第27話「――慟哭、それは別れの紅い涙」

 それは轟音と共に城を揺らす。

 すかさずベッドから飛び出したアスミは、はねてくるスライム君を身にまとう。もう、なにも義手を通して命令しなくても、シャツにジーンズのラフな私服姿になった。

 追ってくるリルケと共に、窓を開けて音のする方角を見やる。

 春になっても冷たい風が吹く、北の海がいていた。


「な、なんだ……砲声? 大砲なのか! でも、ここからさきはすぐ海だし」

「はい、マスター。この沖には極寒の氷の世界しかありません」

「ってことは、次の敵は!」


 魔王城は結界で守られているので、直接的なダメージはない。

 だが、眠りを抱いて休んでいた難民たちは、恐ろしい爆音と振動にパニックになりつつあった。急いで二人で一階の大広間へ降りる。

 そこには、気高き女王の声が響き渡っていた。


「皆さん、恐れることはありませんわ! 冷静に! 大人たちは子供を守って、身を低くして!」


 エルフの女王ジルだ。

 彼女は余裕の笑みで、配下のエルフたちを指揮して皆を落ち着かせている。

 エルフもモンスターたちも、この場のあらゆる全ての民が恐怖に凍っていた。

 だからこそ、静かにジルの声が優しくなる。


「さあ、私のかわいいあなたたち。大丈夫です、魔女王ロード・オブ・ウイッチリルケレイティアを信じるのです。なにより、彼女を信じるこの私を信じて。さあ、もうすぐ敵の攻撃は終わります」


 ジルが言う通り、徐々に砲声の感覚が遠ざかってゆく。

 そして、城の最上階、塔から降りてきたナルが叫んだ。


「軍艦だ、大艦隊だよ! 氷の海が真っ黒になるくらいの、ジルコニア王国海軍だ。それと……なにかが飛んでくる!」


 すぐに、隣のリルケが弾かれたように走り出した。

 彼女を追えば、護衛を引き受けるとばかりにナルも続く。

 皆で城の裏手、北門の外に出て言葉を失った。

 そこは海に続く砂浜が広がっていて、押し寄せる白波も冷たい。もう春だというのに、北から吹く風は身を切るような痛さだった。

 そして、硝煙しょうえんの悪臭に混じって血の匂いが焦げ臭い。

 なにかが傷つき流血しながら、こちらへ飛んでくるのが肉眼でも見えた。


「リルケ、あれは」

「マスター、こちらへ! 落ちてきます!」


 リルケは華奢きゃしゃな細腕が嘘のような腕力で、あっという間にアスミを抱えて飛び退く。

 ナルも同じようにした、まさにその場所に真っ黒な大質量が落下してきた。

 それを見て、降ろされたアスミは絶句する。

 全身血塗れで、甲殻も鱗もチリチリと燃えるそれは――


「りゅ、龍だ……ドラゴン! そっか、この世界にもドラゴンが……リルケ?」

「まさか、そんな……生きていたのですね! ゲオルゲヒオス!」


 ゲオルゲヒオス、それがこの瀕死の龍の名前らしい。

 駆け寄り顔にリルケが頬をよせれば、それはまさに大怪獣とでもいうべき巨体だった。リルケの頭よりも巨大な目が、あかい涙を流しながらひらかれる。


「おう……やはり噂は本当であったか。魔女王リルケレイティア。リルケや……本当に復活したのだな」

「はい、お久しゅうございます、ゲオルおじ様。魔龍王ロード・オブ・ドラゴンゲオルゲヒオス様」


 七大魔王セブンスが一人、魔龍王ゲオルゲヒオス。

 どうやら魔王のなかには、討伐されかかって逃げ延び、密かに生を繋いできたものもいるようだ。それをアスミは汚いとか卑怯だとは思わない。

 そして、瀕死の魔龍はいきさつを語り始めた。

 同時に、巨大な口からドス黒い血を吐き出す。

 長くはもたない……あとから来たジルたちにも、そんな悲痛な想いが広がってゆく。

 だが、リルケは愛おしげにその顔にほおを寄せて涙した。


「はなれよ、リルケ……我が愛娘まなむすめごとき乙女よ。血で、汚れて、し、ま、グッ!」

「構いません、おじ様。なにがあったのです? 今までどこへ」

「北海の彼方、この星の頂点……極北の海に巨大な氷山がある。そこへ、少数の同胞はらからたちを連れて……我は逃げたのだ。勇者たちに追われ、一族を引き連れ逃げた臆病者よ」

「そんなことありません!」

「これこれ、離れるのじゃ……我が汚れた血がお前を汚してしまう」

「構うものですか、早く治療を――ッ!」


 アスミにも見えた。

 ゲオルの全身には、巨大な鋼鉄の砲弾が無数に突き刺さっている。いかな龍の甲殻と鱗が眼鏡でも、火薬の力が打ち出す質量には叶わない。どれもAP、貫通弾である。

 全身蜂の巣はちのすにされながらも、隠れ家からゲオルは単身飛んできたのだ。

 かつて七大魔王とうたわれた威容も今はなく、砂浜に黒い血の海が広がってゆく。


「極北の地は最後の地、太陽も顔を見せず、凍れる全てが海さえ塞いでゆく」

「どのようにして、そのような土地で400年も……はっ! ま、まさか、おじ様」

「そうよ、龍とは神々に最も近いこの世の摂理せつりそのもの。我にできぬことはない」

「そんな……まさか、己の命を削って、自分でその場だけの太陽を」

「なに、造作もないこと。だが、かつて数千人いた民も今は少ない。閉ざされた環境での400年は、近親同士の婚姻が増え、血が濃くなった故に我が制限を施した」


 リルケが死んでいた400年、それはゲオルにとっても命を削る400年だったのだ。彼はその有り余る龍としての魔力を、毎日削りながら民たちの住まう氷山を暖め続けた。

 やがて弱って燃え尽きると知りながら、自ら黒い太陽となりて仲間たちを守ったのだ。

 それも行き詰まって、いよいよ終わりが近いと思ったある日……彼は知ったのだ。

 魔女王リルケレイティアの復活を。


「リルケや、愛しい娘のようなリルケレイティア……なんじは今も美しい」

「駄目、喋らないで……誰か、術師をここに! 癒やしの魔術があるものは全て集まって!」

「よいのだ、これも寿命ぞ……だが、頼む。北の大地なき氷の上に、我の民が汝たちを待っている。救って、やって、ほしい」


 ゲオルの巨大な目から、光が消えてゆく。

 それでも、トドメとばかりに砲弾が降り注いだ。

 遠目に、アスミは見た。

 巨大な戦艦を中心に広がる、ジルコニア王国海軍の大艦隊を。

 砲弾が振ってくる。

 慌ててアスミはリルケに抱きつき、同じ龍の血に濡れながらも彼女をかばって伏せた。

 その姿を見て、頷くようにゲオルは微笑ほほえんだように見えた。

 まるで、大事な娘を託されたような……そんな笑みだった。


「アスミ、リルケを頼むね! ……使うか、よし! 属性付与エンチャントスペル! 魔法剣……!」


 ナルが両手で構える巨大な剣が、稲光いなびかりをまとって雷神の怒りに変わる。

 そして、驚くべきことが起こった。

 少女のように細いナルの身を、覆い尽くすような巨大な刃……それが、ドクン! と震えて小さくなった。よくある普通のバスタードソード、両手でも片手でも扱えるサイズに縮んだのである。

 否、縮んだという表現は的確ではない。

 ――

 どうやら彼のスキル、魔法剣には段階があるようだった。


「そうれ、吹き飛べ! 魔龍王ゲオルゲヒオス様の最期を汚すものは、許さないっ!」


 ちょうどいいサイズになった長剣を、ナルが振るう。

 纏ういかずちが瞬時に空を覆った。

 あまりのパワーにその雷光らいこう紫電しでんとなって、あっという間に全ての砲弾を爆発させてしまう。なるほど、セカンド・シフトでギアを上げると、剣自体に魔力が圧縮されて、より強い魔法剣が振るえるようだった。

 そして、静寂が訪れる。

 別れの刻が、厳かに訪れていた。

 急いで立ち上がったアスミは、リルケに手を差し伸べて肩を貸す。

 そうして寄り添いながら振り返れば……偉大な魔龍王は物言わぬむくろになり果てていた。


「リルケ、見てみろよ……ドラゴンさん、なんだか満足そうな顔に見えるぜ」

「ええ、おじ様は立派な魔王でした。仲間たちの信頼も厚い、誇れる同志だったのです」

とむらってやろうぜ。ゼルセイヴァーなら運べるしさ。こっちの埋葬は」

「いえ、この寒さですので、腐って朽ちることはありません。それにほら、おじ様は以前から自然を……マナに満ちた活力あるゼルラキオを愛しておりました。だから」


 海鳥たちが次々と舞い降りた。

 漆黒の魔龍王は、あっという間に白い羽毛の翼に覆われてゆく。

 ある種の鳥葬だろうか?

 このまま冷たい海風を浴びて、大自然の一部となって土に帰ってゆくのだろう。新鮮な龍の肉をついばむ海鳥たちに、その最期をたくすとリルケは決めたようだった。


「それと、おじ様……許してください。今の私たちにも龍の死骸は巨大な資材と物資の固まり……使わせてもらいます。どうか、お許しを」

「許してくれるさ、リルケ。っと、お互い血塗れになっちまったな」


 リルケの頬をグイと手で拭って、そして抱きしめる。

 リルケは今この瞬間だけ、無慈悲で冷徹な魔王の無表情を維持できなくなっていたから。

 アスミの胸の中で、声を殺してリルケは泣いていた。

 そして、沖合では大小さまざまな軍艦がこちらへと砲を向けている。

 ゲオルも結界の外に出れば、どうなるかを知っていたはずだ。

 騎兵や砲兵、戦車でも倒せぬ化け物じみた黄金の巨神……そのために出動した海軍の大艦隊が、北側から魔王リルケの城を攻めるだろうと。

 それでも、誇り高き龍は飛び立った。

 滅亡を待つ氷の土地から、減ってしまった民たちを解放するために。


「ナル、お疲れ。ありがとな。すげえぜ、魔法剣。それと……ウイ、お前そこにいるよな!」

「おうてばよ! いつでも自分はマスターの近くにいるッスよ」

「風呂の準備をしてくれ。そのあと幹部会議を開く。避難民たちにはいつも通りの朝食を」

「合点承知の助! ……マスター、無理しちゃ駄目ッスよ? この怒り、悲しみ……機械の身体にもズシンと響くッス。自分は涙を流さない、ロボットだから、マシンだから」

「ダラッター! ……ありがとな、ウイ。それな! はは、今後も頼りにしてるぜ!」


 空元気を振り絞って、アスミは仲間っちに笑いかけた。

 そして、ようやく泣き止んだリルケと共に、偉大な王を見送る。

 少しずつ鳥たちに食べられ、無敵の甲殻や鱗も剥がされ波にさらわれていった。こうして、蘇った魔女王は親愛なる魔龍王との惜別せきべつの朝を終えたのだった。

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