第4話

「…つむじです」

学生課で色々手続きをするたびその名前を名乗らされた


「あなたはつむじ風よ」というルネの思いつきで私の名前はつむじになってしまった

名前がないよりはいい

ないよりはいいが、彼女のライフスタイルはもっと小粋でお洒落な名前を生み出すと信じていた

「何よ、気に入らないの?」

「押したら背が伸びなくなりそう」

「それだけあればもう十分でしょ。あたしより2㎝も高い!」

学生証を受け取り(撮った覚えもないのにちゃんと顔写真が付いていた)、住まいの物色をはじめた

学生生活を始めるにあたって色々受け取るものがあるらしいが、それを置いておく場所もないのでは話にならない

「私さ、あの世にも役所があって、死んだらまず窓口に並ばされて、あなたは天国ですあなたは地獄ですって、書類持たされて延々手続きすると思ってたんだ」

「子供の頃の話?」

「今もそう思ってるよ」

私はすっかり饒舌になっていた


昨夜はルネがベッドを譲ってくれて、ぐっすり眠ることが出来た

朝は薄くてカリカリに焼いたバゲットに、目玉焼きとベーコン

「野菜ちゃんと食べな」

そう言って出してくれた小鉢は、トマトと薄切りの玉ねぎにオリーブオイルと塩コショウをかけたサラダだった

これが本当にトマトかと思うほどの、まるでぶどうのような濃厚な甘みのトマトだ

仕上げはバニラが香るミルクセーキ

たまらない朝食だ

コンビニのおにぎりに注ぎ込まれている技術や知見が一方ならぬものなのはわかる

だがこの出来立ての朝食に敵うはずがなかった

朝から満足な食事を得られたおかげで、私を囲む人達も冷静にあしらうことが出来た

「つむじさん!じゃあツーさんだな!そうだよあんた釣りが好きそうな顔してる!どうだい!?フィッシング同好会に入らないか!」

「お待ちなさいなこのマッドアングラー!あーた達みたいな部活動の出来損ないはドブ川でタガメでも掬ってりゃいいんですわ!」

「何だと!お前なんか同好会ですらないじゃないか!」

「そうそう、君みたいなエレガントな子は是非このモデル同好会”キャットウォーク”へ」

「いいえつむじさん!あなたは私達スポールブール研究会にお入りになるべきですわ!」

「何が私”達”だ!お前一人しかいないだろ!」

「言うてはならんことを!あーた達こそヒトデでも勧誘してらっしゃい!」

話を聞いてみると彼女らは彼女らで非常に切実だった

「新入生はとっくの昔にバレエだのフェンシングだの生っ白い部活に収まって、我々のような準部活動は常に人手不足!正式な部活動に昇格するためには一人でもいい!新入部員が必要なのだよ!あっウチはカッツェン審議委員会。ルール簡単だよ~」

実のところどれも楽しそうだ

「ゴメンね、他の部も見てみたいから。勧誘ありがとう!」

おまじないおまじない

実際そう言うと彼女らはその場は引き下がった


ところが部屋探しはそう簡単ではなかった

「スターハウスはもうずっと空いたことがないですね」

学生課の不動産担当者は書類の束から顔も上げずにそう答えた

私の家があったところに建っていた、”人”型の建物はスターハウスというらしい

やはりこの世界でも隣人トラブルのリスクが少ない部屋が人気というわけだ

他にも、丘の傾斜を利用して建てられた、全部屋に庭のような開放的なバルコニーがある物件も人気らしかった

そこは現実にも存在していて、中古でも億に達する高級住宅だ

「つむじさ、この坂を下って登ってして学校行くつもり?」

「だって…学校がある方の丘はお高級な街じゃない?」

少なくとも私の住んでいた街では戸建て中心の閑静な住宅街だった

そもそもお金なんか持っていないのに、高級住宅も木賃宿もあったものだろうか

「そうですね、少し値は張ります」

と、また書類をめくりながら担当者は言う

ユタ州を馬鹿にしてほしくなさそうな瓶底眼鏡の彼女も私達と同じ制服を着ている

違うのは左腕に金色で学生課と書かれた黒板みたいな色の腕章をしていることだ

というかやっぱりお金の概念はあるんだ

どうやって稼いだものかわからないが、とにかくない袖は振れない

「でしたら下宿などは?カフェの2階…」

「そういうの!」

担当者が言い切る前に私の心は決まっていた


現地を見るまでは

「…を利用したシェアハウスです」

魔女の宅急便でキキが借りる部屋みたいな、せめてそんな感じのを期待していた

実際には寝に帰るためのタコ部屋そのもので、よく言えばカプセルホテル、見たままを言えば不法就労者のねぐらだ

「いいんじゃない?どうせ荷物もないでしょ」

ルネは面白がっている

どういう人が住むんだろう、と思って眺めていると、横穴の一つから灰色のスウェットを着た眠そうな女の子が這い出してきた

見覚えのある顔だ

「あれ…あんた昨日の…」

相手も覚えているようだった

昨日の追いかけっこの最中、娼館の奥の部屋にいた子だ

化粧をしていないのか、今日はちょっと薄い感じの顔だ

それでも十二分に美人だし、こっちの方がナチュラルで私はいいと思った

「へぇ…部屋探してんの?一緒に住む?」

冗談にしても無理があるというくらい限りなくカプセルホテルだ

そして今やっと気が付いたが、もしかしてこの子達は女の子を客に取っているのか?

「そうだよ。もうわかってると思ってた」

先を歩くルネはこともなげに言うが、私にしたら重大なことだ

「この街には女の子しかいないんだから、そういうのも女の子で解決するしかないでしょ」

あの時漂っていた香りは全部女の子の香りだったのだ

思い出したら急に咳き込んだ

ルネに聞きたいことが一つ増えたが、やっぱり今はやめておこう

受け止める自信がまだない


ルネは先日の裏路地の方を指差して言った

「ああいうのは”銘酒屋めいしや”っていって、バーを装って女の子に客を取らせる店だよ。身を持ち崩した子が仕方なく働いてることもあるけど、大体は承認欲求を満たすために進んでやってる」

しかしお金を稼ぐ方法は一つわかった

「てか、風俗もだけどバーって。学校で持ってる街なんでしょ」

「だから、学生しかいないんだから、学生で解決するしかないじゃない?」

学生の杜氏もいたりするというのだろうか

「日本酒を研究してる部活はあるけど…モノは基本的にどこからともなくやってくる」

ルネの話をかいつまむとこうだ

加工食品や大量生産の服や複雑な工業製品は貨物車に乗って運ばれてくる

店はそれを陳列して売る

この街の女の子が関わっているのはラストワンマイルだけ

病気になったらどうするのだろう?

「病気にはならない。怪我もしない。血は流れない」

「月のものは?」

「来ない」

ここに来て一番ハッピーな情報かもしれなかった

しかし来ないはずの生理について知っているということは、やはりルネにもここへ来る以前の記憶があるということだ

彼女に対する疑問の一つに答えが出た

だとすれば聞きたいことは山ほどあるが、きっとそれはまだ早いだろう

「医者もいない…保健室の先生はいるけど、学生を食い散らかしてるだけだよ」

銘酒屋の風俗嬢といい、この世界の人間は放埒すぎる

触れ合えれば誰でもいいのか

誰でもじゃない、と背中を向けたままルネは言った


「そうしますと、あとはこちらの物件になります」

一番うしろをついてきていた不動産担当者が、まだ書類から目を上げずに手のひらで左手の建物に促した

歩いている間もずっと書類を見ていたのだろうか

白壁だった街並みはいつの間にか濁った灰色に変わり、街の活気も遠く感じる

担当者が示した物件は古色蒼然としたフルシチョフカ風の団地で、この街の他の建物と違って鈍色のコンクリートで覆われていた

しかも学校の向かい側の丘、それもかなり離れた場所にあり、自転車であの丘を登る脚力がないとすると、日々の通学は過酷なものになると思われた

確かこの辺には駐車場から富士山が見えるデニーズがあったはずだ

富士山が見えるであろう方角に目を凝らしてみたが、遠くは虹色に霞んで見えない

「こちらは一棟丸々学生課で借り上げまして、学生寮として提供されています。入居一時金は不要、朝夕の食事も付きます」

認知症で家族のことがわからなくなってしまった祖母を、老人ホームに入れたときのことを思い出していた

長大な順番待ちを飛ばして横入りするために、父は入居費用として結構な寄付金を積んだのだ

そうしてやっと入れたのはそれでも4人部屋で、完全個室なんていうと月々30万は覚悟しなければならないほどだった

生きるのにはお金がかかる

でも他人を生かすのはもっとお金がかかるのだ

そう思うと敷金礼金なしというのは何よりありがたく、裸一貫…いや、セーラー服一丁で見知らぬ世界に投げ出された身にはこれ以上は望めそうもなかった

「中を拝見しても?」

「どうぞ。303号室です」


本当のことを言うとこういった古びた団地に出入りしたことはない

それでもどこかノスタルジックな感情が惹起される

きっとこういう感覚をサウダージというのだろう

私の知らないところで刻まれた歴史が、団地という形を取って何かを訴えかけている

黒く燻った汚れや雨の流れ落ちたあと、今時の建築物にはないコンクリートのひび割れをなぞりながら薄暗い階段を登る

玄関扉が踊り場で向かい合わせになったよくあるレイアウトで、お向かいさん以外とは顔を合わせる機会はなさそうに見えた

鉄製の重苦しい扉を開けると、少し自分の背が高くなったような錯覚を覚えるこぢんまりした2DKが姿を表した

玄関から暮らしの全てが見渡せるのはルネの部屋も同じ

生活に必要な空間は十分整っているように見えるが、しかしここで出来るならではの暮らしは想像ができなかった

「なんか寂しいね」

押し入れを開け締めしているルネが言った

寂しい

大学が決まって、寄る辺もないこの街に越してきた私は、事あるごとに寂しさを覚えた

でも家に電話すれば父も母も兄もいるし、時々飼い犬のしんべヱの動画を送ってくれる

でも今の私には誰もいないし、何も持っていない

さっきのシェアハウスとこことで何か違いがあるだろうか

「ちょっと考えてもいいですか」


帰る道すがら、ここには何があった、ここの信号は長いとか、私の街をルネに話して聞かせた

「コンビニって?」

「いつでも開いてて、いろんな物売ってるお店」

どうやらルネの生きた時代は私より大分昔のようだ

異なる時代を生きた者同士が同じ学生となって出会い、同じ制服を着て生きている

私はそれがとても面白いと思った

「…生きてはいないよ」

と遠い目でルネは言う

「見える?」

駅の通りまで降りてくると、学校のある丘のてっぺんを指差した

何時かまでは見えないが、時計塔があった

「あの時計はずっと止まってる。あの時計みたいに、この世界は永遠に今を繰り返すの。一番楽しかったあの頃を」

「学生時代が地獄だった子もいると思う」

「だからみんな記憶を失ってここに来る。命の危険も未来への不安もなく、ただただ享楽的に毎日を過ごして、気が済んだらいなくなる…そういうところよ」

ルネは付き合うのに疲れた、といったような顔だ

でも私にはもう少し付き合ってくれなければ困る

他に誰もいないんだから、と心の中でつぶやいた


駅の近くに立っている案内板に、模式化された地図と高天原女子学校の場所が示されている

私はこの案内板を見たことがある

ただし学校のあるところは神社だった

この丘の西は開けていて、夕方が長い

下から照らすような西日が、丘一面の白い家をオレンジに染めていた

「この街も名前を忘れちゃったのかな」

「ラ・コリーナ・デ・ラ・カーサ・ブランカ」

その呪文はスペイン語だった

なかなか流暢だ

「白い家の丘…ってとこかな」

「そのまんまだし、長いね」

「だからみんなリリカポリスって呼んでる」

ちょっと玩具みたいな響きだけど、短くて覚えやすい

私はもうその呼び名を気に入っていた

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