第33話「――再会、それは北海に蘇るぬくもり」

 北の海は荒れに荒れていた。

 奪取した輸送船をホビットやドワーフに任せ、お飾り船長にナルを置いてきた。そして今、アスミとリルケの乗るゼルセイヴァーは、凍った海を切り開く。

 文字通り、サーフボードのように操る巨剣でのラムアタックだ。


「リルケ、後の船はついてきてくれてるな?」

「大丈夫です、マスター」

「凄いな、ドワーフの機械に対する理解力。そして、ホビットの手先の器用さ」

「ええ。400年前は彼らに手こずらされましたが……今はとても頼もしい同胞はらからです」


 そして今、絶海の極北にさらなる仲間たちが待っている。かつて魔王たちの軍勢に組したモンスターたち、400年の孤独を耐えた数少ない生存者たちだ。

 あの魔龍王ロード・オブ・ドラゴンゲオルゲヒオスが、己の命を太陽と燃やして守った民だ。

 絶体に救わねばと、アスミも寒さに負けない炎を胸に灯す。

 吹き荒れる氷嵐の中、その翼は突然そんなゼルセイヴァーを襲った。


「マスター、直上に魔力反応! お、大きい……それに、なんてかなしい想い」

「クッ、敵か!? ……いや、敵意は感じない。むしろ、これは」


 突如として、頭上を巨大な影が覆った。

 それは、荒れ狂う気流の中でも平然と羽撃はばたき降りてくる。

 ドラゴン、それもとてつもなく大きく白い龍だった、

 まるで試すような爪と牙が襲って、とっさに回避したアスミがゼルセイヴァーを凍土の上に投げ出す。氷の飛沫しぶきを舞いあげ接地するや、凍った海の上で黄金の巨神が立ち上がった。

 殺意は、ない。

 巨龍は追撃してくるどころか、今のでわかったとばかりに降りてくる。

 遠吠えの咆哮ほうこうはどこか物寂しく、アスミにも深い悲しみが伝わってきた。

 瞬間、ハッチを開けたリルケが叫ぶ。


「おば様! クエスラおば様……私です、リルケ、魔女王ロード・オブ・ウイッチリルケレイティアです!」


 彼女の呼びかけに呼応するように、着陸したドラゴンが徐々に光を帯びて小さくなってゆく。やがて、その輪郭は完全に人間の女性になった。

 白亜の龍は今、白い肌に白い髪の王妃へと姿を変える。

 そう、王妃……アスミにもすぐに理解ができた。

 仲間のために大艦隊を貫き飛んだ、あの誇り高き魔龍王ロード・オブ・ドラゴンきさきなのだと。

 その女は、飛び降りるリルケを見詰めて優しく微笑んだ。


「あら、リルケ……本当に復活していたのね。ふふ、おひさ」

「おば様っ!」


 アスミは初めて見た。

 まるで幼子のように、リルケはクエスラに抱き着いた。クエスラもまた、我が子を招くように抱き留める。極寒の地で吹雪の中、そこだけが温かく見えた。

 だが、そこに渦巻く深い悲しみをアスミは感じ取る。

 二人は夫を、父親のような存在を失ったのだ。


「おば様、ごめんなさい……おじ様が。私、看取みとることしかできなくて」

「いいのよ、リルケ。ああいう人だもの、魔王ってそういうものでしょ?」

「……はい」

「迎えに来てくれたのね。あの人がいった通りだわ。ありがとう、リルケ。正直、もう北極での暮らしも限界なのよねぇん」


 ゼルセイヴァーを屈ませ、背後の輸送船に合図を送る。

 そうしてアスミも、極寒の中へと機体を降りて立った。

 すぐに、豊満な胸にリルケをいだく龍妃と目が合う。妖艶ようえんな美貌は妙齢というにはやや年かさで、だからこその熟した色香に満ちていた。

 慈母のような包容力に、毒婦のごとき淫靡いんびな色気が入り混じる。

 だが、優しげな微笑みは驚くほどにフランクだった。


「あら? ふーむ、アナタも転生勇者なのかしらん? アタシはクエスラ、ゲオルの妻クエスラよ」

「アスミです。その、転生勇者というか……」

「大丈夫よ、その恰好を見ればわかるわ。……ペアルック、若いっていいわねえ」


 思わず涙をこぼしたリルケとは対照的に、クエスラは笑顔だった。

 それが王妃の威厳であり、魔王を夫とした者の意地なのだとアスミは思った。

 同時に、リルケとおそろいのパイロットスーツを自分でも見下ろす。

 ようやくクエスラから離れたリルケが、手短に事情を説明する。


「アスミは私の恩人、あるじなのです。今、二人であの子で……ゼルセイヴァーで人類と戦いを始めました。この星のマナが尽きる前に、人間の行き過ぎた文明を正さねばなりません」

「ふぅん。相変わらずバカ真面目なのね、リルケ。……バカな子。せっかく復活できたなら、もっと平穏な暮らし方もあったでしょうに」

「再び私が魔王として立たねば、この星は……滅びます」

「ええ、知ってるわ。神々はすでに去り、人間たちはこの星を汚し過ぎた。犯してけがしたも同然よねえ」


 そして、クエスラはゼルセイヴァーに目を細めて、その肩の紋章に呟く。


「109……予言されし最後の転生勇者、終焉しゅうえんを呼ぶ者。ワン・オー・ナイン」

「あ、あの、俺はそんな大したもんじゃなくて」

「あら、無駄な謙遜はかえって無礼よ? 胸を張りなさいな……アタシもアナタに乗っからせてもらうわ。だってそうでしょう? この子を、リルケを従え戦うんですもの」


 クエスラのスキルや能力値を読み取るのも忘れて、アスミは頷いた。

 もう、彼にとってステータスが読めるという能力は無意味なものになりつつあった。信じて結んだ絆があれば、その仲間に強さや弱さはあって当然である。

 むしろ、強いからこそ前に立ち、弱い者にも頼って助け合う。

 これがアスミとリルケたちの新生魔王軍だ。

 もちろん、ナルの提唱していた「ワン・オー・ナイン軍団」の名は謹んで遠慮したいとも思う。


「さて、寒い中で立ち話もなんだしね? リルケ、そしてアスミ。ついてきて……アタシたちの暮らす拠点に案内するわよん?」

「た、助かります」

「御礼をいうのはこっちのほう。……あの人が命をとして切り開いた未来。残る民は全て救うわ。そのためならアタシにだって覚悟くらいありましてよ?」


 柔和で温和な雰囲気が、一瞬だけ覚悟に凍る。

 その、ぞっとするような美しい笑みに、思わずアスミは寒さを思い出した。

 それはリルケも同じようで、二人はそろって「っくしょい!」「クシュン!」とくしゃみを輪唱させた。それで顔を合わせて照れくさく笑う。

 見守るクエスラも、どこか満足げに先程の表情に戻った。

 そして再び、彼女は純白の龍へと姿を変えて舞い上がる。


「ついてきて頂戴。すぐ近くよ……あと、氷が邪魔ね。すぐに凍るのよ、この海」


 ゼルセイヴァーに戻ったアスミは、リルケと共に空を見上げて、そして絶句。

 荒れ狂う乱気流の中で、平然と白い龍が飛んでいた。

 その顎門アギトが天地に開いたかと思うと、まばゆい光が集束してゆく。あっという間に白銀のほのおが凝縮され、苛烈なブレスが解き放たれた。

 わざわざアスミたちが氷を割りながら進んでいた海。

 その凍土と化していた海の氷が一瞬で切り裂かれた。

 さながら、太古の聖人が海を割った逸話にも似た、空前絶後の光景だった。

 真っ直ぐ北へと、航路が開かれた。

 氷に閉ざされた海を、クエスラは真っ直ぐ溶かし貫き、悠々と飛んで行く。


「これなら最大船速で進めるな。しっかし凄いな、ドラゴンていうのは」

「はい、マスター。この世で神に最も近い摂理せつり権化ごんげ、それが龍なのです。おじ様はブラックドラゴン、おば様はホワイトドラゴン。この世で最後の二人でした」

「そっか。……ん? ホワイトドラゴンってことはまさか」


 アスミの言葉を察したように、頭上で頷くリルケが見下ろしてくる。

 彼女の両脚の間から見上げて、やはりかとアスミも納得した。

 ただ、こうなった理由だけがわからない。


「ゲオルおじ様は黒龍。七大魔王セブンスが一人、魔龍王ゲオルゲヒオス。そしてクエスラおば様は……人類の守護者として神々が産み落としていった、いわば去りし神の代行者」

「じゃ、じゃあ、人類側の龍だったのか。それがどうして」

「一つは、転生勇者たちの振る舞いです。108人の勇者たちは、魔王軍と戦うためにこぞって良質な武具を求めました。その結果、龍の甲殻や鱗を用いた武器防具に着目したのです」

「あ……」

「ワイバーンからコカトリス、果ては龍齢数百年のドラゴンまで……人間は龍素材を求めて貪欲に狩りを行ったのです。おば様まで最後には……それを助けたのがおじ様です」


 リアルにモンでハンな時代があったらしい。

 そして、当時の転生勇者たちは自分たちの守護神である白き龍にまで手を出そうとしたのだ。皮肉なことにそれを救ったのが魔王の一人で、クエスラはその求めに応じて夫婦のちぎりを交わしたという。

 だが、その後も人間たちは力と強さを求めて龍を狩っていった。

 ゲオルとクエスラの子たちも、何人も殺されたという。そして、そこからむしり取られた素材の武器が、容赦なく彼女たちにむけられたのだ。


「……あのおばさんも大変だったんだな」

『あらボウヤ、聴こえているわよ? やあねえ、そんなに老けてみえるのかしら』

「あっ、ちがうくて! す、すみません、クエスラさん」

『いいのよ、気軽におば様って呼んで。だってアナタ、リルケのいい人でしょ? だったらアタシには……アタシとあの人にとっては、息子も同然だわ。ね?』


 コクンと小さく頷いて、リルケが真っ赤になった顔をそらした。

 それを股の間から見上げつつ、アスミはゼルセイヴァーを走らせる。

 やがて、巨大な剣で海をゆく黄金神の前に、巨大な氷山が現れた。そしてそれは、よく見ればそれ自体が中を無数にくりぬかれた、巨大な氷の城なのだった。

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