辛卯 四

「何か――フランケンシュタインみたいな話っすね」

 男の長い語りを聞き終え、寸時の沈黙を置いて、翔が呟いた。

 夜は既に日付を跨ごうとしている。階下からはまだテレビの音が聞こえてきた。萌黄が耳を澄ましてもほんの微かにしか聞こえてこない音を、翔の耳は鋭敏に聞き取り、父親がテレビを点けたまま寝落ちしている事実を看破していた。深夜ドラマなど翔の父は何があっても観ないからである。寝落ちしている父がそのまま放置されているということは、母親も先に部屋に戻って寝ているのだろう。

「西行って、あんまり知らないけど――寂しいから人を造るなんて、変わった人ね」

 萌黄も小声で相槌を打つ。男はフンと鼻で笑って、

「古今東西、人を黄泉帰らせた話はよくあるがな。どれも理由なんて下らんものだ。科学の限界に達したいだの、神の所業に手を付けたいだの、話し相手が欲しいだの……そんなことで生死の境を容易く超えられたんじゃ、たまったモンじゃない」

「――」

 翔は無言で、男のよく動く唇を見つめていた。そうして考えた。

 見てくれで言えば、一番関わり合いになりたくない。絶対に信用できそうにない。

 自分を救ってくれたのだって、他に目的があるに違いないと勘繰りして当然――そんな風体の男であることに間違いはない。

 それなのに、こうして家に忍び入れ、素っ頓狂としか思えない話に、耳を傾けるどころかすっかり聴き入ってしまっている。

 不思議な男である。

 何がなんだか要領を得ない、今夜の事件との繋がりなんか一ミリも見えない、頭のおかしい世迷い言としか思えない話なのに、全面的に受け入れてしまって疑問を抱く気を起こさない――そんな魔力としか言いようのないものを、男の声は備えているのかも知れなかった。

 両頬を軽く叩き、しっかりしろ、と自分を叱る。今のところは誰も信用できない。信用してはならない。

「西行の話は分かったけど――それが、さっきの変な男と、何の関係があるんですか?」

 尤もだな、という顔で男は頷く。そして、薄汚れたコートのポケットから、琥珀色の中身が半分ほど入っている瓶を出し、蓋を空けて一気に呷った。アルコールの匂いに、萌黄が顔を顰めるのが見えた。

「西行自体は、そんなに関係があるわけじゃない。ただ、西行が生きた時代に、人を屍から造る全てが存在して、それを使っていた奴がいたという事実だけ確認できれば良い」

「事実って――あれは説話でしょう? 本当とは思えないけど」

「今はその認識で良いさ。そのうち、本当としか思えなくなるから」

 萌黄の指摘を軽くいなして、男は嗤った。

「さっきの話で重要なのがここだ。『撰集抄』には西行以外にも登場人物がある」

「伏見の源師仲――だっけ? この人も人を作ったとか」

「そう。他に、藤原実方という人名も出ている。両方とも公卿・貴族で、当時の政の中にいた。そして師仲は言った。自分が造った人間の中には政の中枢に立つ者もいる――と。言いたいことが分かるか?」

 揃って首を横に振る翔と萌黄。男は瓶をポケットに突っ込んで、

「良いか? 西行が造った出来損ないは、高野の奥深くに棄てられた。だが当時、造られた人間の末路としては、西行のそれの方がレアなケースだったんだ。多くは人間社会に溶け込み、生きた人間と交じって――子を成したものもいただろう」

「それって――まさか」

 瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いて、男と翔とを交互に見る萌黄。その顔に刻まれた恐懼を見ても、翔には何のことだか分からなかったが、酷い胸騒ぎと息苦しさを覚えた。

 男は頷いて言った。

「当時の奴らが屍から造った人間をな、“髑髏鬼”と言うんだ。さっき出遭ったのは、髑髏鬼の末裔の一人だよ」

 それから翔の方を真向きに見て、

「そして少年――お前さんも、この俺も、同じく髑髏鬼の末裔の一人だ」

「――」

 すぐには答えられなかった。返事などできるはずがなかった。

 男の言うことが何を示すのか、分かるようで分からない。男の言うことを否む気はないが、これに肯いたとして、それがどんな意味を持つのか、全然掴めていない。

 ただ――。

 全てを物語るのは、萌黄の表情だった。それだけが指針だった。

 魂が抜けたように放心した萌黄の顔を見れば、何か途方もなく、大変なことが起こったのだと分かる。それだけが、唯一得られる実感であった。



「髑髏鬼は造られた後、自らの意思を持って人間世界に溶け込んでいった。そして、生人と変わらぬ命を送った。政に食い込んで出世した者もあれば、家庭を持ち、子を成した者もいただろう。常人と変わらぬ暮らしの中で、己が造られた人であるという意識は希薄になり、世代を経て以降は寧ろ自分が髑髏鬼の仔であるなどとは全く知らなんだはずだ」

「――」

 男の話は続く。翔は殆ど自我なく、男の声を聞き流していた。男が言った言葉の意味が、まだ捉えられていない。それが何を示すのか、分からぬうちは前進できない。

「だが――元が人であったとは言え、髑髏鬼は定命の常人とはやはり違うモノなんだ。反魂の術を用いて、無理やり起こした死人だ。定命の理を超えた存在は、一様に自然の摂理から逸脱している。そして自然の摂理から逸脱した存在の多くは――異能としか表し得ない特別なものを持つことになる」

「異能――それが、さっきの翔のような」

 強張った顔と乾いた声。萌黄の呟きに、男は肯いた。

「今夜、二人を襲った奴にも髑髏鬼の異能があった。詳しい事情は一切分からないが、今年に入ってから、この国に散らばる髑髏鬼の末裔に“異能”が現出するケースが続出しているらしいんだ。お前さんも今宵、自分の異能が現れた一人だな。自分でも分かってるんだろう? あんな速度で移動できる人間なんて、いやしないって――」

「いや……いやいや、訳わかんないよ。言ってること、滅茶滅茶ですって」

 声を荒げると両親の不審を呼ぶ。昂ずる気持ちを精一杯抑えて、翔は言った。

「髑髏鬼? 異能? 末裔? 全部おかしい。俺がその髑髏鬼とやらの血を引いてるってんなら、俺の親父かお袋にもその異能って奴があるってことだ。そんなの――聞いたこともない」

 男は黙している。萌黄も黙って翔の顔を見ている。

 そうでしょう、と翔は訴えかけるように言った。

「平安時代から続く異能の系譜なんて――それが現代まで続くなんて、有り得ない。そんな話、聞いたことがないです」

「だから、世の暗部だって言ったんだ。世間一般に知られていたら、暗部も糞もないだろう」

 にべもない男の返答。翔は言葉に詰まる。

「お前さんが否定したくなる気持ちは分かるが――まあ、聞け。異能の発現についてか? 確かにお前さんの親父さんやお袋さんは、髑髏鬼の系譜上にあるよ。ちょっと前までのお前さんのように、そんなことは全く知らずに生きてきただろうがな。言ったろ。髑髏鬼は、その成り立ちこそ普通とは違うが、基本は人間と同じなんだ。ただ、その“違う”ってところが厄介でな。――そう、たとえば、髑髏鬼にはこんな理があるんだ」

「理、って何ですか」

 萌黄が問う。掟というかルールと言うか、そんなもんだと男は返した。

「この世に一度にいて良い髑髏鬼は十干支の数に相当するんだと。十干支って、知ってるか?」

「十干十二支のこと――ですか? ほら翔、ちょっと前に古典で習った」

 翔はただ首を横に振る。男や萌黄の言葉に応えているわけではなく、今直面しようとしている真実に向き合いたくないが故の反応だった。

 翔に比べると、萌黄は当初の驚愕から余程立ち直っている。話が少々古典じみてきて、自分の中にある教養と繋がる部分ができてきて、それが心を落ち着かせているのかも知れなかった。わけが分からないままに怯えるよりも、それほど奇っ怪であっても道理の矛先が見えている方が、萌黄にとっては心安んじられるのかも知れない。

「十干ってのは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十の要素のことだ。これらは陰陽の五行、木火土金水に相当する。陰陽のうち、陽を兄、陰を弟として、木の兄で甲、木の弟で乙という風にそれぞれの五行に陰陽を割り当てたんだ。そうしてできた十の要素が十干だ。お前さんも、十二支は知っているだろう?」

「――」

 翔は応えない。それでも男は事あるごとに翔に確認する。そうすることで少しでも忘我の状態から立ち直らせたいのか、あるいはここを曖昧なままにすると後が理解できなくなるのか――恐らくは両方の意だろう。翔に変わって萌黄が、

「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥――ですよね。それに十干を割り当てて、木の陽の子で甲子とか、水の陰の巳で癸巳とか、そんな風に組み合わせるのでしょう?」

 話が早くて助かるね――男はニッと笑った。

「十干と十二支の組み合わせで六十通りある。これを年や月に割り振ることで、暦などは記されてきた。六十歳を還暦って呼ぶのは、これが理由だな。六十歳を以て、自分の十干支に還ってくる。これが、髑髏鬼の理にも当てはまるんだ。万物を司る五行の陰陽、それに十二支を当てはめた六十の鬼――これを上限として、平安時代に屍から人が造られたんだよ」

「――それが、どういう関係が」

 だからな――と、物覚えが悪い生徒に辛抱強くアプローチする先生のような顔を見せて、男は続ける。

「髑髏鬼は、世に六十しか存在できないんだ。甲子なら、甲子の異能を持つ存在は、この世に一人しかいない。それに言ったろ、“末裔”だって。髑髏鬼の異能は、世代で移行するんだよ。髑髏鬼が子を為せば、髑髏鬼の異能はその子へ受け継がれ、親は、髑髏鬼としての力を失う。力はすべて、末代に受け継がれるんだ」

「――」

「始原はそれでも、屍から造られたという厳然たる事実があっただろう。しかし三世代も後になると、そうした事実さえ知られなくなり、いつ発現するか分からない異能の“可能性”ばかりが知らず知らずのうちに受け継がれることになる。結果、髑髏鬼の存在も、その理も世の闇に葬られた。髑髏鬼の伝承を司る一部の、世に知られぬ者たちの他には一切、この事実を知り得ぬ時代が来るまでに、長く時は要さなかった。お前さんだって、異能が発言しなければ、何も知らぬままで一生を過ごせたはずだったんだ」

「でも――なんで、翔に」

 それは分からん、と男は頭をがりがりやった。わからないんですか、と萌黄。

「あなたは――ごめんなさい。名前を知らなくて――いつから?」

 夢野で良い、男はそう答えて、

「物心ついたときから髑髏鬼だよ。俺の発現は早かった」

「じゃあ、さっきの話にあった、伝承を司る一部の者達っていうのは」

 まあそういうこった、と、曖昧に流す夢野。自分のことには、あまり触れられたくないらしい。

 暫し訪れた沈黙。翔は深々と溜息を吐いた。夢野は月を見ながら、

「それで――訊きたいことはまだあるか」

 既に丑三つの頃を過ぎている。不思議と眠くならなかった。萌黄を見ると、眼をこすっている。充血していたが、瞳は水を吸ったように膨らんでいた。身体の疲労を覚えつつも、気の高ぶりが眠気を忘れさせている様子であった。

「なぜ――襲われたんですか」

 そうだな――と、夢野は言葉を切って、暫し考え込む様子を見せた。

「話せば長くなる。一晩じゃ語り切れんほどに。俺だって全貌を掴んでいるわけじゃァない。だが強いて言うならば――鬼たる者のさだめだ。髑髏鬼の末裔が宿命的に巻き込まれる、闘争の坩堝だ。誰もが生き残るために、他の髑髏鬼を食らう――そういう、血の宴が始まったのだ」

 分かるかと問われ、翔と萌黄は二人同時に首を横に振った。

「ふん、まあ良い――。分からずとも、俺達を取り巻く運命に変わりはない。何もせずにいれば運命に飲み込まれ、路傍に屍を晒すだけだ」

 夢野はぐっと身を乗り出して、翔の顔を覗き込む。

「明日にでも、奴はまたやって来るだろう。そうなれば命はない。今の奴に敵わんことは、お前さんが一番よく分かっているだろう」

 唇を噛みしめ、翔は頷く。そこでだ、と夢野は顔の前で手を広げながら、

「提案だ。俺と手を組め。お前さんを鍛える。髑髏鬼として、俺の持つ知識と技の全てを教えてやる」

「手を――組む」

 鸚鵡返しに呟くのがやっとの翔。相手の真意を探りたくて、その瞳をじっと睨む。

 まだ信用していないという顔だな、と夢野は嗤う。

「まあそれくらい疑り深い方が生き残れるやも知れんが――考えてみろ。俺にだって今のお前なんぞ秒で殺れる。敵対するなら、こんなに時間をかけて髑髏鬼の話なんぞする必要はない。俺の話が全部眉唾だとしても、そんな世迷言をお前たちに吹き込むメリットなぞ、道楽以外にないだろう」

「じゃあ――じゃあ、どうして俺なんかを……。何も分かっちゃいない俺と手を組んで、あんたに、どんなメリットがあるってんですか」

 鋭いところを突くな、と夢野は苦笑する。

「そりゃあ、もちろん見返りがないわけじゃないさ。俺は俺の目的で、お前と手を組むんだ。忘れるな。そこなお嬢ちゃんと違って、俺だって当事者、蟲毒の壺に投げ込まれた一匹なんだよ。死なないために、やるべきことをやらねばならん。そのためにも――お前さんのようなのが必要なんだ。まだ何も知らない、だからこそ俺の役に立つ」

「――」

 だがな、と言葉を切り、夢野は真っすぐ翔の視線を返した。

「利用すると言ったって、お前を捨駒扱いする気はない。囮にして見殺しにして、俺だけが生き残るための贄にしようなどと、そんな心算は毛頭ないってことは断言する。だからこそ、俺の知る全てを伝えると約束するんだ」

「――」

「それでもまだ信じられないってんなら、一時的な同盟でも良い。お前さんが一人前に一人で戦えるようになるまで、俺が面倒を看る。――これならどうだ。その時に、お前が髑髏鬼の血に目覚め、飢え、俺と闘うってんなら、相手にもなってやるぜ」

「な――なぜ、そこまで」

 なぜそこまで、こっちの身を案じるのだ。

 翔にはそれが分からなかった。今日あっただけの赤の他人。素性も何も分からない謎の男。言っていることの真偽すら定かではないし、むしろ信じろと言う方がどうかしている。それを重々承知の上で、手を組み、守ると申し出る。将来的に、自分に立ちはだかるやも知れぬ者を。自ら敵を作るようなもの、それのどこにメリットがあるのか分からなかった。

 それが嚥下できるまでは、とても頭を縦に振れたものではない。

 だが一方――自分に選択の余地があるとは思えない。

 翔は唇を噛んだ。夢野の言うことは信じれたものではないが、ただならぬことが起こりつつあるのは身を以て知っているのだ。

 対応していくための知識、それが今の自分には少なすぎる。その知識を得る手段は、目の前にいる男以外にない。

「翔――」

 おずおずと、萌黄が呼びかける。翔の顔にありありと刻まれた苦悶の表情から、翔の葛藤の全てを理解したようだった。翔に何か言うべきだと感じて、しかし言う言葉が見つからなくて、結局名前を呼んだだけで俯いてしまう。

 翔は嘆息した。自分を納得させたくて、何とも何度も頷いた。

 男の言う通りだ。選択の余地はない。

 今のままでは、絶対に生き残れない。

 今のままでは、萌黄だって守れない。

 罠かも知れない。使い捨てられるかも知れない。それでも――

 縋って、強くなるしかない。

 夢野に向かって、頷く。夢野は満足そうに口の端を釣り上げて立ち上がり、

「交渉成立――だな。じゃあ、今夜はここまでにしよう。年頃の娘をこれ以上、野郎の部屋に置いておくわけにも行くまい。俺が家に送り届けても良いが、少年――心配なら、お前も同行して構わない。夜が明けるまで、俺がお前さんたち二人を見張ってやる。明日から少しずつ、お前に修行を付けることになるが、時間的には……そうか、明日から夏休みか。ならば好都合だな。この娘を送りながら、スケジュールを組むことにするか」

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