第5話

実を言うと、私はこのルネの作る食事をもう一度食べたくて、内見を途中で切り上げたのだった

今日の晩ごはんは缶詰のビーフシチューと柔らかいパンだったが、どちらも普通に買ったらとんでもない値段がしそうな味だった

パンは違うけど缶詰は購買で売ってる、とルネは言った

「そういえば、お金ってどうなってるの」

「学札が主要通貨」

そう言ってピンクや薄緑の紙幣と小さな硬貨を取り出して並べた

日本のお札に比べると地味だが、鮮やかな色で異国情緒がある

どれにも色々な女の子の肖像が描かれている

「あれっ、この人…」

ふんわりしたロングヘアの女性の横顔が描かれている、中ぐらいの額面の水色の紙幣を手に取った

「この人今もここにいる?」

ルネはぱしっと上からお札を取り、気に食わなそうな目つきでお札の女の子を眺めた

「この人はここの筆頭女王、フラウタ様よ」

「女王?ここ王政なの?」

「もののたとえ。でも実際そんなとこ」


この街はアネモイと呼ばれる8人の生徒会長のような存在が切り盛りしている

歩くだけで誰もが目を留める威容

掲げた手が何者をも制し、その笑顔はすべての人を受け入れる

まさしく女王

「そんで、この街のあらゆることを決められるものすごい権能を持ってる」

「町内会長だ」

「それが8人もいるんだよ?馬鹿らしいわ」

そう言いながら付け合せの茹でたとうもろこしをムシャムシャやっている

「それで?フラウタ様が気になる?」

「この人、私がここで目を覚ました時介抱してくれた人だと思うんだ」

「フラウタ様が!?」

身を乗り出したルネの胸元にスリップの繊細な刺繍が見えた

「他の人は知らないけど、似てる人がいないんだったらこの人で間違いないと思う」

ルネの胸元からお札の肖像画に目を移して答えた

ルネについてのもう一つの疑問はまだ聞いてみる勇気がないが、私を誘惑している可能性は排除することが出来なかった

それかただの無頓着

「フラウタ様は格別の人気を誇る女王の中の女王。駅前でそんなことがあったら絶対噂になってる」


「つむじさん!フラウタ様とどういうご関係!?」

なっていた

昨日は部活の勧誘が取り巻いていて話しかけられなかったという女の子が、根掘り葉掘りしたそうにしている

「私あそこで倒れてたみたいで…それを介抱してくれてたらしいの」

「素敵!」

こわい

駅のど真ん前で倒れている赤の他人に膝枕を貸して目覚めるのを待つとか、慈善家にしても相当な自信がなければできっこない

それが女王というものなのだとしても、いささかいき過ぎていると思った

ただまあ、恩義に関してはいつかちゃんと返したいと思っている

「ちょっと気障だよね」

ルネに同意

「そんなことない!ロマンチック!」

「ねぇ!」

なんだかちょっと時代がかった女の子達だ

ルネもそうだが、色々な時代の女の子がこのリリカポリスに集まっているのがわかってきた

電気はあるが蛍光灯はない

情報機器はラジオだけ

どうやらそれがここの中心的な時代性だ

ただ、スクーターや団地などのように、何もかもが大時代的なわけではない


もっと話を聞かせろとせがむ一団を振り払い、なんとか購買までたどり着いた

ここには文具や上履きなど、学校に必要な様々なものがうず高く積み上げられ、さながらドンキホーテのようだ

食品のコーナーにはルネの食べていたビスケットやビーフシチューの缶詰も見受けられた

なるほど、見ている間にもビスケットは一つ、二つと召し上げられていった

今は何の時間なのか知らないが、昼時を過ぎたスーパーぐらいには学生が通路を回遊している

ここでも私に声をかけたそうにしている女の子ばかりだ

「私もよくわからないから…」

そう言って苦い笑顔をしておいた

「ここではこれがないと始まらない」

物見高い女子達をあしらっていると、折り畳み式のフィルムカメラをルネに押し付けられた

書類ケースのような厚手の蝋引きクラフト紙で出来ていて、畳んでいるときはシステム手帳ぐらいの大きさ

これまた紙で出来た蛇腹状のレンズを伸ばし、小さなファインダーを引き出して撮影する

チェキのようなインスタントフィルムをセットして使うらしい

「ご飯の写真でも撮る?」

「何のために?これはね」

そう言って購買の廊下に連れ出された


壁一面にこのカメラで撮ったらしい写真が張り出されており、一枚一枚に数字が書かれた付箋がついている

上の方にひときわ大きな数字がついたフラウタ様の写真もあった

手前に別な子の頭が見切れているが、笑顔を振りまいているのがよくわかる写真だ

「これこそがここの経済」

書いてある数字はつまり、写真の値段なのだ

「ここの子はみんな思い出に飢えてる。だから何でもいいの、どうってことない写真でも、日記でも。素敵な思い出は高く売れる」

ならご飯の写真だって構わないと思うのだが、思い出の値打ちは何が写っているかではない、誰と写っているか、だそうだ

「へぇ…」

感心しながら壁を眺めていると、私の写真があった

これは一昨日、商店街の屋根の上を八艘飛びしていた時の写真だ

「いつの間にこんな写真を…」

「こんなおもちゃのカメラじゃなくて、望遠鏡みたいなごついのを持ってる連中もいる」

まあまあの値段がついているようだが、フラウタ様には0が3つぐらい及ばない

しかし大体の写真はなんというか、記念写真然としていて垢抜けない、朴訥とした構図だ

写すのが下手というより、被写体の方が写り慣れていない感じがする


端から端までざっと見て、あることに気づいた

「ここは雑貨もある?」

「あるよ」

ちょっとヴィレッジヴァンガードを思い起こさせるような一角に案内された

目当てのものは割とすぐ見つかった

小さな銀紙の丸いシール

「手帳にでも貼るの?」

「ううん、ここに貼って…」

レンズ側のファインダーの下にはかろうじて貼れそうなスペースがあった

想像した通りだ

「何?これ」

「ほら、もっと寄って」

「ん」

ルネの肩を引き寄せてカメラを構えた

シールの反射はくすんでいて何が写っているかはよくわからないが、構図に収まっているかどうかぐらいは確認できる

レンズをこちらに向けて手を目いっぱい伸ばし、親指でシャッターを切る

「うわぁ、何これ」

カメラから取り出した写真はじわーっと濃淡を帯び始め、斜めに並んだ白黒の人影が現れた

ルネと頬をくっつけた自撮りがここでの一枚目になった

「すごい!」

近くで見ていた女の子が早速真似を始めた

顔の上半分しか写ってなかったり、シャッターを押す間腕が動いてブレてしまったりしたが、今までに見たこともない構図の写真にキャッキャとはしゃいでいた

「こうやって斜め上から撮ると小顔に写るんだよ」

とアドバイスをすると、キャーキャー言ってみんな自分のカメラを上の方に構えて自撮りをし始めた

「こんな写真は初めて見た。これはきっと高値が付くよ」

ルネは感心した様子で写真を眺めていた


その後ルネの見立て通り、この世界で初めての自撮り写真は見事な高騰を見せ私の懐を温めてくれたが、本当の最初の一枚は「また撮ればいいでしょ」と言うルネが売りに出させなかった

ルネはこの最初の一枚を誰よりも気に入っていた

後から聞いた話だが、このオーパーツの出現で高天原女子の写真だけが急騰してしまい、一時的に街の経済バランスが崩れたという


購買に来る前に学生課である程度まとまった額の学札が支給されたが、ここでの買い物に対価はいらなかった

「授業で使うものはタダ」

そう言ってルネはノートや鉛筆、つま先が淡い藤色の上履き、セルロイドの軸に花柄をあしらったガラスペンなど次々に私に抱えさせた

「入れ物がないよ!」

そういえば駅前で私を遠巻きに見ていた子たちはちゃんとしたカバンを持っていた

「カバンはここでは買えない」

次に連行されたのは住宅街の真ん中にある革製品のブティックだ

塗りこまれたオイルの匂いが充満していて気分が高揚する

ここにも私が気にかかる女の子達が遠巻きに見ている

小さく手を振ったら顔を見合わせて喜んだ

「高天原指定のバッグはこちらです」

と店員に示されたのは革のサッチェルバッグだ

手提げの他にフックで取り外せるストラップがついていて、ショルダーバッグのように肩がけしたり、リュックのように両肩に背負ったりできる

ストラップを伸ばせばお尻を隠せる低い位置で背負うことも出来そうだ

横長だが全体に幅も狭めで、カンやバックルはめっきではなく地金を研磨したような鈍い輝きで小物感があってかわいい

よく見るとルネが背負っているのも同じカバンだったが、とてもそうとは思えない年季の入りようだ


購買の職員も学生課の不動産担当者も同じ学校の生徒だったが、このブティックの店員もそうなのだろうか

白襟の黒いスモックのような服を着ている

「彼女は郁金香うっこんこうの生徒」

そういえば内見の時に向こう側の丘で同じ格好をちらほら見たような気がする

とすると羽織袴の生徒もどこかにいるはずだが、まだ見かけていなかった

「一服寺は隣の駅だから。この後嫌でも見かけるよ」

「お仕上がりは一週間後になります」

新入生しか用のない品物なので、受注生産は仕方がない

しかし先払いで結構な額の学札を巻き上げられた

この世界でも革製品はお高い

店に居並ぶバッグ達になってしまった哀れな動物はどこにいるのだろう、と考えても仕方がないことに気付きつつある疑問を一応ルネにぶつけてみた

「今朝ベーコン食べたけど、豚は見たことない。ああでも、馬はいる」

プラットフォームで電車を待つ間、ルネはこの街の動物の話をしてくれた

蛇と蜘蛛とゴキブリは見たことがないという

大変結構


おでこにヘッドライトを一灯付けた黄紺ツートンカラーの四両編成が滑り込んできた

隣の駅は歩いていけるほどしか離れていないが、車窓から見える景色は急速に様相を変えた

白い家並みは障子戸の屋敷に取って代わり、通りにはルネの言った通り馬車が走っている

途中でお寺のような巨大な屋根が見えた

あれが一服寺だろうか

隣の駅はとても立派だった

私の住んでいた世界では、イオンやオーパ、イトーヨーカドーなどがあって、取り立てて光るものはなかったが、日常の用は大体ここで事足りた

ここも商業施設がひしめいているが高いビルはなく、雰囲気としてはアウトレットパークのような感じだ

そして元の世界にあったペデストリアンデッキや得体の知れないオブジェもちゃんとそこにあった

何故こういうものはそのままなのか

芸術は時代を超える、とルネは言ったが、何にせよ見覚えのあるものに再会して少し安堵した

ここにはセーラー以外にスモックや羽織袴の生徒もたくさんいて、どの店先も学生でごった返している

「ここで一通り生活に必要なものは揃う」


私はルネに一宿一飯の恩義どころか、下着や靴下まで借りがあった

制服はどうしようもないから同じものを着続けているが、追いかけっこをしたり滑り台の下に座ったりして付いた汚れは払うとすぐに落ちた

ルネはここでは服が汚れることもないから別に洗って返さなくてもいい、ととんでもないことを言ったが、流石に地肌に身に付けたものをそのまま返すわけにはいかない

洗わず返したとして、普通の人間ならそのまま穿きはすまいが、ルネならやるかもしれなかった

何故ならルネの部屋には洗濯機がないからだ

とりあえず手頃な下着を二、三枚勘定すると、別にいいのにとものぐさがるルネを引きずってコインランドリーに向かった

「じゃあなんでコインランドリーなんてものがあるのよ!」

「井戸端会議するんだよ、こういうとこで」

洗濯物は刺身のツマみたいなものだとルネは言うが、冗談、洗濯機は8割がた埋まっている

「ほら!みんな気にするんだよ!普通は!」

「でも臭くなんかならないし、髪も手ぐしでこうなる」

とふんわりボブを払うと、絡まりもせず元の形に収まった

確かに臭いもしない

いや正確に言うと匂いはするが、ルネの場合は子供用シャンプーのような甘いいちごの香りを発散している

銘酒屋に飛び込んで感じた匂いもそうだが、どうやらここの女の子はみんな芳醇な果物の香りを漂わせている

ルネに言わせると、私の匂いは夏っぽい柑橘系の香りらしい

「違うよ、バナナじゃない?」

「ライチみたい」

コインランドリーにいた他の女の子達が次々に私の匂いを嗅ぎに来たが、みんな違う匂いを感じているようだ

「香水って自分ではいいと思っても他人には不快なことあるでしょ?ここでは相手の主観によるの」

みんな自分にとって心地いい感じ方をする、ということらしかった

実に何事も都合よく、加害性の低い世界だろう


ビーッというブザーが鳴って、下着の乾燥が終わった

コインランドリーの洗濯機は街の他の機械装置に比べて明らかに近代的で、それだけこの世界の女子が清潔に対する意識が強いということを物語っていた

洗い終えた下着を返そうと思ったが、代わりにさっき買った方の下着を渡すことにした

「なんで。それお気に入りなのに」

「それはごめん。でもやっぱ気になる」

お気に入りを人に穿かせたというのも驚きだが、これまでのことを思うと洗濯してないものを穿かされた可能性がとても高い

確かに汚れたりはしていなかったが…

「大事に穿くから」

「えー…?うん…」

ルネは受け取った下着に不満そうだった

こうして借りばかり作ってしまっているが、いつかちゃんと返さなければ

ただ見通しは何もない


下着を買った紙袋に抱えてきていた文具などをしまってコインランドリーを出た

「あとは何を買うんだっけ…えーと…」

ルネが買い物リストを頭から読み直しているので、買い物に失敗する絵本を暗唱してみたくなった

「産みたて卵を6つと、お茶にいただくケーキと、梨を一山。それから…」

「レオタード忘れちゃダメよ」

当然頭の上の方から聞き覚えのないハスキーな声が降ってきた

振り返るとすらりとした男装の麗人が私達のすぐ後ろに立っていた

「ご、ごきげんよう」

権威に動じないと思っていたルネが慌てて頭を下げ、私にも挨拶するよう促した

「えと…ごきげんよう…」

誰?

「女王のお一人、あゆ様」

「あゆで結構…今ならあっちゃんと呼んでくれてもいいよ」

いちいち芝居がかった人だ

見た目だけなら精悍な美人だが、一緒にお茶したいタイプではない

でも周りの女子は遠巻きにキャーキャー言っている

「ところで、部活動はどこにするか決まったかな転校生くん?もしまだなら、我が演劇部を試してみてはどうかな」


演劇

小学校の頃ヘンゼルとグレーテルで見事グレーテル役を射止めたことがあった

もちろん厳正な演技の審査などないただの抽選だが

ところが練習を進めていくうちにヘンゼル役の川口くんとデキてるとからかわれるようになり、とうとう耐えきれなくなった私は役を降板してしまったのだった

代わってグレーテル役を仰せつかった宮比さんは、川口くんとの仲をとやかく言われぬまま演じ切り、保護者達の拍手喝采を浴びた

成人式でたまたま顔を合わせた川口くんの友人から聞いた話だが、川口くんとの仲を噂し始めたのは他でもない宮比さんだったそうだ

それもグレーテル役をやりたかったからではない

川口くんのことが好きだったからだ

憎い、とかではなく、自分の恋路のために小学2年生がそんな狡猾な手段を用いるのかと感心した

私にはそういう目標もなく、ただ漫然と生きる小学生でしかなかった

「私にお芝居は…」

「お芝居は必要ない。ただ少し大きな声が出ればいいんだ」

できる人のアドバイスはいつだって役に立たない

でも、もし、あの時投げ出してしまったグレーテル役をもう一度できたら

この人の何十分の一かでもいい、舞台の上で輝きを放つことができたら

そんなかすかな期待と迷いを読み取ったらしい

「諦めるのは失敗してからでいい。その気になったらここへ来て」

厚手のキャンソン紙にゴシック体でThéâtre Le cielと書かれた名刺を渡された瞬間、私を遠巻きにしていた一段がより一層黄色い声を上げた

その下に書いてあるのは住所らしかった

地名は分からないが地番の並びからなんとなく場所の見当がついた

名前と、桁数がだいぶ少ない電話番号の後ろに小さな赤い四角がプリントされている

「邪魔したね。お買い忘れがないように」

そういうと彼女は踵を返し、すぐに人垣に囲まれて見えなくなってしまった

その半分ぐらいの人垣がありがたい名刺を見ようと私に集まってきた

「フランス語。読める?」

ルネは挑発的に言った

バカにしてもらっては困る

これでも第二外国語はフランス語を取ったのだ

咳払いをして声を整える

「空の劇団」

「天国の劇場」

とすぐさま訂正された

「三校から部員が集まって定期公演してる劇団。あゆ様以外にも有名なキャストが何人もいて、みんなすごい人気」

「ほんとにレオタードいる?」


レオタードは買わなかったが、部屋着やマグカップなどの日用品を買いしたため、今日もルネの部屋に厄介になることにした

流石に毎日タダ飯が出てくるのを待っているのは悪いので、すごくスピードが出そうな流線型の冷蔵庫からピーマンやキャベツの芯を発掘し、購買で買ったランチョンミートとで私の得意料理スパム炒めを披露した

「うん、食べたことない味!」

ルネは気に入ってくれたようだ

濡れ髪のまま肩にバスタオルをかけてスパム炒めを頬張るルネは、調理の匂いをかき消すほどの鮮烈ないちごの香りを漂わせていた

ここへ来てから私が使う以外で湿っているのを見なかったシャワールームの、擦り切れた真鍮の取っ手から雫が垂れていた

体を流さなくても臭くはならないが、ちゃんとお風呂に入るともっといい匂いがするようだった

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