないことに気づいた

晴れた日によく干した布団のような、太陽の匂いがするのだった

アイちゃんはむにゃむにゃ言いながら私の背中に頬を押し付けていた

私もアイちゃんのお日様の匂いの中でまどろみはじめ、そのうちに眠りに落ち、ここへ来て初めての夢を見た


西日しか差し込まないあの部屋で、植物に囲まれて一人で眠っているルネの夢だ

目を覚ましたルネは鉢植えのひとつひとつにマグカップで水をやる

そうして精一杯の朝食を用意して平らげる

夢の中のルネは一言も声を発しなかった


「つむちゃんおきて!遅刻しちゃう!」

すっかり制服を着込んだアイちゃんが私の肩を揺らしていた

ルネはこの街は時間が流れていないと言ったが、毎日ちゃんと日が暮れるし朝が来る

それどころかブリキの目覚まし時計は8時5分前を指し、なおもじわじわと慌ただしい朝を前進させていた

はやくはやくと急かすアイちゃんをなだめながら手ぐしで髪を整えて制服に袖を通すと、もう8時を回っていた

登校初日から遅刻だなんて!

まだカバンがない私は下着を買ったときの紙袋にノートや筆記用具を入れ、どたどたと階下に降りていった

「ああ、おはよう」

昨夜ヒソヒソ話をしていた子が2ピースのパジャマのままくつろいでいた

「えっ…あの…遅刻しちゃうよ?」

その場にいたもう一人の女子と顔を見合わせて笑い出した

「やったね!うまく行ったよ!」

「毎日こうだといいけどね!」

どうやら私は担がれたらしいが、何がどういうことなのかさっぱりわからなかった

「ぶー!こういうの楽しくなぁい!」

あとから降りてきたアイちゃんはふくれっ面だ

「アイはいつも二度寝しちゃってギリギリまで起きないから、時計進めておいたんだ」

「びっくりした?」

食堂の柱時計はまだ6時半を指していた

「なんだ…そういうこと」

今までの同居人は、アイちゃんがいくら起こしても起きなかったり、一緒に寝坊してしまったりするのに困り果ててここを出ていったのだという

起きれなかった自分を差し置いて言うのもなんだが、十分害があると思う


「まあそう何度も同じ手は通じないだろうから、明日からはつむじが頑張って叩き起こしてね」

いや、問題はそこではない

裸で同じベッドに入ってくることは気にならないのか

そこでまたふと疑問が湧いたが、ルネがいないので自分で答えを出してみた

そうだ

他の住人もみなルームメイトと同衾しているのだ

極めて順当な推理

私はとんでもないところに引っ越してきてしまった

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