『ちのわ町騒乱記』


 第一話 ジェスくんが来た


 ちのわ町は隣接する市と市の境目さかいめで飛び地みたいになっている小さな町だ。よく見るとちゃんと繋がっていて、ぱっと見は飛び地、ズームすると出島みたいになっている。

 元々は知ノ輪ちのわ町だったのを、親しみやすくするためにひらがなに開いたのは最近のことだ。更にさかのぼると志ノ輪しのわ町だったらしいが、はちょっと……ということで、気がついたらちのわの音になり、そこから遅れて表記を音に揃えるようになったらしい。

 そんなちのわ町には何故か他国の遺跡がある。シュノワという、これも隣接する州に飛び地みたいになっている町と交流があり、その一環としてプレゼントされたものだ。

 この遺跡からは、たまに色々なものが出てくる。



 灰色の神ジェスが出たと聞いて、藤巻ふじまきしゅうはちのわ公園敷地内シュノワ遺跡まで自転車を飛ばした。

 朝も早いということもあって他に人はいない。早朝ランニング勢も今日に限っては姿を見かけない。

 多分、前例﹅﹅の件があるから意識して避けているのだろう。藤巻だって、ちのわ高校シュノワ遺跡同好会所属でさえなければなんもかんも見なかったことにして熟眠していただろう。

 遺跡前には藤巻の他にもう一人だけいた。ジェスに会いに来た同族、そして、前例﹅﹅の神だ。


(略)


「よう、ジェス」

 ラグラスが陽気に声をかける。そのご陽気具合にジェスが若干引き気味になるのを、藤巻は可哀想なものを見る目で見ていた。正直気持ちはすごく分かる。

 暴風と噂の神ラグラスは、要するにトリックスター的な神で、こいつが生えてきた時のちのわ町はまあまあの渾沌と混乱具合を味わった。

 その後、ちのわ町にすっかり馴染んだラグラスへの評価は、顔の良さだけで許されているファッキンパリピだった。

 虹色の髪は光の種類や角度によって一秒だって同じ色をしていないし、長さも気分で変わる。反射材や偏光素材のコートをひどく気に入っていて四季を通じて愛用している(因みに今はスプリングコートだ)。でかくてゴツいサングラスも表面に偏光処理がしてあって、とにかくひたすら落ち着きがない。油膜ゆまくみたいな男だ。強いてまとめるなら基盤は白とフューシャピンク、そこからプリズム……オーロラ……レインボーって感じに派生していく。

 率直に言って、こいつと灰色の神ジェスが結びつかない。

「二人は仲いいの?」と藤巻は訊ねた。

 この二人にまつわる具体的な伝承は無かったはずだ。年一の飲み会に珍しく両方とも参加していた話があったくらいだ。それにしても話の主軸は別の神だった。兄弟神ではあるが、シュノワ神話の神は大体血縁者だから大した強みにはならない。

「こいつとミュラスくっつけたのオレだし」

 さらっとぶっこんできた。

「聞いてない」

「残ってないからな」

 ラグラスはケラケラ笑う。

 記録や伝承の不備ということらしい。

 だが、言われてみれば。ジェスはともかく、ラグラス側はそれらしいエピソードに事欠かない。というかそんなのしかない。

 藤巻が覚えている限りでも、主神バルドーの浮気を焚きつけ、同時進行で正妻のルビナに密告すること十五回、双子の神である空神トゥラと海神シュラを時間差で暁の女神ヴェスと出会わせて同一神物と誤解させ、女体化して伝令と告知の神ベルテをたぶらかし、とにかく色恋沙汰、特に出会いに関してろくなことをしていない。そのことに気づきにくいのは、色恋沙汰以外でもろくなことをしていないからだ。神々の飲み会を出禁にされるだけのことはある。

 だから、実はジェスとミュラスにもちょっかいかけてたけどなんかうっかり取りこぼしてたわーって言われたら、ちょっと信じてしまいそうになる。

 ただし、くっつけたとかいうのは話を盛っている、と藤巻は確信する。どうせ他の事案のように引っかき回したのだろう。二人の仲を取り持ちました、みたいなことは絶対ない。そんな気の利いたことができる神ではないのだ。




 ラグラスが去った後、ジェスはラグラスが買ってきた服に着替えた。黒のカットソーとタイトパンツにこれも黒のサンダル、その他諸々。裾上げどうするんだ、などというのは凡百な人間の発想だった。ありのままで若干足りない裾を初めて見た藤巻だった。

 用意された服を差し引いても、ジェスの印象は地味だった。ラグラスと違いすぎる。共通項は顔の良さと股下くらいか。顔が良いのに地味、というのも初めての体験だった。いないとは言わないが、地味さを貫通して主張してくるほどの顔となると意外といない。それくらい、人の印象を丸め込んでしまう属性なのだ。

 あと、黒がよく似合っている。似合っている上で地味というのも不思議な感覚だった。これも意外と派手な色だ。

「えーと、ジェスくん」


(略)


 そういえば、ジェスの視界は灰色と言われていた。灰色の神、死者の国の王だ。

「ラグラスも灰色に見えるの? あんなに派手なのに」

「うん。色彩の渦みたいな男だけど」

「あー……それは」

 藤巻は言葉を濁した。

 そのイメージは、どちらかというと別の神に当てはまる気がする。

 藤巻の疑問を、ジェスは丁寧に察して拾ってきた。

「人間にはラグラスが、俺にとってのミュラスみたいに映るのかな。派手だし目立つし華はある、というのは視覚とは別のところで分かる」

「ミュラスさんはそういう感じなんですか? その、逆説的に」

「そう。昔からね。よく死者の国に遊びに来ていた。前から面識はあったよ」



(略)


「ミュラスに言い寄る男がいたらしくて、それをラグラスに相談したらしいんだ、よりによってラグラスに」

「よりによってすぎる……」

 繰り返すが色恋沙汰ではろくなことをしていないラグラスだ。

「したらあいつ、独断でミュラスに化けて、そいつに会おうとして」

「うっわ」

「いくらうまく化けても俺の目は誤魔化せない。色が貫通してくるのはミュラスくらいだから。それで、とにかく馬鹿な真似をさせるわけにはいかなくて、力ずくでラグラスを死者の国に押し込んだんだ」

 力ずくで抑え込もうとするジェス、「ああんひどーい」とかカスみたいなオーバーリアクションを取るラグラス(ミュラスの姿)、もう目に見えるようだ。藤巻は思わずつぶやいた。「かわいそう」

 それを受けて、ジェスがいっそうすすけた。

「一連のやり取りを遠目に月に見られていて、気がついたら俺がミュラスをさらったことになってた」

「かわいそう」

おりしく、ミュラスがおしのびで死者の国に遊びに来ていたからこっちもアリバイがなくて」

「かわいそう」

「で、ミュラスも告白を断る口実になるから、とか言い出して」

 いや本当にかわいそう。

 そこまで来て、不意に藤巻は気付いた。

「えっ、ミュラスが﹅﹅﹅﹅﹅?」

「そう」

 ジェスは頷いた。

「プロポーズされたんだ。俺が」



(『ちのわ町騒乱記』。ちのわ町という架空の町にシュノワ神話の神々が住む話。全58話。)

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